第23話 災禍の呪い(5)

「本当に旨いね。中々の味だよ」

 夕食の鶏肉を摘まみながら、マヌリスが満足げにそう言った。彼女の前には色とりどりの料理が置かれている。

「自然と体が動いて調理できました。もしかしたらよく作っていたのかもしれません」

「ふん。料理ができるということは、どこぞのお姫様という線は消えたかな。貴族は自ら手を使うことなんて無いからね」

 冗談なのか本気なのか。それともこちらの反応を観察しているのだろうか。彼女の表情からは判断がまったくつかなかった。

 マヌリスは部屋に飾られている人形たちに目を向けた。棚からは、販売用と区分けされていた人形がかなりの数減っている。

「――しかし思ったよりもよく売れたね。この分なら予定よりも早く出発できそうだ」

「明日も村を回るんですか」

「いや、数日時間を空けるよ。この近辺の村は大体周りきったし、遠出すればするほど資金も食料も無駄につかっちまう。あたしの商売は常連が標的だからね。なに。時間がたてばまた飛ぶように売れるようになるさ」

 常連。やはりマヌリスの人形には、中毒になるような何かがあるのだろうか。ネメアは気になったが、何か聞くよりも早くマヌリスが言葉を続けた。

「……それより久しぶりの人里はどうだったんだい? 何か思い出せたことは?」

「特に何も。何かきっかけになればとも思ったんですが」

 人々の生活を目にしても、食物や家畜を眺めても、以前森でよぎったような記憶の奔流は発生しなかった。むしろ、彼らの姿は新鮮ですらあった。

 もしかしたら自分は街に住んでいたのだろうか。村と街の生活は大きく異なると聞く。元々街に住んでいたのなら、村人の生活を目にしても見覚えなんてないはずだ。

 炒めた野菜を皿に取り、フォークとスプーンで口に運ぶ。市場で買ったばかりのため、水気がちょうどよく舌の上にほとばしった。

 食事を続けながら、ネメアはマヌリスをちらりと覗き見た。

 買い物ついでに聞いてみたが、彼女はどの村でも好かれているようだった。不愛想ではあるものの、呪術や医学に長け、病気の村人に薬を渡したことすらあるらしい。少なくとも今日訪れた村々では、彼女を恐れている人間は一人もいなかった。

「小さな村といえど、交易は続けているからね。商人や見回りの黒煙騎士団だって訪れることがある。何か気になる噂話とか無かったのかい」

 わざわざお使いを頼んだのだ。こちらが情報収集を行うのも、当然想定の範囲内なのだろう。ネメアは表情を変えずに答えた。

「村人の誰と誰が浮気をしていただの、農具鍛冶の男性が酔って若い男に手を出しただの、どうでもいい話ばかりでしたよ。……あとは、災禍教とやらが北でもめ事を起こしたとか」

「災禍教? 何だい、連中また何かやらかしたのかい?」

 またとは、まるでいつも何らかの事件を起こしているような物言いだ。あまりよく知らないが、災禍教とはそんなに物騒な集団なのだろうか。

「三神教会と小競り合いがあったそうです。経緯はよく知らないですけど、銀眼騎士とかいう聖騎士がその場を収めたとか。……よくあることなんですか」

「まあね。連中はそれで名を馳せているようなもんだからね。……あんた、災禍教の記憶も無いのかい?」

 思い出そうとしても何も浮かばない。ネメアの表情を読んだのか、マヌリスは鼻で息を吐いた。そのまま本日五杯目の葡萄酒を喉に流し込む。

「災禍教って言うのは三神よりも、それに呪われた九賢者を崇拝するようになった連中のことさ。不幸な目に遭い神への信用を失くした者や、呪いそのものに魅入られた奴らが集まった集団だ。呪術師の中にも連中の仲間に入る者がちらほらいる。

 災禍教とひとくくりにしてはいるが、奴らは九大災禍それぞれに異なる信者と思想を持つんだ。

 ‶死門〟信者は虚無主義が多いし、‶死海〟信者には異界信仰がある。‶黄泉雲〟に至っては信者の大部分が死霊術師だ。

 王都ノアブレイズには一応教会だってあるし、別に悪の組織ってわけじゃないんだが、その特性上三神教の教義から外れた考えや行動をする者が多くてね。昔からよく争いが起きているんだよ」

 マヌリスの表情はどこか諦め顔だった。恐れているというよりは、軽蔑に近い表情に見える。ネメアは慎重に発言をした。

「災禍教があまり好きではないようですね」

「好きじゃない……そうさね。その通りさ。……あたしは呪術師が辿り着くべき極地は呪いそのものの原理、あるいはかつて存在していたとされる神の恩寵、つまり魔法にたどり着くことだと思っている。研究や呪術のきっかけとして災禍に興味を持つことは悪くはないが、ただの現象でしかないあれらを己の上に置き、ましてや崇拝するなんて、愚の骨頂だとしか思えないからね」

 魔法にたどり着く。それがマヌリスの、いや呪術師という存在の目的なのだろうか。そのために腕を磨き、日夜研究を続けている。

 葡萄酒のせいか、マヌリスは少し酔っている様に見えた。

「……奴らは知らないのさ。九大災禍がどんなものなのか。自分たちが信仰しているものが一体何なのか。それを知っちまえば、とても信仰する気になんてなれるわけがないのに」

「どんなもの? どういうことですか?」

 マヌリスは何を言っているのだろうか。ネメアは彼女の言葉の意味が分からなかった。

「九大災禍ってのはね。早い話――……」

 何かを説明しようとするマヌリス。しかしそれを言い切る前に突然言葉が止まった。ネメアが見返すと、なぜか、こちらの様子を伺うような彼女の目が見えた。

「……まあ、小難しい話をしても今のあんたにはわからないか」

 どことなく不自然な間があった。ネメアは気になったが、マヌリスはそのまま強引に話を続けた。

「要は、ろくなもんじゃないってことさ。九大災禍は常に人々を呪い続け、不幸を振りまいている。アザレア国民なら、嫌というほどそれを実感しているはずだ」

「えと、呪術大国だからですか」

「それもあるが……話の脈略から真っ先に浮かぶものは違うだろう。……――ちょっと待て。あんたまさか、その記憶も無いのかい?」

「その記憶……?」

 マヌリスは何を言っているのだろうか。ネメアにはよくわからなかった。

 驚いたように口を開け、ネメアを見返すマヌリス。

「これは思ったより重症のようだね。呪いを除去するのが遅すぎたのか」

 ぶつぶつと何かを呟いている。どうやら普通の人間には、先ほどの言葉で理解できる何かがあるようだった。

 マヌリスはため息をつき、葡萄酒を口に含んだ。

「……明日は確か晴れだったね。ちょうどいい。あんたに面白いものを見せてあげるよ」

「面白いもの?」

 何だろう。呪いのせいで崩壊した跡地でも見せるつもりなのだろうか。そんなものを見ても、別に嬉しくはないのだけれど。

 マヌリスは小首を傾げるネメアを見下ろし、ほんのりと赤い顔で笑みを浮かべた。





 翌日。ネメアはマヌリスと共に、再び森の中へと足を踏み入れた。

 マヌリスの庭園から村々へ向かう場合は、南東に向かって森を降りることが多いのだが、今日は正反対の方向に向かっていた。人形を運ぶ必要がないからだろう。荷車もそれを引くための老馬もお留守番だった。

 進むにつれ地面には小石が増え傾斜も急になっていく。目の前に見える高い丘。どうやらマヌリスはあの上を目指しているようだった。

 ネメアは慣れない山道に苦労したのだが、マヌリスは長いドレス姿にも関わらず、器用に泥や土を避け一切の汚れなく平然と歩き続けていた。一体どんな歩方を使っているのだろうか。自分の汚れたスカートのすそを見下ろし、ネメアは心底不思議に思った。

「止まりな」

 突然、マヌリスがぶっきらぼうに言った。

 ネメアが顔を上げると、進路の先に茶色の塊のようなものが複数目に入った。草の間で何かが小刻みに動いているように見える。

「猩々(しょうじょう)だ」

 マヌリスが静かな声を出した。

 大きさは人間の子供くらいだろうか。その全身には茶色の毛がびっしりと生え、腕は長く体の半分以上まで伸びている。顔は人に似ていたけれど、人よりも部位が中心へ密集していて、赤く腫れあがっていた。

「……禍獣ですか?」

 ネメアは様子を伺いながら聞いた。

「ただの動物さ。けれど、非常に凶暴で危険な生物だよ。鍛えていない人間なら、一対一でも殺されることがある。……ちょっと耳を塞いでな」

 マヌリスはネメアを自らの後ろへ下げると、調整するように喉に手を当てた。

 初めて会った時、彼女は歌を歌っていた。確かあれは呪術の実験をしていたと、そう聞いた覚えがある。

 ネメアははっとして両手を耳に当てた。同時にマヌリスが口を開けた。大地から何かが吹き上がっていくような悪寒。塞いだ耳越しでもわずかに聞こえる。それはすごく緩やかで、同時に細かい冷たさを持った歌だった。

 猩々たちがこちらに気が付き、敵意のこもった瞳を向ける。しかしそれがすぐに苦悶に代わった。彼らは見えない何かを嫌がる様に雄たけびを上げ、一目散に離れていく。彼らがいた位置には食い散らかされたリスの死骸が一匹、寂しく転がっていた。

「もういいよ」

 マヌリスは涼し気な顔で、何事も無かったように振り返った。

 恐る恐る手を耳から離し肩から力を抜くネメア。

「何をしたんですか」

「音に不快感を与える呪術を乗せ、流したんだ。獣ってのは本能的に呪いに敏感だからね。しばらくは寄ってこないだろう」

 呪術。今のが……。

 マヌリスが呪術師であることは当然理解していたが、こうして目の前でその技術を使われると、その事実を突きつけられた気分になる。猩々は普通の人なら逃げるべき相手。退魔師や騎士でも、剣を抜いて立ち向かわなければならない存在。それを彼女は声一つで追い払った。あれほど華奢な体なのに、武器も持っていないのに、呪術という声だけで。

「それ、私にも覚えることはできますか?」

 ネメアの問いに対し、マヌリスは何かを考えるようにしばらくじっと一点を見つめた。

「……どうだろうね。呪術の行使には一種の才能が必要なんだ。あんたにそれがあれば不可能ではないだろうが、なければいくら努力しても使えることは絶対にないよ」

「才能って、どんなものが必要なんですか」

 マヌリスはゆっくりと歩き出した。ネメアは慌てて彼女の後についていく。

「簡単に言えば、呪いを認識し、捕らえる力さ。呪術ってのは、人間の体から吹き出す力じゃない。九大災禍がばらまいている呪いを術式という管に通して、捻じ曲げることだからね」

 呪いを捕らえる力? いまいちよくわからない。ネメアは困惑した。

「そうさね。例えば水の溜まった場所があるとする。その水を運びたくて、誰かが水の中に水で作った桶を設計する。水で作った桶は水だから、触れることもできないし、水を動かすこともできない。

 でももしこの水の桶を凍らせ固定化することができるのなら、話は別だ。

凍った水はその形によって周りの水を押しのけることも、管の形にして他の場所へ水を運ぶのも、形次第で自由自在となる」

 ずいぶんと抽象的な説明だ。ネメアはマヌリスの言葉を必死に理解しようとした。

「つまり、その水の設計図が呪術であり、水を凍らせることのできる人間が呪術師ってことですか? それが呪術を捕らえる才能ってこと?」

「その通りさ。この世界には常に九大災禍から呪いが降り注ぎ続けている。これが先ほどの例で言う水のことだ。文字や動作、歌で構成した呪術式に水を通し、その水自体で呪術を構築し、流れる呪いを自由に操る。

 この呪いを捕らえる才能がなければいくら複雑な呪術式を考案しても、決して呪術を使うことはできないし、呪術師になることもできない。呪いを捕らえる力は持って生まれた才能次第だ。後天的に伸びることはめったにない。だから呪術師の才能を持つものは選民意識が高く、九大災禍そのもののを崇拝する災禍教などでも高い地位に就くことが多いのさ」

 どうやら呪術とは、努力や勉強で扱える代物ではないようだ。学問だとマヌリスから聞いていたから、学ぶことさえできればすぐに使えるようになると、そう思っていただけに、ネメアは強い落胆を覚えた。

 スカートのすそを持ち上げながら小さな土の段差に足を乗せる。泥がいくらか端に付着したが、もう気にするのも面倒だった。

「才能があるかどうかは、どうやって判断するんですか。何か儀式でも必要なんでしょうか」

「そういう手順を踏んでいる者もいるが、手っ取り早いのは呪術を使わせるか、見せることだね。呪術から発生する呪いの流れを認識し、物理的な感覚で知覚することができれば、その人間は呪術師の才能があると言えるだろう」

 呪術の流れを物理的に認識する。それはどういうことなのだろう。発動された呪術を視認できたり、感知することができれば、才能があるということなのだろうか。そういう意味では、マヌリスが先ほど使用した呪術も、記憶を奪ったあの霧のような呪いも、しっかりと認識できていたと思うのだけれど。

 ネメアが考え込んでいると、マヌリスがぼそりと呟いた。

「心配しなくても、あんたには十分に才能があるさ」

「え……?」

 はっきりと聞き取ることができず、聞き返すネメア。しかしマヌリスがその言葉を繰り返すことは、決してなかった。



 幅の狭い崖を通り抜け、傾斜の急な土を上り、ようやくネメアたちは丘の頂上付近へと到着した。

 やっとかと思い顔を上げると、上の方に大きな岩が見えた。丘の反対側に向かって一部が飛び出しているように見える。

「あの岩が目的地だ。あそこなら、よく見えるだろう」

 汗一つない顔でそう淡々と述べるマヌリス。彼女の服はここまでの道を経てなお小奇麗なままだ。服を清潔に保つ呪術でも存在するのだろうかと、ネメアは密かな疑いを覚えた。

 こんな丘の上まで連れてきて、一体マヌリスは何を見せたかったのだろう。自分は何を忘れてしまっているのだろうか。

 正直あまり乗り気ではなかったのだが、ここまで来るとその正体に興味はある。ネメアは慎重に岩をよじ登り、反対側にあるであろうそれを探した。

 眼下には広大な森が広がっている。綺麗な緑色の木々に、青い空。どこにもおかしなものはない。

 これが何だというのだろうか。ネメアはマヌリスを振り返ろうとし――そして気が付いた。

 森の奥、地平線側に何かがあった。

 最初はよくわからなかったが、じっと目を凝らすにつれて、ネメアは目の前のものが尋常ならざるものであると察知し始めた。

 それは、巨大な半球だった。

 大きい、あまりにも大きな漆黒の球体が、はるか先の大地にめり込んでいた。遠すぎて正確には測れないが、恐らく大都市が三つか五つ入るほどの大きさだ。

 一体何でできているのか外面は黒く塗りつぶされ、おぼろげなその輪郭は物体なのか気体なのか光なのかすら判断がつかない。ただ昼間の穏やかなこの世界の奥で、別世界の入り口のように重苦しく、深く、黒く、威圧的に存在してた。まるで黒い太陽が地面に落ちているかのようにも見える。

「あ、あれは何……?」

 あんな異様なものがあるなんて、とてもこの世のものだとは思えない。圧倒的な力と恐ろしさに、ネメアは腰が抜けそうになった。

 ネメアの横へ並び立つマヌリス。風にドレスのすそをはためかせながら、彼女がゆったりと言った。

「九大災禍“無明”。この世界で唯一、漂うことを止めた大災禍さ」

 




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