第22話 災禍の呪い(4)
森の中を数刻ほど歩き続けていると、遠くの方に煙のようなものが見えた。最初は誰かが焚火でも焚いているのかと思ったが、近づくにつれ人の声が聞こえ始めた。足元の土にも踏み慣らされた跡が増えていく。木々の隙間から見える家々。どうやらあそこが目的の村の一つらしかった。
防御のつもりなのだろうか。外周部には鋭利に削られた木の柵がいくつも並べられている。隙間やひもの緩んだところ。残念なことに、その作りはあまり頑強だとは言えなかった。
ネメアは老馬の上にいるマヌリスを見上げた。
「あんな防衛柵で禍獣を防げるものなんですか。簡単に突破されそうに見えますけど」
「あれはただの意識作りだよ。そこが村と外の境だというね。別に禍獣を防げると本気で考えてるわけじゃないだろうさ」
マヌリスがゆらゆらと左右に揺れながら答えた。
「本当に禍獣が出たときはどうするんですか。村に退魔師がいるんでしょうか」
「ここは灰夜の国グレムリアじゃないんだ。そうお手軽に退魔師なんていやしないさ。もっとも頼るべきは黒煙騎士団だが、彼らだっていつでも駆け付けられるわけじゃない。
九大災禍が周回し、呪いと禍獣がはびこるこの世界で、村や町と呼ばれる場所には、そう呼ばれるだけの理由があるのさ。例えばそうさね――」
マヌリスは左右の森を見渡した。
「この森。あんたが目覚めてから一度も禍獣を見ていないだろう。完全にいないわけじゃないだろうが、世界にはまれにこういった場所が存在するんだ」
「こういった場所? どういうことですか」
「人々が安全に暮らせる土地には、ざっくり言って三種類の区分がある。まず一つ目が災禍の隙間だ。三神に喧嘩を売って世界を破滅させた九人の愚か者たちは、ある程度決まった時期に決まった道筋を通る頻度が多い。場所によっては彼らが振りまく呪いの影響を受けにくい土地だって出てくるわけさ。
二つ目は祝福地。この世界には無数の呪いが常に降り注いでいるが、ところどころに呪いが薄い場所っていうのも存在しているんだ。三神の加護を得ているなんて表現する者たちもいるがね。要は呪いへの耐性が偶然高い土地ってことさ。祈祷術は三神への懇願を通して自然が持つ力を流用する技だが、自発的にそれが高まっている場所がある。そういった場所では呪いが発生しずらく、自然と禍獣の数も減るってわけさ。
三つ目は、強力な呪いを利用することで禍獣や低級の呪いをはじいている場所だね。九大災禍を信仰する災禍教なんかがよく利用しているが、危険や代償も多いから、一般的な村ではあまり見かけることは少ないね」
どうやらマヌリスは説明好きな性格らしい。ぶっきらぼうな印象を受けていただけに、ネメアは意外に思った。――若干、付近に禍獣が居ない言い訳をされている気がしなくもないが。
「規模はそれぞれだけど、長い年月を通して、人々はそういった場所を自然に住み家として選び、それが村として機能するようになった。各国の王都も結局はその延長線上に過ぎない。たまたま呪いが来なかったり耐性の強い土地に人が集中し、街となっただけの場所さ。ま、そうじゃない土地で博打みたいに生活してるやつもいるけどね」
なるほど。命を見つけ次第襲い掛かってくる禍獣が溢れるこの世界で、あんな村がどうやって生き残ってこれたのか疑問に思ったが、そういった理由があるのか。
自分の思い出せる一般常識にはなぜかむらがあるらしい。ネメアはマヌリスの説明に納得した。
不格好な木製の門が近づいてくる。ネメアとマヌリスの姿に気がついた見張り役がのんびりと椅子から腰を上げた。
マヌリスが前を向いたまま呟く。
「いいかい。あんたは今からあたしの弟子ってことにするからね。変なこと口走って余計な問答をするんじゃないよ」
「わかっています」
自分がどこの誰なのかも、誰に記憶を奪われたかもわからない身なのだ。マヌリスの弟子という肩書は、大いに有効活用させてもらうつもりだった。
「やあ、人形売りの呪術師さんか。また来たのかい」
「ああ。ちょっと実入りが必要になってね。また商売させてもらうよ」
その見張り役は興味深そうにネメアを見た。
「そちらさんは?」
「あたしの弟子さ。今回は人形の数が多いからね。手伝いで連れてきたんだ」
「へえあんたに弟子がいたとは知らなかったな」
「ちょっかいかけたら痛い目みるからね。なんせあたしの弟子なんだよ。さ、入れておくれ」
マヌリスが面倒くさそうに老馬の腹を押すと、見張り役の男は慌てて横へ避けた。
「マヌリス、今度気が向いたら村で飲んでいきなよ。美味い酒が入ったんだぜ?」
「あいにくと間に合ってるよ」
通り過ぎざまに見張り役の男が声をかけてきたが、マヌリスは無表情でそれを流した。こういうやり取りには慣れているようだった。
ネメアたちが中に入ると、すぐにその姿を見つけた村人たちが集まってきた。来客が珍しいのだろうか。ネメアは複数の視線が自分たちに集中するのを感じた。
「さぁ。ここいらでいいか」
マヌリスは老馬から降りると、荷車を開けた。いくつもの美しい人形が日の光に晒される。それらは誕生日前の子供のように、色つやがはっきりして見えた。
確かに美しい。美しいが、やはり貧しい村人たちが無理をして買うほどの価値があるものだとは思えない。本当にこれを買う人間がいるのだろうか。ネメアがそう疑問に思っていると、
「ああ。よかった。あんたが来るのをずっと待ってたんだ」
一人の男が笑顔で二人の前にやってきた。
「今回はたくさん持ってきたからね。好きなのを選びな」
マヌリスの言葉を聞いた男は嬉々として、食い入るように荷台の人形たちを見比べていく。それに続くように、他の村人たちも続々と荷台を囲んでいった。
どういうことなのだろうか。並んでいる客は、とても人形を愛でるような人種には見えない。娘や家族のためだとしても、ここまで多くの人間が並ぶことがあるのだろうか。
一人目の男が人形を選び、金をこちらへ突きつける。ネメアは慌ててそれを受け取り、お釣りを男へと渡した。
「あんたらの人形は本当にすごいよ。前に買った時から運が向いてきてね。まるで幸運のお守りだ」
別の客が大事そうに人形を抱えながらそう感謝の言葉を述べる。明らかに普通の様子ではない。ネメアは彼らの様子に違和感を抱いた。
観察していると妙なことに、客は初見よりも二度目の購入者が多いようだった。彼らの多くは人形の造形を気に入ったというよりは、マヌリスの人形そのものを手に入れることに躍起になっているように見えた。
あわただしく金銭のやり取りを続けながら、ネメアは考えた。
マヌリスは呪術師だ。彼女がその気になれば、何らかの呪術を人形に組み込むことだって可能なのかもしれない。例えば一度でも人形を目にしたものはその人形の虜になるだとか、人形を持つことで取引が上手くいきやすくなるとか。応用方法はいくらでもあり得る。
どことなく気味が悪いが、ここでネメアが商売を邪魔する理由はない。村人たちは不幸ではないようだし、何より金銭がなければノアブレイズへ旅に出ることができないのだから。
八体目の人形が買われていく。疑問は残りつつも、結局村での仕事が終わるまで、ネメアはマヌリスの弟子として仕事に努め続けた。
人形が売り切れたのは、三つ目の村に入ったところだった。
これでようやく庭園に帰れるとネメアがそう思ったところで、マヌリスが小さな小銭袋を突き出した。
「せっかくだ。ちょいと食料を買ってきておくれ。そろそろ備蓄が尽きそうなんでね。味は気にしないから、日持ちするものがあればいい。終わったら、あの馬の前で待っていな」
「マヌリスさんはどうするんですか」
「あたしは村長に用事があってね。なに。ちょっと九大災禍の今の進行位置だとか、王都ノアブレイズまでの道中に問題がないか聞いてくるだけさ。すぐに戻る」
自由な時間が手に入るのはありがたい。情報収集をしたいのはこちらも同じだ。ネメアは従順なふりをして頷いた。
「わかりました。マヌリスさんが気に入りそうなものを探しておきます」
「この村にそんなもんがあればいいんだけどね」
黒紫のスカートを翻し、優雅に背を向ける。あんな庭園に住んで人形売りなんて真似をしている人間にしては、妙に所作が美しかった。
……さあ。私も買い出しに行かないと。
村の市場は店じまいが早い。ネメアは村の中心部に見える市場へ向かおうとして――強い視線に気が付いた。
一人の男がこちらを見ていた。
継ぎはぎだらけの服に無造作に生えたひげ。年齢は四十中ほどだろうか。その男が死んだ魚のような瞳をネメア、いやマヌリスの背中へと向けていた。
なにあの人……?
ネメアが不思議に思いその男を見つめていると、視線に気が付いたのか、男はすぐに水の入った桶を抱え、裏道へと消えていく。
マヌリスはかなりの美人だ。彼女に好意を持つ人間がいるのは別におかしな事ではない。しかしどうにも先ほどの男の目つきはそれとは別の感情が込められているように見えた。
鳥が鳴き声を上げ空を通り過ぎていく。空を見上げると、ほんのりと赤みが差し始めていた。
早くしなければ市場が終わってしまう。ネメアは慌てて歩きだし、それ以上男のことを気にすることはなかった。
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