第4話 過去への旅と呪いの犬

 分からないまま、目を閉じ意識を集中した。身体がないのに目を閉じるのもおかしいか?

 ――そう思い目を開けると、エンマは飛行機の中にいた。乱気流に揺れる機内に、ベルトと酸素マスク着用を促すアナウンスが流れる。斜めになった床。大人の怒号と子供の悲鳴。


 ただひとり、時間から切り離され冷静なエンマは、写真を握りしめ、神への祈りと家族への愛を囁く写真の中のままの若い父の姿を見ていた。


『バイバイ。私も愛してるよ、パパ……』


 目を閉じ、再び意識を集中する。いつも気配だけ、だが確かに感じる何かを探して。



 次に目を開けると、アンティークの――いや、それが現役だったころの調度が並ぶ室内だった。書き物机に向かう男性の背後、壁と天井の交わる角に青みがかった煙が湧き、爬虫類のようにも獣のようにも見える化物が、男性に飛び掛かろうと身をたわめていた。


『危ない!!』


 エンマの声が聞こえたのかは定かではないが、男性は背後の気配に気づき、机の上に置かれていた、柄に宝石の埋め込まれたナイフを握り、振り向きざまに斬り付けた。


 何とも分からない醜悪な怪物だったが、伝わる猛烈な飢餓感と執着から、エンマはそれが“犬”だと気が付いた。


 身を固め見守るエンマの前で、男性は怪物の鉤爪と銛のような奇怪な舌で傷付けられたが、怪物にも深手を負わせていた。狩りに失敗した“犬”が煙と共に角に消えると同時に、男性は床に倒れ、鍵の掛かった扉を外から叩く音と、呼び掛ける人の声が響いた。



「お疲れさまー。今の化物、ティンダロスの猟犬が、呪いの犬の正体で間違いないと思うよー。空間どころか、時間も関係ない種族だから、さっきの男性――獲物にした、キミのご先祖様に似た匂いを、何代も追ってたんじゃないかなー。思いもよらず、こっぴどい反撃を受けたから、もう寄ってこないと思うよー」


 妖精エルフの声で揺り起こされ、エンマはガンガンと痛む頭であたりを確認した。


「いたた……夢? じゃない? あれ? でも、過去って、変えられるの?」

「ティンダロスの猟犬は、未来から遡って追いかけて来るような規格外の存在だからねー。あれの因縁のほうがイレギュラーだったってことで良いんじゃなーい? それよりほらほら、早く部屋の外に出てくれないとー」


 時計は18時58分を指している。理解できないままだが、助けてもらった確信はある。それなのに、妖精を置いたまま出て行っていいのか。


「わたしはキミにしてあげられることを済ませただけ―。キミもできることで返してくれればいいよー」


 エンマの葛藤を見透かしたように、妖精は柔らかく微笑んで見せる。無理やり納得してみせようとするエンマの目に、天井の角が青く煙を噴き出すのが見えた。


「妖精さん、あれ!」

「あっちゃー、ついてきちゃったか―。でもわたしは、あれに殺されるんでも一緒かもー。キミは今すぐここから逃げて―」

「できません! そんなこと、できるわけないでしょう!?」


 煙の中から爬虫類めいた醜悪な顔が現れ、妖精さんに庇われる私に狙いを定め飛び掛かろうとしたその瞬間。

 薄暗い室内の中、濃く溜まった部屋の隅の影に見えた物が、壁伝いに何本もの影の触手を伸ばし、“犬”の身体に絡みついた。


「アドゥムブラリ! もう来て隠れてたんだー」


 影だけで動く、完全な二次元の存在。半ばループの中に囚われた状態でも、妖精にギリギリまで恐怖と焦燥とを与えるため、首吊りロープの影の中に潜んでいたようだ。

 囚われたに見える“犬”だったが、恐ろしいことに銛状の舌は、生きた影さえ傷付けることができるらしい。


「こういうの、漁夫の利であってるんだっけー? まあいいや、とにかく逃げるよー!」


 千切りあい食らい合う化物同士の争いを後目に、妖精に手を引かれエンマは部屋から逃げ出した。

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