起きたら

再び天井があった。背中にスポンジのような感覚がある。周りを見ると椅子が並び、居誰も居ない。誰かに椅子に寝かされたようだ。窓の外は山から丘に変わっていた。恐らく大月あたりだ。警察も銃器も見当たらない。一般車が走り、穏やかな風景を写している。列車内とは全く関係ない日常的な風景が広がっていた。

 男の死体がフラッシュバックする。頭から血を流して停止した遺体。顔から血の気が引く。

「……」

 恐る恐る体を起こす。薄目で前を見ると、椅子の後ろ姿だけがあった。遺体はない。そもそも場所を移動していた。

「あ、夏目さんが起きました」

 椅子の向こうから里見の声がした。先程と違って、落ち着いている。

 通路を見ると、里見と僕を診察した医者がいた。その隣には何故か同じ顔をした連中が並んで座っていた。医者は安堵した表情で僕に駆け寄る。

「体調はどうだ」

 口調が変わっている。医者のふりはやめたらしい。僕は自分の体を軽く動かす。寝たこともあってか体は軽い。だが喉に詰まるものはある。再び男の遺体を思い出しそうになるのを必死に喉元で止め、医者の顔だけに集中する。

「……少し、喉が気持ち悪いです」

「分かった、薬を持ってこよう。他には」

「ありません」

「そうか。とりあえずここで楽な格好をして待っていてくれ」

「……わかりました」

 医者は大きく頷いて立ち上がり車両前方に向かう。里見を通りすぎ、前の扉に消えた。

 段々感覚が戻ってくると、生臭い血のにおいが鼻についた。僕の見えないところにあの男の遺体があるのだろう。また思い出しそうになって口をふさぐ。

 銃器の規制された国で、七年後にまたこんな血なまぐさい事件に巻きこまれるなんて考えたこともなかった。七年前の事件で銃規制はきつくなり、所持に関する手続きや資格取得の試験も厳しくなった。銃に関する事件は元から少なかったのが、さらに減っていた。反社会組織への銃の回収も激しくなっている。これだけの事件は突発的に起きるものじゃない。死ぬ前にもっと聞き出しておくべきだった。この状況になったことに勿体なさを感じていた。自分が人の命に価値の順番をつけていることを自覚し、苦々しい気分になる。

 すぐに医者は戻ってきた。手に未開封の水のペットボトルと鞄を持っている。側に座って鞄を開き、座席に取り付けられたテーブルを下ろし、酔い止めの薬の梱包をいくつか乗せる。

「すまない、酔い止めみたいなものしかなくて、とりあえず列車が止まるまでこれで持ってくれ」

 差し出されたペットボトルを両手で取る。

「ありがとうございます」

 医者は軽く笑いかける。よく知った安心させるための笑みだ。

 運転手の格好をした男が入ってきた。丸顔で五十代くらいの痩せた男だ。顔からだらだら汗が流れている。

「乗客の皆さんのご協力のおかげで落ち着きました。回収された財布や通信機器の返還を行い、また後方の車両に移動してもらいますがよろしいですか」

「ええ。出来れば後方に乗客を集中してください。不審物は前方にのみあるようです」

「そうですね、あたり一辺見ましたけど、後方車両におかしなものはありません」

 里見は空を見ながら話している。傍目から見てもおかしい。車掌は心配そうな表情をしている。

「はあ」

「すみません、スマホを返す前にこれから里見と共に不審物の確認に向かっていただいてもよろしいですか」

「すぐにでも見に行きましょう。危険なものでなければ安心です」

「ありがとうございます、里見、行ってこい。車掌さんがスマホ持っているから写真は撮れる。不審物の全体を撮って本部に送れ。その後こっちに持って来い」

「はい」

 医者は犯人の側に行った。里見は立ち上がり、一号車から運転手と共に出て行った。長田さんは胸に隠していた通信機を取り出す。

「ああ、犯人は確保した。里見が戻り次第聞き出す。そちらはどうだ……分かった。こちらはこちらで出来ることをやる。他は任せた」

 ネクタイピンを押し、元の場所に戻した。

「別室に移動して一人づつ聞き出す。その際に片身だの瑠璃だの全て吐いてもらう」

 長田さんは男たちを威圧する。しかし、自分の顔と声が変わった困惑には負けていた。

二人の名前を聞き、記事を思い出した。

 片身津軽、参議院議員四二歳。大学を出てから議員秘書を十年務め、七年前に議員に立候補した。地道な選挙運動を続け、当選した。真面目で失言をしない振る舞いと、爽やかな容貌。人好きされる要素が集まり人望は厚かった。七年前の選挙で初当選し、昨年の選挙で再び当選した。過去も現在も暗い噂は聞かない。七年前の事件でも名前が出てくることは一切無かったはずだ。

 長田さんは片身や瑠璃の名前を出しても動揺していない。つまり、疑惑を受けいれるだけの前提知識がある。

里見が戻ってきた。本人は平然としている。運転手の方が青ざめた顔をしている。

「見た目と構造を伝えたら、やっぱり爆弾でした。トイレに置かれていて、一見脱臭装置かと勘違いするほどなじんでたんで見間違いかと思ったんですけどね」

「……動かしたか?」

「一応手は触れてません。最近は重力センサーが入っている可能性があるので容易に触れない方がいいですよ」

「そうか。今の速度はいくらほどでしょうか」

 医者が車掌へ顔を向ける。

「一二〇キロ台です」

 車掌の額から汗が垂れる。拭くことも忘れて話を聞いている。

「連絡が来て、知っていると思いますが、本部からの解析結果だと両方とも見た目通り時速80キロ以下になるか、東京駅に着いたら起爆します」

 頭がくらりとした。確かに犯人が確保されれば近隣の駅で停車して乗客を解放する筈だ。でも先程駅は通り過ぎた。止まらないのはおかしい。列車ジャックの次は爆弾騒ぎ、どうしてこうなったのか。僕は頭を抑えた。窓の外は列車内の騒乱をよそに、映画の様な日常を描いていた。あまりにも遠い。

 僕の困惑をよそに会話は続く。

「解体できそうか」

「多分、ドライバーとはさみがあれば出来ます。解除は僕たちだけじゃ難しいです。構造が複雑なので配線を切る順番が分かりません。大雑把な絵を描いてスマホで本部に送りました。解析終わり次第また連絡するらしいです」

「ありがとう」

 医者は苛立ちを隠せていない。自分の手に負えない事件だと心底困り切った様子だ。医者は深呼吸をして、犯人たちに向き直る。

「誰が爆弾を作った?」

 平坦を取り繕った声だった。犯人たちは騒ぎ始めた。

「俺は知らない」

「お、俺も知らない!」

「知るか」

 ノイズがどれかにかかっている。だが全員同じ声でしかも椅子に隠れているから誰が誰か分からない。爆弾を知らないだけで共犯者がいるかもしれないし、まだ医者の立場が分からない。僕は騒ぎ立てずに静かに待つ。否定を騒ぐ三人に反し、一人は沈黙を守っているようだ。

 正直呆れている。大胆な計画立てておいて、裏切られた場合を考えていなかったのか。

 医者も呆れたような表情をしている。

「なら、他の乗客に共犯者がいる訳じゃないのか」

「居れば呼んでいる!それにどうして自分の命をかけて列車ジャックすると思ってんだ」

 確かにそうだ。爆弾があれば、わざわざ乗らずに安全に脅迫を行えるはずだ。乗せたのはむしろこいつらを消すための可能性が高い。

 騒ぐ犯人たちをよそに医者は里見の方を向く。

「里見、こいつら以外誰か見たか?」

「いえ。全員覆面をしていて、夏目さん以外の客が移動するところは見られませんでした。出発前の列車内確認では爆弾は置かれてなかったんで、覆面の誰かの可能性が高いです」

「……能力者か!」

 一人が憎々しく呟く。医者は一瞥して、里見の会話に戻る。

「お前はまず銃を全て回収して車掌室から捨ててくれ。捨てる前にどのあたりで何を捨てるか連絡を忘れずにな」

「わかりました。その後はどうすれば?」

「こいつらを見張っていろ。俺は一人ずつ呼んで事情聴取をする」

「わかりました。車掌の方はどうしますか」

「回収した持ち物を確認していただく。下手すればその中に不審物が入っているかもしれない。すみませんが、スマートフォンをお貸しいただけますか?何かあった場合の連絡手段として使わせていただきたい」

「はい!事件解決のためならどうぞ!」

 快く返事を返し、ポケットから出したスマホを丁重に医者に差しだす。

「ありがとうございます。では、乗客の方を頼みます」

「はい。よろしくお願いします」

 車掌は敬礼をして、出て行った。

「あいつが俺らの仲間かもしれねぇよ」

 一番前の男が呟く。医者は無表情で返す。

「安心しろ。あいつも事情聴取する」

「信じていないのか?」

「まだ状況が分からない。とにかく、話だ」

 長田さんが申し訳なさそうな顔で僕を見る。

「まず、夏目の方からだ」 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る