第57話 夜戦(3)

 それは、まったく予想だにしない言葉だった。

 カウルは一瞬黙り込み、アベルの声に耳を傾けた。

「立地的に考えて、あそこは大峡谷の中でもかなり水気の少ない場所だ。死体も死後数日経過していることを考えれば、着火方法次第でそれなりに燃え続けてくれると思われる」

「……無茶だ。死体はそう簡単に燃えるもんじゃない。一体どうやって火を付ける気なんだ?」

 服に火を付けたところで、そこまえ燃え広がるとは思えない。そもそも葬儀で焼く時でさえ相当な薪が必要になるのに。

 アベルはすぐに言葉を続け、

「昼間馬車の中に入った時、荷物の中に蒸留酒の子樽があった。蒸留酒は度数が高いからな。撒けば着火剤として活用出来る。それに、燃やすと言っても消し炭にまでする必要は無い。蝋燭効果で軽く燃え続けてくれれば、それで十分だ」

「蝋燭効果?」

「先ほどまで君が使ってた非常食の筒と同じ原理だ。死体を燃やした時に胴体だけが燃え尽きて、手足が残る光景を目にしたことは無いか? あれは手足に脂肪分が少ないからだ。逆に言えば、大量の脂肪がある胴体に上手く火がつけば、蝋燭のように体を燃やし続けることが可能となる」

 さらりとアベルは恐ろしい言葉を付口にした。

「……本当に薪も無しにそこまで燃えるのか」

「死体の状態次第だがな。だがやってみる価値はあるだろう」

 既に決定した事項のようにアベルはそう断言した。

 六人の死体と馬車。確かにそれだけの光源があれば、“老人”と戦える可能性は十分にある。少なくとも一方的にやられるような状況にはならないはずだ。

 カウルは顎に手を当て、考えを巡らせた。

「……馬車まで行く方法はどうするんだ? あそこへの道順なんてわからないぞ」

「さっきの非常食の筒はもう無いのか」

「あと……二本はある」

 ティアゴの腰に括り付けた荷袋に手を突っ込み、カウルは答えた。

「なら十分だ。前にも言ったと思うが、俺は記憶力がいい。こことあの馬車との位置関係ならある程度は把握出来ているし、分かれ道では岩壁に目印を付けてきた。それを追えば、あそこまで戻ることはそう難しくない」

「この暗闇の中、あんな印を見つけられるとは思えないけど」

「曲がり角の度に同じ高さで印をつけてきたんだ。暗かろうが分岐地点で左右の壁際を調べれば必ず見つかる。君も退魔師を名乗るなら、これくらいの技術は学んでおけ」

 まるで先輩が後輩に指導するような言い回しだ。

 荒野の多い灰夜の国グレムリアには入り組んだ地形が少ないため、今まで道に迷うようなことはほとんど無かった。だが今後他国に行くようなことがあれば、こういった技術が必要になる場面だって多々あるかもしれない。今後の課題の一つとして、カウルは素直に心に留めておくことにした。

 地響きのような、何かが岩壁に衝突したような音がどこからか轟く。恐らく“老人”だろう。臭いを元にカウルたちの居場所へ辿り着こうと足掻いているのだ。

「あれがここに辿り着くまで、あまり時間は無さそうだな」

 アベルはため息を吐くようにそう言って、

「問題は明かりを得た後だ。俺たちは夕日の下であれと戦い、勝つことが出来なかった。あの死煙。どうにかして潜り抜け、致命傷を与えなければならない。……再び俺が囮をしたとして、“老人”に攻撃を当てることは出来そうか?」

 カウルは“老人”の姿を思い返した。

 近距離、中距離での死煙に、遠距離からの巨体を活かした突撃。さらにそれらを掻い潜って近づくことが出来たとしても、傷をつければつけるほどその傷からは死煙が漏れ出していく。普通に考えれば勝つことはほとんど不可能に思えるが――。

 目を閉じ、深く呼吸を繰り返す。

 退魔師と退魔師でない者との差は、いかに事前に禍獣の動きを予測できるか。その動きの対応策を知っているかどうかだ。段取りこそが生死の境を決めると言っても過言ではない。

 “老人”の姿を思い返しながら、頭の中で模擬戦闘を行う。しばらくして、カウルは思いついたように口を開いた。

「確証は無いけど、一つ試したい案がある」

 


 真っ暗な世界の中、アベルの持つ微かな光だけが揺らいで見える。

 どこから白面が襲い掛かってくるかわからない以上、慎重に進むに越したことはないのだが、先導する彼の足には迷いなど一切無かった。ほとんど止まることもなく岩壁の印を確認し、次の道へと歩を進める。もしや適当に歩いているだけなのではと疑いを抱いてしまったほどだ。

 馬車のある広場に行けなければ自分たちは終わりだ。カウルの頭は緊張と不安に満たされていたのだが、拍子抜けなことに、広場にたどり着くまでに禍獣と遭遇することは一度も無かった。

「ここだ」

 火の付いた非常食の筒を前にかざし、アベルが壊れた馬車の姿を晒す。

 暗闇のせいで多少わかりづらくはあるが、確かに昼間二人で訪れた場所で間違いはないようだ。よくもまあ本当に辿り着くことが出来たと、改めて感心した。

「急ぐぞ。すぐに“老人”もやってくる。それまでに準備を進めなければ」

 周囲に倒れている遺体を見下ろしながら、冷静に声掛けするアベル。カウルはトンバロの様子を確認し、ティアゴを少し離れた場所にある岩場の影へと移動させた。

 この暗闇と迷宮の中だ。馬笛があるとは言え、一度はぐれてしまえば再会することはかなり難しいだろう。カウルは手綱を近くの木へと括り付けたものの、緊急時はティアゴが自力で逃げられるように、あえてきつくは結ばなかった。

 二人して周囲に散らばっていた死体を適切な位置へと移動させる。全ての死体を移動し終えると、アベルは壊れた馬車の中から蒸留酒の樽を持ち出し、それを死体へと振りかけた。

 どぼどぼと液体の流れ落ちる音が響き、強めの香りが広がる。

 最後の一滴まで中身を落とした後、彼は腰の布袋から火打石を取り出した。

「用意はいいか」

「ああ。大丈夫だ」

 カウルは頷き、ティアゴの荷袋から持ち出していた火打石を手に持った。

 燃える時間は出来るだけ長い方がいい。すぐに火を付けず、しばらくそのまま待機していると、微かな振動音のようなものが聞こえ始めた。“老人”がここに接近してきているのだ。

 深淵に包まれた崖の間を眺めながら、カウルは先ほどの洞窟の中での会話を思い返した。



「試したい案?」

 暗い洞窟の中、アベルの声が響いた。

「ああ」

 岩壁に背を付けながら答えるカウル。

「知っての通り、禍獣が死煙のような呪術を扱えるのは、肉体そのものが一種の術式になっているからだ。死煙を溜めるには災禍の呪いをその術式に通して貯える時間が必要になる」

 アベルは黙って聞いている。カウルは言葉を続けた。

「傷から漏れ出る死煙はともかく、奴が意図的に放出した死煙はかなりの量だった。あれを起こした直後であれば、奴の体に溜まった死煙は無くなっている。つまり傷をつけたところで漏れ出る死煙も少ないはずだ」

「……わざと死煙の放出を誘発させ、その直後に攻撃するということか」

 アベルはすぐにカウルの言わんとすることを理解した。

「悪くない考えだとは思うが、”老人”の武器は死煙だけではない。あの巨体そのものが脅威だ。死煙を誘発させるには恐らく俺が囮をする必要がある。つまりその直後の隙をつくのは君ひとりで行わなければならない。壁に衝突させて動きを止めるなんて時間は無いだろう。反撃を掻い潜り、攻撃を当てる自信はあるのか」

 禍獣に攻撃を当てるにはある程度の手順が必要となる。誘導して隙を作ったり、攻撃の癖を利用したり、弱点を突いたり。そしてその手順は、強力な禍獣であればあるほど複雑化し、探すのが難解になっていく。アベルの問いを聞いたカウルは、慎重に考えながら答えた。

「あんたと“老人”の戦いを見ていてわかった。どうも“老人”は獲物が足元に入り込んだ時の対処が苦手なようだった。距離があれば巨体を活かした突撃を行うけれど、足元の獲物には掴みがかりか拳の振り下ろししかしていない。そしてその動きはかなり単調だ。あの手の相手なら対赤剥のように攻撃をするふりをして誘導すれば隙を作れる」

「カウル。巨体と戦うのは小型の獣を相手にする時とは勝手が全く違うぞ。避けたと思っても拳が大きすぎて避け切れず、防御をとっても力で潰されるのがおちだ。それに死煙放出の直後なら完全に煙が消えきるまで少し時間がかかる。“老人”へ攻撃をしかける時はおのずと遠距離から近づくことになるはずだ。もし接近出来たとしても、致命傷を与えるための急所はかなり高い位置にある。そもそもこちらの攻撃が届かない可能性が高い」

 それは夕方の攻防で十分に身に染みている。カウルは“老人”の姿を思い浮かべ、回答した。

「わかってる。だからまずは足を狙う。膝裏を攻撃すれば流石に体勢は崩れるだろう」

 それを聞いたアベルは若干表情を曇らせ、

「随分と簡単に言うが、あれほどの巨体を倒すには相当な深手が必要だぞ。一瞬でそこまで切断するのは無理だ」

「大丈夫だ。俺には方法がある」

 傷の呪いを使えば、例えどれほど硬い皮膚だろうと必ず刃を差し込むことが出来る。相手が鋼鉄の体でも持たない限り。

 カウルは何気ない調子で言ったのだが、それを聞いたアベルは不信感を抱いたようだった。わずかに会話に間が空く。

「……祈祷術を使えるようには見えなかったが、高価な聖油でも持っているのか?」

 祈祷術や、祈祷術によって祝福された油を塗った武器は、呪いで構築されている禍獣の肉体に影響を与えやすい。前者は聖騎士の戦闘手段であり、後者は退魔師の常套手段だ。これまで祈祷術を使わなかったカウルからそんな台詞が出たものだから、アベルは自然と祝福された聖油のことを想像したようだった。

 何と答えるべきだろうか。不老不死という秘密を話してくれたことを考えれば、こちらも傷の呪いについて説明したほうが平等ではあるが、何分まだ信用するには付き合いが浅すぎる。

 悩んだ末、カウルはあえて言葉を濁す道を選んだ。

「あんたが不死身を秘密にしていたように、俺にも秘密があるのさ」

「秘密?」

 アベルは不思議そうに聞き返したが、カウルは無言を貫いた。

 ロファーエル村の事件は封印指定にされるほどの大事件。もし噂が広まれば、自分がどうなるかもわからない。情報を持つ者は、少ないに越したことがないのだ。

 こちらに答える気が無いと悟ったのだろう。アベルが座り直したのがわかる。

 彼は小さく息を吐くと、誰に言うでもなく最後に一言呟いた。

「なら精々、その秘密とやらに期待させて貰うとしよう」

 


 足元に伝わる振動が大きくなっていく。

 もうかなりの距離まで”老人”が接近しているのだ。

「火を付けろ」

 アベルが声を出し、小さな火花が目の前で散る。事前に蒸留酒を浸していた死体の服は一瞬にして真っ赤な火の花を咲かし、周囲の輪郭を闇の中から浮彫にした。

 カウルもすぐに続こうと身を屈ませた。しかしそこで予期せぬのもを目にし、動きが止まる。周囲が明るくなったせいだろう。先ほどよりもはっきりと死体の顔が目に入ったのだ。

 それは無精ひげを生やした、いかにも農民らしい痩せた男だった。どことなくロファーエル村で見張り役をしていたベルナルドさんに似ている。

 どうしてだろう。すぐに火を付けなければならないのに、死体から目が離せない。今になって、これらの死体が生きていた人間だと思い出す。

 彼らはただ死門から逃げたかっただけの哀れな犠牲者。どこかに帰りを待つ家族や友人だってきっといるはずだ。今ここで彼らの遺体を燃やしてしまえば、その家族や知人は誰一人、彼らの生死や行先について知る術が無くなってしまう。こちらの身勝手な一存で、本当にそんなことをしても良いのだろうか。

 迷いのせいで伸ばしていた腕が下りかける。そんなカウルの様子を見て、アベルが諭すように言った。

「カウル。いつだって優先すべきは今生きている人間の命だ。生者を守ることこそが退魔師の本分なのだから。今何をするべきか、判断を誤るな」

 静かで、けれど重々しい声。軽く考えているわけではない。カウルの葛藤を理解した上で、あえてそう叱責しているのだ。

 再び死体を見下ろす。自分がここに居るのはトンバロを救うため。そしてトンバロを救うのは、自分の両親や友人たちを呪いから解放するためだ。

 遠い記憶を思い返すと、自然と腕に力が込むる。カウルは一瞬歯を食いしばり、そして火打ち石を打ち付けた。

 飛び散った火花が蒸留酒に着火し、火の輪が広がっていく。すぐにそれは服を燃やし、瞬く間に強い腐敗臭が周囲に立ち上った。

 二人が火を付ける度に明るくなっていく広場。全員の死体に火を付け終わったアベルは、最後に中央に横たわった馬車に向かい、あらかじめ馬車の下に仕込んでいた蒸留酒まみれの布地と木くずに着火した。するとまるで広場中に紅の幕が下りたかのように周囲の景色が色味を帯びる。

 これだけ視界が確保出来れば十分だろう。今なら空を飛ぶ白面だろうとはっきりと視認することが出来そうだ。

 炎に照らされた崖の合間からゆっくりと巨大な輪郭が見えてくる。全身にウツボのような穴のある、腰の折れ曲がったしわくちゃの顔。高さ三メートルは超えるそれは、カウルたちが“老人”と呼称する禍獣だった。

「カウル。俺が死煙を引き出すまで不用意には近づくなよ。君はわずかでもあれに触れてしまえば終わりなんだ」

「わかってる」

 腰から剣を引き抜き構える。刃に炎の光が反射し、水面のように朱色の波が輝いた。

 カウルたちの気配を捉えたのか、“老人”が奇声のようなものを上げ、奇妙に首をかたかたと鳴らす。

 立ち並ぶ二人を前に、“老人”は悠々と、その長い手足で地面を踏みしめた。




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