昔の話

事件が起きたのは七年前の八月だった。

 猛暑にギラギラ突き刺す太陽が、青々しく繁る葉を鮮やかに照らしていた。

 山の麓に立てられた木を基調とした講演会場は子どもと大人が集まって講演を聴いていた。科学者を中心に主催された講演会の開催のためだ。将来の渇望される子どもたちが呼ばれて、最新の科学を追求するプロとふれあう機会だった。

 公会堂には呼ばれた子どもたちと、数人の科学者と、科学省の上層部が来ていた。国の関係者が協賛するプロジェクトだったからだ。

 講演会場の外ではマスコミが集っていた。科学省の関係者の一人が、不祥事の噂があったためだ。それを追求するために関係者出口で砂糖に集うありのように人がだまになっていた。

 僕はさっさと話を終えて、科学者の方が登壇してくれないかと内心退屈していた。霞ヶ関で働く気がなかったため、お偉いさんの演説はあまり面白くなかった。

 様子が変わったのは長い議員の言葉が終わってからだ。突然外からざわつきが聞こえてきた。異様な騒がしさに不安に思っていると、「逃げろ」という絶叫と共に爆発音がした。悲鳴を上げる暇も無く、ドアが開いて機動隊の様な装備をした男が三人入りこんだ。手に持った銃を向けて、その後の記憶が無い。

 次正気に戻ったのは一週間後だった。はっと目を覚ますと、僕はぼーっと病院で空を眺めていた。あまりの惨劇に意識を失っていたらしい。

 後から聞いたところだと、関係者入り口に溜まっていたマスコミを轢き、屍を踏み越えてトラックが講演堂に突撃し、三人が降りてきた。トラックの背後に入れておいた爆弾を爆発させ、講演堂の中に侵入し、聴講者を持っていた銃と爆弾で殺戮した。銃弾が切れた後裏口から地下道へ逃げ去った。三百二十四人居たうち生き残ったのは二十人ほどだった。僕はその一人だ。両親の居たあたりの肉塊を集めていたらしい。よく覚えていない。

 僕が見たのはここまでだ。

本当に何で生き残ってしまったのだろう。悔いばかりしかない。

 

覚えている限りを語り、記憶を底まで掬い尽くした。もうこれ以上は一切語れない。

「これが、僕の覚えている限りの一部始終です」

 現場にいたにしては浅いと言われても仕方ない。本当に頭が真っ白で覚えていない。もし今無理矢理思い出させようとすれば血も胃液も吐き出す自信はあった。

相手の反応を粛々と待つ。不満があれば隣の銃が火を噴く。表情の見えない覆面の男の一挙一動を注視し、返答を待った。

 男は組んだ手を放し、膝上に置いた。 

「ありがとう。辛い思いをさせて申し訳なかった」

 あっさり受け入れられたようだ。僕は安堵した。男は深々と頭を下げた。僕の話を聞いているとき、時々頷きだったり相槌を打つくらいで、干渉や邪魔をすることは無かった。本当に、不気味なほど礼儀正しい。僕は息を整えて相手の顔を見据えた。

「それでは僕の方から確認の質問いいですか」

「ああ。三つだけならいいよ」

 相手の声が平坦であることを確認して、すっと息を吸った。

「事件について知っているなら答えてください。あの場は本当に安全だったと思いますか」

 『安全』という言葉に関する質問だった。これは何度も議論され何度も新聞に載った話題だ。普通なら答えを知っている。

男はすぐに答える。

「ああ、よく調べたから知っているよ。十分安全だった。ただ、重装備をした連中が突っ込んでくる前提は誰もしていなかっただろうね」

 どこにもノイズがかからない。

 知っていて、答えている。政府関係者が来ている会場で近所でデモが行われていた。そのため下手な講演会よりもずっと警備は厚かった。ただ、暴走した武装トラックが来たのがおかしかっただけで他は完璧に安全だった。

 『安全』は適した状況に使ったらノイズはかからない。あの『安全』は矛盾した状況を示すために使ったからノイズがかかる。

それを確認して、次を出す。

「ありがとうございます。次は、朱鷺はあの場に居たと思いますか」

「それは無いよ。あったら記録に残っている」

 これも即答だった。被害者と生存者特に警察関係者、政府関係者の名前は連日の報道ですぐわかるものだ。ノイズは無い。

ここまでは事件について知っているなら答えられる。矛盾していない。

 だから僕は最後の質問を投げかけた。

「最後に、もしかしてあの事件の生存者の中に今回の事件の仲間はいましたか?」

 最後の賭けだ。僕は相手を見つめる。相手は今度は少し黙ってから答えた。

「知らないなあ。僕は共犯者とそこまで込み入った話はしていないんだ」

 全文にノイズがかかった。矛盾している。これは事件的に矛盾した答えしか言えないはずだ。つまり、この人は嘘をついている。

生存者については先程の質問から知らないはずがないからだ。それでも『知らない』、というのは共犯者の個人情報を隠すためだ。

 つまり、僕の耳にノイズがかかるのは『嘘』を聞いた時だ。今のところ誤情報をこいつが信じている可能性もある。だから一応『自分が嘘だと認識していること』にノイズがかかるとしておいた方がいい。

 まだ聞きたいことはあったが、もう選択肢は無かった。

「これで終わりかい?」

「はい……ありがとうございました」

「結構話題が飛んだね」

「全体を考えたかったのと、朱鷺をどこかで見たかもしれないと思ったからです」

 はぐらかすために弱弱しく吐くそぶりを見せる。相手は不安そうに立ち上がりかけた。

「大丈夫かい?」

「何とか……そちらの方も聞きたいことがありますよね」

「あるけど、話せる?」

「はい、何とか……」

 何度か荒く息を吸って、手を基の場所に戻す。一応収まったふりをすると、相手は僕を見ながら座った。

「じゃあすぐに済ませよう。さっさと終えて座席に寝かせるよ」

 不自然なほどの厚遇だ。妙な当たりの弱さに引っかかりながらも、文脈通りに頭を下げた。

「ありがとう……ございます」

 男は一拍置いて質問を投げかけた。

「まず、あの時にやってきた議員の秘書を見たかい?」

 僕は講演前のホールで議員につきっきりの眼鏡のスーツ男性を思い出した。

「見ました」

「そうか。彼は立派に仕事していたかい?」

「はい」

 科学者と話す横で時間調整をしたり、はきはきと議員と話していた。すっと背筋を伸ばして堂々と歩くさまはとても凛々しかった。

 正直事件と関係ない内容だったが、何故か目の前の男は懐かしむように呟いた。

「そうか……それはよかった」

 男はゴーグルのへこんだ部分を抑えた。いやに感傷的な反応だった。

 秘書と何か関係があったのか。聞きたい気持ちがあったが、此方の質問権は切れた。鼻をすする男に不気味さを感じながらも、相手が話すまで待っていた。

 列車がトンネルに入り、出ると男は質問を再開した。

「次、君が覚えているのは、銃を持った連中が扉に入ったところまで、気がつけば病院に寝ていて、二日経っていたと」

 泣きそうな声じゃなくなっていた。僕は緊張感を取り戻し、返答した。

「はい」

 心が蓋をしている。思い出して向き合えるほどまだ精神が出来ていない、と精神科の先生が言っていた。無理矢理思い出せば確実に平常心では居られなくなる。

「いくつか聞きたいことがある。とても重要なことだ。まず、侵入者の人数を覚えているかい」

「……すみません。僕が見たのは銃を向ける三人だけでした」

「そうか。次に、そいつらは間断なく引き金を引いたかい」

「……は、はい」

 喉に何かがせり上がる。口の中の生臭さが相まって、気分がとても悪い。

「すまない。一旦水飲むかい」

 喉から胃液がせり上がる。

「袋を」

 ポケットから出したのはスーパーの袋だ。妙に日常感のあるデザインに、妙なおかしさがあった。差し出され、両手に取り、袋を口に当てる。何度か呼吸をすると落ち着いた。吐くほどでは無かった。車両が吐瀉物の臭いであふれなくてよかった。そうすれば会話どころじゃない。

口から袋を離し、水を取って開ける。口の中を流して喉の奥に送る。男は待っていた。ペットボトルを下ろすと水は半分になっていた。蓋を閉めて隣の席に袋とボトルを転がした。

「すみません」

 一気飲みした疲労が体を重くする。

「いいや。病人に無理をさせているのはこちらだよ。時間が無いから話しを続けてもらってもいいかい。君の証言が必要なんだ」

「……はい」

 拒否権はない。

 男は懐からスマホを取り出した。捜査して写真を取り出す。移っているのは壁を背景にした銃だった。ライフルのように砲身は長い。

「彼らが使っていた銃は、これかい?」

 黒服の連中が持っている散弾銃よりもごつい銃だ。うろ覚えだけど、これと似た形状をしていた。

「……よく似ています」

「そうか。じゃあ、撃ってきた奴はこんな奴じゃなかったか?」

 別の写真を出す・差し出されたものは、コンクリート壁を背景に正面から男を撮ったものだ。真正面から首から下だけが映っている。スーツを着たおそらく成人男性だ。筋肉質で、背中が広いのが印象的だ。あのとき、突撃してきた中でここまで特徴的な体格をしたやつは

「居なかったはずです」

「そうか、やっぱりか」

 自説の認められた学者のように、顔は見えなくとも言葉から喜色がみえた。

「これで確証が取れた」 

 嫌な予感がした。

「これ、一体誰だと思う?」

「分かりません」

「瑠璃茂雄だよ」

 ちょっと待て。瑠璃茂雄は事件の三日後に逮捕された。山中の隠れ家に潜んでいたところを通報された。無抵抗で、使用した銃器に囲まれていたらしい。ふけだらけの疲れた顔をして警察に連行する画面は何度も見た。そのときの格好は僕が見た乱射犯人にほど近い。こんな奴じゃない。そして投獄され、裁判当時の体格はこれよりもずっと痩せていた。そう、例えばあの突入した時点の連中みたいに。

「顔、顔の映った写真はありますか。見ないと信じられない」

「あるよ。はい」

 もう一つ取り出されたのは、同じ写真で、意思の満ちたまなざしを持った筋肉質な顔の瑠璃茂雄がいた。逮捕時の諦め満ちた顔とは違う。

「いつ撮られた写真ですか」

「事件前日らしい」

 一日前でこれほど体格が変わるか?無理だ。それこそ体を文字通りそぎ落とすしかない。……いや、待て、前日に写真を撮ったという供述は無かった。瑠璃は言っていない。本人すら知らないことを、何故こいつが知っているのか。この状況自体が瑠璃のおかしさを証明してる。

「六年待ってくれと、そうすれば真実を伝えると言われたらしい。だが誰も口を開かない。朱鷺を使い、本来の計画を隠蔽している」

 待ってくれ、事件は終わったんじゃなかったのか。瑠璃茂雄が、政界への不満をぶちまけるために起こした事件じゃなかったのか。どこにもノイズがかからない。こいつは心の底から真実だと思い込んでいる。

「あなたは、一体、誰なんですか」

「この事態にけりがつくまで言えない。ただ、これは真実だ」

「……嘘だ」

 あの事件の主犯は三人だ。残されていた文書からも、瑠璃の証言からも三人で起こした事件だ。四人目なんて居るはずがない。死体は全て近くの空井戸から見つかった。実行犯も含めて、

だが、一つ懸念があった。ノイズが聞こえ始めてから、どうにも勘づく話があった。

「驚くかもしれないけど、この世界には超能力者がいるんだよ」

「……ああ」

 やはりか。思った通りの単語が出てきた。もし仮に、この状況を成立させるだけの能力があれば、隠しきることだって出来る。

「そいつらは人間のように暮らしているけど、人間じゃない超自然的な能力を持っているんだ。そして犯罪を起こし、隠れる。一般人と同じように逮捕されるんだけど、でも違う法で裁かれ、本当の真実は一部の人間以外闇の中だ」

 興奮して語る男に反し、僕の顔から感情が失われていく。

 よくある迷信や都市伝説を真面目に真剣に語る様は端から見れば只の盲信家にしか思えない。だが、多分この列車ジャックを行った連中は心の底からこの珍説を信じている。証拠は自分にあった。普通の人なら一笑に付す様な言説を垂れ流す奴に、僕は只この一言が浮かんだ。

 復讐を邪魔しやがって。

 命の危機も、緊張感も醒め、怒りだけが残った。

 妙に冷静になった様な気がした僕は、とりあえず知っていることを全て吐かせることにした。

「誰が言いました?」

「今は言えない。事態が収拾すれば言う」

「なら、何故そいつは逮捕されない」 

 敬語が崩れた。はっと口に手を当てるが、相手は熱の入った語りを始めた。ずっと語りたかったのだろう。僕の口調にも気づかない。

「それは超能力者の犯行であると判明しているからだ。一部の人間は入れ替わっていると知っている。押収された写真の中に入れ替わった奴はいる。それも、三人だ」

「そいつは何故知っているんですか」

「……ある男がいてな、入れ替わった三人のうち、二人は殺された。俺たちは空井戸の中に放り込まれていた。偶然生き残った奴がいて、戻った頃には事件は終わっていた」

「……三人」

 突入したのも三人だ。だが生き残ったのは只一人、瑠璃だけだ。

「あの事件もここまで殺す予定じゃなかった。脅迫のために突入し、立てこもるはずだった。だが、入れ替わった奴らが即断で殺した」

「……」

「私は真実が明らかにならないことに反抗する。だってなあ、何で一般人だからって、関係者の遺族にも本当のこと……うん?声が――」

 男がのどに手を当てる。会話の途中で声が変化した。同時に額から血しぶきが上がった。額に穴が空き、背筋を伸ばして座っていた男はそのまま椅子に沈み込む。完璧に体が弛緩している。

 振り向くと、覆面の男がいた。手には拳銃を持っている。覆面は僕を見た。僕は目が合った気がした。

 僕はまた、意識が遠のくのを感じた。

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