第26話 聖騎士と退魔師(3)

 柔らかく厚みのある感触が背中を支える。

 流石はグレイラグーンの商業区。比較的値段の安い宿ではあったが、かなり上等な布地を使っているようだ。カウルは疲労を癒すように深々とベッドに体を預けた。網目になっている木の支えがよく見える。

 あの後、カウルは街で商売をしている祈祷師たちのところを訪れた。たった一人の神官の意見を鵜呑みにして全てを諦めることに、納得がいかなかったからだ。

 祈祷師たちの指示に従い祈祷術の基礎を試してみたのだが、神官の言葉通り、カウルが祈祷術を発動できることは決して無かった。いくら術式を構築しようとしても、呪いが干渉することで祈祷術は発動前に崩壊してしまうのだ。

 聖騎士や神官の装備は全て祈祷術の祝福を受けたものであり、彼らの戦い方は祈祷術を軸に置いている。それはつまり、祈祷術が使えないカウルが聖騎士になることは、どうあがいても不可能だということを意味していた。

 ろうそくの火が細長い影を映し出す。

 カウルは額の上に手を乗せ、ため息をついた。

 酷く体が重い。胃がむかむかして引きつっている。いっそもう全てを投げ出して楽になりたい気分だったが、それができるほどここまでの道のりは軽くは無かった。

 聖騎士にはなれない。それはもう確定してしまった。いくらここでうだうだ悩もうと、いくら嘆き悲しもうと、結果は何も変わらない。

 ――気持ちを切り替えるんだ。気持ちを……。

 カウルは自分に言い聞かせるようにそう心に念じた。

 壁際に立てかけていたナタを見つめる。

 吹き出る赤剥の黒い血。突き抜けた刃。光を失い、崩れ落ちたあの姿。

 あの時。カウルはいつ死んでもおかしくはなかった。生き残れたのは傷の呪いという裏技があったからだ。

 聖騎士がいくら対禍獣の専門家だろうと高い技術を持っていようと、刻呪に近づけなければ意味がない。傷の呪いを受けているからこそ、この特殊な肉体だからこそ自分は刻呪と戦うことができる。

 必要としていたのは禍獣と戦うための知識。何に気をつけて、何を探して、どの瞬間に攻撃するのか。それさえ身につくのなら、無理に聖騎士にこだわる必要はない。

傷の呪いがあれば禍獣にも刃が届く。戦うことができる。例え祈祷術が使えなかったとしても。

「……諦めない。……諦めないぞ」

 小さな部屋に声が浸透する。

 カウルは自分に言い聞かせるように何度もそう呟いた。

 


 カウルの宿泊している宿ではお金を払うことで、簡素な朝食を提供してくれる。味は得に旨いわけでは無かったが、安い値段で食事をとれることは大変ありがたかった。赤剥の遺骨で手に入れた資金にも限りがある。無駄金は使わないに越したことは無い。

 朝食を済ませたカウルは自分で修繕した荷袋を背負い、受付へと向かった。

「あらお出かけ? 早いね」

 出口の前には恰幅のいい婦人が座っていた。この宿の女将さんだ。彼女はカウルを見ると、気さくに話しかけてきた。

「はい。ちょっと退魔師の集まる場所に用があって」

「退魔師? 討伐依頼か何か?」

「いや、……知りたいことがあるんです。どこに行けばいいか、知っていますか? 」

 ここは灰夜の国グレムリアの王都、グレイラグーン。世界中の退魔師が集まる傭兵の街。彼らの中には聖騎士に劣らない実力を持つ者だっているかもしれない。それに――。

 ロファーエル村を出てから、もうかなりの日数が経過している。あれから村がどうなっているのか、刻呪や偽祈祷師が発見されたのか、カウルは気が気じゃなかった。いくら実力をつけようが、そもそも彼らの所在が分からないのでは意味がない。実力をつけたときにすぐに探せるように、常に情報は得ておく必要があった。

 女将さんをあくびを押し殺す素振りを見せた。

「そっか。あんた大きな街は初めてだって言ってたものね。退魔師に会いたいのなら、焔市場(ほむらいちば)に行くといいよ」

「焔市場? 何ですかそれ?」

 カウルは有名な酒場や集会所の名前を聞いたつもりだったのだが、まったく覚えの無い単語が返ってきた。思わず聞き返す。

「禍獣討伐依頼や呪いの調査なんかを売買しているところだよ。住民は依頼を販売屋に提供し、退魔師たちはその中から好きな仕事に挑む。大きな街だと土地も人の数も多いからね。そういった場所があることで、依頼と仕事の斡旋をしやすくさせているんだ」

「へえ……退魔師専門の市場ってことですか」

「そんなところだね。まあ中には人や依頼が集まるのを利用して、退魔以外の依頼を出す人もいるけどね。農作業の手伝いだとか、ねずみの駆除だとか。あんたでもできる仕事があるかもしれないよ。お金に困っているのなら、探してみるのもいいかもね」

  確かにこれだけ大きな街だと自分の依頼を受けれる退魔師を探すのも、助けを求める依頼人を探すのも一苦労だろう。女将さんの説明にカウルは納得した。

 自分の部屋の鍵を女将さんに預けながら、

「でも何で焔市場って名前なんですか? 松明がいっぱいあるとか?」

「ああ。大昔に三神教を成立させた教主の言葉を引用しているんだ。えと、確か『人の命は炎のようなものだ。周囲の万物を取り込み命という形を作り続けているが、それは炎という動きの継承であり、命そのものは万物のうねりの一部でしかない。ゆえに命を尊ぶことは、世界を愛することに等しい』だったかな」

 それは初めて耳にする言葉だった。ロファーエル村の祈祷師からは聞いたことがない。

「何だか難しい言葉ですね」

「要するに、炎は炎でも一瞬前の炎と一瞬後の炎じゃ形を作る中身の空気が違うだろう。人の命も同じ。昨日と今日じゃ体を作っている材料が違う。草が豚となり豚が人となり出た糞尿がまた草になる。世界は全部つながっていて、命や物体ってのはその流れ方の違いでしかない。三神教の考え方の一つだね。派閥によっては否定されたりもしているけど。

 この文脈の命が炎のようだって部分が飛躍して、命を守るためのやり取りを行う場所だから、焔市場って呼ばれるようになったんだって」

 身を守る権利を売り、命を買う。支払うのは金銭だがその根幹は命の売買。ゆえに命の市場、焔市場。三神教は三柱の神を崇拝することが主たる教義だと思っていたが、意外と多様な考え方があるらしい。

 カウルは女将さんの言葉に妙な関心を覚えた。

「場所はこの商業区の……大通りから南東に進んだとこにある。武器を持った連中がたくさん見えるはずだからすぐにわかるよ」

「ありがとうございます。助かりました」

 街の人々は冷たいとよく聞いていたが、門番の時も含め、自分は出会う人々に恵まれているようだ。カウルは女将さんに真摯に礼を述べ、件の焔市場とやらに向かってみることにした。

 


 大通りから離れ入り組んだ路地を進んでいくと、突然賑やかな場所が現れた。高い建物の支柱や土台、壁に囲まれたそこは、商業区の住居の中にぽっかりと空いた広い空き地を利用しているようだった。

 入り口は建物の土台をくりぬいたアーチ状のトンネルを通り抜けた先にあり、一見するとどこぞの商人の私有地のようにも見えたが、立ち並ぶ屋台と往来する人の波、それに焔市場と大きく掲げられた看板がそれを否定してくれた。

 目に映る半数以上の人間が武器を携えており、中には剥き出しの刃を背負っている者もいる。ここが大通りからそれた場所にあるのは、恐らく住民の安全と景観を考慮してのことなのだろう。誰かとすれ違うだけで下手をしたら怪我をしてしまいそうだった。

 カウルは中を歩いて回った。

 立ち並ぶ屋台。その正面には板が置かれ、そこに住民の依頼と思わしき紙がいくつも貼られている。仲介屋にも人気があるものと無いものがあるらしい。一部の屋台には人が密集しているかと思えば、まったく人が寄り付かない屋台もあった。

 そういった不人気な屋台を眺めていると、頬杖を突き眠そうにしていた店主と目があった。彼はカウルを見て、何気なく声をかけてきた。

「よう坊主。仕事を探しているのかい」

 客が来な過ぎて暇だったのだろう。カウルは彼を見上げた。

「うちは低報酬の依頼ばかりだが、そのかわり子供にだってできる仕事も多いぞ。どうだい見ていかないかい?」

 依頼表と言うのだろうか。貼られている紙には夜間の倉庫の見張り、薬草尾の収穫依頼など、軽微な内容がいくつも書かれていた。

「この紙の中から依頼を選べばいいんですか」

 まだいまいち市場の流れがわからない。カウルは控えめに店主へ質問した。

「何だ。坊主は焔市場は初めてなのかい?」

「はい。数日前にグレイラグーンに来たばかりで」

 店主はじろじろとカウルの全身を見渡した。値踏みをするかのような視線だった。

「別に難しいこたぁないよ。困ってることがあるやつはそれを仲介屋に持ち込み出せる報酬の額を提示する。仲介屋が了承すればこのとおり依頼が成立して店頭に依頼表が並ぶってわけだ。んで、退魔師たちは店頭に並んだ依頼の中から気に入ったものを探して、仕事を受ける。

 討伐が成功したら、指定部位を持って仲介屋のところに戻る。仲介屋か依頼主が達成の確認を終えたところで依頼表は失効し、報酬の一部を仲介屋に抜かれた額が支払われる。簡単だろ?」

 まるで野菜の売り買いのようだ。ロファーエル村では退魔師一人雇うのに一苦労だったのだが、ここでは実に簡単に仕事の斡旋が行われている。

「必ず仲介屋を通さないと行けないんですか?」

 直接依頼主とやり取りした方が話が早いと思うのだが、なぜわざわざ仲介屋を通すのだろうか。カウルにはそこがよくわからなかった。

「そうじゃないが、通した方が利点が多いんだよ。依頼主にだって生活があるからな。常にここで退魔師を探しているわけにもいかないだろ。仲介屋は相場を知っているから妥当な額で依頼主と退魔師の利益の採算を合わせることができて、悪質な退魔師の請求を防ぎやすい。それに複数人が同時に依頼を受けないようにするための管理だとか、達成時の証拠の鑑定だとか、助かることが多いのさ。中にはそこら辺の質屋で禍獣の遺骸を買って、討伐したって持ち込むやつや、報酬を払わないで逃げる依頼者もいるからな」

 退魔師を雇うときに最ももめるのは報酬の支払いと聞く。仲介屋が絡むことでそれが円滑に進むというのであれば、存在価値は十分にあるだろう。そう聞くと確かに納得はできた。

 店主は奥にある人の多い屋台を見ながら、

「まあそれでも仲介屋によって差は出るけどね。人気のある仲介屋は金持ちの顧客と提携したり、有名な退魔師とのコネが多い。いい退魔師や仕事が欲しいなら有名な仲介屋に頼むのが一番だが、その分動く金も大きくなる。そういった実力も金もないやつが溢れないように、俺みたいな弱小仲介屋がいるってわけだよ」

「なるほど。随分体系的になってるんですね」

「人間社会の規律ってのはそういうもんさ。最初はグダグダでも需要ややりやすさに合わせて最適化されていく。……んで、どうだい? 気になった依頼はあったかい?」

 肘を台に乗せ、顔を近づける店主。ぼさぼさに伸びたあごひげがよく見える。カウルは困った表情を浮かべた。

「すいません。今日は仕事を探しに来たんじゃないんです。最近の出来事だとか、事件の情報を知りたくて。あと、仲間を募集している退魔師を探してるんです」

「ああ。同行希望か。それなら、そういうのを請け負っている仲介屋もいるよ。入り口から入って右の端にそういった連中が多いね。あくどい奴が多いからあまりお勧めはしないけど。噂話が聞きたいなら、奥の開けたとこに行くといい。投げ銭目当ての調聞師がいるはずだから」

「調聞師?」

「事件や物語を集めて聞かせ歩いている連中さ。行ってみればわかるよ」

 カウルの後ろに夫婦らしき初老の男女が並ぶ。依頼の申し出だろうか。それを見て、店主は話を切り上げた。

「ありがとうございました」

 カウルはそのまま立ち去ろうとしたのだが、最後に背中に店主の声が飛んできた。

「軽い仕事が欲しかったらまた来なよ。まあ……生きていればだけど」

 それはどことなく、何かを悲観するような声だった。




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