第2話

…はー、今日も疲れた。

委員会が終わって、静けさに溶け込んだ夕闇色の廊下を歩く。

朝からクラスメートに宿題をうつされるわ、女子には周りで騒がれるわ(別に自慢なんかではない。寧ろやめてほしい)、委員会は延びるわ、挙げ句の果てには知らない、知りたくもないアイドルの話をされるわで、本当に疲れた。全て愛想笑いで受け止めるのも、やっぱりキツいな。早く帰って寝よう。

「…っ、あのっ!橋本くんっ!」

「は?」

やば…っ!今の、き、聞こえた…っ!?


「い、ま、ちょっと、いい…っ、?」

よかった…。聞こえてなかったっぽい。ていうか、こんな遅くになんなんだ…?そう思いつつ、愛嬌よく、微笑んで見せる。えーと、確かこの人は、同じクラスの…

「西本ほのか、さん…?」

彼女は、名前を呼ばれるや否や下向きだった目を上に、キラキラに、僕を見つめてきた。

「っ…〜!!あたしのこと、覚えてくれてるんだ…っ!」

「まあ、クラスメートだし、ね?」

ここできらきら王子様スマイルッ!

「んふ、嬉しいなぁ〜…っ!…ねえ、あたし、橋本くんのこと、好きなの。付き合って、くれない…?」

…ぺ?

「…えと、西本さんと、僕、そんなに仲良くなかった、くない?」

そう言った瞬間、西本さんはつまらなさそうな顔をした。

「むぅ、やだな、仲良くなくても好きなものは好きなのよっ!あっ、それとも、橋本くんは『お友達から』がいいの?」

何、言ってんだこいつ。僕は、誰とも付き合わないつもりなんだけど。

「…そうだね、ある程度仲良くなってからの方が、いいかな…?」にこっ

付き合う気なんてさらさらないけど。

「そっかそっか!!じゃあ橋本くん、今日から友達ねっ!よろしく!あ、あたしのことはほのかでいいよ〜?」

う、鬱陶しい…。

「ふふ、わかったよ、ほのかさん」

「きゃあ、『ほのかさん』だってぇ〜!!じゃあじゃあゆーきくん、『友達』だし、一緒に帰ろ?」

嘘だろまじかよ。僕は1人でのんびり帰りたいのに…。ていうか何勝手に『ゆーき』とか言ってるんだ…?でも、明日こいつに何か言われても困るし、一緒に帰ってやろう。

「ん、いいよ」

「やーんっっ!?ほんとっ!!ラアッキーッ!じゃ早く行こーっ!」

僕の手を取りぐいぐい歩く。手がひどく温かく、驚いた。

「やだっ、ゆーきくん手ぇ冷たいっ?!だめだよ指先冷やしちゃっ!」

ぎゅっと手を握られる。温かい。そういえば人の温もりに触れたのはいつぶりだろう。

「ありがと、凄く、温かいよ…」

「えへ、よかったーっ!」

そうやって手を繋いだまま帰路についた僕たちだった。彼女の家は同じ方だが僕の家よりも遠いらしい。

「あれ、ゆーきくん、それ…」

彼女が目をつけたのはそっけない鍵だった。

「ん、何?」

「その鍵、なんか個性なくて、つまんないよっ!そだ!あたし、今度キーホルダーあげるから、それつけなよ!!」

「あぁ、うん、そうだね」

適当に返事する。

「やったっ!じゃーねっ!また明日〜っ」

元気に走り去っていく彼女を見送り、家に入る。まあ、なかなか楽しかったな…。また帰ってやってもいいな…。そう思って扉を開く。そこは今朝とは違う、異様な空気を放っていた。何故だか不安に駆り立てられた僕はスマホを開く。目に飛び込んだそれは。

『母さんが、危ない』


ガチャんっ

「…っ、くそッ……っ」

制服のまま、アスファルトを走る。信号は点滅したギリギリのものも渡る。しばらく走り、ぜいぜいと息が切れ、足が壊れそうになる。それでも、足を止められない。

「…っ、はあ、はあっ、母さ、んっ…っ」


母さんが、危険…?


なんだそれ、早くないか?医者が言うにはあと、2ヶ月くらいあっただろ?


自動ドアが開くのももどかしくなるほど焦っていた。肩をぶつけたのも気にせず、受付の顔見知りの看護師に向かって叫ぶ。

「母さんはっ!?」

周りにいた患者が僕のことを異様な目で見ているのがわかる。それでも、そんなこと言ってられない。

「橋本さん!落ち着いて…っ!お母さんは今、手術中なんだっ…!」

「それっ、助かるのかよっっ!?」

沈黙が流れる。

「……30%」

「…は?」

「30%、助かるよ」

「……はっ?低くねぇっ?!もっとちゃんと…」

「ゆうき」

凛とした声で、名前を呼ばれる。

「と、とうさ…」

縋るように見つめた先にいる父は、力なく首を横に振るだけだった。

僕は、理解した。


「…は、助からなかったのかよ…っ?」

また、重い沈黙。

「…っ、ふざけんじゃねえっ!!なんで助からなかったんだよっ!?たかだか30%だろ?!そんなの助からないなんて医者がダメなんだ!!母さんは何も悪いことしてないじゃないかっ!?なんでっ…!なんでなんだよ…っっ!?」

憤りが抑えられない僕は、近くにあった観葉植物を蹴り倒す。


ガシャーンっ


「ゆうきっ!」

溢れた土と、オリーブと書かれたプレートを蹴散らして走り出す。家に向かって。そうだ、寝ればどうにかなっているはずだ。これは悪い夢だ。そう思い、家に足を早めた。

帰る途中、色々なものにぶつかった。勝手に駐輪された自転車、酔っ払ったジジイ、セーラー服の女の子。どんなにぶつかっても以前のような偽善の塊のようなコトバは、僕の口からひとつも出てこなかった。

鍵で開けた扉を固く閉し、そのまま布団を頭からかぶる。大丈夫、これは夢、これは夢。夢、夢、夢、夢夢夢夢夢夢。

そう、これは、夢。

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