第37話 造影の魔女(4)
おびただしい数の人形が庭園に溢れた。
それらは大地を跳ね、宙を舞い、まるで意思を持つがごとく多彩な動きで襲い掛かってくる。
黒煙騎士団隊長パブロ・ダンメルスは、群がる人形たちを必死の思いで振り落とした。
馬が悲鳴を上げ体を前後に揺らす。振り返ると尻に大きな切り傷が出来ていた。人形の中に刃物を持った個体がいたらしい。
大型の禍獣と戦う先、馬は機動力の確保という点で非常に有用だが、狭い場所で複数の敵を相手取るときはその特性を活かすことが出来ない。このままではなぶり殺しにされると考えたパブロは、迷うことなく馬から飛び降りた。
地面に膝をつくと同時に追ってきた人形たちが押し寄せる。槍を横薙ぎに振り回すと、人形たちは激しく吹き飛んでいった。
呼吸を整えながらパブロは周囲に目を馳せた。
家の前で尻もちをつき、影で形作られた狼に守られる少女。槍を振り回し人形たちを迎撃する部下たち。そしていつの間にか遠くへ移動し、気だるそうに柵に寄りかかるマヌリス。
余裕に溢れた微笑み。それを見てパブロはこの人形呪術の主が誰なのかを瞬時に悟った。
「惑わされるな。数は多いが殺傷力は低い。刃物を持った個体にだけ気を付けろ。薙ぎ払ってマヌリスを仕留めるぞ」
不意打ちに動揺していた部下たちだったが、パブロのその一声で冷静さを取り戻したようだ。すぐにお互いの背を守る様に陣形を整え、攻勢の構えを取った。
刃物や木の破片を手に持った人形たちが、口をパクパク笑わせながら前方から迫ってくる。
仲間の隊列に入り込む暇はない。パブロは左手を槍の側面に添え、素早く呪言を口ずさんだ。
薄暗い煙が吹き上がり円錐状の槍に纏わりつく。それは黒陽の国アザレアの騎士が黒煙騎士と呼ばれる所以。彼らの基本戦技であり、象徴ともいえる呪術だった。
パブロが槍を一薙ぎすると、飛び掛かってきた人形たちは黒煙に囲まれながら吹き飛んだ。地面に落ちた人形たちはすぐに立ち上がろうとしたものの、燃え盛る黒煙によって四肢を焼かれ次々に倒れていく。
数多の呪術師を取り締まるために開発されたこの黒煙は、呪術師の発動した呪術に混ざり込み術式を狂わせることで、呪術そのものを崩壊させるという代物だ。対象の呪術が存在する限りその呪術を苗床にして広がり続けるそれは、アザレア国内では呪術殺しの呪術として恐れられているものだった。
パブロの詠唱に合わせ、部下たちも次々に黒煙を放ち人形を斬り払っていく。瞬く間に彼らの足元には焼けただれた人形の山が積み上がった。
「ヘーゲル!」
マヌリスとの間を塞いでいた人形たちの輪が乱れる。その隙を狙ってパブロは叫んだ。
名を呼ばれた黒煙騎士ヘーゲルは、素早く口元に指を当て呪言の詠唱を始める。次第に彼の周囲に三つの青黒い球体が浮き上がり、ゆらゆらと漂い始めた。
戦闘において離れた相手を攻撃する手段は大きく分けて二種類ある。弓と呪術だ。弓は速さと威力において高い性能を誇り、技術さえ身に着ければ誰でも使用することの出来る素晴らしい武器である。対して呪術は学ぶには特定の才能が必要となり、発動には呪言を構築する時間がかかるなど、その実用にはいくつもの条件があるが、それでも戦闘で多用されるには大きな理由があった。
弓によって放たれた矢は防ぐことも避けることも出来る。だが呪術は、一度でも発動されれば呪術か祈祷術でしか防ぐことは叶わず、またそれを解除することも容易ではない。
直接的な破壊力は弓の方が上。だがその効果の厄介さという点においては圧倒的に呪術の方が勝るのだ。ゆえに呪術師は数多の戦場で恐れられ、また重宝されてもいた。
ヘーゲルの周囲を旋回していた青黒い炎の球体が一斉にマヌリス目掛けて放たれる。呪術で構築された怨炎。狙った対象以外を燃やすことはないが、水をかけても風を当てても相手を焼き尽くすまで決して消えない呪いの火。アザレア式呪術としてもっとも多用されるものの一つだった。
急接近する怨炎を目にしたマヌリスは、指を一本動かし呪言をさえずった。するとすぐに彼女の近くにいた人形が飛び上がり、布製の口を真ん丸と開ける。
激しく燃えていた青黒い球体たちは次々に人形の口に吸いこまれ、そして闇の中へ消え去ってしまった。
――当然、備えはあるか。
アザレアの呪術師であれば呪術師同士の争いなど日常茶飯事のはずだ。パブロは彼女の対応を気にもしなかった。
「撃ち続けろ!」
呪術を防ぐには祈祷術か呪術を行使するしかない。ヘーゲルが怨炎を打ち続けている限り、マヌリスはその都度呪術でそれを防ぐ必要がある。そして人形術の制御と防御に徹している限り、新たな呪術でこちらを攻撃する暇は作れない。
飛び掛かってきた人形を黒煙で薙ぎ払う。パブロはヘーゲルの怨炎と並行するように、マヌリスに向かって大股に距離を詰めていった。
この人形術は確かに面倒ではあるが、所詮それだけだ。マヌリスが攻撃呪術を使えない限り、気を付けてさえいれば対処は出来る。
意図を察したのだろう。二人の部下がパブロと同様にマヌリスの弟子らしき少女に向かって突き進み始めた。
影狼が唸り声をあげ先頭の部下に飛び掛かる。部下は体をひねりながらそれを受け流し、同時に後方の部下が黒煙を纏わせた槍を突き出した。切っ先が影狼の足を突き抜ける。呪術で構築されていた影狼の足は、黒煙によって焼かれ霧散するように弾け飛んだ。迫る部下たちを見て少女が表情を青くする。
これで少女もマヌリスの援護に回る余裕を失った。
マヌリスの目の前まで迫ったパブロは、槍を大きく後ろに引き彼女の心臓へ狙いを定めた。
一歩足を踏み出し倒れた人形を踏みしめる。パブロは確実にマヌリスを殺すつもりだったが、切っ先を突き付けられてなおも平然としている彼女の姿を見て、違和感を抱いた。
いくら自分の実力に自信があろうと、武器を突き付けられて平然としていられるわけがない。呪術師が余裕の表情を浮かべているのは、大抵何か策がある時だけだ。
腕に力を込めながら短い時間で頭を回転させる。人形の半数は斬り捨て、影狼と少女も部下が相手をしている。この状況でマヌリスに攻撃の手があるはずなど……――。
はっと足元に目を走らせた。
黒く染まった人形。そう言えば、彼女はなぜこれを攻撃に使用したのだ。何か月もかけて村々へ配り、その憎悪を収集していたはずなのに、こんな捨て駒として使い捨ててしまってはその苦労が水の泡だ。
彼女は人形を使ってヘーゲルの怨炎をかき消した。つまり人形呪術を使用しながらも他の呪術を発動できるということ。
迷いが体の動きを止めると同時に、足元に倒れていた人形の一体が眼玉をぎょろりと動かした。パブロは咄嗟に身を回転させ、そこから飛びのく。
青黒い風の刃が真横を通り過ぎたのは、それとどほぼ同時だった。
「くそっ……!」
黒煙でかき消せるのは発動した呪術のみ。術式そのものを消し去ることは出来ない。もしこの人形全てが村人たちの怨念を吸い込んでいるのだとしたら、自分たちは複数の呪術の発射台に囲まれているのと同じだ。
同時に攻撃されれば打つ手がない。パウロは焦りをつのらせたが、どういうわけか、マヌリスはそれ以上の追撃をしてこなかった。
後ろに下がり人形たちから遠ざかる。
こちらの異変に気を取られた部下の一人が、足を失った影狼によって突き飛ばされるのが見えた。
マヌリスが呪言を呟くと、その影狼の足がゆらゆらと再生していく。どうやらあちらの呪術もマヌリスによるものだったらしい。
「パブロ隊長」
ヘーゲルが心配そうにこちらに呼びかける。パブロは片手を上げ彼を制した。
「足元の人形に気を付けろ。人形は基盤呪術だ。この呪術師はそこから呪術を展開できる」
こいつは予想よりもはるかに厄介な呪術師だ。片田舎のはぐれ研究者と油断していた。
パブロは背中ら盾を外し、左手に持った。
あの人形全てが呪術の出口となるのであれば、先ほどのような無防備な速攻は危険だ。盾を使って確実に呪術を防ぎ、槍を刺し通すしかない。先ほどの影狼。恐らくあの弟子らしき少女に大した戦力はない。であれば、対処に当たるのは一人でいい。残り四人で一気に攻めて力技で仕留める。それが最善手。
目で合図を送り部下二人を横に並ばせる。深く息を吸い込み、いざ突撃を始めようとそう思った時だった。
歌が聞こえた。
共通語では無い。呪術師が呪術を構築する際に使用する呪言だ。それが歌のように滑らかにマヌリスの口から放たれている。
倒れ血の上に伏した人形たちから灰色の靄(もや)がいっせいに吹き出し始め、空に向かって立ち上っていく。
何だかわからない。だがとても嫌な予感がした。
呪術は詠唱が長ければ長いほど複雑な術式となり危険な場合が多い。パブロはすぐに詠唱を止めさせようと前に進んだが、一歩遅かった。
マヌリスの歌に合わせるように、灰色の靄はそれぞれ形を作り始めた。
人型。動物型。何とも表現していいかわからない形など、様々な影がそれぞれの人形から浮かび上がり輪郭を形成していく。
「馬鹿な。呪いそのものを具象化だと……?」
先ほどの影狼のように、初めからそういった術式として構築していたのならまだわかる。だがあの人形たちは近隣の村々から回収した代物だ。全く用途の異なる呪術を強制的に具象化するなんて、そんな真似、どんな呪術師でも出来るはずがない。
次々にそそり立ち、数を増やしていく呪いの影たち。
それを見て、パブロの脳裏にとある知識が思い浮かんだ。
――まさか……――。
思わずマヌリスを注視する。
呪いの具象化。それが得意な人物を、パブロはたった一人だけ知っていた。
にわかには信じられなかった。だがこんな技術を持つ者は彼女以外にそう何人もいるはずがない。
奥歯を噛みしめる。パブロは怒りと恐怖の混濁した声で、その大罪人の通り名を呟いた。
「――造影の魔女か……!」
呪術の神髄へ近づく手法の一つに、呪いそのものを自らの肉体へ受肉させるという方法がある。
通常、呪術師は呪術を発動する際、呪言や術式を組み立てることで呪いの流れを作り呪術を構築するが、呪いを肉体へ同化させた者は、禍獣のように自身の体の機能として、特定の呪いを扱うことが可能になるのだ。
呪いそのものを身に孕むというその行為から、彼女、彼らは性別を問わず“魔女”と呼ばれ、忌むべき存在として恐れられた。
呪術を発動するための時間を大幅に省略することの出来る魔女は、通常の呪術師よりも強力な力を得やすく、肉体そのものが呪いであるため、魔法への道を探求する上でも飛躍的な優位性を持つ。魔女になることは呪術師が魔法へ到達するための最短の道であり、もっとも可能性の高い手段だ。しかしそれだけの優位性があろうと、多くの呪術師が決して魔女を目指そうとしないのには大きな理由があった。
三神教の聖騎士たちは魔女を禁忌と定めている。それはかつてアザレアの王都であったオルベルクが魔女に滅ぼされたことも関係してはいるが、それ以上に魔女がとても不安定で危険なものだからだ。
呪いをその身に取り込むという行為はつまり、常に呪いを感じ続けその精神と肉体を蝕まれるとういうことでもある。ゆえに魔女を目指した者の多くは気が狂うか禍獣へと堕ち、そうなってしまった者は聖騎士の手によって討伐されるのが常だった。
呪術大国アザレアにおいても魔女が禁忌であることは変わらない。だが呪術を学ぶ国という特性上、魔女と呼ばれる者が発生することは歴史上幾度となくあった。中でも近年もっとも世間を騒がせたのが、造影の魔女と呼ばれる人物だ。
その魔女は過去に二度アザレアの王城を襲撃し、甚大な被害をもたらした。
一度目は十年ほど前。そして二度目は五年前のことだ。
何が目的化は定かではない。突如王城へと現れた彼女は、場内の黒煙騎士、宮廷呪術師の多くを殺害し、王族のみが立ち入りを許される禁書庫まで迫った。しかし禁書庫にかけられた結界を解除するまでには至らず、最終的にはその二度とも稀代の呪術師であるアザレア女王自らの手によって返り討ちに遭った。
アザレア王家は造影の魔女を第一級賞金首に指名し、以来、黒煙騎士は常に彼女の姿を探し求め、屈辱を晴らす機会を探していた。
王都ではなく東部地区の守護騎士であるパブロは、直接造影の魔女を目にしたことは無い。しかし彼女がいかに危険でどれだけの同胞を手に掛けたかはよく聞き及んでいた。
これはもはや村々に害をなすちんけな呪術師の駆除ではない。黒陽の国アザレアの威信にかかわる戦いだった。
迫りくる影獣たちに向かって黒煙を纏わせた槍を放ち、パブロは腹の底からの雄たけびを上げた。
何体もの影獣の海を五人の黒煙騎士が割っていく。
飛び交う呪術。
吹き荒れる黒煙。
流れ落ちる血。
地面に腰を落としたまま、ネメアは茫然とその光景を見つめた。
目の前の光景の凄まじさに、身動き一つすることが出来ない。必死の形相で戦う黒煙騎士たちの姿は、どこか美しさすらあった。
マヌリスは歌を歌い続けながら、まるで楽曲を指揮するように左右の腕を振るった。彼女の腕の動きに合わせ、影獣たちが動きを変え呪術を変え庭園の中で暴れ狂う。
黒煙騎士は大陸の中でも屈指の実力者ぞろいだ。しかし今回だけは、多勢に無勢が過ぎた。
一人。また一人と致命傷を負い、大地の上に倒れていく黒煙騎士。
仲間が一人減るごとに彼らへ圧し掛かる重圧は増し、攻撃は苛烈を極めていく。けれど彼らは決して諦めず槍を振り続けた。
血まみれになりながら、影獣たちの間に立つ黒煙騎士の隊長。もはや最後の一人となった彼の姿を遠目に眺め、マヌリスは歌うのを止めた。
「お前たちの敗因は三つある」
ごく普通に知り合いと会話するように、悠々自適に口を開く。
数多の影獣に囲まれた黒煙騎士の隊長は、おっくそうにマヌリスを見返した。
「一つ目は呪術師の数さ。呪術師となるには特定の才能が必要となる。お前たち黒煙騎士は確かに呪術を扱えるが、全員が呪術師というわけじゃ無い。大多数は呪具の扱いを学んだ普通の人間だろう。おそらく本当の呪術師は、あのヘーゲルと呼ばれていた男だけだね。あの男一人であたしの呪術を捌くには、荷が重すぎた。
二つ目はこちらに大量の武器があることを見抜けなかったこと。あたしたちが二人だから、数で優っていたからと、油断してしまった。呪術師の争いは見かけではわからないというのにね。
そして三つ目は、あたしが影獣呪術を発動した時に逃げなかったことさ。形勢が不利だと判断した直後に逃げていれば、生き延びる道はあった。増援を呼びさらなる対処を行うこともできたはずだ」
黒煙騎士の隊長は忌々しそうに言葉を吐き捨てた。
「ご高説はいい。……さっさと終わらせたらどうだ」
もう立っているのもやっとなのだろう。剣を持つ手が小刻みに震えている。言葉を折られたマヌリスは、しかし気にせずそれに応じた。
「そうさね。新しい人形の実験相手としてはまずまずの出来だった。お礼に楽に殺してあげよう」
「忌々しい魔女め。いつか必ず我々の仲間がお前の首を手に入れるぞ。アザレア女王は決してお前を許さ――」
その瞬間、影獣の一体が腕を振るい黒煙騎士隊長の首が飛んだ。直後に真っ赤な血が噴き出し、宙に立ち上る。
その凄惨な光景に、ネメアは思わず目をつむりたくなった。
頬に付いた返り血をぬぐいながら、こちらを振り返るマヌリス。
どちらが勝つかはわからなかった。けれどここまで一方的な結果は想定外だ。
自分の行いに気が付いているのだろうか。ネメアは恐怖心を押し殺しマヌリスを見返した。
足が重く立ち上がれない。
今にも殺されてしまうのではないかと、頭が恐怖で支配される。
しかしマヌリスは、
「何をぼうっとしているんだい? さっさと旅の支度を再開するよ」
何事も無かったように、ごく平然とそう言うだけだった。
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