第3話

■BC19×××年 ヴァシュー山岳西端 某地点


 ――食糧の備蓄が底を尽きた。


 何らかの力によって第2実験室ごと別の場所へと転移してしばらくが過ぎようとしていた。


 ――あの子の身体は日を増すごとに弱まっていた。


 ふらふらと立ち上がる。

 最後に残った食糧もあの子に食べさせてしまって久しい。


 たどり着いた場所は見たことのない世界だった。ただ、空に浮かぶ大陸のどこかではない事は分かった。

 あの子を置いて遠くにはとても行けなかったが、近辺を探索して、ここが地上の火山地帯らしいという事は掴んでいた。


 ――分かっただけだ。ほとんど作物が育たないような場所だと分かったからといって、食糧の問題が解決する訳ではない。


 リュクスは万が一を考えていたのだろう。第2実験室には食糧や日用品の大量の備蓄があった。だがそれも一時的なものだ。ここに来てもうどれくらいになるか、いつからか数えるのを止めてしまった。


 子供の……メーナの体調の問題もあった。ここにたどり着いてしばらくして、急に元気を無くしてしまった。定期的に高熱を出し、食欲も安定せず、呼吸も荒い。

 最近は意識もおぼろげになってきていた。

 生まれつきの病なのか、この環境のせいなのかは分からない。

 しかし一刻も早く何とかしなければならないのは間違いなかった。


 ――でもどうする。山を降りる? 無理だ。追われる身で小さな子どもを抱えて、この険しい山は渡れそうにない。それに遭難でもしてしまったら本末転倒だ。


 誰かが来るのを待つようなところでもなかった。どの道、自分達はおたずね者だ。


 ――私が何とかするしかない。


 といっても、医学の心得があるわけではない。

 私にあるのは夫と共に研鑽した金属体の研究知識だけ。


 ――エネルギーの吸収と放出のプロセスを自律的に繰り返す金属体の精製。だがそれの持つ、もう一つの意味合いは恐らく我々以外には分かりえないだろう。

 ――それはさらに、非常に大きな柔軟性を持っていて、各種設備、装置を構成する素材として使うことで、機械そのものがまるで植物が光合成をするかの如く自給自足を行っていく事も可能にする。

 ――更なる発展的な研究がある。

 ――生体エネルギーと金属体の反応実験……生物の精神を金属体を媒介に器に移し替える事を試みる、というものだ。KMS社もそこまで掴んでいないはずだった。

 ――長期間自律的にエネルギーを生み出し続ける金属体を動力そのものとすることで、人の記憶を長期間保持したいわば「機械生命体」を作る事が出来るはず。

 ――リュクスは理論の完成まで漕ぎ着けていた。後は実証実験を行っていく過程だったが……結局は、この禁忌の技術を破棄する事を夫は選択した。


 現在の住まいとなった、実験室内を見回す。


 ――設備と電力は何とかなるだろう。今いる地上の場所は、資料の記載よりもずっと空気が澄んでいるせいか、太陽光による自家発電で十分な電力を確保することが可能であった。

 ――実験室内には各種研究素材が手つかずのまま残っている。


 襲撃を受けた際に、リュクスもここまでは処分の手が回らなかったらしい。


 メーナが激しく咳き込む声が聞こえてくる。


 ――あまり時間がない。やるしかない。



■BC20000年 ヴァシュー山岳西端 某地点


 険しい岩に囲まれた山間の広場。


 遠くに一際大きな山がそびえ立っているのが見える。


「ナダラ火山?」

「その通りです、アルドさん。現在地、ヴァシュー山岳地帯西端の一角、通称V4と呼ばれる山の中腹地点。ナダラ火山の三合目に相当する標高地点になりマス」


 光の渦を抜け、どうやら古代の火山地帯にやってきたらしい。


 AD1000年、リュクス博士の研究所跡地に存在した次元の裂け目。

 万が一、博士が時空を超えて、この古代まで逃げ延びていたとしたら。


 ――もしくは、もう一つの可能性が……。


「うわ! 誰だあんた達!」


 広場の入り口で、男が目を丸くしてこちらを見つめている。


「見ない顔だな。こんなところで何してるんだ?」

「あ、あの、俺達旅をしてて、ちょっと道に迷っちゃって……」


 男は訝しげな目でアルド達を眺めていたが、やがて害が無さそうだと判断したのか警戒心を解いた様子でゆっくりと話し始めた。


「なんだ、旅人か……そいつは大変だな。この辺りは道も複雑だからな」

「近くに住んでる人?」

「いや、麓のラトルの方だよ。たまに石炭なんかを採りにここまで来るんだ」

「この辺に人が住んでたって話、聞いたことない?」

「人が? ここに住むかって? いやぁ、ないない。第一この辺りはまともな作物はほとんど獲れないからな。もうずっと前から人が住むような場所じゃないよ」

「……」


 押し黙る一同。

 男が、何かを思い出すような素振りで、


「いや、でも……この辺で暮らしてるっていう人間、噂には聞いたことあったな」

「……!」


 色めき立つアルド。


「詳しく教えてくれ!」

「噂だよ。変わった女がいるって。見たやつの話では、変わった格好して古びた小屋に閉じこもったまま出てこようとしなかったらしい。そいつは幽霊だと思ってそれ以上関わらなかったみたいだけどな。俺も一度だけ遠目から小屋だけは見たことあったよ。不気味で近づく気はおきなかったな。そもそもこの辺りは滅多に人が近づくところじゃないし」

「女の人?」

「っていう話だな。他所から流れ着いて来たにしても、好んでこんなとこに住み着くとは思えないし幽霊なんて話もあながち嘘じゃねぇかもな」


 ――そうか。そういう事か。


「小屋の場所は分かる?どこら辺で見たとか」

「あぁ、ちょうどその辺りだよ」


 男が指した先。

 広場の端、うず高く積み上がった火山灰や岩石で形成された小規模な山がある。


「何もない」

「場所は合ってるはずだよ。ただ結構前の、火山の噴火に巻き込まれたみたいで、それっきりだ。今じゃ残ったのは、植物も生えてこない石ころの山だけだよ」

「……」


 ――どうやら予想は当たってしまったらしい。


 岩石と灰が積み重なったボタ山の前まで歩いていくアルド達。

 山を目の前に思考にふけるヘレナ。


 ――博士は果たして逃げられたのか?いや、恐らくはないだろう。ではやはり、図らずも古代にまでやって来てしまったのは、博士の……。


「ヘレナさん」


 リィカの声で我に返る。


「探索を開始シマスカ?」


 どこから取り出したのか、大きなシャベルを手にしていた。


「スミマセン、原始的な採掘装置しか用意出来ズ……」

「よし、みんなで手分けして探そう!」


 アルドの声があがる。

 それを合図にパーティの面々が埋まった手がかりを掘り返そうと行動を始めた、その時だった。


『……どうやらそんな時間はなさそうだぞ』


 合成鬼竜からの緊急通信。


『怪獣出現だ。場所はセレナ海岸』

「そんな……っ!」

『リンデに駐留していた兵士が向かっているが、いつまで持つか分からんぞ』

「お兄ちゃん……」

「行くしかない」

「アルド殿、まだ手がかりも何も」

「……私が残りわ」


 皆の視線がヘレナに集まる。


「すぐに見つけて、追いつく」

「分かった。頼んだぞ、ヘレナ」


 走り出す一行。

 だが、リィカだけはその場から動こうとしない。


「私も残りマス」

「……一人で充分よ」

「早く見つける為に、ワタシの探査機能が必ずお役に立つと考えた結果の判断デス」

「……」

「ソーシャルヘルパーは探しものを見つけるのも得意なのデスヨ」

「……好きにしなさい」



■AD1000年 港町リンデ


「なんだあれ?」

「魚か? それにしても大きいな……」


 船着き場にごった返す野次馬達。

 海面から漆黒の怪獣が徐々にその姿を現す。


「魔物だ!大きいぞ!」

「誰か!ミグランス兵を!」


 巨体を揺らし、セレナ海岸に上陸。

 衝撃で大きな波が起こり、停泊する漁船が次々と転覆していく。


「あの方向って……」

「このままじゃ王都にぶつかる!」



■BC20000年 ヴァシュー山岳西端 某地点


「ヘレナさん」


 リィカの声。

 発掘を行う手が止まる。


「……何?」

「何かあったんデスカ?」

「何もないわよ」

「リュクス博士の件デスカ?」

「……」


 発掘作業を再開する。

 火山灰の堆積層は思ったよりも分厚く、岩や土を取り除き続けてもまだ先が見えてこない。


「博士の件について、ヘレナさんに非は無い事は皆サン分かってるはずデスヨ」

「……」

「それに、もしかしたら博士だって時を超えて」

「それはないわ」


 土を掘り返しては、大小の岩石を取り除くという作業を繰り返す。


「それはない」

「何故デスカ?」

「合成兵士達は間違いなく彼を銃殺した……記録にアクセスしたのだから確かよ」

「ではこの時代に来たノハ」

「……博士には、エゼルという名のパートナーの学者がいた。そして二人の間には子供も……」

「……」

「罪の償いをしたいなんて思ってないわ……ただ彼らが生きた証を見つける事が、私が出来る唯一の弔いだから」

「ヘレナさん……」

「それに、家族を失うのはつらい事でしょう?」


 ――家族。そういった感情の理解、実感。私達にとっての永遠の課題。

 ――クロノス博士、そしてガリアード。


 カチっという固い音。


 シャベルの切っ先に手応え。

 金属らしきものが埋まっている。

 急いで周囲を掘り、土の中からそれを取り出す。

 金属製の小さなコンテナ。


「まるで、タイムカプセルのようデスネ」


 ――リュクス博士か、エゼル博士が残した置き土産か。


 中を開けると、そこには、


「サウンド・オーブ?」



■AD300年 セレナ海岸


 岸辺で陣形を整えているのはミグランス兵の集団。

 規則正しく戦列を整え、防衛体制を敷いている。


「ここで食い止める! 必ず死守しろ!」


 隊長らしき男が檄を飛ばす。


 だが怪獣の進撃は止まらない。

 巨大な尻尾の一撃で簡単に列が突き崩された。


「怯むなっ! やれっ、やれっ!」


 兵士達の攻撃は無情にも全てが装甲に弾かれ、返す火球の咆哮で十人程が吹き飛ばされる。

 周囲に土煙が立ち込める。

 反響する兵士達のうめき声。

 半壊した軍勢を見下ろすように、黒く大きな影がぼんやりとした視界の向こうに立ちはだかる。


「くそ! なんてやつだ!」


 隊長のもとに巨大な火球が迫る。

 すべてを焼き払う無尽蔵の業火。


 だがそれがぶつかる直前、隊長の目の前に二つの影が滑り込んだ。

 続けざまに火球が弾け、霧消する。


 剣を構えたアルドとサイラスだ。


「ここは任せてくれ!」


 二人が猛然と怪獣へと向かって駆けていく。

 後方で傷ついた兵士を治療するフィーネ。


 不安そうに二人を見つめる彼女の瞳……。



■BC20000年 ヴァシュー山岳西端 某地点


 ――記録の再生が始まった。


「……これを見つける、どなたかに、託します」


 オーブから聞こえてきたのは女性の声。


「私の名前はエゼル、金属結晶の研究者……私は私の生み出したものについてと、それを止める方法についてお話をしなければいけません」

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