第25話 聖騎士と退魔師(2)

 カウルが目を覚ますと、宿についてから二日が経過していた。

 ベッドに入るなりにそのままばったりと倒れ、寝込んでしまっていたらしい。

 一向に目覚めないカウルを見て、宿の店主も相当心配していたようだ。まだ数日泊まれるだけのお金を見せると、ほっとしたような笑みを浮かべた。

 風呂に入ったおかげでまとわりついていた血の臭いも泥汚れももうない。カウルはベッドに座ったまま上半身裸になり、肩やその他の傷に薬を塗り直した。

 赤剥に噛まれたときは死を覚悟したものだが、傷はある程度塞がり痛みも薄くなっている。これも傷の呪いの影響だろうか。明らかに以前より治りが早くなっていた。

 カウルは宿の者が用意してくれた朝食を平らげ、赤剥の骨で稼いだ金で買った服に着替えた。少しでも生存力を高めようと、奮発して丈夫な皮製のものを購入したのだ。

 手を開いたり閉じたり、腕を回したりして自分の状態を確かめる。まだ完全に本調子とは言えないが、体力はだいぶ回復できた。これなら街中を歩き回っても問題はなさそうだ。

 グレイラグーンを訪れたのは聖騎士になることが目的。刻呪を追う、あの自分たちをはめた偽祈祷師を探すためには、呪いの情報が集まる聖騎士へ入ることが最も効率がいい。聖騎士として情報を集めつつ技術を磨くことで、傷の呪いの影響を受けない自分が刻呪を殺すと、そう考えたから。

 宿の扉を潜り外に出ると、突然世界がうるさくなった。

 人の声や馬車の音。何かを動かす生活音などがそこら中から飛び出し溢れている。どこを見ても高い建物が並び立ち、道を歩く人々は色とりどりの服をまとい、彼らが動くたびにちかちかと視界が乱れた。

 ずっと灰色の世界で生きてきた。目に映るのは岩と荒野と、小さな村の家屋だけだった。二日前は意識が朦朧としていたからあまり気にならなかったが、こうしていざ街の中に出てみると、ロファーエル村とのあまりの違いにカウルは卒倒しそうになった。

 世界は九大災禍に侵されている。人間は限られた場所へ逃げるしかなかったと、そう聞いていたのに、信じられないほど多くの人間がここにはいる。この宿の前を歩いている人たちだけで、ロファーエル村の人々よりも多いのではないか。そんな気すらした。

 誰も自分を見てはいない。気にもされていない。しかしカウルはなぜか、自分が大勢の人に手で押しのけられているような気分になった。

 ――……しっかりしろ。刻呪を殺そうってやつが、こんなことで臆してどうする。

 あの三つの金色の瞳を思い出し、自分に言い聞かせる。あれに比べれば、こんな恐怖などどうとでもないはずだ。

 カウルは勇気をふり絞ると、まるで火の中に飛び込むような表情で、足を踏み出した。



 王都グレイラグーンは、四つの地区に分かれていた。

 一つ目は街の中心にある貴族区。ここはそびえ立つ灰色の城を中心に王族や貴族が集まった場所だ。町人や村人は意見を嘆願する時のみ入ることが許され、それ以外で訪れることは基本的にはできない。四方にある城の入口にはすべて兵士による厳重な見張りがされており、少しでも近づくものならすぐに鋭い視線で警戒される。一般市民でも退魔師として名を馳せれば兵士や騎士として召し抱えられることも可能らしいが、そのためにはかなりの実績が必要となるそうだ。

 二つ目は商業区。こちらは主に他国との出入りがある北側や西側に点在し、食事や金属器具、骸拾いで集められた禍獣の遺骸などが売買されている。街中にも関わらず馬や馬車が行きかうなど人の動きが活発で比較的裕福な住民が多いが、夜間には強盗や盗賊が出ることも多い。

 三つ目は農業地区。街の外は禍獣が蔓延り常に死の危険が付きまとい、また死門接近時は流通が止まるため、グレイラグーンで売買される食品の半分はここで育てられる。不足分は定期的に近隣の村から購入することで、何とか町民の生活を維持している。他国では騎士や兵士を派遣する代わりに作物を収めさせるのが通例だが、グレムリアは全て村人の自己責任となっており、村人たちは自ら作物や商品を売りに来ることで、資金調達、交流を行っている。また川から水を引いており、船を出すための港のようなものもある。

 四つ目が貧困区。主に流民や傭兵崩れ、底辺退魔師などが根城にしている。非常に治安が悪く、死人が出るのは日常茶飯事。内部では派閥などもあり、貴族の指示で公にはできない仕事をしている者もいるとのことだ。

 ――目に映る全てのものが新鮮だった。

 カウルはもっと多くの場所を見て回りたいと思ったが、観光のために来たわけではないと思い返し、高まる気持ちを落ち着かせた。

 手の中の紙を開き、確認する。グレイラグーンのあちらこちらの壁に貼られていたものだ。“聖騎士人員募集”と記載された文字が見える。

 聖騎士は常日頃から禍獣と戦っている。しかもここは白花の国ルドぺギアからもっとも遠い土地。騎士の損失も多ければ、人員の補充だって容易ではないのだろう。街の人の話では、常に受付を行っているとのことだった。



 青い屋根に、独特な木の根のような絵が刻まれた窓。建物はかなり大きく、奥行きは馬車が十個以上入りそうなほどの長さがある。貧困区と商業区の間にあるわずかに開けた場所。そこに荘厳な雰囲気で建っているのが、三神教会と聖騎士の駐屯所だった。

 貧困区の人々へ炊き出しを行っているのか、教会の前には列ができていた。並んでいる人々はみな貧相な格好で、中には小さな子供までいる。

 彼らの横を通り過ぎ奥へ進むと、教会よりも角ばった頑丈そうな建物があった。ここが目的である聖騎士の駐屯所のようだ。

 駐屯所の門は開け放たれ、その中の広場ではこれまた複数人の列が見えた。彼らの先頭には小奇麗な白い外套をまとった聖騎士たちが椅子に座っており、あそこで受付と審査を行っているらしかった。

 カウルは門番の間をおっかなびっくり潜り抜け、その列の最後尾へ付いた。

 しばらく見ていると、ここでは簡単な面談をしているだけのようだった。おそらく実際に採用するかどうかは、また別途試験を行うのだろう。カウルの前には何人もの若者が並んでいたが、大した時間をかけずに列が進んでいく。気がつけば、あっという間にカウルの番となっていた。

「次。名前と出身地を教えて」

 流れ作業のように聖騎士が聞いた。前髪をきれいに横へ揃えた、几帳面そうな男だった。

「カスカ村のカウルです」

 カウルは街へ入るときに述べた名前を名乗った。

「よしカウル。君が聖騎士へ入りたい目的は? 紹介状等あれば先に出してくれ」

「紹介はありません。……両親のような犠牲者を出さないために聖騎士になりたいと思いました。ここで技を身に着けて、禍獣を殺すことが目的です」

「そうか。……両親にお悔やみを」

 聖騎士は慣れた様子だったが、両手で三角形を作り、神妙に頭を下げた。

「何か得意なことはあるか? 剣術とか、弓術とか。文字は読み書きできる? 禍獣を目にしたことはあるか」

 おそらく既定の質問事項があるのだろう。その聖騎士は雨のように質問を浴びせてきた。

「剣も弓も使ったことは無いです。文字の読み書きはできます。禍獣は骸拾いの手伝いで何度か」

 聖騎士は机の上に置いた紙に二組という文字を書いた。質問の回答に合わせ、応募者を区分けしているらしい。試験を分けるためだろうかと、カウルは考えた。

 そのままいくつか質問に答えていると、聖騎士の横に座っていた女性が立ち上がった。彼と同じ白い外套を着ていたが、胸の前に描かれた印がわずかに違う。ロファーエル村で目にしたことがある。これは確か、神官――三神教会所属祈祷師の証だ。

 聖騎士と入れ替わるように、今度は彼女が質問を始めた。持病はあるか。どんな生活を送っているか。三神教へはどういった信仰を持っているか。そんなことを立て続けに聞かれる。

 カウルは別に三神教の熱心な信者というわけではないが、応募をしておいて不信者と思われるのはまずい。幼馴染のモネの言葉を必死に思い返し、何とか当たり障りのない答えを探した。

「ふむ。まあ問題は無さそうですね。では最後にこちらに立って下さい」

 神官の女性が自分の横を指さした。カウルは言われるがままにそこへ移動する。一体何をするのかと思っていると、神官が手をカウルの頭にかざし、何やら口ずさみ始めた。意味は分からないが、この発音には聞き覚えがあった。祈祷術の神言だ。  

 洗礼でもしてくれているのだろうか。死門が通り過ぎた直後は、よく村の祈祷師が行ってくれていたが。

 祈祷師の声が止まりカウルは目を開ける。すると、なぜか怪訝そうな表情を浮かべている彼女の顔が見えた。

「どうした?」

 椅子に座っていた聖騎士が聞いた。

「……この少年。呪いを受けています。もう少しちゃんと調べないと種類はわかりませんが、かなり重度の」

 神官の表情が暗い。カウルは何だか嫌な予感がした。

「あなた呪いの自覚はある? どこか痛かったり苦しいところはない?」

 カウルの表情を見ながら、かなり心配そうに聞いてくる。

 ――何だ? 呪いを受けていると何か問題があるのか。

 詳しく調べられれば、傷の呪いのことがばれてしまうかもしれない。もしロファーエル村の事件について聞き及んでいれば、それだけで捕まってしまうこともありえる。

「いえ、大丈夫です。……幼いころに受けたもので、今は落ち着いているんです。動くのにも戦うのにも影響はありません」

「……そう」

 神官は歯切れ悪く相槌を打ち、

「申し訳ないんだけど、呪いを受けているのなら、これ以上審査を進めることはできないの。ごめんなさいね」

「え……どういうことですか」

 意味が分からない。カウルは思わず聞き返した。

「聖騎士や神官は祈祷術が扱えることが大前提だ。軽度の呪いならともかく、重度の呪いを受けた者は三神様との繋がりが阻害され、祈祷術を扱うことはできなくなる。聖騎士や神官が引退する理由の半分以上がこれだ。一般常識だぞ」

 聖騎士の男が座ったままため息をつく。カウルは信じられない思いで彼の顔を見返した。

 え? 祈祷術が使えない? 呪いがあるせいで? そんな馬鹿な……!

 十四年生きてきて、初めて耳にする事実だった。完全に予想外な言葉にカウルは愕然とする。

「でも体は健康なんですよ。祈祷術が使えなくとも、剣を握ることはできます。神官にはなれなくても、聖騎士のはしくれなら――……」

「聖騎士だって基礎的な祈祷術は学ぶ必要がある。それに三神様の祝福を受けた道具を扱うことも多い。重度の呪人にはそれが不可能なんだ。理解してくれ」

 駄々をこねる子供を扱うように、聖騎士が顔をしかめた。どう反論しても無理だと、そう目が拒絶を示している。

 嘘だろ。聖騎士になるためにここまで来たんだぞ。聖騎士になれなきゃ、刻呪と戦えない。みんなを開放することができない……。

 頭の中が真っ白になる。唖然と立ちつくすカウルを見て不憫に思ったのか、神官の女性がカウルの腕にそっと手を置いた。

「呪いを除去できれば、まだ可能性はある。諦めないで治療を続けなさい。死の淵にあった呪いから生還して、現場に復帰した聖騎士だっていないわけではないの。もし今の治療に不安があるのなら、隣の教会を訪ねなさい。優秀な神官がたくさんいるから」

 そのままカウルを列の前から移動させる。

 五大司教の一人、メイソン・ラグナーの一団でも解決不可能な呪いなのに、ただの一教会の神官が治療できるわけがない。彼女の言葉はカウルにとって、死刑宣告にも等しいものだった。


 綺麗に整備された路地をとぼとぼと歩く。一体これからどうすればいいのだろうか。頭の中に様々な感情がほとばしり消えていく。

 たった一人、封印から逃れて。あの地獄の荒野を抜けて。ここまで来て。ここまで来て諦めるわけにはいかない。

「何か方法はないのか……何か……」

 絶望に打ちひしがれながら、カウルは助けを求めるようにつぶやいた。





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