どうしてこうなった

 目を開けると、そこには天井があった。電車の音に揺られ、体が振動する。疲労感はあったが、激痛は消えていた。

「目が覚めましたか」

 視界にめがねの男が入ってきた。几帳面に5:5に分けた黒い短髪の男だ。顔は細長く、鼻がすっと通った整った顔立ちだった。

「ああ、私は医者です。名前は言えますか?」

 前半にノイズがかかっていた。まだ頭がはっきりしていないのかもしれない。段々整頓される記憶と世界を見て、自分の名前を思い出す。

「……夏目祭」

 がた、と頭の上から物音がした。目を向けると、銃を持った覆面の男がいた。医者に比べてがっちりとした体格をして、特殊部隊の様にベストや手袋、黒服にブーツをつけている。頭には黒いヘルメットを被り、その下にはサングラスのように表面が黒く目元が見えないゴーグルをつけ、口にはガスマスクをつけている。限りなく個人情報を隠した格好をしていた。覆面は僕の頭と足の方に一人づついる。少し離れて僕と乗客を見渡している。外見に差異なく、場所以外で区別がつかない。

 頭の方の男は驚いたようにもたれかかった椅子から体を離した。

「夏目祭」

 渋い声だった。神妙に重々しく呟いて、耳があるあたりに手を押しつけて、小声で誰かと話している。恐らく小さなマイクと通信機器がついている。倦怠感で集中できず会話内容が分からない。僕は今のうちに目だけ動かす。

 通路沿いの座席に人が合間無く並ぶ。先程までのまばらだった乗員と違って、人が詰められていた。移動させたのだろう。

彼らはみな僕を不安げに見ている。視線に耐えられず、医者に目を向けた。

 医者は覆面の様子を観察し、こちらを向いた。 

「どこか痛む場所はありますか?」

 状況にそぐわない穏やかな口調だった。よく知っている患者に配慮した医者の気遣いだ。僕は体を軽く動かす。倦怠感と疲労感が残っているが、それだけだ。激痛は不思議なほど消え去っていた。

「特には……」

「そうですか。それは良かった」

 医者は薄く笑みを浮かべる。スーツの懐から黒い金属筒のペンライトを出した。

「診察のために触れます、いいですか」

 小さく頷く。医者はまず顔に触れ、目を開かせた。明かりをつけて僕の目を診察し、次に胸に耳を当てた。じっと心音を耳にして、体を上げた。

「口を開けて」

 小さく口を開ける。ペンライトをつけて、喉奥を観察する。

「異常はなさそうですね。口の中気持ち悪くないですか?」

「はい。血の味がして、喉も、乾いています」

 一番気になるのはここだった。疲労と倦怠感と血の生臭さで気分が悪い。口を洗い流したい。勿論覆面は許さなかった。耳から手を離して、こちらを向いた。

「もう十分だ。戻れ」

 医者に銃口を向ける。医者が怯えたように仰々しく後ろに仰け反る。

「まだ回復していません。無理をさせれば悪化するかもしれませんよ」

「分かってる。だから体調に十分考慮した丁重な扱いをする」

「何をするつもりだ」

 医者の額に銃口を当てる。僕の背に冷たいものが走った。

「お前が生きているのはそいつを生かすためだ。あまり調子に乗るなよ」

 医師が僕に目を向け、不承不承立ち上がる。身長が異様に高く、側立つ覆面と視線が合わない。

「戻れ」

 足の方の男が背中を叩く。医者は黙って車両前方に歩き、男もその後ろを追った。視界から二人が消え、残ったのは僕の名前に反応した奴だ。しゃがみ込んでこちらの顔をのぞき込む。覆面ではやはり表情が読めない。

「もう一度聞く。お前は夏目祭だな」

 先程の男とは違ったしゃがれた声だった。とりあえず従順に返答する。

「はい」

「身元確認できるものはあるか」

「……財布の中に保険証があります」

「財布の特徴はなんだ」

「黒色の二つ折り、革の財布です。財布の端には紅葉の文様が押されています」

 男が仲間の消えた方に顔を向けた。

「調べろ」

 数分の沈黙の後、男はこちらを向いた。

「本当らしいな」

 頷く。できるだけ刺激しないように肯定的な反応をする。男は気を良くしたのか、話を続ける。

「お前と話したがっている奴がいる。移動出来るか」

 思い当たる節はある。僕があの事件の目撃者だからだろう。瑠璃茂雄に関する話題なら、ほぼあの事件と直結している。

 足を上げて軽く動かす。筋肉痛のような痛み以外問題無い。

「はい」

「恐らくすぐに解放されるだろう」

 言葉にノイズがかかる。まだ体調が悪いのだろうか。

「ちゃんと質問に答えてくれれば、無傷で釈放されるかもな」

 建前の慰めにまたノイズがかかる。今度は後半だけだ。流石に気になって眉間に皺が寄る。

「命令次第で連れて……おい、どうした」

 覆面が不満げな口調で尋ねる。黙るべきか逡巡し、

「雑音、が、聞こえます」

 素直に告白した。男はゆっくりと、後方の医者に銃を向けた。

「おい、異常なしじゃないのか」

「三半規管の方までは確認出来ません」

 医者は当然のように答えた。妙に度胸のある医者みたいだ。覆面は銃口を下ろさないまままた僕の方を向いた。

「聴覚に影響はあるか」

「……ありません」

 発言内容は理解できた。ただ、部分部分で何故かノイズがかかる。今の会話の中では起きなかった。偶然だろうか。

 会話に異状なしと知って覆面の男が耳に手を当てた。小声で何かを話している。

「ああ。会話に支障は無いようだ、連れて行くか?……分かった」

 耳から手を放した。

「これから連れて行く。お前は安心して備えていろ」

 安心、の部分にノイズがかかる。何となくだが、これはもしかして自然現象的なものとは違うかもしれない。医者、悪いようにはしない、安心、これの共通点は強引に見れば安全に関するという点だ。今この状況とはそぐわない言葉にかかる。

 ノイズのかかる条件は一体何だろうか。

「あの」

 男がこちらを向く。

「どうした」

「列車の運転状況を知りたいです」

「何故それを聞く?」

「運転が乱暴なら、気分が不調になるかもしれません。受け答えが出来なくなるのが不安です」

「それは呼ばれた先で言え。少なくとも東京駅までは安全運転だ。その先は……まあ、今は考えなくていい」

 今の発言にノイズはなかった。安全、という点ではノイズがかからない。特定の言葉にノイズがかかるわけでもないらしい。

「ありがとうございます」

 できるだけ弱弱しく感謝を述べる。病人らしくしたつもりだったが、男は僕から視線を離さない。口が乾く感覚がする。

「余裕があるな。お前、何か隠しているのか?」

 胸が跳ねる。拒否は逆に怪しまれる。できるだけ適当な理由を作り上げる。

「……先日重病を患っていると診断されて、また発症するか心配です」

 男は黙った。僕は相手の表情の見えない顔を見つめる。黒いグラスには青ざめて血にまみれた僕の顔が映る。

「そうか。悪かったな。警察が早く動くことを祈っている」

 言葉に反して何処までも他人事だ。初めの言葉以外ノイズがかかっている。本心ではないのだろう。でも口調からしてそこまで怪しまれた訳でもなさそうだ。この格好には最適な問答だったかもしれない。体から力が抜ける。

 病気で思い出す。抑も医者なら、医師免許を見せればいい。だがそうしないということは、免許を持っていないのかもしれない。つまり、あいつは医者じゃない可能性が出てきた。

 里見に飲まされた薬を思い出す。一度里見に問いただしたいが、この状況でわざわざ自由行動を取らせる訳がない。また、この病気は実情が分かっていない。だから、あの薬しかない。

 『ある薬を飲むと超能力が発現する』

 頭をよぎったのは都市伝説の一文だ。この状況でなければ叫んでいたかもしれない。僕の中でまさに都市伝説が顕現していた。あれは本当だ。なら、僕の能力は……?

時間も自由も無い。里見は真横に居る。目だけ動かして里見を見ると、何か言いたげだが踏ん切りがつかない様子だ。

 男が耳に手を当て、短く返答する。

「立て。行くぞ」

 僕はだるい体に鞭打って、床に手をつけてゆっくり立ち上がる。軽く埃を払うと、自分の服が血だらけなことがよくわかった。藍色のベストの一面、白いYシャツの袖一遍に血が舞っている。ジーンズの方にも血が飛び散って不気味な模様を作っていた。立ちくらみがして椅子にもたれかかる。もたれた先のサラリーマンが心配そうにこちらを見た。覆面が引きずるように、僕の腕を覆面の肩に回させた。

「貧血か?」

「……はい」

「そうか。もし倒れるなら言え」

 男が歩き始める。閑散としているはずの座席に人が敷き詰められていた。散らばっている乗客を集めたからだろう。顔を伏せていたり、絶望的な顔でこちらを見ている。期待、不安、様々な感情からから目をそらし、扉に入る。とりあえず武器はなかったが、僕はただ話を聞きたいという執心と能力の正体を知りたいという好奇心があった。

 瑠璃茂雄に関して、何故このような事態を起こしたのか。当事者の知らない情報を知っている。そしてこの能力も、会話することでしかわからない。どちらも確信は無いが、話を聞くしかなかった。

 うまくいけば僕はリーダーから情報を奪える。そのことを震える足の推進力にして、僕は歩き出した。

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