ある日

『九時五十分発、当駅発東京行きの特急が参ります』

 閑散としたホームに案内音声が響く。並んでお待ちください、と言われても深々と座り込んだままだった。二月の空気は刺さるような寒さで、手袋をした指先が痛い。空は晴天で陽に当たれば暖かい。時間ギリギリまで室内に居るべきだったかもしれない。だがこの景色が最後になるかもしれないと思うと木造りのベンチから立ち上がれなかった。時間まで人の流れを傍観していた。

誰もが日常を過ごしていた。友人同士か、アタッシェケースを持って旅装をしている人、忙しそうに時計を見ているサラリーマン、真剣に単語帳を見つめているリュックを背負った学生。定期的に訪れる電車に乗って消えていった。降車した人々は皆改札に向かって着ていった。そうして何人もの人々が現れては消えていき、段々数も減っていく。寒空のホームにはまばらにしか人が居ない。往来電車の音と意味のほつれた言葉がホームに満ちる。絶え間なく情報が流れていく空間が妙に懐かしくなった。昔、両親との旅行で特急列車に乗ったことを思い出した。温泉旅行のために鬼怒川温泉に向かった。思い出すと泣きそうになる。もう取り戻すことのできない過去に胸が締め付けられ、線路に飛び込みたくなる足を引き留める。まだ死ぬわけには行かなかった。死ぬのは殺してからだ。

僕はポケットの中のスマホを握り、ベンチにもたれる。開いている片手はポケットに入れ、入っていた鎮痛剤を握る。一週間前の激痛と血の海に沈む視界を思いだす。また発症するかは運次第と告げられた。犯行前に発症しないことを祈るしかない。

 普通の人のようにスマホの画面を見たり、駅のホームを見たりしていた。あの中にきっと溶け込めない自分にもの悲しさを覚えた。でも仕方ない。

僕は墓参りと称して、人を殺しに向かう途中だった。

おそらく普通の学校生活を送っていれば僕は学生として単語帳を見たり、学校に向かうために電車に乗る、あの中の一風景と化していた筈だ。しかし悲しいことに、僕にとっては生まれつき不可能なことだった。 

 引き取られたのは生後1年未満の時、言葉を話し始めたのが一歳の時、高校までの学習範囲を修了したのは七歳の時、大学に通い始めたのは八歳の時、両親が撃ち殺されたのは十歳の時。それからずっと時間が止まっていた。

 僕は他の人たちよりも精神の成熟が早かったのか、学習への意欲やそれに比例して記憶理力が突出していた。だから保育園の頃から浮いていた。身体能力も他の人よりも良かったから、わざわざ何かされることはなかった。ただ、遊んでいて楽しくないとか、どうして仲良くできないのか、軋轢を生んでしまった。結局、小学校に上がる前に保育園を変えることになった。次の保育園では、僕のような子供がいっぱいいる場所だった。そこではそれなりに話すこともできたし、友達っぽいのもできた。でも人間関係の挫折を経験して、僕はあまりうまく話せないでいた。仲良くしていると思っていてもそれは一方的な話じゃないのかと考えてしまい、自分の意志を押し込めることもあった。皆優しい人間だとわかっていても、相手の顔を伺って発言してしまう。結局一人で居る方がずっと楽だった。アメリカの大学に行くと決まった時まで孤独は続いた。父のアメリカの転勤と、僕の学力を鑑みて大学への進学が案に上がった。僕はその時には大学進学の意志はあったが、アメリカという慣れない場所への長期間暮らすことへの懸念はあった。風土も人も合わない可能性はあったが、今の場所では窮屈だった。今の場所じゃないどこかならましかと少し期待していた。何日かアメリカで過ごした後、僕は大学受験に向かい、合格して入学することになった。新天地への不安よりも、安堵の方が大きかった。アメリカでは日本よりもましな生活を過ごした。

 事件が起きたのは七年前の一時帰国時のことだ。父方の実家に手紙が届いていた。未来ある子供たちのための科学者の講演会だった。僕が呼ばれたのは留学者数の減少や、実際にアメリカで移住した経験譚を話して欲しいという中身だった。聞く方でもあるが、講演する方でもあった。僕はあまり気が進まなかった。父が僕を見かねて進めてきた。あまり関わらないという条件で了承した。

 当日、周りは騒がしかった。近所にデモ隊がきていたからだ。子どもが居るから会場付近は行っていなかった。遠くで人が集まって鬼気迫る雰囲気を醸し出していた。怖くて見ていられなかったことを覚えている。とりあえず何も見なかったふりで会場に向かった。

 それからは問題は起こらないまま講演会は始まった。予定時刻に始まり、予定通り講演会は進んだ。

 問題が起きたのはちょうど中腹に差し掛かったところだった。銃や爆発物を持ち込んだ三人組が突入してきた。講演会会場と周辺を蹂躙して帰って行った。

 直後、近隣のデモ隊の分枝した過激派が暴走した結果殺戮が起きたと判明した。デモ隊の目撃証言からアジトに乗り込み、首謀者とされる瑠璃茂雄という男は逮捕された。他の実行犯二人は近所の空井戸に捨てられていた。瑠璃は大人しくすべて吐いた。銃の入手経路や政府への不満など実行理由を全て話した。実行犯二人を殺したのは逃げようとしたからとのことらしい。事件を起こすことが目的であり、逃げるのは自己主張の機会を失わせるからと。全く知ったことではないが、世論は許さなかったし僕も許さなかった。いつ殺されるかわからないまま七年間裁判が行われた。だが、奇妙なことになぜか死刑が言い渡されない。それどころか実刑も二転三転する。決着がつかないまま時間だけが経った。

 僕はこの間、心が追い付かないままずっと日々を過ごしていた。何故生きているのかわからないまま自分を責め続け、一月後には髪が真っ白になっていた。今でも白く、それが日常から外れてしまったことを表している気がした。生き残ったわずかな被害者たちは大半は心労で苦しむか、自殺していた。大きな傷を負ったまま日常を過ごすのは誰でもできるものじゃなかった。一番衝撃だったのは、被害者団体を立ち上げた人が自殺したことだ。誰かに頼られることで自分を保っていた人は、もう無理だと言い残して亡くなった。

 葎飛と会ったのは6年前、被害者団体の集会でのことだった。祖母と共に集会に来た時に、同い年ということで相手側の親と引き合わされた。さわやかな顔つきで見た目は元気そうな少年だった。1年がかりでやっと外に出られた僕は気圧されるものがあった。普通に過ごしていた彼と対称的な自分の不甲斐なさに直面したからかもしれない。初対面ではうまくしゃべれず、祖母が話している横でずっと下を向いていた。祖母が連絡先を貰って、集会に行って、何事もなく終わった。

 まともに話始めたのは1年後だった。葎飛が新聞に載ったからだ。飛行機に関する研究で賞をもらったと大きく取り上げられた。あの場に集まっていた子供たちの中には研究者にも一目を置かれるような子供もいた。葎飛もその一人だった。新聞の記事について葎飛の両親と仲のいい祖母が連絡した。僕が研究していたことも関係していた。葎飛の活躍を知れば自分も活躍したいと思えるんじゃないかという少しの期待と、同年齢くらいの友達を期待してたのかもしれない。その時僕は布団にこもっていた。他人の活躍を見たくなかった。大学に行っていた自分の立場から、何もできない無気力と陰鬱さで活力が一切なかった。

 そんな中で勝手に面会を取り付けられた。当時僕が住んでいた東京の祖母の家の近所に住んでいた。春の穏やかな日に会いに来た。葎飛は母親と共に来た。祖母は母と話し、葎飛は僕と話した。活気あふれれる葎飛ではなく、どこか暗く影の濃い少年が居た。話を聞くと気分がいいときだけ外出や論文を書いていると言っていた。事件前に戻って元の脳に戻したいと弱音を吐いていた。目の前にいるのは僕と同じ人間なのだと理解した。友達になれるかもしれない。期待は通じ、僕はあの事件以来祖母以外で初めて普通の人みたいに話すことができた。

 それから集会が無くてもたまに会うようになった。たまに情報整理くらいだが、葎飛の研究を手伝うこともあった。葎飛の目標は自分の手で新しい飛行機を作ることだった。精神的な面で不安があったが、学力や発想力は目を見張るものはあった。昔に戻りたいという弱音を吐きながらも努力していた。僕はそんな彼を励ましたり共感しながら葎飛の活躍のための補助をしていた。少なくともこの四年間は自分の居場所ができていた。

 問題が起きたのは二年前のことだった。葎飛は高校生になり、自分の手で飛行機の設計図を書いた。それ自体に問題は無かったが、周囲の人々から心配された。精神不安定な人が設計した飛行機は不安だと。

設計自体に問題は無い。だがその一言が引っかかったのか、突然筋トレを始めたり、体調が悪い時でも外出するようになった。僕から見れば葎飛の症状は僕と比べればいい方に向っていたが、一般の高校生と比べれば日常生活に支障はあった。それは自覚しているようで、頭の回転が鈍いときは設計しなかった。安全に不安視する声も理解していたが相当無理をし始めた。

 見るからに無理をしているとわかっていたから僕や葎飛の両親は止めていた。だが本人は言葉を聞かず、自分の思い込みだけでどこからか探してきた論拠のない治療法を試していた。医者も止めていたらしいが、止まらなかった。

 それからすぐに僕の祖母が亡くなった。朝布団の中で静かに硬直していた。僕は叔父の家のある松本に引っ越し、葎飛と会うことは無かった。相手の暴走を傍観するのはこちらにも来るものがあった。引っ越す前日に葎飛の家に向かった。本人は熱が出て会えなかった。母親が冷静になったらまた会いに来て、と笑った。僕は礼を言って帰った。一言声をかけておけばよかったのかも知れない。葎飛が自殺したのはそれから一週間後だった。図面はぐにゃぐにゃの線がのたうち回り、葎飛は知覚能力を失っていた。葎飛は追い詰められた。結果、夏の晴れた日に電車に乗って海に向かった。進入禁止の崖に向かい、靴と遺書を残して飛んだ。遺体は今も見つかっていない。遺書によると、葎飛の背中を押したのは、治療のための本の病気と一生かけて向き合っていかなければならないという一文だった。

 僕はそれから居場所が無い。生きているのはただ死ぬための活動力が無かったからだ。生死の曖昧な状況が苦しくさっさと誰かに殺してほしかった。

 そして一週間前、突然血を吐き、目から血を流した。家に居た叔父が救急車を呼び、病院に運ばれた。薬を投与されても止まらず、輸血を続けながら三日朝昼夜苦しみ続けた。その後二日ほど寝た。小康状態になり目が覚めると、医者が渋い顔をしていた。そして余命一ヶ月を伝えた。病室には真っ赤な夕日が差し込み、部屋を真っ赤に染めていたのがあまりにも非現実的で印象に残っている。医者によると薬もまだ開発されていない謎の病気で、何度か吐血を繰り返し、衰弱して死ぬらしい。入院すればもう少し長く持つかもしれないと言われたが、さっさと死ぬべきだと思っていた僕は入院費のことを考えて自宅療養に切り替えた。

 苦痛を経験してわかったことは、死ぬのに結構労力が必要なことだ。血を吐いて苦しみが続くというのは思ったよりも精神力が削られるもので、あれが続いて死ぬのはこの些末な人生にとって非常に無慈悲な結末だった。殺されたかったが、苦しんで死ぬのは嫌だった。何故こんな結末なのか。ベッドの中で原因を模索するが思い当たる節は全くなかった。いっそ安楽死のような方法が無いのかネットで検索しようとスマホの検索ページを開く。真っ先に目に入ったのは『瑠璃茂雄控訴確定』の文字だった。見ると、いったん落ち着いた裁判がまた控訴が決まったことでまた続くということだった。またか、というあきれがまずやってきた。あとから怒りが湧いた。

七年前の事件直後、実行犯三人は仲間割れした。リーダーの瑠璃が残りの二人を殺してアジトの付近に埋めた。その直後アジト周辺に警察がすぐに到着し、観念した瑠璃はアジトで警察を待って逮捕されたというのが顛末である。だが、問題点はいくつかある。そもそも埋めてから逮捕されるまでの時間がおかしいということだ。アジトで逮捕されたのは1時間後で、アジトまでの距離は20分、遺体を埋めた現場までアジトから20分。ほぼ無理である。だが瑠璃が埋めたところを見たという目撃証言があった。だから何かがおかしかった。そのあたりの疑問は解決されないまま瑠璃は逮捕された。瑠璃は自分がやったと自白し、一連の犯行についても一切曇りのない証言をした。

体調のいいとき大手新聞社の発表からネットの怪情報まで一通り読んだ。ここで何故か頻繁に話題に上がったのは、超能力者の存在だった。昔から都市伝説として真実がはっきりしない事件があり、その後ろには超自然的な能力を扱う超能力者の存在がある。謎の薬を飲まされると超能力が現れ、収容施設に送られるというのが通説のように囁かれていた。僕も一度小学校の頃に周りが話していたことを聞いたことがあるくらい有名だ。全国でささやかれる都市伝説はネットが発達した今でも頻繁に話題に出る。たまにネットに手が異様に伸びた写真や、瞬間移動動画が上がったりする。だが大体はただの加工であり、真実の明らかにならない事件は科学技術の発達で減っていたし、最近はどうやらどこかの検察が証拠偽造をしているのが原因じゃないかと言われていた。

あるブログの記事では、顔を変える能力者がいてそいつが他人の顔を瑠璃に変えて逃げたという疑惑を書いていた。ネットリテラシーに反する投稿は即座に炎上し、記事は取り下げられた。だが他のブログがなぜか検証し、超能力者犯人説を唱える人は七年経ってもまだいる。それくらい何故か超能力者の噂が囁かれていた。

僕はそれらを一笑に付した。もし仮に超能力者がいるとしても、さっさと自白する。わざわざ死刑に向かう奴はいない。それに侵入する連中の体格と瑠璃の体格が合致しているのは僕が実際に見て確定したものだ。だから逮捕された瑠璃は犯人である。どこも間違っているはずが無かった。問題は僕よりもはるかに長生きすることだけだった。

控訴の記事は警察の曖昧な態度や、証拠の隠匿や一部の人間が別扱いされているという疑惑による不信をどうやって回復するのかと書かれていたが正直どうでも良かった。これで僕は裁判の結果を見ずに死ぬことが決まった。死刑の文字を確認する前に、僕は苦しんで血を流して死ぬ。その瞬間僕はあいつを殺そうと決意した。重い体は衝動で動き、すんなり部屋の外に出られた。そしてリビングの叔父に体が動くうちに墓参りに行きたいと伝えた。

叔父のことを思い出すと頭痛がした。吐き気も後追してきた。突然の体調不良に気分が沈む。体もだるく正直ここで倒れて布団で寝たい。だが今病院送りにされるわけにはいかない。精神を自傷したい誘惑を抑え込んで、無理やり思索の外に意識を向ける。線路の向こうにのっぺりした列車の顔が見えた。目を光らせて、僕を威嚇しているようだ。

『間もなく九時五〇分発、特急あさぎりが参ります。乗車になるお客様はホームの指示に従いお待ちください』

 アナウンスが流れ、ホームに人が降りてきた。ほぼ僕一人だったホームに人が増える。それでも通勤ラッシュよりもずっと少ない。年齢性別格好バラバラの乗客は静かに床の指示に従って並ぶ。僕は立たない。指定席だから列の順番は関係ない。人に見られている気がしてあまり並ぶのは好きじゃなかった。それととても疲れていた。普段寝てばかりの体はバスに乗って駅に来るまでで体は重くなっていた。ほんの少し立つだけでも辛い。数秒の暖かさよりも数分の落ち着きを選んだ。

 ふと、列の一人が浮いている気がした。列の真ん中に並んでいる男。妙に高そうなコートを着て、硬そうなアルミのアタッシュケースを持っている。体格も良く、四十台ほどの見た目で憮然とした顔をしている。グリーン車に乗るわけでもなく、指定席の列に並んでいる。どうでもいい。見知らぬ他人の行動に探りを入れるのは無粋だ。それよりもじろじろ見て目立つ方が厄介事に巻きこまれるかもしれない。

 視線を鞄に向け手を入れる。財布からチケットを出し、切符に目を通す。列車が来る前の確認で自分の席を確認する。

 チャイムと共に、寒い空気を切って列車がやってきた。グリーン車が目の前を過ぎ、徐々に速度を落とし、静止する。扉が開き、中に入る。僕も邪魔にならないように中に入り、ぶつからないように気をつけて自分の席に座る。列車の真ん中あたりの窓際の席だ。埃一つない窓からは構内が綺麗に見えた。切り取られた景色は同じホームなはずなのに別物に思えた。ガラス一つ隔てただけなのにはるかに違う。僕が居ないからだろう。

『発車まで少々お待ちください』

 穏やかな声だった。おそらく車掌のアナウンスが響く。ポケットのスマホが震える。手許のスマホを見る。叔父からの連絡が来ていた。

『駅に着いた?』

 挨拶程度の確認だった。僕はできるだけ普段通りの返答を返す。叔父とは今朝家で別れたきりだ。今は仕事場だろうから、心配させないような文面で返す。送るとすぐに返事がきた。

『それは良かった ホテルに着いたらまた連絡して』

 特に心配したような文面ではない。僕は安心してため息をついた。叔父との会話は駆け引きしているようで疲れる。こちらに隠し事があれば尚更だ。

 一人で墓参りに行くと言ったときの叔父の難しそうな顔がよぎる。四十台にしては老けた卵型の頭に、薄くなった髪。叔父の仕事帰り、夕食の後の提案に複雑そうな顔をしていた。精神病院に入院している叔母、背負いたくないと言う嫁との関係で中々家に戻ってこない息子、そして乱射事件に巻きこまれて精神を病んだ兄の息子。いつも疲れていた。いつも疲れているのはわかっていた。昔よりもましになったとはいえ、一人で遠出させるのは不安だろう。だから旅行計画を立てて説得した。ホテルの代金もこちら持ち、親戚と会うとも言うと頷いた。一人になりたかったのだろう。こちらの余命も知っている、そこまで強く否定できなかっただろう。小さい背中に寂寥感とどうしようもなさを背負っていた。まさかこんな風に一気に何もかも壊れる人生を進むと予想していた訳じゃないだろう。話し合いを終えて部屋に帰ると、熱い鉄のような罪悪感が胸にどろりと溜まった。騙したことか、世話になったのに上手く関係を立てられなかったことか、いろんなものが襲ってきた。だから旅行の準備をした。でもよく考えてみれば自分の旅行鞄も服も10歳の時から自分でアップデートされていなかった。今着ている灰色のトレンチコート、yシャツ、毛糸のベスト、ジーンズは叔父の息子のお下がりだ。後のことを考えると荷物は邪魔だったから、自分のものを買うという名目で身軽なまま列車に乗っている。

乗客は鞄を持っている。この先の予定があり、自分の積み重ねてきたものがあるからだ。

「うわっ!?」

 驚愕の悲鳴と共に突然目の前の席が回った。椅子が回り、椅子の背面から前面に変わり、通路側に座っていた少年が回転したことで僕と同じ窓際に現れた。丁度目が合った。赤パーカーと小さな銀板のついたネックレスをつけている。下はジーンズに、愛色のスニーカーを履いた僕と同じくらいか年下の少年だ。短髪で、鍛えているのか少し肩幅が広い体に反して、顔は子どもっぽく丸い童顔だった。右手を椅子の側面で動かしている。回転式ハンドルを触ってしまったらしい。少年はハンドルを手に掛けながら、椅子を恐る恐る動かす。元の位置に戻ることを確認して、僕に勢いよく頭を下げる。

「すんません!」

 そう言って、顔を赤くして元に戻っていった。少年の座る椅子がガタガタ動いていたが、すぐに静かになった。厄介な乗客が座ったのかもしれない。前の少年を僕の顔を見た人物とマークして、普通の客のように何事もなかったようにスマホを見る。そろそろ時間だ。電源を切り、コートのポケットにしまう。椅子にもたれかかり、コート脱ぐのを忘れていたことに気づく。

 ゆっくりボタンを外し始めると、扉の閉まるプレスの音がした。少しして、電車はゆっくり走り出す。コートを脱いで、壁のフックに掛ける頃には、外は駅のホームからすっかり住宅街の風景に変わっていた。

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