こんなの知らない

 諏訪を出る頃になっても、車内は閑散としていた。誰かの会話する声がぼそぼそ聞こえるが、列車の音にほとんどかき消されるほどのものだ。後はタイピング音。誰かがパソコンを使っているようだ。僕は特にすることもなく、この後の予定をもう一度考え直していた。

 まず新宿で降りて、葎飛と祖母のための花を買う。その後電車に乗って墓地に行く。墓参りを終えた後には一旦ホテルへ向かう。瑠璃の面会は明日だ。それまでに必要なものを揃えて、持ちこむ方法を考えなければならない。今日が一番頭が回る。昨日までは靄の中にいるような頭だった。計画を立てたかったが、遠出の準備とできるだけ気分がいいふりをするだけで体力が尽きた。今日は特急に乗ってホテルに行くだけだ。体力に余裕はある気がする。出来れば防犯カメラの場所とか知りたかったがその体力はない。五分歩けばすぐにへたれる体には復讐は負担が大きすぎる。明日に響くのが最悪だから、余裕をもった行動を考える。一発勝負になってしまったことは悔やまれる。でももう後がなかった。余命一ヶ月ではもう準備の時間は残っていない。行動できるのは一週間ほどと通告されればもう動くしかなかった。

 視線を窓から前の席の少年に移す。どうやら漫画を読んでいるらしい。スマホを操作して、画像を下にスクロールしたり、止めたりしている。今の流行は分からないから何を読んでいるか分からない。真剣に読んでいるせいか、体は動かさない。そんなに漫画が面白いものなのか。事件以降フィクションが嘘っぱちにしか思えない僕には理解できない。都合良くヒーローが現れて助けに来たり、坂道を転がり落ちて不幸のどん底に落ちるなんていうことは無かった。正直今の状況は極端な悲劇に見えるかもしれない。だが叔父とは朝食をとり、昨日は普通にベッドで寝た。そこに不幸も幸福もなく、只の日常があった。そんな奇跡も絶望も続きはしない。あらゆる感情は日常に飲み込まれるだけだった。葎飛のことも日常に消えてしまいそうになってとても怖かった。何処までも深い悲しみも、続いてしまえば他の要素が混ざってくる。仕方がないと言われても、許せなかった。勝手な憎しみを抱いては無駄に頭が熱くなっていた。

 僕が瑠璃を殺す動機はそこだ。不条理さを解決するためだ。何故葎飛や無辜の人々が死んで、あいつは生きるのか。僕より生きるのは癪だ。だから殺す。

 少年はふと顔を上げた。目線の先には立ち上がった男がいた。列のスーツの男だ。

 男が神妙な顔で足早に歩いて僕の横を通っていった。トイレと喫煙室がある方向だ。視界に入らないように窓に目を向ける。外はビルや家など消え、人気の無い山に変わっていた。昨日の雪で山肌は白く染まっている。幻想的にあらゆるものを隠していた。豪雪地帯で失踪者が雪の下から発見されたという昨日のニュースを思い出した。形が見えなくなるまで隠してしまえばきっと見つからない。僕は雪の下に瑠璃を埋める幻視をした。

 男の足音が遠ざかると、また突然席が回った。少年が後ろめたそうな表情で現れた。僕は怪訝な顔をした。これをしてもおかしくないはずだ。少年は片手を上げて、

「……こんにちは」

 挨拶と共に引きつった笑みを浮かべた。本人も奇怪な行動と自覚しているようだ。

「こんにちは」

 感情のない挨拶を返す。正直相手にしたくない。さっさと戻って貰うためにこちらから話を切り出す。

「今度はどうしました?」

 面を食らって一瞬どもり、すぐに一気にしゃべり出した。

「ええと、ちょっと話をしたくて、いや本当に、同じくらいの年で列車に一人旅とか、珍しくて、話がしたくなったんです。偶然ですね、まさか俺と同じ奴が乗っているなんて!」

「はあ」

 どこから見ても怪しい。しかも、たまに僕ではないどこかをじっと見ている。先程の男が消えた方向だ。僕と話すのは後ろを向くための理由付けでしか無い。あの男に気に掛けることでもあるのだろうか。

「今何歳ですか?」

 こちらに気に掛けず、勝手に話を進めていた。興味津々そうにこちらの反応を待っている。どうやら僕が乱射事件の生き残りだと知らないらしい。あれだけ報道された癖に、心の底から僕の姿に気づいていない。大抵の人は気づいてとても座りの悪い雰囲気になる。別にこちらが悪いことをした覚えもないが、踏み込んではいけない過去に立ち入ってしまった後悔があるのかもしれない。勝手に自分を責められても困る。苛立ちと孤独感を味わい、会話が終わるのが常だった。だが今回は違うようだ。

 とりあえず普通の乗客のように話に乗る。これくらいの年代は同じ歳くらいの奴を仲間の様に感じていてもおかしくない。

「十七です」

「俺と一緒ですね!この年で一人旅とか、本当に……なんかこう……特別……って感じがしますね」

 消えた方向に目を向けながら話しているせいか、内容が覚束ない。やはり怪しい。

「俺松本の方に初めて着たんですけど、凄い良かったです。自然が一杯というか、忙しかったんで駅前を回るくらいだったんですけど……蕎麦美味しかったです。そっちはどうでしたか」

「僕は松本に住んでいて、これから東京に行きます」

「そうなんですか。へぇ」

「……」

「……うん」

 少年は話題が上手く続かず、黙り込む。会話が下手なくせに話しかけたのか。やはり怪しい。猜疑心ばかりが増す。

 僕のことを放置して困ったようにどこか見回す少年。会話に失敗しているにもかかわらず、何故か頑なに席を戻そうとしない。少年の奇行に不快感以上に疑問符が浮かぶばかりだ。

 とりあえず話を続ける。 

「あの、名前は」

「え」

「名前、まだおっしゃっていません」

「あ、ああ!里見、里見京!里を見る京と書いて里見京です」

「ありがとうございます。僕は夏目祭っていいま」

「待って」

 里見が手で制す。耳に手を当てて、男が消えた方向を睨む。眉間に皺を寄せていたが、目がかっと開く。

「嘘だろ……!?」

 突然ネックレスの銀板を口元に持ち上げる。

「星が喫煙室で銃で脅されている!」

 ガタッと後方で物音がした。ほぼ同時に乾いた、風船の割れるような音がした。これは前方からだ。聞いたことがある銃声に、目の前の景色が血の色に染まる。友達の頭が破裂する、体に穴が開いて倒れる。血だまりができる。母が僕に抱きつき、その上に父が押し倒す。母の頭の半分が吹き飛ぶ。中身が口の中に入って、暖かいものが体に染みて――「夏目さん!?」

 目の前に星が光る。息ができなくて苦しい。心臓に激痛が走る。痛い、苦しい、これは罰かもしれない……

 里見が不安げに肩を支えた。顔が右往左往させて、後方のドアと僕を交互に見ていた。

『全乗務員および全乗客に告ぐ、この列車は掌握された』

 突然のアナウンス。少ししゃがれた声は演説のように脅迫を言い渡す。

『七年前の銃乱射事件主犯・瑠璃茂雄の自白もとい真犯人片身郷斗の告発を求める!』

 瑠璃茂雄?

 頭が冷めていく。体の激痛は消えず、体から熱が消えない。温度差に吐き気がする、だが思考は止められない。待ってくれ、一体どういうことだ。これから殺しに行くはずの奴が、真犯人が、僕が見た真犯人が違うだと!?

「嘘だ……!」

 呪詛を掛けるように吐き出す。わらにすがるように里見の体にしがみつく。激痛は増し、口に鉄の生臭い匂いが広がる。目からも涙ではないものが流れ出す。

「!血が……」

 里見がはっとこちらを見る。何かに勘づいたように胸に手を当てた。

「動くな!」

 男の絶叫が聞こえた。何か指示しているようだが聞こえない。

 勝手に事態は動く。多分このままだと放置されて僕は死ぬ。何か指示しているようだが、聞こえない。すっと冷めていく、死が近づいている。里見を握る。苦痛に顔をゆがめ、恐怖と困惑の入り交じった顔で僕を見た。

「死にたくない、死にたくない、死にたくない……助けてくれ……」

 ひたひた自分の死が近づいていた。血の滴りと死神の足音が聞こえる。あれほど自暴自棄だったのに、今は命が惜しくて仕方ない。何も分からないまま死にたくない。すべてが変わる予感が体に熱気を齎していた。冷める体の熱を留めていた。

知らないまま死にたくない。

こんなところで死にたくない。

まだ、やらねばならないことがある。

助けて、助けてくれ。

 口の中に指が差し込まれ、喉の奥に押し込められた。弱弱しく飲み込む。ぼやけた視界で里見が口に指を入れて何かを飲まされたと把握する。

 僕は呆然と里見を見た。

「ごめん」

 表情はわからない。ただ懺悔のような呟きが耳に張り付いた。それを最後に僕は意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る