第30話 孤老の女剣士(2)
禍獣の影におびえながら半日。カウルはようやく、王都グレイラグーンの門の前に辿りついた。
「おい、どうした? 禍獣に襲われたのか」
徒歩で移動してきたカウルを目にした門番は、この前の兵士と同様の反応を見せた。やはりたった一人で荒野を歩くのは、通常では考えられない真似らしい。
「酷い血じゃないか。すぐに手当てを……」
「俺の血じゃありません」
カウルが門番の腕を掴み返すと、彼は困惑した表情を見せた。
「人が一人、殺されました。退魔師に騙されて」
「騙された? 何の話だ?」
この時間帯であれば、ガナヘルたちはとっくに王都へ戻ってきているはずだ。今ならまだ捕まえることができる。逃げられる前に、全てを終わらせないと。
喉はからからで体も疲れていたが、ロファーエル村から一人で歩いて来た時ほどではない。
カウルは怒りを押し殺しながら、その門番に何が起きたのかを説明した。
ガナヘルたちは、商業区の酒屋で飲んでいるところを発見された。
彼らは店に入ってきたカウルと兵士たちを見て一瞬驚いた表情を見せた。まさか生きて帰ってこれるとは思っていなかったのだろう。隠すことなく煩わしそうな表情を浮かべていた。
「退魔師のガナヘルだな。お前たちに聞きたいことがある」
兵士が威圧的な態度で机に手を乗せた。
「何だよ。今は仕事帰りで疲れているんだ。明日にしてくれないか」
こんな状況にも関わらず、ガナヘルは実にふてぶてしい態度だった。彼の仲間の退魔師たちも、手から杯を離さずこちらを見ている。
「すぐに済む。お前が正直に答えればな」
兵士はガナヘルの向かいに立ち、カウルが訴えた内容を一通り説明した。話を聞き終えたガナヘルは苦笑いのようなものを浮かべ、杯を一口喉へ流し込んだ。
「兵士さんよ。それはちょっと横暴じゃねえか。そいつだけの言葉を信じるのかよ。むしろ、被害を被ったのは俺たちのほうだぜ」
何を言っているんだ?
カウルはガナヘルの台詞が理解できなかった。
「確かに俺たちは二人の若造を雇ったが、そいつら、禍獣を目にした途端勝手に持ち場から逃げ出したんだ。俺たちが用意した馬まで奪ってよ。おかげでこっちは獲物の禍獣は逃がすわ馬は失うわで、さんざんだったんだぜえ」
あくまで白を切るつもりらしい。カウルは憤りを強めた。
「よくもそんなことを。あれは計画的だった。どうしたら離れていたはずの禍獣が三体も都合よく俺たちの前に現れるって言うんだ。それに馬だって、俺たちが逃げられないような老馬を用意していた」
「俺たちはひっそりと禍獣を探そうとしていた。お前らが大声で話をしていたからそっちに引き付けられたんだろう。馬だって、本来の骸拾いになら十分に耐えられたものだった。勝手に逃亡用に使ったのはお前らだ」
全く悪びることなく言葉を返すガナヘル。完全にカウルを馬鹿にした目をしていた。
「少し落ち着け。話が進まない」
兵士はカウルとガナヘルの間に入り二人を制すると、質問を続けた。カウルはすぐにガナヘルが捕まると思っていたのだが、話を聞けば聞くほど、兵士の表情は曇っていった。
質問を終えた兵士は眉間にしわを寄せ、考え込むように手を顎に当てた。どことなく嘘くさい動きだった。
彼の反応を予想していたように、ガナヘルが言葉を流した。
「なあ兵士さん。俺は真実を言っているつもりだが、どちらにしろそれを確認するのはもう不可能だと思うぜ。俺とその小僧の主張を証明するものはお互いの言葉だけ、それだけしかないんだ」
無言でガナヘルをいちべつする兵士。
その台詞を聞いて、カウルは心の中で舌打ちした。
悔しいがガナヘルの言っていることはもっともだった。ハルカスの死がガナヘルたちの策略によるものだという証拠は何一つない。いくらカウルが訴えようと、ガナヘルがそれを否認し続ける限りこの問答は平行線にしかならないのだ。怒りと勢いで兵士に泣きついたものの、冷静に考えればこの結果になることは明白だった。
ガナヘルはおっくそうに立ち上がり、兵士に近づいた。
「あんたたちも忙しい身だろう。こんな押し問答だけの争いに時間は取られたくねえはずだ」
少しだけ声を落とすガナヘル。カウルの位置からはよく見えなかったが、何かを兵士に渡しているようにも見えた。
兵士はしばらくガナヘルの顔を見ていたが、不意に諦めたように大きなため息を吐いた。
ガナヘルを押し離し、困った顔でこちらを振り返る。
「確かに彼の言うことも一理あるな。ここで言い合いを続けていても決着はつかない。事実を判明させるには、もう少し情報がいる。仲介屋への聞き込みと現場検証を終えたのち、再度審議することとしよう」
仲介屋を呼んだところで、何かの手がかりも得られるとは思えない。現場検証だって、ハルカスの死を確認することくらいしかできることはないはずだ。カウルには兵士が自らの威厳を保ったまま、どうにかこの場をやり過ごそうとしているように見えた。
ここで話を切り上げられたら間違いなくうやむやにされると、そう直感する。カウルは帰ろうとする兵士の前に立ち、彼の目を睨みつけた。
「待ってください。まだ話は終わっていません。ガナヘルたちがこんな真似をしたのは今回が初めてじゃないはずです。調べればきっと同じような犠牲者がたくさんいる。それがわかれば、あいつが怪しいって言えるんじゃないですか」
「話は終わったと言ったはずだ。これ以上道を塞ぐなら、兵務妨害でお前を連行するぞ」
威圧的に声が降りかかる。どうあっても兵士はこれ以上カウルの話を聞く気はないようだった。
唖然とするカウルの横を通り過ぎ、兵士たちが扉から外へ出ていく。
その光景を前に、ガナヘルたちが満足げな笑みを浮かべるのが見えた。
雲が濃くなってきていた。グレムリアの灰色の空が、いつも以上に陰湿に見える。
今にも雨が降ってきそうだったが、焔市場を行き交う人々は変わらず活気に溢れていた。
カウルは設置された休憩所の椅子に座りながら、投げやりに杯を下ろした。中にはこの街の名物である赤実水が入っていたが、今はあまりその味を楽しむことなどできなかった。
「まだ落ち込んでいるのか」
どこからか声が聞こえた。落ち着いた年齢を感じさせる声だった。
カウルが顔を上げると、顔なじみとなった仲介屋の男が近づいてきてた。薄い頭髪にぼさぼさに伸びたあごひげ。焔市場を訪れたとき、一番最初に声をかけてくれた男だ。
彼は無遠慮にカウルの向かいに腰を下ろした。
「仕事はいいんですか? まだ昼でしょう」
カウルは胡散臭いものを見るように彼を見返した。
「いいんだよ。どうせ俺のとこなんか新人か小銭稼ぎの貧困者しか来ないんだ。放っといても大した損にはならねえ。こっからでも屋台は見えるしな。……それよりお前こそいいのか。こんなところで油打ってて。焔市場は公園じゃねえんだぜ」
「いい依頼票が見つからなくて休んでたんですよ。すぐにまた探しに行きます」
カウルは煩わしそうに答えた。
「依頼票なら俺の店にたくさんあるぞ。害虫駆除から作物収穫の手伝いまで。安心安全のより取り見取りだ。報酬は安いが、命の危険もない」
「ジョセフさんの仕事は昨日も受けたじゃないですか。俺は退魔師の仕事がしたいんです」
「そんなこといってもな。金がなきゃ食ってくこともできねえだろ。あんまり選りすぐりしてる場合じゃねえんじゃないか」
仲介屋――ジョセフは心配そうにカウルを見返した。
それを聞いてカウルは黙り込んだ。実にもっともな意見だったからだ。
赤剥の遺骸を売って得た金は底をつき、宿も商業区から貧困区のあばら屋へと変えた。今カウルが何とか生活できているのは、このジョセフが仕事を斡旋してくれているおかげだった。
ジョセフは懐から煙草の筒束を取り出し、それを口に含んだ。噛むと温度と圧力で煙を吹き出す特殊な草で、依存性が高く大人たちの間では酒と同様に重宝されているものだった。
「ガナヘルのことで懲りただろ。この国は腐りきっている。王族や貴族は王都以外の防衛を放棄し、成果をあげれば貴族に取り立てるなんて名目で、自衛のすべてを村々に押し付けた。その結果生まれたのが盗賊まがいの退魔師と癒着だらけの兵士や騎士だ。奴らの半数は何らかの実績を上げた退魔師だから、ガナヘルたちと同類も多い。奴らが動くのは金を持つ者にだけ。田舎から出てきたばかりの坊主が勝てる見込みなんて、どだい無かったのさ。そもそも本当に人々を守る熱意に溢れたやつなら、聖騎士の門を叩いてるはずだしな」
ジョセフの口から吐き出された煙が周囲に溢れる。カウルはしかめっ面でそれをはらった。
「それでも……俺は退魔師になるしかないんです。それしか……道がない」
唇を噛みしめるカウルを、ジョセフは怪訝そうに見返した。
「何でそんなに退魔師にこだわるんだ? 聖騎士に応募しないってことは、金のためか? あんな仕事、当たれば金にはなるが、その前に死ぬ奴がほとんどだぞ。その歳ならもっといい仕事なんてたくさん見つかるだろうに」
「お金のためじゃありませんよ」
なりたくても呪われた体では聖騎士にはなれないのだ。カウルは不貞腐れたように赤実水を飲み込んだ。
杯を置きながら投げやりに問いかける。
「ジョセフさんは誰か知らないんですか。実力があって、信念をもって戦っているような退魔師を」
「……信念を持ってるかどうかは知らねえが、実力がある奴らなら知ってるよ。ここいらで有名どころと言えば、アーデン、クレモン、リュカ、ボロシドってところか」
煙を吐きながら上を見上げるジョセフ。顔を思い浮かべているのか、名前を上げる度に指を折り曲げていった。
「その中に、単身で禍獣を討伐している人はいませんか。できればそう言った人の教えを乞いたいんですけど」
「おいおい。禍獣との戦いは基本的に徒党を組んで行うもんだぞ。禍獣を引き付ける囮役に、不意打ちを食らわせる攻撃役。そして呪いを受けた場合にそれを祓う祈祷師が揃って、初めて禍獣を殺すことができるんだ。一人で禍獣を狩るなんて真似ができるやつは、聖騎士ですらそうそういねえよ」
そういえば王都に来てから何度か仕事をこなしてきたものの、たった一人で禍獣討伐を引き受けている退魔師はほとんど見たことがなかった。刻呪を前にして動けるのは自分だけだから、集団戦よりも個人戦に秀でている人間の戦い方を学びたかったのだが、どうやらそういった退魔師は滅多にいないらしい。
あからさまに落胆するカウル。ジョセフは口に咥えていた煙草を吐き出し、足で踏みつけると、二つ目の束を口に咥えようとして――思い出したように声を出した。
「……あ、そういえば一人いたな。一人で何体もの禍獣を討伐しているやつ」
「え、本当ですか」
カウルが顔を上げると、ジョセフはゆっくりと前歯で煙草をかじった。腰を遊ばせるように、椅子の後ろに体重を乗せる。
「ああ。ここ最近、焔市場に訪れるようになった奴でな。細長い妙なザナシール鋼の剣をいつも腰に差している年老いた女だ。聞いた話だが、何でもその女、剣一本で真正面から数体の禍獣を切り捨てたことがあるらしい」
ザナジール鋼とは、グレムリアより南に広がる砂漠でまれに取れる特殊な黒い金属を鉄と合金したものだ。非常に硬く頑丈な代わりに加工が難しく、何より祈祷術との同調が得られにくいため、滅多に市場で目にすることがないものだった。
「禍獣を真正面から……」
本当なら相当な実力者なのは間違いない。ザナジール鋼の剣を帯刀しているということは、祈祷術を扱わない戦い方をしている可能性も高かった。
「その人って、どこに行けば会えるか知っていますか」
「さあ? ただ上級者向けの依頼をよく受けてるらしいから、焔市場の最北側に行けば、そのうち見つかるんじゃないか。あっちはそういう依頼ばかりだし」
ジョセフはカウルの顔を見下ろしながら、
「……ただ、もし接触するつもりなら注意したほうがいいぞ。この王都には色々な理由で流れてくるやつがいるが、あれは中でも相当な訳ありだ。他国の賞金首かそれとも逃亡した暗殺者か。人を避けてるってやつは、大抵ろくなことをしていない。俺なら関わり合いになりたいとは思わないね」
自分で話題に出しておきながら釘を差すジョセフ。口ではからかってくることも多かったが、なんだかんだカウルのことを心配してくれているようだった。
退魔師を信用してはならないのはガナヘルの件で身に染みている。しかしそれでも今の話は、カウルの興味を引き付けるのに十分すぎるほどの魅力を持っていた。
――孤老の女剣士か……。
一体どんな人物なのだろうか。カウルは一度、その女性の姿を見てみたいと思った。
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