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 大通りの歩道は新宿駅構内と同じくらい、人が波のように流れて群れていた。

 迷ってから人を避けながら駅と反対側に走る。似たピンクの女はいても三人組じゃない、別人や大学生だった。



 しばらく行ったり来たりして、どうしても三人は見あたらない。大通り沿いにはもう二人、ホームレスのお爺さんが落ちていた。


 がっかりしてトボトボ歩く。陽が急に陰って、風が強く吹いた。

 飲食店ビルの高層階に見慣れたパスタの店サイゼリアの看板を見つけて、とりあえず暖まることにした



「何名様ですか?」と緑の制服のウエイターが聞いて、繭は「一人」と慌てアイスピックをしまった。



 繭には学校にも外にも友達は少しいる。クラスの子たちに、お母さんに連れて行かれるスナックの客の子供。会えばオチのないつまらない話か、誰かの愚痴や悪口を話した。

 それでもクラスの友達は、繭よりも人気者の子の味方だし、学校外の友達はお母さんの味方だ。繭が足立区で戦っても、クラスの人気者やお母さんは繭の仲間はしてくれない。

 いつも誰も人の話を聞かない。繭の話を友達が聞くのは、新しい噂話を仕入れた時くらいだ。



 店内中央の小さなテーブルに通される。大きな窓からは新宿の街と灯りが見えた。周りのビルも背が高く、あまり遠くまでは見渡せない。暗い灰色の空に、低くカラスが飛ぶ。


 コートを着たままドリンクバーの色々混ぜた茶色い液体を飲む。タカギが入れたメッセージアプリをタップした。半分くらい投稿の意味が分からない。


『新宿で会える女の人!』

『俺は45歳年収3000万、太ってますがイケメンです』

『19ゲイです、友達出会いぼしゅ~』


 最後の人に、『ぜひ友達になりましょう。手伝ってほしい事もあります』とメッセージを送る。

 即『しねや』と返信が来た。意味も分からないのに気分だけ悪くなった。氷をガリガリと噛む。



『ご飯だけ行こ(‘ω’)ノ女』

『マッサージ受けたい女の人いますか?w』

『心理学を専攻している大学三年男です。見た目は地味系、貴女のお悩み助けられます』


 ◆


 数通やりとりをして、大学三年男は十数分でサイゼリアまでやって来た。


「ええ、と繭ちゃん……だよね。エへッヒ会えてうれしいよ」

 目線が一切合わずに下を向いたまま、ガタリと音を立てて繭の隣の席に座った。


 繭はこの時点で最悪な気持ちになった。

 自称大学生は髪が油ぎって光って、メガネのレンズは指紋だらけだ。年を取っているのか子供なのかわからない漠然とした顔にヒゲの跡が青い。席に着いた後もダウンジャケットを脱がず、両手で執拗におしぼりを揉み込んだ。


 自称大学生はテーブルを見つめ、「トモヤと申します……エへ」と下向きにはにかんだ。

「……」

「よろしくな繭ぴ」

「……」


 トモヤは勝手に、一番高いステーキセットとプリンアイスを2つずつ頼んだ。

 その後唇を引き結んで、決心したような上目遣いで繭の全身を舐めるように見る。


「ヘッエへへ……初対面ってやっぱ緊張するね、ウウッ」

「は?」

「繭ぴ、お悩みあるんでしょ。ワイいやいやオレでよければ何でも相談乗るよぉ、エへへ」

「は?」


 中国人学生風のウエイターが早歩きでやってきて、ガチャンと音を立て料理を並べた。

「お待たせいたしました、リブロースステーキセットでございます」

「あっあ、一つはこの子繭ぴの分ですので!オレさすがに二つ食べられないしぃ、へへへあっよく沢山食べそうって言われるんですけどぉ」

「かしこまりました」「……は?」


 鉄板に乗ったステーキから、香ばしく焼けていく肉と油の匂いが広がった。

 繭はザクザクと、とりあえず手元のナイフで刻んで小さくする。


「繭ぴ、ゴホッ……ね。お悩みあるんでしょ、オレに聞かせてくれないかなぁ」

「は?」

「どうしたの、言いづらい?ツンデレさんかな?な、なんでも、話してくれるまでここで待っていてあげるよ」

「…………」


 トモヤはやっと上目遣いをやめた。繭は険しい顔になってステーキを食べる。油がドロドロして、塩味がきいて美味しい。


 繭が時間をかけて食べるのを、トモヤはおしぼりを揉みながら待った。

 時間をかけてプリンも食べ、口元を紙ナフキンで拭ってその後も無言を続ける。トモヤはおしぼりの袋をシャカシャカ揉みはじめた。


「……うざ」

「ど、えどどうして?」

 思わず溜息が出た。怯えられて、少し気持ちがすっきりする。


「な、なんでも話し、」

「もう全部うざい……」

 こぼれるように呟いて、繭は自分で驚いた。言葉になっていないモヤモヤが、腹から胸に溜まっている感覚がある。

 トモヤはハッとしたような顔をした。芝居がかったような、どうにも不自然さがある身動きだ。


「ねぇ、どうして繭ぴ?」


「……わかんない。……クラスの友達と、よく全部爆発してほしいよねって、言ってたの」

「うん」

「中学校にテロとか来たり、全部グチャグチャになればいいよねって。勉強うざいし」

「うん」

「なのにコロナが来ていっぱいグチャグチャになって、みんな凄い泣いて」

「ふむふむふむ」

「思ってた通りグシャったんだから喜べばいいのに。お母さんも全部うざいって言ってたのに、急に石とかフダ買うようになって」

「フダとは?」

 トモヤは右手の人差し指を立てて、奇妙な角度で小首をかしげた。


「何かわかんないけど、悪い物寄ってこない紙。漢字いっぱいの」

「ブブッ病魔除けですね、お高いでしょうぞ繭ぴもご苦労なさって」


「……ねぇコロナこれからもっと増えるのかな。みんな毎日変にピリピリして、いつまでマスクしたらいいのって」

「むむむむ難しいですな、米中間の貿易戦争にも関わる問題で、長引くほど難しさが増していき、そもそも国家とは主体的な……」

「は?」

「ワイは初期段階からコロナはヤバいと警鐘を鳴らし続けたのに誰も、更に海外旅客の足止めもままならずもはや人災としても恥じぬ……」

 繭はドリンクバーのお代わりを取りに立った。トモヤは両手でバッっと口を塞いで黙って、捨て犬のような顔をしながら目で追ってきた。


 学生グループがパスタを食べている。地味なスーツのお兄さんたちがチキンやピクルスを並べ楽しそうに、静かにワインを飲む。

 窓の外はすっかり陽が落ちて、ネオンやビルがきらめく合間に、不安そうな無表情の繭と店内が反射した。

 窓に近づく、外の冷気をひやりと感じる。

 触れると窓は息で曇った。地上ではタクシーや宣伝トラック、乗用車のライトが川のように流れる。正面ビル一階のラーメン屋から、白く湯気が上がっていた。黒蟻のような通行人が、道の両脇に詰まって蠢く。


 急に頭にポンと手が置かれた。

 バチンッと音を立て払って振り返る。トモヤが情けない顔をして、高い位置でステーキを持って立っていた。


「繭ぴ、しっ心配したよ!帰っちゃったのかと、嫌われちゃったのかと思った……」

「…………あ?」


 トモヤは近くの、人のいるテーブルの椅子に無言でステーキを置いた。周囲の客は自然な仕草で見えないふりをした。

「ごめんね繭ぴ、わからない話しちゃって……オレの話難しすぎるせいで、時々頭悪いやつに拒絶されんだ。でも大丈夫、繭ぴはまだ半分子供だもんね」

「……?」

 近づいたトモヤは太って大きかった。繭は窓を背にして、自分の上で執拗に揉み合わされるトモヤの手の平を見上げる。

「ね、悩み一緒に考えていこうよ。オレも中学の頃は辛かったんだ虐められたし。他人事だと思えない。繭ぴとオレはきっと似てるんだ。繭ぴは虐げられて苦しんでるけど、本当は天使みたいな」

 繭はアイスピックを振った。視界が緊張で一瞬ぼやける。

「触んな!」


「ギイイイああ痛い!手が!オレの左手がああ!!」

 キインと耳鳴りが頭を抜けて、遠くからトモヤの汚く叫ぶ声が近づいてきた。近くのテーブルの客たちが立ち上がって逃げている。キッチンからコック帽を被った、ガタイのいい外国人風の男が走り出てきた。


 地味なスーツのお兄さんが、後ろからトモヤを掴んで羽交い絞めにする。

「おとなしくしろ!店員さん、警察!あと警備員も早く呼んでください!」

「オレ!オレ何もしてません!!あの、クソガキがいきなりオレに襲い掛かってっ」

「黙れ、あの子触るなって叫んでたじゃないか」

「オレ!オレオレの方が先にやられたのに!」

 店内の客たちが遠巻きにスマホで写真を撮りはじめた。

 繭は慌ててアイスピックを隠す。


 警棒を持った警備のお爺さんが現れ、「警察、あと五分で来るから」と言った。


 トモヤは警備員に向かって泣き喚いた。

「オレは何もしていません無実だ!いきなりテーブルナイフで刺された!」

「君。何もしていない相手に、いきなりナイフを立てる人がいるわけないだろう。しかもこんな子供相手に、卑劣な」

「オレは何もしでません゛!!」


 ラテン系の顔立ちのウエイターのお姉さんが、しゃがんで繭に向き合って「ダイジョブ?」と満面に笑った。輝く白い歯が眩しい。繭は険しい顔をしてうなずく。

「ハイよかった。もうチョット、警察来るダカラ」

「…………すみませんトイレ行きたいんですけど」

「ウー、チョットだけ待つできるですか?ムズカシ?」

「無理待てない今すぐに」

「ワカッタ。一緒に行くです」


 ウエイターのお姉さんは何やらコック帽の男に声をかけて、繭の手を強く握ってニコニコと店を出た。

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