3

 交差点を曲がると、タイル張りの歩行者専用道に続く。タカギは道に詳しく、スイスイと迷わずに進んだ。


 斜め前に見上げる程、大きな高層ホテルがある。その上に有名な怪獣映画ゴジラの、実物大模型が頭を出していた。


 ゴジラのすぐ下にはスクリーンがあって、ニュース映像が字幕と流れる。笑顔の総理大臣が、まっすぐ前を見つめて喋った。


『外出自粛要請にご協力、ありがとうございます!要請とは、お願いということです。不要不急の外出を避ける。あなたの行動が変われば、おのずと周りも変わっていく。このニッポンを、より美しく――、』


 空の薄い色を背景に、ゴジラの目線はうつろだ。眠そうにも見える。あれが本物の怪獣だったら、足立区だって瓦礫の山なのに。こんなところに勝手に作られて、毎日不愉快で辛いだろうな。



 タイル張りの道は点々、左右脇にゴミが山と積んであった。飲食店のゴミ袋で、カラスが好き勝手つついて引っ張る。


 繭の視界で人波の隙間、ピンクのゴミがチラついた。

 ゴミ山と『ラーメン!天下』看板の間に、派手なコートの女の子が倒れている。通行人は、女の子のことは見えないふりはしないものの無視をした。


 繭は今日新宿で落ちている人、三人目を見たと思った。一人目はバス停で頭を抱えていた男子、二人目はホームレス。少年少女と老人。


 お母さんくらいの年齢の人は、一体どこに落ちてるんだろう。道に落ちている大人なら、一緒に足立区を滅ぼしてくれるかもしれない。



 手狭に飲食店やバーが集まる路地の、中華料理屋の前でタカギは止まった。小さな店で、見るからに子汚い。

 中は薄暗く煙草臭かった。カウンター席は安そうな酒の緑の瓶が、落書きをされてずらっと並ぶ。

 繭は目を瞬かせて見回した。新宿にあるお店は全部、ファミレスみたいに綺麗で可愛いと思っていた。


 奥のテーブルで派手な髪の団体客が喚いている。年齢不詳なカップルが「うえ~い」とガチガチお酒をぶつけ、足元にマスクを落として踏んだ。

 分厚いグラスが鋭い音を立てて、繭は耳がキーンとなった。タカギは気にせずに「何が食べたいですか?」と目を細めた。

「は?」

「えっと、何が食べたいですか?と、」

「いや、それはわかんだけど。何でこんなうるっさいのに何も気にしないで普通ーに会話はじめられんですか。ちょっとおかしくない?」


「……ごめんね。聞かないと失礼かなと思って」

「別に」

「んんん……」


「ご注文はお決まりでしょうか」

 黒シャツで首に刺青のあるウエイターが、にこやかに伝票を持ってやってくる。


「すみませんお待ちいただけますか。今この子が決めて、あちょっと繭さん?」

 チリンチリンと鳴る扉を開け、繭は出て行った。うるさすぎる、こめかみに変な感じがする。


「繭さん!」

 タカギが追ってきた。



 道端のピンクのコートの女の子は、変わらず落ちていた。ウェーブした焦げ茶のセミロングヘアで、マイメロディのバッグを腹で踏んでいる。


 タカギが繭の肩を掴んだ。

「は?」

 そのまま無言で見下される。背が高く、逆光とマスクで表情が良く見えない。


「…………なに」

「繭さん。あのね。僕は遊んでいるわけでは、」



「ちょっとー!!あなた何してるのよ警察!呼ぶわよ!」

 突如後ろから、ヒステリックに裂くような大声がした。

 お母さんくらいの歳の銀縁メガネの女が、人の群れを掻き分けるように出てくる。その後ろには不安そうな顔の、よく似た女が小走りで追ってきて控えた。


「あなた、失礼ですが。この子とは、お父さんと娘さんですか?」

 タカギが一瞬、目線をさまよわせる。繭に向かって目で何かを訴えて、一人で頷いた後に威厳のある声で

「ええそうですよ。突然失礼ですね、あなたこそ一体」

「は?繭お父さんいないし。急に何なんオバサン」


 手前側の女は痛ましいものを見る目になった。断りなく繭の頭を撫で「怖かったね、もう大丈夫よ」と柔らかく上から微笑んだ。



 繭は首から背中に鳥肌が立った。殴られたような気持ちになった。誰かに触られる事に慣れなくて気色が悪い。ヒッと引きつってリュックを抱きしめる。


「この子は保護します。警察呼びますよ?歌舞伎町でこんな子供連れて、どこに行くつもりだったんですか!みんな見てますからね!」

 タカギは口をハクハクした。繭はぼんやりと吐き気の中で、公園の池の鯉を思い出していた。目の前のエサを欲しがる、群れて深く広がる口の穴。

「し、失礼ですねあなたは、急に。これは侮辱ではないですか?」

「何よ変態!こんな何もわかってない子供連れて行こうとして、明らか小学生じゃない恥ずかしい!」


 女は力強く繭を引き寄せ、そのまま無遠慮に肩や背中も撫でた。通行人はチラチラ見てはくるものの無視をした。お母さんが酔った時に愚痴る、これがセクハラだと繭は思った。


(ほんっとにジジイ共どいつもこいつもベタベタと、黙って金だけ払ってりゃ良いんだよ、なぁ繭。お前もそう思うだろ?え?思わねぇか、繭は父親似だもんなぁ)



 そろりと気づかれないようリュックに手を入れて、アイスピックを握る。

「ぎゃーーー」と後ろで女の子が叫んだ。



 通行人たちが一斉に振り向く。ピンクのコートの女の子がゴミ山の隣、『ラーメン!天下』の看板に抱き着いて、警察官に囲まれていた。

 通行人はすぐにまた流れた。


 女の子は泣いていて、でも目が大きく顔立ちは愛らしい。リボンのついた厚底靴と靴下が、両膝を擦りむいた血で汚れていた。

 警察官は三人組で、一人がメモ帳を持ってしゃがんで、女の子に目線を合わせる。

「氏名、年齢、住所教えて」「危ないからね」「こんなところで寝ているとフラっと車が近くまで来て乗せて連れて行かれちゃうから」


「ミサ悪くないもん!!イベント日だって売上やばいってゆうからミサはミサは15万円も使ったのに!ユウタいつでも浮気ばっかだし、しかもいつも何でミサばっか怒られて!」


「ミサさんだね?氏名年齢住所、フルネーム言える?」「酔ってる?立てる?」「ここで寝てると危ないからね」

「ミサずっとずっと頑張ってんのに!!もうまじ最低、死にたい~~~!」


 自称ミサはマイメロの鞄を抱きしめて転がったまま絶叫した。悲痛な叫び声で、殆どの人が気にしなかった。


 女が繭の肩を強めに掴んで、繭はびくりと震える。

「だ、だから、こんな明らか小学生の子と、教職をしていた身として見過ごせない!」

「えっこの話まだ続けるんですか……僕この後ちょっと用事が」

「当たり前じゃない!子供は何もわかってなくても、大人になってから理解して深く傷つくの!軽い気持ちで触れて、あなたのやっていることは魂の殺人と」

「うっせぇさっきから繭触ってんのババアの方じゃん!何もわかってねぇバカは繭じゃなくお前だし!ブス!」

「えっ……」

「えっ……」


「うわぁああーー!ユウタのばかぁーーミサ頑張ってるのにーーー」

「ちょっとちょっと落ち着いて」「氏名年齢住所」


 繭はアイスピックを握った、殺意を込め中年女性に振りかざす。

 女はぽかんとして、次いでギャッと詰まったような悲鳴を上げた。そのままひとりでにバランスを崩し、タカギがとっさに女の手を引っ張って庇う。


「うわミサキこんなとこいた!何やってん逃げるよ!!」

「待って待って、おに警察いんだけど!バズりそ~」

 色違いのような似たコートの女があと2人、騒いで人の波を掻き分けて出てくる。どっちもやたらに厚底の靴で、不愉快に足音がタイルに響いた。

「ちょっと」と焦る警察官に対し、自称ミサは勢いよく周りの人を押しのけた。全速力で走り込んで、片方の女に飛びつく。

 女二人は自称ミサの手を掴んで、そのままさっさと走って逃げた。

「すんませんこいつ友達なんで連れて行きます!ご苦労さまでした!」


「う゛わぁーーーん!まじもう女友達しか勝たん!!聞いてユウタまた浮気しかも挙句ミサが悪いとかゆって!まじカス使った金返せし、う゛わーー」

「いいから走れ!警察バチバチこっち見てる見てる」

「ミサキぴめガチ泣きつらーい!可哀想よいしょー」

「うわ゛ーんミサ可哀想―!ユウタのために嫌な仕事頑張ってんのにーー」


 三人は騒がしく、色んな人にドカドカぶつかりながら交差点を曲がって消えた。直後、おそらくミサキが泣きながら卑猥な単語を絶叫した。

 繭は思わず三人を追った。追い詰められている時に仲間が助けに来るなんて。


 警察官は話し合って、結局無視をして立ち去ることにした。

 中年女性二人とタカギも赤い顔青い顔をして、すぐに目線を逸らし合いながら立ち去った。

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