発見しました
トイレを開けると、手洗いの横に直方体の金属箱があった。ボックスティッシュを二箱重ねたような銀色の箱はあまりにも堂々としすぎていて、逆に違和感を感じなかった。
「この爆弾、見たことあるか」
里見が軽い調子で問う。
「この爆弾は見たことないが、スピードメーターとスマホ単独のものは見たことがある。……中身も組み合わせたものだ。中、見えるか」
「……よく見える。でも明かりが欲しい」
「光量、重力センサーはついてないか?」
「どんなかたちしていますか?」呆けた顔で里見が見る。
「知らねぇのか。おい、調べろ」
僕は言われた通り調べる。写真はすぐ出てきた。
「これか?」
差し出すと臣の眉間の皺が減った。
「そうだな」
「里見、あるか?」
じっと里見が箱を見つめる。その後車両後部に目を向ける。
「全くない。他の爆弾も同じです」
「そうか。ガラスの筒や、動けば反応しそうなものはあるか?」
「……無い。ただ、底がくっついているだけだ。多分、ボンドみたいなものでくっついている」
「底を取っ払えるか?」
「完璧に接着している。無理に外したら壊れるな」
「……開けるしかないな」
「やっぱりですか。ごめん突然ですが、夏目君、任せました」
里見が軽い物事を頼むように、両手を合わせて軽い調子で頼む。僕は鳩が豆鉄砲食らったように衝撃を受ける。
「えっ、なんで……?」
「実は、俺の両腕義手なんです。足もそうですが、今はまだ力加減が細かいところは難しいんです。特に細かい作業は自分でも信用できない。君は両手に支障がありますか?」
「いや」
「そう、ならよかった。じゃあ任してもいいですか?やばそうになったら長田さんの方に任せますから」
里見の手許のドライバーを見た。こんな軽く選んでいいのか。不安だ。不安だが、臣に任せるわけにもかない。此処には僕しかいなかった。唾をのみ込んでからからの喉から声をだす。
「……わかった」
今にも死にかけの声だった。覇気は無いが、やるしかない。僕はドライバーを受け取った。里見は「ありがとうございます!」とやはり状況にそぐわない大声を出し、臣は心配そうな表情でこちらを見ていた。お前のせいだと吐き捨て、震える足で箱の前に立った。二人は僕の側に立ち、箱から目を離さずに見ていた。
「まず、どうすればいい」
里見はスマホを開く。
「解析によると、上のねじは普通にとって大丈夫です。特に仕掛けはありません」
爆弾処理班からの連絡を見たようだ。ノイズがかかっていないことを確認し、言われた通り箱の四隅のネジを取る。思ったよりすんなりねじは回った。四本開けて数秒待つ。里見からも何の反応もないことに安堵し、蓋を開ける。中は配線の塊だった。短い導線が藻の様に絡み手前にある恐らくスピードメーターの板と繋がっている。配線の下には紙で包まれた筒があった。電線はその中に直接入っている。
「ダイナマイトか」
中を見た臣が息を吐く。
「見知った爆弾で良かったな」
「どれから切ればいい?」
「待て。トラップが発火装置と接続している……少し見させろ」
「間違えたらどうなりますか」
「別の回路でボンだ」
「全部同時に切り離すってのはだめ?」
「通電する方が確実に早い」
「それじゃあ地道に切っていくしかないですね」
里見がさっと懐中電灯をつけて中を照らす。
「どの配線が何処に繋がっている」
「……赤がスピードメーターの下、青が……バネ?に繋がっています。途中に薄い金属板が挟まっていて、それが緑の配線に繋がっています」
「別の発火装置だな。それで」
「……黄色が左下のスマホに繋がっていて、紫も繋がっている。それはさっき言ったバネの方に繋がっていて」
「ちょっと待ってくれ、メモに図を書いてくれ」
丁度持っていたメモに簡易的な図を書いてもらった。透視能力のおかげで目に見えない複雑なところまで書いてもらえた。
スピードメータに直接繋がっているのが赤、GPSは黄色、青と緑、紫はトラップ、また底に繋がっているトラップは白と黒と橙。図を見た臣は怪訝な顔をした。
「めんどくせぇもん作ったな」
「解除できそうですか」
「……お前、色覚障害はあるか?」
「いや、大丈夫です」
「なら可能だ。冷静に、一本ずつ切れ」
里見が僕を見る。僕は頭を横に振る。ノイズはない。
「分かった。じゃあ夏目さん、お願いします」
僕は頷いた。
「まずは白を切れ」
ノイズはかからない。僕は白の配線を切る。数秒待って、爆発しなかった。息を吐き荒く呼吸する。
「里見、切った順番で×と数字を書いていってくれ。もし爆発しても残るかもしれない」
「わかった」
小さく呟き、里見が手許の絵の白い配線に×をつけ左に1と書く。僕はそれを見て、臣に声をかける。
「……次はどれだ」
「手の震えをどうにかしてから言え。力が入らないだろう」
手を持ち上げる。確かに震えていた。乗客の命を背負っているからか、恐怖か緊張感に震える。間違えたら、もしこの男の知識が間違えていれば、不安は尽きない。手を強くつかむ、震えは止まらない。
「どうすればいい、どうすれば止まる」
「他の乗客のことを忘れればいいんじゃないか?」
「できるか」
「そろそろ新宿だ。他の爆弾を考えると時間は無い。俺が代わるか?」
殺人犯に渡せるか!
口に出したかったが、口の中に消えた。一歩間違えればそうなっていた。臣を見る、顔が変わっても眼力は変わらない。射貫くような目が何処までも印象的だ。生きている世界は違うが、人間であることに違いない。食べて、寝て、人と話して、ただの人間に過ぎない。結局「した」か「していない」かの違いでしかない。でも乗客に殺意はない。そこは、違う。
「手、止まってますよ」
里見が声をかける。確かに手の震えは収まっていた。
「出来るか」
お前らと違う、その反抗心だ。それが僕を動かしている。
「……やれる」
顔を叩いて気を引き締める。僕がするしかない。まだ終わっていない。
「次はどれだ」
僕はただ言葉を待つ。臣は口を開いた。
「次は緑だ」
言われた通り、緑を切った。
数秒待ったが爆発しなかった。
最後の一本を切り終える。数秒の沈黙の後、里見が臣に尋ねた。
「おっさん、全部切ったよ」
「センサーとスピードメーターの接続部と信管は全て切れていたか?」
「切れたよ」
臣がこちらを見る。
「里見は嘘ついてません」
「中を見せてみろ」
身を引くとすぐに臣は覗き込んだ。目を動かして中をくまなく見渡している。果てしなく感じた時間はすぐに過ぎ、臣は顔を上げた。
「無力化は成功だ」
足から力が抜けた。里見が体を支え、何とかヘタレずにすむ。
「ああ……」
肺の空気が抜ける。力が入らない。正直、もう動きたくなかった。
「動けるか?」
解除前同様に、平然と里見は問う。僕は何とか頭を働かせて言葉を呟く。
「……少し、休みたい」
「そうも言ってられん。時間が無い」
臣が同情のしたように、語尾が重い。確かにそうだ。もう行かなければならない。
「なら!」
里見の元気な返事と共に、視界が変わる。気がつくと里見に背負われていた。
「運ぶくらいはできます。移動中は休んでください!」
里見は満面の笑みを見せた。ほんの一車両分の距離だ。それで気が休まるわけじゃない。だが、
「……ありがとう」
恥よりも疲れが先立つ。歩くのも億劫な体には有り難い。
「じゃあ次行きますよ」
臣を先に行かせて、里見は僕を背負いつつずかずか歩き始めた。そこには緊張感もなく、ただの作業感だけになっていた。
里見の性格のせいか、この後の解体はありえないほどの穏やかな雰囲気で進んだ。
次の爆弾も穏やかに済み、最後の爆弾となった。その頃には少し手慣れた感覚になっていた。油断しないように何度も紙を見直して、爆弾解体にかかる。
「最後だ。切れ」
言われたとおりに切る。里見が顔を出して中を見ている。
「全部切れてる」
今度こそ、終わった。僕はもうへたり込んだ。トイレの床だの知らない。他人がいるから泣けなかったけど、動きたくなかった。
「とりあえずこの写真を解除班に送って、見てもらいますね」
スマホで写真を何枚か取って何か操作していた。臣は安心した顔をしている。
「知識があったんじゃなかったのか?」
「解体するのは初めてだ、自分の命が関わって居るのはなおさらだ」
「そうか、そんな体で手を上げたのか?」
「他に手があるか?カメラ越しの解体に責任が取れる奴が警察に居るか?」
「プロだから下手なことは出来ないけど、まあ出来れば出来るんじゃないですか。戻りましょう」
「ダイナマイトの方はどうするんだ」
「長田さんに処理は聞きましょう。俺は処分方法とか全然わからんです」
臣はあきれたような表情になる。
「あの長田って言う奴、ガキに任せるとはなかなかいかれてんな」
「能力者ですからねー、実力って言うところだと年齢は成熟さに比例しないというか、適材適所が優先されますよ。俺は働いているから特に」
「それが能力者の社会か」
「まあそうですね。勘違いされているみたいですけど、別に思っているほど楽園じゃないってだけですよ」
「……」
どう答えていいのかわからなかった。義肢、潜入捜査のような危険な仕事。こちらの世界とは全く違う気がした。
里見は口元にネックレスの十字架を持ち上げ、今度こそ元気いっぱいに言葉を放つ。
「もしもしー、解体できましたよ。そっちの方は、はい、問題なし!それは良かったです!じゃあ車掌に頼んで止めてもらいますね」
返事を手早く済ませて、通信機を下ろす。
満面の笑みで僕の両手を掴んだ。
「これで百人、いやそれ以上救えましたよ!あなたがいて良かった!」
ぶんぶん手を振る。握られた手を呆然と見つめた。正直どうすればいいのか分からない。賞賛の言葉は僕が偶然手に入れたもので、本来の自分がするつもりの奴じゃなかった。ひとしきり手を振って褒められた後、里見は手を放した。
「そいじゃあ戻りましょう」
また背中に乗せられる。
どんな表情をすればいいのか分からなかった。
僕は臣を見た。臣は僕を見て、申し訳なさそうな顔をした。
そこに残された人間らしさを見つけて、やはりどんな表情をすべきかわからなかった。
トイレの扉を開けると、ビル街が線路沿いに見えた。此処は東京だった。
『おまえは誰だ』
電車のスピードが下がり、時速80キロ以下になっても爆発しなかった。終わったのだ。
列車はそれからもスピードを落とし、完璧に静止した。車掌が走って後ろに行き、扉の開く音がした。
『問題は解決しました。13号車の後方の扉を開けましたので、車掌の指示に従って、焦らず、足下に気をつけてお進みください」
車掌の放送が響く。どこかから拍手が聞こえてきた。今日の事件はほとんど終わったのだ。パトカーのサイレンが近づき、だんだん増えていく。
僕はそれを一号車の最後列で聞いていた。サイレンは他人事で遠い話に思えた。それほどまでに疲れていた。
車両に戻ると、頭を抱えた朱鷺、うなだれたままの司、天を仰いでいた浮世が待っていた。
遠くで里見と長田が会話している。
「なんていう指示が出てますか?」
「警察が来るまで待機だ」
「夏目さんも?」
「ああ。仕事はまだ残っている」
「仕事?それって」
里見は不思議そうな様子だ。質問を別の男が遮った。
「あの、俺たちの顔は戻りますか?」
多分浮世が不安そうに長田さんに尋ねた。
「司、直さないのか」
目を通路に向ける。司はうなだれていた。表情はわからないが、くっと口端を上げた。
「お前、直さない理由が分かっているんだろう?」
もったいぶった調子でためを作り、
「お前が言わないなら言ってやる。こいつは蓮井だろう」
「いいや、朱鷺だ」
「……朱鷺?」
「先手を打たれたんだよ」
「何故蓮井が逃がした?」
「逃がしたわけじゃない。ただタイミングが悪かっただけだ。阿波と入れ替わった事実を作るために、戻ってきた阿波と入れ替わっただけだ」
「あいつが内通していた」
「いいや、死んだのは朱鷺だ」
朱鷺が答えた。
「お前は、蓮井か?」
「それは一つの名前でしかない。俺は顔を失ってから、朱鷺かそれ以外として生きてきた」
「……もしかして、内通していた、一週間の合宿に居たのは本物の朱鷺で、今いるのは蓮井か」
「ああ。でも俺は朱鷺だ。朱鷺は二人いた」
僕はゆっくり顔を向けた。どういうことだ。
「朱鷺役は二人いたということか」
長田さんは跳ね上がりそうな語尾を抑えて問う。
「そうだな。司に顔を変えてもらって顔を精巧に作り上げたが、そもそもあいつは本物の朱鷺かすらわからない」
「10年以上前から登録されていた。何故そんなことを言う」
「同じ血液型で、同じくらいの体格の男を持ってくればいいだろう。整形すれば似た顔も作れる」
確かに可能だ。色々理由付けすれば十分できる。
「なら、七年前の事件の証拠偽造は」
「いいや、俺がしたよ。それは安心してくれ。証言もする」
「……いやに従順だな」
「ああ。もう、追い詰められた。もう無理だ。十分稼いで使ったからな、後残りは一切ない」
「……自分の罪を軽くしたいのか」
「それは無理だろう。ずいぶんやりすぎた。朱鷺の立場を使って金を荒稼ぎするつもりだったんだが、自分の身には大きすぎる顔だった。自分が誰かも分からなくなり、金に価値を見出せなくなった。朱鷺は、朱鷺でなかったころの記憶は塗りつぶされた。俺も同じだ。俺が自分の顔を忘れてしまった頃に、自分の自分でない記憶が混ざり合っていった。朱鷺に教えられた過去が自分の過去になっていった。蓮井陣は十四番目の名前だ。昔の自分は死体を盗んで死んだことになっている。俺が俺である証明は無い」
僕は引き寄せられるように立ち上がった。足に力が入らないから、椅子に手を付けて歩き出す。
「じゃあ、なんで、お前は、片身の味方なんだ」
長田さんが化け物を見た顔をしている。
「俺が朱鷺になれば、自己が確立されると期待したからだ」
そんな曖昧な理由で手を貸したのか。今までの犯人たちとは違う、全く理解できない人間がここに居た。
真っ白な頭から、言葉を吐きだす。・
「じゃあ、お前は七年前の銃乱射事件、証拠をいじった時何を思っていたんだ」
数拍置いて、
「酷い。そう思って、俺はいつも通り仕事したよ」
司の椅子をちぎるように掴み、そいつの顔を覗き込んだ。
無表情だった。確信した、こいつは人間じゃない。
「あれだけ殺されてそれだけか」
「俺が殺したわけじゃない」
椅子から手が離れる。野太い首に手が引き寄せられる。こんな奴死んだっていいんじゃないか?これは間違っていない。僕はそのまま手を蓮井の喉に引き寄せた。
「夏目さん。人殺しは駄目だよ」
振り向くと、里見が僕を見ていた。止めるでもなく、僕の仕草をただ見ている。僕はその無垢な目が怖くなって、手を離した。
「ああ、そうだね。人殺しはだめだよ」
人殺しはだめだ。独り言ちて、僕は体を離した。長田さんは体のこわばりが取れ、びくっと体を動かした。
「長田さん、僕はもう行っていいですか」
長田さんは急いでスマホを耳に当て、何か話した。
「……ああ、今、ちょうど乗客が全員降りた。車掌も警察の対応しているから、二号車の後部出入り口から帰ってくれ。シートが張られている方な」
口早にそう言って、スマホに戻って行った。
里見はこちらを見ている。責め立てるでもなく、ただ見ていた。
僕ははい、と答えて逃げるように車両から出た。自動ドアを通り、開いたドアから青いシートが見えた。そこから外に出ると、一気に冷たく澄んだ空気が全身に刺さる。
血の匂いと暖房に包まれていた列車に反して、何処までも澄み切って刺さるような寒風が体にぶつかる。日常に戻ってきた、それを実感した。
そういえばコートはつるしたままだった。取りに帰るのは捜査の邪魔になるだろう。中に戻りたくないのが一番だった。僕は振り向かずに歩き始めた。だが段々寒気が体の芯までしみ始めた。足も震え始めてしまった。
喉に手をかけるときにあったのは衝動だ。理性が聞かなければ殺していた。よく考えるとあいつが蓮井と言って殺させることで捜査を混乱させたり、実は朱鷺だったが蓮井として殺されることで一切の情報を闇に葬るつもりだったかもしれない。そこまで冷静に考えられなかった。僕は正しさもなく人を殺せるかもしれない。それが怖い。
「寒い」
僕は早く救急車にたどり着きたくて、必死に走り出した。
パトカーのサイレンがビル街に反響していた。
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