休憩

 事情聴取が半分すんだところで、口の中がへばりついていた。知らず知らずのうちに口が乾いていたようだ。

「長田さん、少し水を呑んでいいですか」

「ああ。少し休むか?」

「……はい」

 できれば連続でやりたかった。でも全く違う性質の人間と向き合うのは本当に疲れている。良心に訴えかける奴と、大声でがなり立てる奴、普段人と会っていないから話を聞くだけでも相当体力を消費していた。話を聞くうちに相手がただの人でしかない、下手すれば今朝の駅のホームの風景に居てもおかしくないような一般人だったことが効いている。まとも、と浮世は言っていた。社会人としてちゃんと活動していたのは僕じゃない。ただ隔てるのは実行したか、していないか、それだけだ。本当に割り切れない。

 二本目の新しいボトルを持って建物の増えてきた窓の外を見る。線路沿いの家やスーパーマーケットに雪が乗っている。穏やかな別世界に今度は開放感を感じた。尋問は思ったよりも圧迫感があったらしい。よく考えるとずっと狭い空間に座りっぱなしだ。肩を軽く回すとぽきぽき音が鳴る。思ったよりも疲れているかもしれない。寝てばかりの体力のなさを今頃になって後悔した。

 長田さんも僕と同様手に小さな茶のペットボトルを持っている。顔からは緊張感が取れていない。

「水を呑みながらでいい、話を聞いてくれ」

「はい」

 僕は言われたとおりに水を呑む。ちゃんとペットボトルが開けられていないことを確認してから生ぬるい水に口をつける。思ったよりも喉が渇いていて、一気に水を流し込んでいた。長田さんは外に聞こえないような声で話し始めた。

「浮世の話を終えてから、全部の情報を警察に渡した。先程このスマホに出てきた名前で分かる範囲の個人情報を送ってもらった。結果、司治という名前の奴はいないと判明した」

 水を吹き出しかけた。なんとか口の中に水をせき止め飲み込む。こぼさないよう慎重にボトルを下ろした。

「偽名ですか」

「または戸籍がないかどちらかだ」

「それは……とりあえず、他の人たちはどうでしたか」

「他の連中は身許が判明している。浮世と宇津居は発言通りだ。浮世は実家で療養していた、宇津居は有給を一週間と今日の分を取っていた」

「一応発言通りですね」

「ああ。本物の本人ならな」

「……もしかして、催眠ですか」

 長田さんが目を大きく見開く。

「それも考えている。良く思いついたな」

「たまに犯罪心理の本を読んでいます。洗脳して自分の手下にさせる犯罪も載ってました」

 長田さんは何とも言えない表情になる。

「それを読んで大丈夫なのか」

「正直結構来ます。でもどうして犯罪をするのか、どういう心理なのかという筋道は大まかに立てられます。犯人も捕まっていない状態でもはっきりとした動機、答えが欲しいんです」

 気分が悪いが、今ならはっきりわかる。正気じゃないと言われても仕方ない。しばらくあの本は読めそうになかった。浮世ならされていてもおかしくない。現実味を帯びた考えはグロテスクであまり気分がいいものじゃなかった。

 これ以上言及されないために話題を進める。

「もし催眠能力者が居て、全部嘘だったらどうします」

 長田さんは何か言いたげだったが特に深入りはしなかった。口元に手を当てて数秒経ってから答えた。

「まあ……その時は強引に解体するか」

 思った通りの答えだ。

 今回の推理劇は待っている間の時間潰しみたいなものだ。ただ僕の釈然とし無い復讐心を諫める側面もあった。能力者が他にいたならこれはただの無駄足に終わる。それだけに終わって欲しくないと勝手に望んでいた。

「どうかしたか」

 長田さんは僕を真っすぐ見た。僕は適当な返事をする。

「変なこと言いますが……二人とも、普通の人と変わりないんじゃないかと思いました」

「あまり共感するべきじゃない。誠実な態度を取るふりでこちらの同情を買おうとしているかもしれない」

 即答だった。長田さんは真剣に僕を見つめている。

「今必要なのは奴らの人格ではなく奴らの犯行を解明することだ。どんなに普通の人に見えても、列車ジャックという凶悪犯罪を行ったことに変わりない。だから、あまり共感しすぎるな。奴らは夏目とは違う人間だ」

 長田さんの言葉を正面から受け取れなかった。後ろめたさで吐き気がする。

 突然スマホが鳴り出す。長田さんが画面を見、直ぐに出た。

「こちら長田。どうした……ああ、わかった。画像はこのスマホに送れ」

 事務的な口調で話し、直ぐに切った。

「捜査本部からだ。ピンの通信は画像を受信できないからこちらも使うことにした。驚かせてすまないな」

「気にしないでください」

 僕は軽く手を振る。

「通信内容は何でしたか」

「車掌室の犯行で使われたとされる静音機が線路上に捨てられていたと来た」

「銃声しなかったんですか」

「ああ。もし聞こえていれば里見が確認していたはずだ。落ちていたのは放送が終わってから8分ほど後の場所だ。窓から投げ捨てたらしい。車掌室の二人を殺したのはお前を連行する前だ。里見は特におかしなものは爆弾以外ないと言っていた。だからこの静音機を使ったということでいい」

僕は長田さんにまた質問する。

「じゃあこの静音機を使わなくてもいいような無登録の超能力者って、居るんですか」

「違法薬物として裏流しされたものを使って生き残る奴や、血を流すことなく転化する奴もごくわずかいる。恐らく、今回の顔を変えた奴もこういう奴だ」

「僕の方には専門医は来ていません」

「それは、そもそも薬物治療を拒否すれば来ない。仮に生き残った場合は何かと理由をつけて訪問するが、それまでは監視はつくがほぼ放置みたいなものだ」

「ああだから」

 僕は治療するか聞かれた時にすぐ拒否した。だから放置された。

「催眠の能力者はほぼ隔離されている。身許は全委員確認されているから名目上は居ない」

「仮に居ないとして、顔を変える上で条件があるんですよね」

「そうだ。言ったとおり能力には影響力問わず必ず制限や条件がつく」

「多分距離ですね。後ろの乗客の話を聞いてたんですけど、話の内容が分かっても列車の中腹まで来るとノイズが一切かからない。多分十メートルくらい離れると使えないです」

「トランシーバーや録音はどうだった」

「さっき里見君と試したんですけど、一定以上離れると効かないです。録音もノイズが効いている途中でなくなりました」

「一定時間前のものと、物理的距離で制限がついているのか。どれくらい前?」

「五分経ったくらいです」

「そうか。細かい時間は不明だが、五分を意識するようにしてくれ」

「はい。……あの、司は本当は誰だと思いますか」

「本人の証言通りなら、あの七年前の事件の犯人の誰かだ」

「瑠璃である可能性も?」

 長田さんは顔をゆがめた。一旦終わった捜査をまた一から考え直さなければいらない。冤罪や刑務所で懲役を受けていた時間を考慮すると困る。

 服が震える音がした。長田さんが帰されたスマホを操作する。

「何かありましたか」

「七年前の事件の捜査調書が来た。朱鷺が関係していたのは証拠だろう。となると今回問題なのは、入れ替わったやつを逮捕させないための証拠だ」

「証拠は大体は瑠璃のアジトと監視カメラくらいだ。アジトに残っていた生体反応と瑠璃の供述からしかない」

「だれも能力者の可能性は考えていなかったんですか」

「瑠璃が全て吐いたからな。それで逮捕されたやつも矛盾はほぼ無かったし同じ顔の奴がいると知れて混乱するのも避けたかったらしい。冤罪を叫ぶやつも良くあるからな。裏で捜査は続いていたが、表面は一応収まったことにしていた。なあなあでやっていたから、ここにきて大騒ぎになっているのだがな」

 長田さんがうんざりした顔をした。思うところがあるのだろう。

「そんな簡単に決めてしまったんですか?」

「証言に齟齬がなかったのが、一番の原因だ。武器の入手は瑠璃が一人でやって居たと言っていた。……今回のように三人が一週間前に集まって、突入訓練をしていたようだ」

「それが条件ですかね」

「今回との共通項の一つだ」

「それと瑠璃の別荘の近所の空井戸から白骨死体が見つかった」

「何人分ですか」

「二人分だ」

「二人?」

「恐らく、顔を変えて入れ替わった奴だ」

「顔を入れ替えたのは三人。そのうち二人を殺したってことですか」

「多分な。司が生き残っていることに気づいた実行犯が真実を知っている本人を捜索していた」

「七年前の事件の上下関係は、瑠璃を長として、手下を揃えていたとは言っていた」

「証言のおかしい奴とかいないんですか」

「共犯者は皆死んだ。銃を横流しした奴も、瑠璃の顔を見たと言っていた」

「……また、顔ですか」

「顔を変えて、別の奴に入れ替わって瑠璃のふりをして動いていたと考えると一応筋は通る。……とりあえず、そろそろ尋問の方に戻ろう。話しを聞けば何か分かるかもしれない」

「そうですね。次は誰ですか」

「臣だ」

 撃った奴だ。気を引き締めていかなければならない。

「それと……いや、これはいい」

「どうかしましたか?」

「今はあまり関係ない話だ。気にしないでいい」

「はあ」

 気を使われているのだろうか。気にかかったが、口を固く閉じて言おうとしない。ノイズはかかってないのと、この状況で出し惜しみは無いだろうから僕も聞かないでおく。

 僕の様子を見て、安心したらしい。長田さんは立ち上がった。

「臣を連れて来る」


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