聞き取り

 男に連れられて、前へ前へ進む。三号車まで人間がみっちりと詰まっていたが、二号車に入ると誰も居なかった。ただ荷物が置かれ、スマホと財布の山があった。

 誰も居ない二号車の中間で、前の扉を開いて別の覆面が現れた。前方の男は顔を上げた。両手で何かハンドジェスチャーしている。男は一旦足を止めて僕を放した。空いた手でハンドジェスチャーをして、相手も頷く。また僕の腕を掴んで進み始めた。覆面の男は僕を見ている。つかめないまま、僕は腕を引かれた。覆面は僕から視線を外して一看守として乗客を見渡した。扉の中に僕は消えた。

 人間の区別をつけないだけで、人数の把握がつかない。寡黙な共通言語があれば伝わる。輪の外から傍観する奴には何もわからなくなっていた。

 一号車、と書かれた扉が開くと中には黒服のおそらく男が一人居た。最前列の椅子を回し、こちらを向いて座っていた。銃を隣の席に置き、通路側にすっと背筋を伸ばして座っていた。列車ジャックという大胆な犯罪に反して随分礼儀正しい。

 男が黙って目の前の席に手を向ける。体格は他の覆面と似ている。黙っていれば隣の覆面と区別がつかない。

 横の覆面が男の元へ連れて行く。僕は引かれるよう歩き、男の側で腕を放された。覆面の顔を見ると、対面の椅子を顎でしゃくる。指示の通り僕は座った。

 目の前の男は覆面に対し礼をした。覆面も礼をして、翻り、元来た道に戻っていった。

 対面に座ったまま、男は黙る。僕はじっと見つめられ、座りの悪い気分になる。こちらを観察されるようで怖い。何をすればいいのか分からず、ゴーグルから目線をそらし、せわしなくあたりを見回す。隣の席に未開封の五〇〇ミリリットルペットボトルの水が二本置かれていた。本当に丁寧な扱いをしているらしい。

 扉が開閉する音が聞こえ、足音が消えた。列車の揺れる音だけが広がると、男が言葉を発した。

「君が、夏目祭君だね」

 澄んだ若い声だった。姿勢通り、物腰丁寧に話しかけてきた。僕は答える。

「はい」

「あの現場に居たんだね」

「……はい」

「放送は聞こえた?」

 隣の銃をちらと見る。

「瑠璃茂雄の再審要求までは聞こえました。その先は、すみません、持病が発症しました」

 嘘をついて取り繕って話が通じない方が機嫌を損ねるだろう。そう判断した。水を用意するということは、状況を知っているはずだ。特にこの格好を見れば説得力はある。

 男は何度か頷く。

「ああすまない、血を吐いた乗客がいると聞いていたけど、まさか放送中とは思わなかった。こんな状況でなければすぐに救急車を呼びたいところだ」

 ここまでどこにもノイズはかからない。

「他に連れは居るのかい?」

「いいえ、一人旅です」

「持病持ちで一人旅、一体どうして」

「友人と、祖母の墓参りです。保護者が忙しかったので、一人旅することになりました」

 世間話がしたいのか?相手の出方が分からず、僕は少し調子が狂う。

「そんなに急がなくても良かったんじゃないか?」

「一ヶ月、謎の病気で持って一ヶ月、と言われました」

多分一か月よりも長生きする筈だ。薬を飲んでから、余命を申告されたときにあった体の重さが消えていた。もう発症しない。そんな確信があった。

「そうか、なら、丁度良かった。最後に話せて良かったよ」

 男はどこまでも穏やかな口調だった。

「……」

 最後にさせられている。と叩きつけたい。だが口に出さない。

 男は両手を組んで、じっとこちらを見据えた。

「体調が悪いところ申し訳ないけど、当時の現場の話を聞かせてもらってもいいかい?」

 やっと本題に入った。

「七年前の記憶です。書類の方が詳しいと思いますが」

「ああ。聞きたいのは大まかな状況だから」

 どうしても被害者の口から聞かせたいようだ。流石列車ジャックしただけはある。拒否権があるような態度を取っているが、暴力で強硬に自分の意思を推し進めている。ある意味感心する。

「分かりました。覚えている限りで話します」

「君が話せば私も話そう。それで何か建設的な意見が出るかもしれない」 

「……わかりました」

 建設的という言葉が空虚に響く。この列車が破滅に向かっているのに反した肯定的な響きだ。形だけ作ったような空洞の薄気味悪さだけが場に残っていた。

 ここしかない。僕は切り出した。

「すみません、僕が話した後いくつか質問いいですか」

 相手の要望に応えるカードを出した、ならこっちから提案してもおかしくないはずだ。

 男は一瞬停止して、淡々と答えた。

「それは何故?」

「忘れていることも質問で思い出せるかもしれません。もし間違っていた場合もすぐに訂正できます」

 食いつくように答える。妙に協力的なこと以外は臆病な人質に変わりない筈だ。怯えるふりで胸元に祈るように両手を組む。男は硬直した。やりすぎたか?背に冷たいものが走り、撤回しようか弱気になる。いくつか文言を考えた時、相手は言葉を発した。

「わかった。確かに七年前のことだからすぐに思い出せないこともあるね、二三ならいいよ」

 先程と同じ調子だった。逆鱗に触れたわけじゃなさそうだ。

「ありがとうございます」

 安堵の息を吐く。とりあえず一つは乗り越えた。問題はここからだ。下手すればここで倒れるかもしれない。できるだけ正気のままで話し終えなければならない。

 何度か深呼吸をして、僕は話し始めた。


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