第41話 ベルギット(4)

 緑の森と沼地の先に、高くそびえ立つ黒い巨塔が見える。

 天を衝くように伸びたその屋根はまるで一つの大きな槍のようであり、美しさを抱かせつつも、どことなく不安な気持ちを呼び起こさせた。

「……黎明(れいめい)の塔だ」

 老馬に跨ったマヌリスが、幅の広い帽子を傾けながら呟く。彼女の横で顔を上げながら、ネメアもその黒い塔を見上げた。

「じゃああそこが……」

「ああ。黒陽の国アザレアの王都、ノアブレイズだ」

 深い帽子の奥で目を細めるマヌリス。過去に何があったのかは知らないが、それはどこか、強い憎染みが込められているような視線だった。

「足元に気を付けな。そろそろ正規の道に出ないと、危険だよ」

 ノアブレイズは沼地と赤い荊に囲まれた土地だ。沼地の中には底なし沼が多く存在し、足を踏み入れれば二度と這い上がってはこれないと聞く。ネメアは位置を確認しつつ、慎重にマヌリスの老馬を先導した。

 こすれた個所がちくりと痛む。所々に生えた荊は鋭く、少し引っかけるだけで服が裂けてしまいそうだ。生活するにはとても不便な場所に思えるが、それでもここに王都を構えたのは、やはり祝福地だからだろうか。王都ほど大量の住民を抱えられる場所はそう多くはない。オルベルクを失った彼らにとっては、他に選択肢が無かったのだろう。

 ――もしあそこにマヌリスを突き落したら、仕留められないかな。

 足元に広がる沼地を眺めながら、ネメアはひっそりとそんな感想を抱いた。

 ちらりと馬上のマヌリスを見上げると、いつものように自信に溢れた美しい横顔が目に入る。彼女ならたとえ底なし沼へ突き落したところで、けろりとした表情で水上へ戻ってくるかもしれない。ネメアは沸き上がった衝動を押し殺し、沼から意識を逸らした。

 足が進むにつれ、あの黒い塔がますます大きくなっていく。呪術師たちの総本山。ありとあらゆる呪術師やその知識の粋が集まる呪術師の聖地――黎明(れいめい)の塔。当初の予定では、あそこで記憶操作に詳しい呪術師を探し、失った記憶を取り戻すことが目的だった。だが今のネメアにとって、その目的はあってないようなものと化している。

 この前の戦いで黒煙騎士たちは無残に殺されてしまったが、それでも唯一得られたものがあった。それは、マヌリスがアザレア王家と敵対しているかもしれないという憶測だ。

 黒煙騎士たちはマヌリスを造影の魔女と吐き捨て、目を血眼にして挑んでいた。自らの命よりもマヌリスを討伐することの方が重要だとでも言わんばかりに。

 もし、もしマヌリスがアザレア王家と敵対しているのであれば、マヌリスにとってノアブレイズは敵の真っただ中同然の場所となる。彼女があの王都で何をしたいのかはわからないが、流石に黒煙騎士が溢れる王都で争いになれば、勝ち目は無いはずだ。なんとかマヌリスの隙をついて黒煙騎士と接触し、彼女を捕まえる。それが現状考えられるもっとも確実な方法。だが確実なだけに、当然マヌリスもその事態を想定しているはずだ。なぜ彼女はその事態を考慮せずに、どうどうと正面から王都へと入ろうとしているのだろうか。何とも言えない不安を感じ、つい口数が少なくなってしまう。

 歩き続けるにつれ、遠くの方に街道のような道が見えてきた。そのさらに先には横に長く広がる黒っぽい壁と、黎明の塔と並んで天空へ延びる三又の槍のような城が目に入る。

 いよいよ王都ノアブレイズへ入れる。そう思い、ネメアが唾を飲み込んだ時だった。

「――ネメア」

 耳元へ巻き付くように、マヌリスの声が間近で聞こえた。

「あたしのことを告げ口しようとしても無駄だからね」

 何気ないごく自然な口調。しかしそれは、恐ろしいほどはっきりとネメアの耳を刺激した。

「……え?」

「先日の黒煙騎士の襲撃。あれの裏でお前が糸を引いていたことはわかっている。あの時は見逃したが、毎度毎度姑息に動かれては面倒だからねぇ。少々、鎖を繋がせてもらったよ」

 やはりばれていたのか。いや、それよりもマヌリスは何を言っているのだろうか。鎖……?

 ネメアは背中にうすら寒いものを感じた。何だかとてつもなく嫌な予感が胸に溢れてくる。

「お前が寝ている間に、隷属呪術をかけさせてもらった」

「隷属呪術? 何を言っているのですか……?」

「ネメア――……お前、私がお前の記憶喪失に関わっていると疑っているね」

 核心をつく台詞。ネメアは心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

「頭のいいお前のことだ。いずれ気が付くことは目に見えていた。まあ、元々そんなに隠し通すつもりは無かったんだがね。もうじき王都だ。頃合いとしても、ちょうどいいだろう」

 この台詞。やはりマヌリスは知っていたのだ。自分のことを。記憶を失う以前から。知っていて知らないふりをしていた。

 体の奥から怒りがにじみ出てくる。ネメアはもはやそれを抑えきることが出来なかった。

「……やっぱりあなたが私の記憶を……!」 

「おっと、誤解するんじゃないよ。あたしは確かにあんたのことを前から知っていたが、記憶を奪ったのはあたしじゃない。別の人間さ」

「別の人間? 誰が私の記憶を奪ったんですか。私は一体誰なんですか。何でこんなことをするんです……!?」

「あたしが事実を言ったところで、今のあんたには理解出来ない話さ。全てを知るには、やはり記憶を取り戻すしかない」

 まるで憐れむような視線を向けるマヌリス。それが一層、ネメアのいら立ちを強くした。きっと彼女を睨みつけ反意を示すも、その途端、息苦しくなり、思うように体が動かなくなる。

「もう一度言うが、あんたとあたしは隷属呪術で結ばれた。あんたがいくらあたしに敵意を抱こうが、あたしに逆らうことはもう出来ない。例えノアブレイズの呪術師に泣き付き無理に解こうとしても、並大抵の呪術師じゃあんたが死ぬ結果になるだけさ」

 淡々と話すマヌリス。しかしそのおかげでネメアは彼女の言葉の意味を嫌でも理解させられてしまった。

 以前マヌリスから聞いたことがある。隷属呪術とはつまり、呪いをかけた相手に強制的な主従関係を結ぶ行為。マヌリスの話が真実なら、自分はもうどうあがいても彼女に逆らうことは出来ないということ。いわば奴隷のような存在に堕とされたということだ。

 もはやマヌリスは自分の本性を隠す気は毛頭ないのだろう。ネメアが敵意の籠った眼で彼女を見上げると、あざ笑うような笑みを見せた。今までネメアが見てきた優しさは、そこにはもう微塵も感じられなかった。

 ネメアは下唇をぎゅっと結び、絶望と憤りに体を震わせた。

「あなたは……何で、何でそこまで私にこだわるんですか。こんな何の能力も無い小娘に」

 どこぞの王族の娘。マヌリスが敵対する誰かの親族。実は彼女の血を分けた娘。様々な背景を考えてはみたが、どれもしっくりとはこない。一体何故マヌリスがここまで自分を傍に置こうとするのか、ネメアには本当にわからなかったのだ。

 マヌリスは、表情を変えぬままどこか遠くを見つめるように言った。

「あたしの目的はいつだってひとつだけさ。この世界の真実を知りたい。それだけのために二百年以上もの長い間、生きてきたんだ。あんたはやっと見つけたそのための鍵なんだよ」

 ――鍵? 

 何かの比喩だろうか。それとも隠語? 

 ネメアの頭は混乱を極めたが、いくら考えたところで答えが浮かぶわけなど無かった。ただただ、混乱することしか出来ない。

「なに。心配しなくてもいいさ。しばらくの間は今までと同じようにあたしの世話をしてくれるだけでいい。なんなら呪術だって教えてあげよう。……余計な真似さえしなければね」

 意味深な目でネメアを舐め回すように見下ろすマヌリス。もはやネメアには彼女の顔が醜悪な禍獣のようにしか見えなくなっていた。

 蹄の音が響き、街道を旅の一団が通り過ぎていく。それを見て、マヌリスはぱっと表情を明るくして見せた。

「さあ。もう行くよ。こんなところでじっとしてたら虫のいい餌さね。王都で柔らかいベッドにでも飛び込もうじゃないか」

 老馬の手綱を引き、歌うように言うマヌリス。

 ネメアは今すぐに逃げ出したい気持ちにかられたが、どうしてか、いくら動かそうとしても、足はまったく言うことを聞いてはくれなかった。

 



 今は昼なのだろうか。それとも夕方なのだろうか。

 窓から見える空は相も変わらず真っ黒で、代わり映えがしない。

 両手を頭の後ろに組み壁に寄りかかっていると、腹の音が大きく鳴った。大して動いていないにも関わらず、体内時間だけは不思議と正確だ。きっと昼になったのだろうとイザークは思った。

 聖騎士たちが飯を運んでくるのは、朝と夕刻の二回のみ。しばらくはこの空腹に耐えるしかない。

 あくびをしながら狭い小屋の奥を眺めると、金髪の男――アベルは何やら興味深そうに壁に刻まれたひび割れを眺めていた。

「どうしたんだい。木片なんか食っても腹の足しにはならないぞ」

 そもそも不死身のアベルは空腹になるのだろうか。イザークが冗談ぽくそう言うと、アベルは相変わらず冷静そのものと言った調子で返答してきた。

「このひび、妙だ。何かが激しくぶつかったにしてはへこみが無いし、経年劣化にしては板が綺麗すぎる。まるで勝手にひびが広がっていったような、そんな風に見える」

 こんなすたびれた倉庫の壁のひびが何故そんなに気になるのだろうか。イザークはアベルの返答に全く興味を持てなかった。

「そうかい。あんたなら立派な壁博士になれるな。世界中の壁を眺めて分析するんだ。きっと金持ちになれるぜ」

 長い拘束期間による苛立ちのせいで、皮肉交じりにそう声を上げる。しかしアベルは気にもしないというようにひび割れた壁を眺め続けていた。

 ――……何だよ。くそっ……。

 いっそ憤って喧嘩を買ってくれたほうがまだ楽だった。これでは壁に話しているのと何も変わらない。向けた怒りの矛先が定まらず、真っすぐに自分に返ってきた気分だ。

 アベルに付いてこの村へ来たのは自分の意思だ。聖騎士に囚われたことは彼だけの責任ではない。

 しかしこの異様な空と寒気のする村に拘束され続けたことで、イザークの精神は疲労しきってしまっていた。ついつい理由もなくアベルに当たり文句を言ってしまう。

 ――はぁ。せっかくの特ダネだったてのになぁ……。

 あれからいくらかの時間が経った。既にこの村の情報は自分たちを聖騎士に告げ口した退魔師から広まり、話題になっていることだろう。苦労してここまで来たことが無駄になってしまった。その思いがまたイザークを苛立たせる。

 こつこつと足音が響く。誰かが見張りの聖騎士と話している声が聞こえた。顔を上げると同時に扉の隙間から見知った顔が目に入る。

「メイソン・ラグナー……」

 イザークは自分たちをここへ拘束している三神教大司祭の名前を口に出した。

「お二人にお伝えしたいことがあります」

 捕えた人間が相手だと言うにも関わらず、丁寧な口調で呼びかけるメイソン。彼はアベルとイザークの顔を見比べ、落ち着いた声で話し始めた。

「三神教の主神殿からグレムリアの支部に伝書鳩が届きました。私に帰還命令が出ています。これに伴い、聖騎士たちの半数以上は私と同行し、この地を離れます。以後ここの監視調査は、交代要員が到着するまでは残留する数名の聖騎士で行うこととなるでしょう」

 メイソン・ラグナーは三神教を管理するの五人の大司教の一人。新たな異常が何も発生していない場所にいつまでも留まっているわけにはいかない。恐らく長く滞在し過ぎた結果だろうと、イザークは思った。

「俺たちはどうなるんだい?」

 数人の聖騎士が残るとは言え、この村はそれなりに広い。監視が付かない時間帯もかなり増えるはずだ。今は多くの聖騎士が駐在しているから下手な真似は出来ないが、見張りが少なくなれば逃げだせる機会だって多くなる。これだけぼろぼろの小屋なのだ。強引に破壊しようと思えば不可能ではないだろう。

「ルドぺギアへ連れていくべきだという案も出ましたが、私が反対しました。拘束してから今までの間、あなたたちは実に協力的に尋問に応じてくれました。疑いが晴れたわけではありませんので、しばらくは近くのグレムリア軍へ引き渡し尋問を継続することとなりますが、イザークさんはアザレアに国籍があるとのことでしたので、証拠が確認でき次第、解放されると思います」

 ――……ようやく……ようやくか。

 メイソンの言葉にイザークは気分が明るくなった。これまでのことを考え、盛大なため息をつく。

 特ダネの権利は失ってしまったが、体が自由になれるだけでもまだマシだろう。それに見方を変えれば、他の調聞師たちが見れなかった村の内部の情報を確認できたとも言える。拘束されていたことを逆に話題とすれば、人を集めるのにはことかかない。少しくらいは儲けを取り戻せるはずだ。

「よかった。……安心したよ」

 イザークは親しみを込めてメイソンに返答した。

「近くの牢に移送すると言ったな。一つお願いをしてもいいか」

 黙って話を聞いていたアベルがそこで口を開いた。また何か余計な真似をするのかと、思わずイザークは警戒する。

「なんでしょうか」

「この村の空が見える場所にして欲しい。最初に言ったが、俺はここで起きていることに興味があるんだ」

「……部下に言っておきましょう。おそらく近隣の村からなら、ここの空はどこからでも見えるはずです」

「感謝する」

 まるでメイソンの回答が当然だとでも言うように、アベルはあっさりした礼を述べた。一体何を食えばこういう風に育つのか、イザークは心底不思議に思った。

「それでは、――私はこれにて失礼します。お二人に三神様のご加護を」

 両手の掌を合わせ三角の形を作り、軽く頭を下げるメイソン。立ち去ろとする彼に向かって、アベルが再度言葉を投げかけた。

「行く前に、教えてもらえないか。この村の封印について。中に一体何が居るんだ? それとももう居ないのか?」

「……封印師団の守秘義務にて、教えることは出来ません。事態が収束しましたならば、いずれグレムリアの三神協会より正式な発表が行われることでしょう」

 穏やかに、しかし硬い口調でメイソンは答えた。大司祭がわざわざでばってくるような案件なのだ。こんな得体の知れない男に事実を説明するわけがない。アベルも大して落ち込んだ様子は見せず、それ以上食い下がりはしなかった。

「私からも一ついいですか」

 こちらを見据えたまま、メイソンが聞く。アベルは「何だ?」とうながした。

「あなた、白花の国ルドぺギアに親族が居たりはしませんか。遠い遠戚でも構いません」

「……いや、いない」

 表情を変えることなく、返答するアベル。初めて顔を合わせた時と同じだ。イザークはなぜメイソンがこれほどまでにアベルに興味を持つのか、不思議に思った。

 メイソンはしばし沈黙した後、

「そうですか。すみません。あなたに似た風貌の人物を知っていたもので。あまり気にしないで下さい」

 それだけ言って頭を下げると、今度こそその場を後にする。

 やはりこの男には何かあるのだろうか。

 イザークは念入りにアベルを観察しいてみたが、どこからどう見ても、ただの挙動の怪しい男にしか見えなかった。


 

 守護騎士団からグレムリアの兵士に引き渡されたイザークたちは、近場の砦へと連行されることとなった。

 メイソンや聖騎士の前では丁寧な口調で答えていた兵士たちだったが、聖騎士から離れた途端、横柄な態度へと対応を変貌させた。イザークはまるで奴隷のように腕に紐を繋がれ、馬に乗った彼らの後ろを引っ張られた。

 荒野の端、岩場地帯前の丘に建てられた小さな砦に着くと、兵士たちは乱暴に二人の背中を押し、牢へと押し込んだ。

「ここが今日からお前らのお家だ」

 そこは大量の砂が窓から入り込んだ、まったく手入れの行き届いていない古びた牢だった。岩を乱雑にくり抜いたようなふたの無い窓枠があり、そこから風やら砂やらが自由気ままに侵入している。床は砂や得体のしれない染みで汚れ、ところどころから何とも言えない独特な異臭がしていた。

 随分とまあ悪辣な環境だ。こんなところにずっといれば、精神や肉体が狂ってしまってもおかしくはない。

 何だか怖くなってきたイザークは、その場を離れようとした兵士に向かって呼びかけた。

「なあ、ちゃんとアザレアへ照会をかけてくれてるんだよなぁ。俺は王都ノアブレイズの市民なんだ。向こうの確認が取れれば、開放されるって聞いてたぜ」

 兵士はこちらを振り返ると、馬鹿にするように口角を上げた。

「確かに聖騎士様からはその話は聞いている。――が、返答にはあまり期待しない方がいいな」

「はぁ? 何を言ってるんだよ。どういうこったい?」

「ここは灰夜の国グレムリアだぞ。白花の国ルドぺギアの小奇麗な聖騎士様方は囚人のためにも手を回してくれるだろうが、俺たちは違う。たかが一人の囚人のためにそんな面倒な真似をするわけがないだろう。

 聖騎士たちにはお前の供述が嘘だったと報告させてもらう。あいつらが例の村から撤退するまでは、この牢獄の中で過ごすことになると思え」

 兵士のその台詞はイザークを愕然とさせるのに十分すぎるほどの発言だった。

「はあ? おいふざけるなよ。ここから出せ!」

 イザークは叫び牢の格子を掴んだが、兵士はもはや聞く耳を持たず、既に扉の前から立ち去ってしまっていた。部屋に侵入してくる風の音だけが耳に届く。

 グレムリアの腐敗を舐めていた。いくら兵士に退魔師や傭兵出身の者が多いとは言え、まさかここまでずさんな状態になっているとは。あまりにも質が悪すぎる。

 大司教の一団から頼まれた手前解放するわけにはいかないが、かといって素性を綿密に調べるほどの労力は費やしたくはない。解放すればすればで聖騎士の目に留まってしまうかもしれないから、尋問を続けているふりをしてここで飼い殺しにする。これだけ劣悪な環境なのだ。数年もすれば、ほとんどの囚人たちは勝手に体を弱らせ死んでしまうだろう。

 このままでは本当にここで一生を終えることになるかもしれない。イザークは焦りを募らせ、強く扉を蹴りつけた。金属のぶつかる音がむなしく廊下に鳴り響く。

 窓からロファーエル村の黒い空を見上げていたアベルは、その音を聞き、

「――……どうやら長い付き合いになりそうだな」

 と、のんきな感想を漏らした。

 



 土の上を転がり、手から血が滲むまで剣を振るう。ひたすら同じ行動の繰り返し。それを、カウルは毎日毎日繰り返し続けた。

 回避の仕方。剣の振り方。それぞれの動きが形になってくると、ベルギットは次に避けながら剣を振るう動きを強要し始めた。

 剣を振るう行為に移動というひと手間が入り込むだけで、姿勢は崩れ剣筋は歪み、途端にちぐはぐな動きとなってしまう。

 確かに回避や立ち回りが基本中の基本とはよく言ったものだ。ベルギットが最初に回避を学ばせた理由を、カウルはそこで初めて理解することが出来た。

 カウルへの指導をしつつ、ベルギットは定期的に山を下り、王都グレムリアの焔市場で仕事を請け負った。カウルは彼女が山を下りる度に同行し、焔市場で弁舌する調聞師たちの話を聞いて回ったが、偽祈祷師や刻呪に関する新たな情報は、いつまで経っても得られることは無かった。

 ただ生活するだけであれば山には山草や果物。猪や鹿などがいるから食べ物に困ることは無かったのだが、彼女はお金が目的と言うよりも、自分の剣の腕を錆びさせないように、強い禍獣と戦うことそのものが目的というように、難しい依頼を率先的に受けていた。

 普段は歩くのもゆっくりで寒さには体を震わせるベルギットだったが、いざ剣を抜き戦いとなると、鬼神のごとき動きと強さを見せた。

 彼女の戦いを見る度にカウルは自分の実力の無さを痛感し、果たして自分があの段階へ到達できる未来はあり得るのだろうかと不安になった。

 カウルの表情を見たベルギットは、剣を鞘に仕舞いながら、その度にぶっきらぼうな表情で自信に溢れた言葉をかけてくれた。

「そんなに情けない顔を作るな。お前が私の下を離れる頃には、そんじょそこらの退魔師には絶対に遅れをとらない程の剣士にしてやる。

 お前は剣の才能は平凡だが、異様に生存能力が高い。そしてそれは、この悪夢のような世界で生き残るためのもっとも重要な要素だ。剣技がいくら上手かろうが、生き残れなけば意味がない。短い時間で瞬時に危険と最善手を判断して、実行に移す行動力。お前にはそれがある」

 彼女は無駄なおだても嘘も決して言わない。その言葉はカウルを強く奮い立たせた。

 夏が過ぎ冬が来ると、カウルは定期的に蛇鎌の前に放り出されるようになった。蛇鎌の腕の速さは退魔師の達人にも引けをとらず、防ぐ、回避する、見極めるといった全ての動作の参考になるからとのことだった。もはや第二の師匠は蛇鎌と言えるほど、カウルは彼らと追いかけっこを繰り返し、そして戦い続けた。

 死ぬかと思う場面は何度もあったが、カウルは決して傷の呪いは使わなかった。ベルギットに師事を乞いているのはあくまで剣技を学ぶためであり、それを使うことはどことなくズルになると、そんな気がしていたからだ。

 強くなりたかった。

 村のみんなを救うために。

 自分の無力感から逃れるために。

 もしかしたら現実逃避をしていたのかもしれない。

 刻呪や偽祈祷の行方がつかめない間、ひたすら自分を苦しめることで、自分は前に進んでいると、みんなのために行動しているとそう思いたかったのだ。

 何度も雪が降り、そして融けた。

何度も死門が接近し、そして離れていった。

 代り映えの無い、充実した毎日。


 ――世界に異変が起きたのは、それから四年後のことだった。





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