第17話 目覚め(4)

 灰夜の国グレムリアは傭兵の国とも呼ばれている。

 グレムリアは九大災禍が一つ、死門と遭遇する機会が多い国だ。死門は触れたものの命を吸い取る嵐であり、それが訪れた場所は食物や生物が死滅するため、グレムリアの国土の大部分は荒野と化している。人々は死門が到来するたびに嵐の範囲外へ避難するか、影響を受けない地下などに隠れることで難を逃れるのだが、そのせいで一年の三分の一はまともに外を歩くこともできない。

 また死門が離れた時期でも安全とは言えない。転がる死体を求め禍獣たちが徘徊し、死体自体も呪いの影響を受けるため、常に多くの禍獣が荒野を徘徊しているからだ。

 禍獣は肉は食しても金品を取り込むことはないため、遺品や骸拾いの村人を目当てに野盗たちも出現し、人々は村の外へ出るだけでも常に死の危険が伴う。あまりに多い禍獣と野盗は国兵の力をもってしても対処しきることが叶わず、聖騎士に頼ろうにも三神教主神殿のある白花の国ルドぺギアからももっとも遠い国であるという特性上、頼れる人員も拠点も僅かしか存在しない。

 このため国兵の手が回らない場合にはフリーランスの退魔士が雇われる機会が増加し、その需要度の高さから常に多くの退魔士が滞在するようになった。

 退魔士は村と村の移動、行商人の護衛など多岐にわたる業務をこなし、腕の立つ者はグレムリア王国によって兵士や騎士へ召し抱えられる場合もある。

 彼らの存在は自らの保身を最優先する腐敗貴族たちにとって実に都合のいい存在であり、この制度によってますます国兵や騎士が国民の保護をおろそかにし、腕さえあれば高い地位に付けるという事例はさらに多くの退魔士たちを呼び込むことに繋がった。

 大陸に存在する五大国家の中で、呪いに対する国防の大部分を兵士ではなく退魔士に任せるという極めて異例な場所。それがグレムリアが傭兵の国とも呼ばれる由縁だった。

「おいもっと急いでくれ。予定より三日も遅れているんだ」

 小刻みに揺れる馬車の窓から顔を出し、行商人が怒鳴り声を上げた。

 それを聞いた騎手はへりくだった笑みを見せなながら言い訳を述べる。

「旦那ぁ。勘弁してくだせえ。この辺りは野盗の多い地域なんですよ。国道なんて通ったら命がいくつあっても足りやしません。この森だって安全とは言えねえんですから」

「そのために高い金を払って退魔士を雇ってるんだろ。いいから最短の道を進んでくれ。これ以上遅れると僕が取引先に切られてしまう。ただでさえグレムリアの商売は競争が激しいのに」

「でも退魔士さんの専門は禍獣対応でしょ。大勢の野盗が襲ってきたらひとたまりもありませんよ。一人しか乗ってねえんですし」

 騎手はちらりと背後を振り返り、武装した中年の男をいちべつした。少し出た腹にかすかに赤らんだ頬。どう見てもそこらへんの酔っぱらいにしか見えない。グレムリアに退魔士は数多くいるが、本当に実力がある者はごく少数だ。聖騎士とは違い、退魔士は自ら退魔士と名乗るだけで関係が成立するため、実力が共わない傭兵まがいな者も多い。この馬車に乗っている退魔士はどう見てもその手の人種だ。行商人はきっと騙されている。間違いないと思った。

「野盗なんて馬もろくに持てない連中だろ。この馬車に追いつけるものか。あんまりぐだぐだ言うのならクビにするぞ。困るのはお前のほうだろ」

「へいへい。わかりやしたよ」

 兵舎の馬番を解雇されてからようやくありつけた仕事なのだ。馬も馬車も全て行商人の所有物。今仕事を失えば自分の手元には何も残らない。妻と娘を養うためにも、あまりこの行商人の機嫌を損なうわけにはいかなかった。

 ――まいったな。……死門が去ってから三週間くらいか? そろそろ禍獣も這い出てきそうなんだけどなぁ。

 あの退魔士が役に立ちそうだとはとても思えなかった。騎手はこのまま森の中を進むことにためらいを覚えたものの、仕方がなく馬車を走らせ続ける。幸い馬に近いのは自分のほうだ。いざとなったら二人を切り捨てようと、そう考えた。

 鞭で馬の尻を叩くと僅かに速度が上がり、通り過ぎていく木々の体感数が多くなった。

 ――あ~あ。早く家族に会って休みてえな。最近仕事ばかりでろくに家にいないからなぁ。たまにはいっしょに上手い飯でも食いてえなぁ。

 この三週間ずっと国中を移動しっぱなしだった。骸拾いを生業とする村々を訪れ禍獣の遺骸やら何やらを安く買い取って町で売りさばく。それがこの行商人の仕事だったからだ。村人が直接町に行くには退魔士を雇ったり命の危険が伴うが、それを代理として行うことで安全を提供するというのが名目だ。しかし実際のところは安く買いたたいた遺骸を高額で売りさばく、あくどい転売業でしかないのだが、世間知らずな村人たちは中々そのことに気が付かない。まあその恩恵にあやかっている自分が言えたことではないのだが。

 もうしばらく進めば山道も終わる。森から出れさえすれば、王都まではすぐに辿り着くことができるだろう。

 ……一気に駆け抜けてしまおう。

 そう思い騎手はさらに馬を加速させようとしたのだが、鞭を持ち上げた途端、いきなり目の前に何かが飛び出した。

 手綱を引くも既に遅い。視界から馬の頭部が沈んだと思ったら、その胴体が目の前に迫る。足の制御が効かなくなり、自分が宙に浮いているのだと気が付いた。

 飛び出した何かは馬の脚に巻き込まれ地面の方へ掻き消える。次に強い衝撃。勢いのまま騎手は己の身体が馬の背から弾き飛ばされたのがわかった。

 背後の馬車から行商人と退魔士の悲鳴が聞こえる。騎手は草むらの中へ体を落下させ、激しく転がった。

 揺れる視界に全身を駆け巡る強い恐怖。打ち付けた肩からじんわりとした痛みが広がる。 

 砂埃が上がっている。馬車は完全に横転してしまったようだった。

 騎手は打ち付けた体の痛みに耐えながらも、自分が生きていることに感謝した。はっきりしない意識のまま自分の身体を見下ろし、損傷が無いことを確認する。

「何だ? ……何にぶつかった?」

 打撲の痛みが広がる肩を押さえつつ、上半身を起こす。もし禍獣との接触であれば、今すぐに逃げなければならない。草木の隙間から下にある馬車を見下ろすと、立ち上がった二頭の馬の間に倒れている男の背中が見えた。

 行商人でも退魔士でもない。ぼさぼさに生えた金色の長髪に、茶色く汚れた肌。そしてなぜか全裸だ。

騎手はその男の首がありえない方向へ曲がっているのを目撃した。どう見ても折れている。あれでは間違いなく死んでいるだろうと思った。

「おいお前! 何をしているんだ? なぜ馬車が倒れた!?」

 横倒しになっている馬車から行商人の男が這い出てくる。残念なことにどこにも怪我はしていないようだった。

「突然人が飛び出してきたんですよ。俺のせいじゃありませんって。ほら」

 騎手は馬の間で倒れている金髪の男を指さした。彼の姿を見た行商人は面倒くさそうに舌打ちした。

「……くそ。ついてない。……何だこいつ。何で全裸なんだ? 野盗に服でも取られたのか」

 金髪の男の背中を足で突っつき、生死を確認する。

「馬車の突撃を受けたんですよ。生きてるわけありませんって」

 騎手はため息を吐きながら二人を見下ろした。

 行商人は金髪の男から足を離し、

「何でもっとよく前を見ていなかったんだ。……ああ後味の悪い……」

 青白い顔で男の顔を覗き込もうとする。

「起きちまったもんはしょうがねえですよ。どうします? 身分を示すようなもんは何も持っちゃいねえみたいですが」

「放って置くわけにはいかんだろう。馬車に乗せるんだ」

 その返答を騎手は意外に思った。てっきり捨て置けとでも言うと思っていたのだ。

「何だその顔は。僕はこう見えても三神教徒なんだ。死者を無下に扱うことはできない。罰が落ちたら怖いしな。協会に運んで供養してもらおう。……とりあえず道からどかすぞ。ほら、さっさとこっちに降りてきて足を持て」

 まだ体は痛かったが、仕方が無く小さな崖を滑り降りた。そのまま持ち上げるのが何となく忍びなかったので、男の身体を仰向けにひっくり返す。ぐらりと揺れた頭部の目の下には濃いくまの跡があり、ひげは何年も剃っていないように無造作にあご下まで伸びていた。肌はとてつもなく汚れていて異臭のようなものすら漂っている。

 ――こいつ野盗じゃないよな……?

 貴族や商人にしては酷い風貌。とてもまともな生活を送っていた人間だとは思えない。だが雇い主である行商人が彼の上半身を抱え始めたので、慌ててその両足を手に取った。

「意外と重いな。そういえばあのおっさんはどうしたんですか」

「退魔士どのなら先ほどの衝撃で気を失っておられる。なに、息はあるからそのうち目を覚ますさ」

 やっぱり役に立たない奴じゃないか。自分の予想通りの状況に騎手は苦笑いを浮かべた。

 男の妙な体臭に耐えつつその体を横の草の上にそっと置く。そのまま行商人の方を見上げたところで、――彼が大きな悲鳴を上げた。

「うわぁっ……!?」

 足を滑らせ盛大に尻もちを着く行商人。高そうな服に泥がかかった。

 確かに死んでいたはずだった。間違いなく首が折れていた。にもかからず、金髪の男が目を見開いている。平然とした表情で行商人の腕を掴みながら。

 恐怖で声が出ないのか、行商人は無言で足掻くも男の手はびくともしない。足を滑らせ慌てふためく行商人を見て、金髪の男は長い間水分を取っていないような枯れた声を出した。

「……あ……ああ。すまない。反射的に掴んでしまった。他意は無いんだ。ほらこの通り」

 行商人の手が離される。彼は慌てて金髪の男から遠ざかり、叫んだ。

「な、何だお前! 生きてたのか……!?」

「申し訳ない。一瞬気を失ってしまっていた」

 そう言って何事も無かったかのように立ち上がる。

 ……おい嘘だろ。首が捻じれてたんだぞ……。

 見間違いだろうか。いやそんなわけがない。確かに自分は見たはずだ。騎手はわけがわからないまま金髪の男を見つめた。

 彼は倒れている馬車と騎手たちを見返し、

「君たちは商人か何かかな? 貴族にしては質素だが、農民にしてはこじゃれた服装をしている。……センスは酷いもんだが」

 酷く残念そうに行商人の派手な上着を見た。

 平然と会話ができている以上、生きていることは間違いない。よほど首が柔らかい男なのだろうか。そんな馬鹿なと自分で思う。

「……大丈夫なのか? かなり激しくぶつかったんだけど」

「怪我をしているように見えるか? この通り健康体だ」

 騎手の質問に対し、金髪の男は全裸の身体を左右に振り見せびらかし始めた。

 どうやら本当に無事なようだ。訳が分からなかったが、目の前でこう元気に体をねじられると認めざる負えない。

 金髪の男の妙な挙動を茫然と眺めていた行商人も、ようやく我に返ったようだった。

「な、何なんだお前。お前のせいで馬車が横転したぞ」

「いきなり飛び出してきたのはそちらも同じだろう。俺でなければ死んでいたぞ。お相子だ」

「何だと? ふざけるなよ。こっちは大事な商売の途中だったんだぞ。ただでさえ急いでたって言うのに……馬車や荷物が壊れたどうしてくれるんだ?」

「災難だったなとしか言いようがないな。俺もあんたらも」

 全く悪びれることなく、金髪の男はそう返した。

「おまっ――……何だその態度は?」

 流石に怒りを覚えたのか、顔をほんのりと赤くする行商人。このままではいつまでも言い争いが終わりそうにはない。しかしそう思ったところで、どこか遠くの方から狼の遠吠えのような声が聞こえた。

 動きを止める面々。ここがどういった場所であるのかを騎手はすぐに思い出した。

「旦那ぁ。とにかく馬車を起こしましょう。いつまでもここで叫び合ってたら、獣や禍獣に襲われちまう。あんたもほら、手を貸してくれ」

 こんな場所を全裸で歩いていたとなると、当然足となる馬は居ないはずだ。騎手の提案を聞いた金髪の男は案の定快く頷いた。

「いいだろう。ちょうど俺も道案内が欲しかったところだ。ずっと森の中を彷徨っていてね。困っていたところだったんだ」

「ずっとって、あんたどうしたんだ? 服も無いし、野盗に捕まってたのか?」

「いや服は……一度手に入れたんだが、獣に破かれてね。せっかくの上等な服だったんだが」

 獣に破かれたという割には、その体には傷一つない。

 騎手は不思議に思ったが、悪意や敵意のようなものは感じないため、とりあえず今は作業に集中することにした。

 横倒しになっている馬車の状態を確認すると、前部の車輪が外れてはいるものの、幸いにも破損はしていないようだ。中で寝込んでいた退魔士が邪魔だったので、無理やり外へ引きずり出した。

「この恰幅のいい男も仲間か?」

 彼の赤らんだ頬を見下ろしながら金髪の男が聞いた。

「退魔士だ。一応な」

「それにしては随分と腑抜けた顔だな。緊張感のかけらもない。まるで茹でた臓物のようだ」

 中々独特な表現で男は返した。

 騎手と金髪の男が馬車を支え、その間に行商人が車輪をはめなおす。彼が勢いをつけると、車輪はくるくると目の前で回転した。

「よし行こう。何だか遠吠えが近づいてきている気がする」

 流石に怖くなってきたのか若干の怯えた表情を見せる行商人。まだ意識を失ったままの退魔士を馬車の中に運び込んでから、騎手は馬を落ち着かせ御者席へ座った。



 馬車の中に戻ると、行商人はどっと疲れが押し寄せるのを感じた。

 大したことはしていないのだが、それだけ精神的疲労が大きかったということなのだろう。

 深く息を吐きながら背を座席に押しつけると、目の前に座った金髪の男と目があった。二つの青い瞳が光る様にこちらを見つめている。

「何だ……? 金ならやらんぞ」

「いや、そんなつもりはない。俺は寝る必要も食事をとる必要もないからな。支出はほとんど必要ないんだ。まあ、服は欲しいが」

 金髪の男は自身の汚れた体を見て悲し気な表情を浮かべた。そのまま言葉を続ける。

「君たちは商人なんだろう。どこへ向かっているんだ?」

「王都だ。そこで後ろに繋いでいる品物を売り捌いている」

「王都って言うと、グレイリーブスか」

「一体何百年前の話をしている……? それは確か死門の被害を受けて移転する前の王都だろ。グレイラグーンだ。……あんた大丈夫か? 一体どこの田舎で教育を受けてきたんだ」

「すまない。少々長い間世間を離れていたものでね」

 どこか嘘くさく金髪の男は答えた。

 退魔士が悪夢でも見ているかのように小さな唸り声を上げる。先ほどの衝撃で体を痛めたのだろうか。彼が動けなければ、いざ禍獣に襲われた時に非常に困るのだが。

 行商人が不安そうに退魔士の様子を伺っていると、金髪の男の視線がこちらの胸部へと移動した。

「君は、軽微な呪いを受けているようだな。心臓に負担がかかっているように見える」

「……何だ。あんた祈祷師なのか?」

「いや。だが知識は豊富なんだ。その首飾り、呪いを押さえる術式と洗礼を受けたものだろう」

「ああそうだ。何年か前に禍獣の遺骸に悪質なものがあってね。そいつの突起で腕を傷つけてしまってから心臓に悪影響が出るようになってしまった。今では定期的に祈祷師の治療を受けないと痛みでまともに動くこともできなんだ」

 首飾りを大事そうに見下ろし、行商人は答えた。

「ならばその祈祷師は未熟者だな。心臓の呪いをいくら抑えようとしたところで副次的な効果を打ち消しているだけに過ぎない。その呪いの根源は刺された腕の方にある。試しに首飾りを腕に巻き付けてみると言いい。きっと楽になるはずだ」

 行商人はいきなり素人が何を言っているんだと思ったが、金髪の男の表情が真剣そのものだったため、仕方が無く言う通りにしてみることにした。退魔士が寝てしまっているため今は二人きりも同然。何が切っ掛けで逆上するかもわからない以上、余計な波風は立てたくなかった。

 手首に首飾りを撒くと、不思議なことに心臓にのしかかっていた重石がとれたような気分になった。今までは呼吸をするだけでも億劫だったのに、まるで空が晴れたように空気が肺に流れ込む。

「これは……何で分かったんだ?」

「その首飾り程度で抑え込める呪いであれば、治療を繰り返していればとっくに完治できていてもおかしくはない。にもかかわらず治っていないということは、場所がずれているとしか思えないだろう。先ほどの君の説明を聞いて、ぴんときただけさ」

 金髪の男は寝ている退魔士をちらりと眺め、

「どうやら君の周りには胡散臭い人間が多いようだな。しっかりと腕の立つ祈祷師を探して、その人物に治療してもらえ。きっとすぐに呪いは払えるはずだ」

「そ、そうか。感謝する」

 行商人は素直に礼を言った。

「祈祷師でないのなら、あんたは呪術師か何かなのか? それとも退魔士か?」

「いや、今の俺は呪術も祈祷術も使えない普通の人間だ。ただ長い間重度の呪いに掛かっているからその手の話に詳しいだけさ」

「重度の呪い?」

「ああ。――……俺は、不死の呪いに掛かっているんだ」

 ごく平然とした様子で、男は答えた。





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