第16話 目覚め(3)
体の周りに半透明の断片が舞っている。それは地面につく前にかき消え、すぐに見えなくなった。
固い土に手を置き、カウルは周囲を見渡した。遠くに星明りが見える。どうやらいつの間にか夜になってしまったようだった。
――何が起きたんだ? みんなは……?
あれほど多くの村人が居たはずなのに、何故か今は一人の姿も見られない。一体どこに行ってしまったというのだろうか。恐ろしいほどに静かだ。
「父さん……母さん」
いくら呼ぼうと当然答えてくれる者はいない。ただ空しく自分の声だけがその場に響いた。
最後に見えたあの白い光。みんなが消えてしまったのはあの光のせいなのだろうか。
人を探して周囲を見渡すと、村の入り口にいくつかの明かりが移動していた。辛うじて見える服装から察するに聖騎士のようだ。
カウルは何が起こったのか彼らに確認しようと思ったが、立ち上がったところで違和感を覚えた。
村人たちは消えてしまった。それなのになぜ聖騎士たちは存在しているのだろうか。
消える直前、モネは大司祭メイソンが祭壇に向かったと話していた。そして光は祭壇から発生した。もしかしたらあの光は聖騎士たちと関係があるのかもしれない。
明かりは村の外にある天幕へと向かっている。カウルは村長の息子が彼らの話を盗み聞きしていた話を思い出した。彼らの天幕がある場所には、村の東にある岩場から続いている裏道があると。
岩場を通り村外まで来たカウルは、天幕の中に聖騎士たちが集まっている場所を発見した。
岩場の上や隙間を利用しながらこっそりと移動し、なんとか見つからずに裏へ辿り着く。影が映るのに気を付けながら慎重に布地へ耳を近づけると、話し声が聞こえた。
「村の様子は変わりありません。封印はしっかりと機能しているようです」
――封印? 刻呪の封印は解けたはず。何を言っているんだ?
聞こえた言葉にカウルは混乱した。
「刻呪の自然封印を流用した封印です。そう簡単に解けるものではありませんよ」
これは大司祭メイソンの声だ。独特な穏やかさがあるからよく覚えている。
「メイソン様。村人たちはどのような状態にあるのでしょうか。あのまま放置していては、食事を取ることも出来ず死んでしまうのでは?」
村で頻繁に目にしていた神官。彼女のものと思われる声が聞こえた。
「私が施した術式は刻呪の自然封印を流用した空間封印です。この村を対象に傷の呪いを帯びたもの全てを別次元へと閉じ込めました。そこでは意識も時間も封印時のまま止まっているはずです。封印が維持されている限り、彼らが亡くなることはないでしょう」
封印? 傷の呪いを帯びたもの? 何を言っているんだ? まさか、村人を全員封印したと、そう言っているのか。
額から冷汗が流れる。カウルは今耳にした言葉が信じられなかった。
「封印はいつまで? 主神殿から神官士団の応援が到着するまででしょうか」先ほどの神官が聞いた。
「わかりません。参考資料として呪いを受けた植物を別途封印保持していますが、あそこまで強力な呪いであれば、そう簡単に解呪方法が見つかることもないでしょう。下手をしたら他の封印指定地のように、ずっと守護騎士団が見張り続ける必要があるかもしれません」
こいつら何を言っているんだ? 封印指定? 何で? どうして聖騎士が村人たちを封印する必要がある。みんな普通の人間なんだぞ。
上手く事態が呑み込めない。カウルはもっと情報を入手するために、天幕へ耳を近づけた。
「呪いを拡散させないためとはいえ、人道に反する措置でした。私は一生、彼らに恨まれるかもしれません」
メイソンが酷く疲れた声を出した。
それを聞いた聖騎士の一人が、理解を示すように彼を慰める。
「我々の仕事は人々を呪いの脅威から守ることです。あのまま放置していれば、村人たちは周辺の村へと逃げ出し、傷の呪いはグレムリア中に広がってしまったことでしょう。あなたは正しい判断をされたのです」
彼の回答を頭の中で繰り返す。カウルは何が起こったのかを必死に理解しようとした。
村は壊滅寸前だった。食料は無くなり、傷の呪いで人々は死に続け、村人たちは今にも他の村や町へ飛び出そうとしていた。もしあのままメイソンが封印を施さなければ、村人と聖騎士は殺し合い、多くの死人が出たかもしれない。もし村の外に人が逃げ出せば際限なく傷の呪いを拡散し、大惨事を引き起こしたかもしれない。
村での光景を思い出す。聖騎士たちは呪いの治療を試みたが誰一人まともに治すことはできなかった。村人たちは聖騎士たちが仕事をしないと怪しんでいたけれど、あれは単純に解呪方法が見つからなかっただけなのだとしたら。
事態が飲み込めてくるにつれ、嫌な予感も高まっていった。
先ほどメイソンはこの地が封印指定地になったと言った。封印指定とは三神教において最高位の呪いの証だ。封印指定された場所は絶えず守護騎士団の聖騎士が見守り、呪いが自然消滅するまでひたすら管理され続ける。何年も。いや下手をしたら何百年もずっと。それはつまり、カウルが家族に会える可能性がもう二度とないかもしれないことを示していた。
……嘘だろ。……ふざけるなよ……。
せっかくあの地獄を生き延びれたのに。家族と一緒に暮らせたのに。何でまたこんな目に遭わなければならないのだろうか。こんなの受け入れられるわけがない。
奥歯を噛みしめ、必死に考えを巡らせる。何とかして家族と友人だけでも救いたかった。
そうだ。アザレアに行けば呪術師は数百人といる。金さえ払えば協力してくれる人間だってきっといるはずだ。
村人の封印はメイソンが――人間が施した術式である。なら同様の知識を持つ者なら解除は可能だ。素早く開放すれば、聖騎士が村を包囲する間もなく逃げられるかもしれない。
村さえ出れば逃げ道はいくらでもある。みんなが無事ならまた他所でいくらでも……――
そう思ったところで、最後に目にした両親の姿を思い出した。
何が切っ掛けで死ぬかもわからず、常に周りのものに恐怖心を抱いて過ごしていたあの日々。昨日笑いあった隣人が朝には死んでいることだってあった。掃除も家事も何もかもが命がけ。お互いがお互いを傷つけないように安易に抱き合うことすらできない。
封印を解くということは、みんなをまたあの地獄へ送り込むことを意味している。またあの極限状態の緊張の中へ。
カウルは積まれた木箱に腰を押し付け、座り込んだ。苦しさに耐えるように自分の頭を抱える。
封印を解くわけにはいかない。今封印を解けば、みんなの命を危険にさらしてしまう。呪いの解呪方法が見つからない限り、結局何の解決にもならないのだ。
「くそっ……!」
ならこれから自分は一体どうすればいいのだろうか。誰も助けられない。何もできない。ただ誰もいない村でたった一人。聖騎士が解呪方法を見つけるまで待ち続けるしかないのか。
恐ろしい孤独感と不安が溢れ出る。カウルは握りしめるように自分の頭を掴んだ。
「――……一つだけ解決策がはあります」
絶望に打ちひしがれるカウルの耳に、メイソンのそんな言葉が聞こえた。
カウルは虚ろな眼で背後の天幕を振り返った。
「このロファーエル村に降りかかった呪いは、あくまで刻呪と呼ばれる禍獣の副次的な穢れです。恨みや妬みを起因とする呪いは術者の死後も残りますが、この村の呪いはそれとは違う。ならば、発生源さえ消え去れば呪いは解けるかもしれません」
「それは刻呪を殺すということですか。これだけの災いを引き起こした禍獣を仕留めるとなると、相当な努力が必要となりますな。どれほどの犠牲がでるかもわからない」
渋い声の聖騎士が難色を示すように唸った。
「どの道、その危険な何かを世に解き放ったままにしておくわけにはいかないでしょう。くだんの呪術師が刻呪を利用する気であれば、必ずどこかで刻呪と相対しなければならなくなります。……今回グレムリアに遠征に来ていて本当に幸運でした。傷の呪いの拡散を抑え込めたこともそうですが、何より刻呪を使ってよからぬことを計画している者の存在にいち早く気が付けたのですから。
……今の私たちに出来ることは、呪術師の足取りを早急に特定することと、傷の呪いの資料を主神殿へ持ち帰ることです。それに尽力することが村人や仲間の死をもっとも無駄にしない方法でしょう。彼らの事を本当に思うのであれば」
メイソンの声が響き渡る。ざわざわした声も消え天幕の中が静かになった。
カウルは僅かにまぶたを開けた。
助かる? みんなが……? 刻呪を殺せれば……?
今聞いた言葉の意味を頭の中で反芻する。
前に村の祈祷師から聞いたことがある。禍獣とその呪いの関係は火と蝋燭に似ていると。傷の呪いは刻呪の身体から発生したもの。ならば、刻呪が消滅すれば傷の呪いも消える可能性は高い。
かすかな希望が胸に沸く。もし本当に刻呪を殺すことでみんなが助かるのなら、すぐにでもあれを探して仕留めて欲しいと思った。
そうだ。殺せばいんだ。刻呪を。あの化け物を。あれさえ死ねばみんなは――……。
そう考えた瞬間、ふいに全身に悪寒が走った。手足が無意識のうちに震え始める。想像したことで思い出してしまったのだ。
あの黄色い三つの瞳を。圧倒的な存在感を。人知を超えた世界を。
――殺す? 刻呪を? あの化け物を……?
あれはもはや別次元の生き物だ。あんなもの、人の手でどうにかなる代物じゃない。
カウルは急に世界が闇に染まったような錯覚を覚えた。
傷の呪いはメイソンたちが必死に調べても解決することができなかった。刻呪はそれを常に全身から噴き出している。ただ刻呪に近づくだけで死んでしまうのに、一体どうやって殺すというのだろうか。
聖騎士が呪いの専門家であることは承知している。カウルには知る由もない戦い方や知識だってきっと豊富にあるはずだ。けれど、いくらそう願っても、彼らが刻呪に勝つ光景を思い浮かべることができなかった。
地面に置いた手を握りしめる。爪によって抉られた土が小さくへこんだ。
結局どうすることもできないのだ。誰も封印を解くことはできないし、誰も刻呪を殺せない。みんなを開放することなんて夢物語でしかない。
悔しさと無力感で頭がおかしくなりそうになる。
音を立てないようにカウルは自分の唇を強く噛みしめた。
もういっそ自分も封印に加えてもらおうか。父も母も。ゴートやモネも。みんな封印の中にいる。そうすれば少なくとも封印が解ける日が来た時に家族と再会することはできるのだから。
風が吹き灰色の葉が地面の上を舞っていく。それを目にしたカウルは、先ほどの半透明の断片を思い出した。
傷の呪いを受けた村人たちは、みなお互いに触れることで呪いを感染させ、少しでも傷を負うと際限なくそれを増幅させ死んでいった。だが妙なことに、カウルは誰に触れようと何に触れようと傷の呪いが広がることはなかった。そればかりか、いくら怪我をしても自身の怪我すら広がらなかった。ただ傷を見てそれを強く認識したときにだけ、対象の傷が広がるのだ。
あの白い光。メイソンの言う封印が行われたとき、カウルは自分の身体から黒い亀裂のようなものが出るのを見た。それは白い光を切り裂いて広がり、カウルだけを村の中へ戻した。もしまた封印を施されたところで同じことが起こらないとは言い切れない。
封印は最低限の手段。封印が効かないとわかれば、例えいくら呪いを拡散しないと訴えたところで信用されず殺されてしまう可能性が高いだろう。
封印は解けない。刻呪は殺せない。行く場所も無い。もはや耐えきることができなかった。目から一筋の液体が流れ落ちる。それは灰色の地面を黒く染め、まるでこの村の空のような輪を作った。
どれだけそうしていただろう。腹の音が鳴りカウルは顔を上げた。
話し声はもうまったく聞こえない。いつのまにか天幕の中にいた聖騎士たちは解散し、それぞれの寝床や持ち場へと帰ったようだった。
行くあても目的ももうはや何も無い。だがこの場に残っていてもただ殺されるだけだ。
カウルはのっそりと立ち上がろうとして、異変に気が付いた。
指を喰い込ませていた土。カウルが八つ当たり気味に力を込めて抉った地面。そこに、ありえないほど大きな跡が出来ていた。無意識のうちに傷の呪いの影響を与えてしまっていたようだった。
……まるで禍獣の爪痕だな。
カウルが抉った土は数センチだったにも関わらず、今では剣の刃ほどの長さの亀裂が出来ている。誰かが通りがかりにこれを目にすれは、すぐに警戒態勢を取れと大騒ぎすることだろう。
カウルはため息をつきながら足で抉れた土をほぐした。余計な騒動で聖騎士たちの仕事を邪魔したくなかった。
本当に嫌になる。なぜ自分だけこんなことになっているのだろうか。怪我をしても死なないのに、傷の呪いだけは与えることができる。……これじゃまるで刻呪と同じ……――
そこで、カウルは動きを止めた。
土の被った己の靴をまじまじと見つめる。
一瞬妙な引っ掛かりを覚えたのだ。何かを見逃しているような、何かを素通りしているような。
封印が解けてからこれまでの出来事が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
すぐに、カウルはある事に気が付いた。
それはとても恐ろしく、同時に死にかけていたカウルの心を大きく揺さぶる考えだった。
カウルは己の手を見下ろした。
――……そうだ。いるじゃないか。一人だけ。傷の呪いが効かない人間が……。呪いの影響を受けない人間が……。
なぜすぐに思い至らなかったのだろう。少し考えればわかりそうなことなのに。
カウルは呪いを帯びた誰に触れようと怪我を負うことは無かった。怪我をしようとそこから傷の呪いが広がることは無かった。恐らくは、刻呪の生贄となったから。あの時にあの化け物と何らかの繋がりができたから。
「……俺は刻呪に近づけるんだ。俺なら……」
確証はない。ただの憶測に過ぎない。でもどうしてか、それが真実である気がしてならなかった。
ただの世間知らずの田舎の子供。例え刻呪に近づけたところで傷を与える技術も無ければ武器もない。
けれど逆に言えば、それさえ身に着けることができれば……。
カウルは聖騎士たちの天幕を振り返った。
彼らに、メイソンに話すべきだろうか。聖騎士に加わって戦い方を教えてもらえれば、自分でも刻呪と戦えるようになるかもしれない。自分なら刻呪を殺せるかもしれない。
激しく心臓が波打つ。恐怖と興奮が半々に入り混じっていた。
カウルは自分に落ち着くように言い聞かせた。
先ほどそれについては考えたはずだ。聖騎士たちは傷の呪いを最大限に警戒している。話をしたところできっときっとまともに取り合ってくれることは無い。
額の汗をぬぐうと腕に無数の水滴が付いた。カウルはそれを払いながら、必死に考えを巡らせた。
対禍獣の専門家は間違いなく聖騎士だ。刻呪を殺すのなら、彼らに教えを教えを乞うべきである。メイソンたちは自分が封印から逃れたことを知らない。ならばここから離れた街へ行けばいい。そこで聖騎士の募集へ応募すれば……!
我ながらなんて馬鹿なことを考えていると思う。
頭ではわかっている。どれだけ無謀なことを考えているのか。どれだけ恐れ多い真似をしようとしているのか。
何もできないと思っていた。ただ待つしかないと。でもこの力があれば戦うことができる。みんなを救うことができるかもしれないのだ。可能性があるのなら例え僅かでも挑みたい。このままここで一人、死んだように生きるくらいなら。
足に力が籠る。カウルは膝に手を当て体を起こした。
そうだ。何を悲観的になっていたんだ。そもそもの発端は、自分があの偽祈祷師の問いに答えたからだ。「生きたい」と願ったからだ。あそこで素直に刻呪に食われていれば、こんなことにはならなかった。父や母が、村人たちが苦しむことなんて無かった。自分があの化け物を解き放った。自分が村をこんな状態へ追い込んだ。ならどれだけ苦しもうがどれだけ辛かろうが、彼らを救うために足掻き続けなければいけないんじゃないのか。それが刻呪を解き放った自分の責任のはずだ。
聖騎士たちはきっと刻呪を殺すことはできない。傷の呪いを防ぐためにこれからも村を封印し続けるだろう。それがもっとも安全で、もっとも世界のためになる方法だから。
ふと、吊るされた猪の姿が頭に浮かぶ。
生きるためには何かを犠牲にしなければならない。何かを奪わなければならない。例えその犠牲者の感情や幸福を無視してでも。
それは当然の行為。限られた世界の中でより多くのものが平和を享受するための尊い犠牲。
理解はできる。頭ではわかっている。
けれどどうしても、カウルはそれを受け入れることができなかった。
ロファーエル村の周囲には、似たような岩場がいくつもある。
カウルは北側の岩道を通りこっそりと聖騎士たちの見張りをやり過ごすと、眼下に広がる家々を見下ろした。
漆黒の空に覆われた岩山の村。骸拾いという労働で何百年も生き抜いてきた小さな世界。
村で生涯を終えることがずっと嫌だった。ずっと外に出たいと思っていた。けれど今は、あの日々が、何の苦労も痛みもなくただただ平穏なあの日常が
恋しくて仕方がない。
父を、母を、ゴートとモネの顔を思い出し、カウルは誓いを立てるように呟いた。
「俺が、必ず……助けるから」
風で灰色の荒野が生き物のように揺らいでいる。
足を踏み出す直前、カウルは僅かに躊躇いを覚えたが、歯を噛みしめ歩き出した。
どこまでも続く暗い荒野がまるで歓迎するようにカウルを向い入れる。すぐに彼の姿は闇に呑まれ、そして見えなくなった。
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