第31話 孤老の女剣士(3)

「ほら。今日の報酬」

 もじゃもじゃ頭の若い仲介屋が机の上に複数枚の硬貨を乗せる。金属が木の机に弾む音が小気味よくその場に響いた。

「これだけ? 依頼票に書かれてた額はもっと多かったけど」

 若い仲介屋を見上げ、カウルは不機嫌そうに返した。

「依頼票をよく読んだ? 確かに提示額はこれより多いけどさぁ。成果に応じて額は増減するって書いているじゃない。今回の仕事は荒野で行方不明になった退魔師の生死確認と遺品の回収。あんたが見つけてこれた遺体は二人だけだったろ。退魔師は全部で六人は居たんだ。分相応な報酬だよ」

「……本当に六人も居たの?」

 指定された場所は隅々まで探したが、いくら頑張っても見つけられた遺体は二人だけだった。カウルは仲介屋が自分を騙し、報酬を減額させているような気がしてならなかった。

「居たって言ってるだろ。何なら依頼主に会って聞いてみるか? あんまりだだこねるなら報酬を取り下げるぞ」

 依頼主は死んだ退魔師たちと親しい騎士だと聞いている。もし依頼内容が嘘だとしても、真っ向から歯向かって良いことは一つもない。王都グレイラグーンで貴族に目を付けられるのは、ほとんど死と同義なのだ。

「……わかったよ」

 いくつかの仲介屋を使って学んだことだが、こういう手合いは下手に文句を言うより、二度と関わらないようにすることの方が得だった。

 カウルは机の上から硬貨をかっさらうと、それを忌々し気に硬貨袋へとしまった。

 仲介屋は話を切り仕事に戻ろうとしたのだが、カウルは立ち去らずに彼に話しかけた。

「なあ、ザナジール鋼の剣を使う老人って知ってる?」

 いつもと違う仲介屋で依頼を受けたのは、お金を得ることが目的ではない。

このあたりの仲介屋を凄腕の老剣士がよく利用していると聞いたからだ。ジョセフから話を聞いてから三日。カウルは生活費を稼ぐ片手間に、こうして彼女の情報を聞き込んでいた。

「ザナジール鋼の剣士? 騎士ってこと?」

「いや退魔師だよ。年老いた女性の」

 カウルはジョセフから聞いた話をそのまま若い仲介屋に伝えた。

「……年老いた女の退魔師っていやあ、ベルギットのことかなぁ。確かにみょうちくりんな黒い剣を腰に差してたけど」

 ベルギット。その名前は他の仲介屋からも聞いた覚えがある。カウルは目的の人物の情報だと確信した。

「その人を探しているんだけど、どこに行けば会えるか知ってる?」

「さぁね。ほとんど街に寄り付かない女だからなぁ。北東にある山に住んでいるって噂は聞いたことがあるけど」

「山って、王都の外ってこと?」

「ああ。北門付近にいくと、近くに小さな山岳が見えるだろ。あそこだよ。祝福地でもないのによく住む気になるよな。かなりの人嫌いって話だけど、俺にはまったく理解できないよ」

 やはり相当な変わり者のようだ。禍獣が徘徊する街の外に住むなんて、まともな人間のやることではない。逆に、そんな生活を続けていても生きられるくらいの力は持っていると言えなくもないが。

 カウルが興味深そうに聞いていると、若い仲介屋が言葉を続けた。

「何でベルギットを探してるんだ? お前もあの老人の金目当てなのか?」

「金目当て? お前もって、どういうこと?」

「お前と同じように彼女の居場所を聞き込んでいる連中がいたんだ。ベルギットは高額の依頼ばかり受けてたからさ。それが街の外で一人住んでいるとなると、ため込んだ金を狙うやつらも出てくるんだよ」

 たった一人山奥に住む人間。それも年老いた女性。野盗まがいの退魔師が狙うには確かにうってつけの相手だった。

「でもベルギットって人はかなり凄腕って聞いたけど」

「連中はそれを信じていないんだろう。老人がたった一人で禍獣を倒せるわけがない。きっと何かずるをしているんだって、そう考えてるのさ。まあ、確かにいつも一人で行動している女だからね。疑いたくなる気持ちはわからなくもないけど」

 若い仲介屋はしたり顔でこちらを見下ろした。下卑た感情がそこに籠って見える。

「……俺は金目当てじゃない。一緒にするなよ」

「はいはい。そういうことにしておくよ」

 若い仲介屋はカウルの話などまったく信じてはいないというように、ひらひらと手を振った。

 まったく嫌になる。この街はどこへ行ってもこんなやからばかりだ。みんな自分の利益と金のことしか考えてはいない。探り合いと打算。常にそれが付きまとい、渦巻いている。

 カウルは荷袋を背負い直し、若い仲介屋に背を向けた。

「もう行くよ。……じゃあ」

 時間はまだ昼前。北の山中なら、今出れば夕方にはベルギットを見つけられるかもしれない。

「また宜しく。死なずに依頼達成できる人間なら、いつでも大歓迎だ」

 若い仲介屋が後ろで何か言っていたが、カウルは二度とこの店には寄り付かないと、そう誓った。



 食料を買い込み北門を出ると、灰色の木々が目に入った。

 王都グレイラグーンの南部は荒れ果てた荒野だったが、こちら側は一変して植物に溢れている。北門が緑の国マグノリアと黒陽の国アザレアとの交易口となっているからだろう。気のせいか、見回りの兵士が南部よりも多く見られた。

 ある程度進んだところで、カウルは街道を外れ右側の山道に入った。視界が一気に暗くなり、足元の凹凸が増す。仲介屋たちの話が真実なら、この山の上にベルギットという名の老退魔師が居るはずだった。

 葉が日光を遮ってくれているおかげでいつもより暑さは感じなかったが、その代わりどこを歩いていても常に何かの気配が溢れていた。鳥や小動物。虫や植物。荒野の中と比べ森の中は実にうるさかった。木々のせいで視界が遮られ、いつどこで禍獣と遭遇するかもわからない。その緊張感がより一層体力を消耗させる。

 普段あまり人が立ち入ることがないためか、それとも侵入した経路が悪かったのか、山道は予想よりもずっと険しい場所が多かった。

 一歩足を踏み外せば真っ逆さまに転げ落ちてしまう崖沿いや、四つん這いにならないと登れないような傾斜のある土。移動するだけで荒野と違った危険がいくつもあった。

 悪戦苦闘しながら進むこと数刻。どこからか川のせせらぎのような音が聞こえた。

 手持ちの水はまだあったが、補充できるのならそれに越したことはない。耳を頼りに進んでいくと、小さなな川が流れているのを発見した。

 周囲に獣や禍獣の姿はない。カウルはゆっくりとそこへ近づき、荷物を下ろした。

 顔や汚れた手を洗い、持って来ていた食料を口に摘まむ。水袋の中身を大量に飲み込んでから、それを川の水で補充した。

 どれくらい進めたのだろうか。かなり歩いてきたつもりだが、まだ山頂は見えない。それほど大した大きさの山ではないはずなのに、こうしていざ登って見ると、予想外に時間がかかっているようだった。

 太陽はまだ高い位置に出ている。カウルがしばらくその場で休憩していると、枯れ木を踏みしめる音が背後で響いた。禍獣だろうか? 慌てて岩場の影から顔を覗かせる。すると一匹の鹿が川を挟んだ向かい側に現れていた。カウルと同じように喉を潤しに来たのだろう。長い首を下ろし、水面に口を近づけている。

 どうやら危険はなさそうだ。カウルは一瞬食料確保のために鹿を仕留めようかとも思ったのだが、幸せそうに水を飲んでいる鹿を見て、それを諦めた。ここは街からそう離れた場所ではない。食料は戻ればいくらでも買うことができる。殺さずに済むのであれば、なるべく不用意な殺生はしたくなかった。

 立ち上がり荷袋を背負い直す。そのまま歩き出そうとしたところで、短く鋭い鳴き声が横から響いた。先ほどまで鹿が居た方向だ。カウルは反射的にそちらに顔を向けた。

 まず目に入ったのは、長い二本の腕だった。蟷螂のように棘の生えた巨大な鎌が鹿の頭と首に突き刺さっている。

 一体いつの間に近づいたのだろう。

 そいつは二重構造の口を上下に開閉させ、網目の状の目で鹿を見下ろすと、嬉々として牙を突き立てた。血しぶきが上がり大量の血が川へと流れ込んでいく。それの口の動きに合わせるように長い蛇のような下半身が左右に揺れた。

 骸拾いの遺骸で目にしたことがある。それは、蛇鎌(じゃがま)と呼ばれる禍獣だった。

 カウルは咄嗟に岩場の影に隠れた。突然の恐怖で心臓が跳ね上がり、息が止まる。

 蛇鎌は鹿が死んだのを悟ったのか、血にまみれた口をその首から離し、ぽいっと遺骸を川へ捨てた。獲物を失った二本の長い鎌腕が寂しそうに何度か開閉する。

 カウルは村の祈祷師から聞いた話を思い出した。あの屈折した蛇鎌の腕は切断よりも獲物の捕縛に重心を置いた武器だ。その速度は剣の達人にも引けを取らず、一度でも挟まれてしまえば二度と逃げ出せず生きたままむさぼり食われてしまうらしい。

 総合的な筋力と頑強さは赤剥の方が上だろうが、正面から相対した時の攻撃の速度は圧倒的に蛇鎌の方が上だ。見つかれば、今のカウルではまず勝ち目がない。

 必死に息を殺し岩に体を寄せ付ける。禍獣と遭遇するのは初めてではないが、何度経験してもこの恐怖を消し去ることはできなかった。

 他に動くものが見つからなかったのだろう。蛇鎌はゆらゆらと体を左右に揺らしながら森の中へと入っていく。

 じっと見ていると、次第にその体皮は色がぼやけ灰色に染まり、立ち並ぶ木々と区別がつかなくなった。皮膚を外の色に合わせる擬態能力。蛇鎌の最大の特性だ。道を歩いていて突然横から体を挟まれたかと思ったら、頭に噛り付かれ殺される。それがもっとも多い犠牲者の死に様。ゆえに蛇鎌は森の暗殺者と、そう呼ばれもしていた。

 姿は完全に見えなくなったものの、本当にその場にいないのかは判断がつかなかった。カウルは動くことができず、視線だけで周囲を観察した。

 じばらくじっとしていると、二羽の鳥が川辺に留まった。もし蛇鎌が居れば、生物である鳥を生かしておくはずがない。カウルは深々と息を吐き、岩の後ろから這い出た。

 灰夜の国グレムリアにおいて、荒野で最も数の多い禍獣は赤剥だが、山でその地位を獲得しているのは蛇鎌だ。あれの姿が見えたということは祝福地である王都の恩恵はすでに届かなくなったということ。ここからは、常に蛇鎌の危険を意識しながら進む必要があった。


 人間が生きていく上で水は必要不可欠だ。ベルギットが人間なら必ず川に近い場所に住んでいるはず。そう考え川沿いに山を上っていると、妙に形の尖った岩が目に入った。

 身を低くし観察する。色が同調しているせいでわかりずらいが、よくみると長い二本の腕と尾のような形状が伺える。蛇鎌の擬態だ。カウルは仕方がなく道を迂回し、少し離れた位置で川沿いへ戻った。

 蛇鎌は動くものを捉える力は強いが、その分遠くの獲物を感知する視力は弱い。こうして細心の注意を払っていれば、回避することは不可能ではなかった。

 何度か擬態している蛇鎌を発見し、それを迂回しながら進んでいくと、土の上に焚火のような跡を発見した。誰かがよくここを訪れているのか、重なった足跡が森の奥へと続いている。

 ベルギットだろうか。

 カウルは川から離れ、足跡を追うことにした。

 しばらく進むと禍獣の死骸をよく目にするようになった。骨だけになっているもの。まだ腐りかけのもの。状態は様々だったが、どの死骸にも切傷のような跡が見られた。もしこれがたった一人の人間の手で行われたものだとすれば、その人物は常軌を逸した実力の持ち主だろう。

 森を抜け開けた場所に出る。木々が無くなった代わりに、ごつごつとした岩が乱立し、地面も土から砂利へと変わった。

 人が住むにしては随分と寂しい場所だが、道を間違えてしまったのだろうか。そう考えたとき、岩場の中心に光るものが目に入った。

 鈍い漆黒の輝き。一本の長剣が、岩の隙間に突き立てられていた。

 何故か目が釘付けとなった。

 まるで引き寄せられるように、カウルは恐る恐るその剣へと近づいた。

 騎士剣というやつだろうか。細く長いその両刃は黒く染まり、柄の上部には蛇の形状をした鍔が巻き付いている。本来であれば敵の刃から手を保護するためのその鍔は、まるで持ち主の手に噛みつこうとしているかのように牙を内側へと向けていた。

 ただの一本の剣。別に禍獣でも大男でもない。にも関わらず、強烈な威圧感と存在感をそこから受ける。

 カウルは剣から視線を外すことができず、自分でも気が付かないうちにふらふらとその剣に引き寄せられていった。

 握ってみたい。あの剣に触れてみたい。

 そんな感情が勝手に頭の中に溢れる。

 手を伸ばし、剣の柄を握ろうとする。ほとんど無意識の反射的な行動だった。


「――止めときな。その剣には触れない方がいい」

 突然背後から声が響いた。

 ざらざらとした妙に耳に残る声だった。

 カウルが振り返ると、いつの間にかそこに一人の老婆が立っていた。

 後ろで束ねられた白く長い髪に、深く皺の刻まれた重々しい顔。ぼろぼろの紺色の外套をまとったその老婆は、観察するようにカウルを見下ろしていた。





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