第14話 目覚め(1)
二週間前。グレムリア北西部のとある森。
赤々と燃えるたき火を眺めつつ、ブッゴは干し肉を噛みしめた。
渇きものではあるが、久しぶりに感じる肉の味に自然と唾液が溢れてくる。いつ死んでもおかしくはない世界。だがこうして快楽を感じる時だけは、自分が生きているのだと強く実感することができた。
「おいブッゴ、いつまで食ってんだ。手伝えよ」
たき火の反対側で荷物の整理をしていた一人がいら立ったように声を上げた。彼の手には昼間に殺した旅人の衣類が握られている。
「飯くらいゆっくり食わせろよ。荷物は逃げやしねえんだ。持ち主が死んでるんだからな」
自分の指を舐めまわしながら、面倒くさそうに手を振るブッゴ。それを目にした男はさらに苛立ちを募らせたようだった。
「そう言っててめえいつも手伝わねえじゃねえか。いい加減にしねえとわきまえを減らすぞ」
「減らしてもいいが、ならその分働かなくてもいいよな。今度から護衛の退魔士もあんたが相手してくれるのか」
野盗集団のお頭はこの男だ。だが戦闘能力で言えばブッゴのほうが秀でている。お頭は舌打ちしブッゴを睨みつけた。
「たかが田舎の退魔士一人殺したくれえで何を粋がってんだ。あいつらは禍獣殺しが生業であって、人間相手は慣れてねえんだからな」
「それでも俺が強いことには変わりないだろ。役得だと思って許してくれよお頭。いざというときは率先して戦うからよ」
ブッゴは太く固い腕を持ち上げてみせた。感情に呼応するように青い血管が浮かび上がる。
お頭はまだ何か言いたげだったが、言葉を呑み込みそっぽを向いた。これ以上何か言ってもブッゴが動かないと分かっているのだろう。
――腰抜けめ。
いくら偉そうにしたところで結局最後は諦めるのだ。ブッゴは腹の中でお頭のことをあざけった。
体も大きく力の強いブッゴが彼の命令に従っているのは、単に利害関係があるからだ。
ブッゴは暴力と力を貸し与え、お頭は文字の読めないブッゴの代わり銭勘定を行う。お頭はブッゴが居なければ旅人を襲うことができず、ブッゴはお頭が居なければ戦利品を売りさばくことができない。
盗賊団としてお頭が上の立場にいるのは事実だが、実際のところ立場としては対等の位置にいることをブッゴは良く理解していた。
歯に挟まった肉筋を指でつまみ、たき火の中へ投げ捨てる。奪った木筒から果実酒を喉に流し込み口の中をすっきりさせると、ブッゴは重い体を起こして立ち上がった。
果実酒を飲み続けたおかげでもよおしてしまったのだ。たき火の周りに並んでいる灰色の木々を見渡し、一番大きな木の根元へと移動する。それは複数の細い木が絡み合ったような独特な生え方をした木だった。
「お~よしよし。お前さんにもお酒のおそそわけだぁ。俺のおさがりだけどよぉ」
鼻歌を歌いながら服の下からいちもつを露出させるブッゴ。すぐ様に溜まった水分がそこから放出された。
尿が当たった樹皮の色が濃くなっていく。ブッゴは面白半分に腰を動かし木の側面を濡らしていった。
「ん?」
木を濡らしていくうちに、ブッゴは妙なものを発見した。細く絡み合った木々の間に人の形のような輪郭が見えたのだ。
全ての水分を出し終えたブッゴは、いちもつを服の下に仕舞いながらその輪郭を見つめた。
「何だこりゃあ」
「どうした?」
自分のしょんべんの跡を真剣な表情で睨みつけているブッゴを不審に思ったのか、お頭が渋い声を出した。ブッゴは服で手を拭いながら、
「いやよ。何か人の形みてえなもりあがりがあるんだよ。見てみろよ」
「人の形?」
お頭は用心した表情で近づいてきた。
「ほらこれよ。どう見ても人間の形してるだろ。まるで人を避けるように木が巻き付いてるみてえだ」
「……死体でも埋まってるんじゃないのか。確か殺した得物を土に埋めて隠す禍獣も居たよな」
「金目のものを持ってるかもな。取り出してみようぜ」
「よせ。もし禍獣の仕業なら手を出さない方がいい。余計な怒りを買うかもしれない」
「この時期に禍獣なんていやしねえだろ。びびんなよ」
ブッゴが小刀を抜こうとした時だった。細かい刃が肌を撫でていったような、そんな不快感が電流のように体を走り抜けたのは。
「何だ? 今の?」
同じ感覚をお頭も受けたらしい。彼は不思議そうに自分の身体を見下ろした。
その妙な感覚は南の方から来たようだった。ブッゴは灰色い木々の隙間から見える曇り空をいぶかし気に見上げた。
特に異変はみられないが何となく嫌な空気だった。以前死門を間近で見た時もこんな感覚になった覚えがある。
しばらくじっとしていたが、特に異変は訪れない。場を取り繕うようにお頭が口を開いた。
「……もうここを離れよう。こんな死体があるんだ。冬眠から目覚めた禍獣がいるのかもしれない」
ブッゴは木に埋まっている死体の所持品を漁るか迷ったものの、自分の本能に従い小刀を仕舞うことにした。何となくこのままここに居ることに心細さを感じたのだ。
「おしてめえら。アジトに帰るぞ。荷物を纏めろ」
お頭はたき火で暖を取っていた仲間たちに呼びかけた。散らばっていた仲間たちは、億劫そうにそれぞれ手を動かし立ち上がる。
「ほらブッゴ。てめえも早くしろ。いつまでそんなとこに……――」
そこでお頭が高い声を上げた。驚いたように見開かれた目。それは真っすぐにブッゴの背後の木へと向けられていた。
何かが擦れる音が耳の裏を撫でる。
ブッゴはとっさに剣を抜き振り返った。
――手が、突き出ていた。
絡み合った灰色の木々の隙間からにゅっと汚れた一本の腕が伸びている。
「な、何だぁ?」
ブッゴは枝の見間違いかと思ったが、何度目を凝らしても腕にしか見えなかった。それは痙攣するように五指を動かし、震えていた。
「死門の瘴気で死体が禍獣化したのか?」
歪曲した剣を鞘から抜き取り、警戒心を露わに身構えるお頭。その音を聞きつけた他の仲間たちも何事かとこちらを振り返った。
汚れた腕は何かを探すように空中で蠢き、それに比例して絡み合った木々の木片がかさぶたが剥がれるように土の上へ落ちていく。
もはや生きているのは疑いようがない。ブッゴは剣を逆手に構えると、それを迷わず木々の間へと突き刺した。
「おいっ」
お頭が驚いたように声を出すも、構わず腕に力を込める。肉をかき分ける重たい感触が伝わり、真っ赤な鮮血が木の隙間から噴き出した。
「いきなり何してんだブッゴ」
「いいじゃねえか。人だろうが禍獣だろうが、俺たちにとってはどうでもいいだろう。得体の知れねえもんなら、とりあえずぶっ殺しとけばいい。大事なのは金になるかどうかだからな」
「貴族の息子とかだったらどうする? 謝礼金をもらえたかもしれないのに」
「俺たちみてえな小汚ねえ連中に謝礼金を払う貴族なんていねえだろ」
ブッゴは自分のぼろぼろの服を見下ろし、自嘲気味に笑った。そのまま差し込んだ剣を抜こうと腕に力を籠める。
骨に刃が引っかかっているのか、中々抜けない。ブッゴは足を木々に乗せ、全身で剣を引っ張った。
木々の枝やツタがめくれ上がり、刀身とそれに付随した肉が隙間から姿を見せていく。どうやら遺体は男のようだった。土で汚れきってはいるものの、金色の髪の毛とむき出しの平らな裸体がかすかに見えた。
「もう少しで抜けるぞ」
「おいブッゴ!?」
ブッゴがさらに力を込めようとしたとことで、再びお頭が叫んだ。先ほどよりも大きな声だった。ブッゴが顔を上げた刹那、何かと目が合った。二つの青い瞳がこちらを見下ろしていたのだ。
「は、はぁ? こいつまだ生きて……――」
ブッゴは必死にもがいたが、剣はびくともしなかった。よく見ると遺体だと思っていた男の右手ががっしりと剣の腹を掴んでいた。ブッゴを見つめながら首を傾け口を開ける金髪の男。その中から一匹のムカデが這い出してきた。ブッゴは本能的に恐怖を感じ、手を離して後ろに仰け反った。
金髪の男は絡み合った木々の隙間から抜け出ると、口の中で蠢いているムカデを土に向かって吐き出した。粘着質な音がブッゴの耳に滑り込む。
金髪の男は南の空を見上げ、不思議そうに呟いた。
「今のは……何か異変が起きたのか。この世界に」
かすれてはいるが、普通の人間の声だ。相手に人の意識を感じ取り、ブッゴは少しだけ心を落ち着かせた。
「な、何だてめえ」
剣は未だ男の腹に突き刺さったままだ。その状態で男は平然と空を見上げている。ブッゴは小刀を構え、金髪の男に切先を向けた。
「今は一体いつなんだ? まだ聖歴を使っているのか?」
金髪の男は目の前にいるブッゴたちが剣を抜いていることなど全く気にしていないようだった。腹に剣が刺さったまま、友人に話しかけるようにそんなことを聞く。
「おいあいつ普通じゃねえよブッゴ。変な威嚇はするな。何もしなければ勝手にどっかいくかもしれねえ」
ゆっくりと横に並んだお頭がブッゴに耳打ちした。しかしブッゴはそれを無視して男に呼びかけた。臆していると思われるのは我慢がならなかったのだ。
「何だって聞いてるだろ。答えろ」
金髪の男はブッゴをいちべつし、
「何って、どうみてもただの全裸の男だろう。俺がそれ以外の何かに見えるなら、お前の目は病気だ。今すぐ祈祷師か医者に見てもらった方がいい」と残念がる様に答えた。
その回答にブッゴたちが困惑していると、男は掛け声を上げ、自分の腹部に刺さっていた剣を両手で抜き取った。血しぶきが跳ねブッゴの足にかかる。
「な、何でこいつ平然としてやがるんだ」
お頭が恐怖を感じたように一歩後ろへ下がった。
「お前の剣か。良い剣だが、あまり手入れをしていないようだな。錆が刃に浮いてしまっている。ほら、受け取れ」
まるで何事も無かったように剣の柄をブッゴへ差し出す金髪の男。彼が躊躇なく目の前に踏み込んだのを見て、ブッゴは反射的に小刀を振り下ろした。
刃は男の肩に叩き落とされ、皮膚が、肉が刃の圧力に負けて左右へかき分けられていく。
赤く染まる視界。飛び散る血液。誰がどう見ても致命傷だった。普通の人間であれば悶絶し倒れ込むほどの傷。にもかかわらず、男は平然としていた。肩から大量の血をまき散らしたままブッゴを眺めている。
「ほう。太刀筋は悪くないな。あくまで野盗にしてはだが」
「――っなん、何だてめえは!?」
金髪の男はブッゴの小刀を横へ逸らし、手に持っていた剣の柄を自分の手に握り直した。
あまりの気味の悪さに流石に距離を取るブッゴ。金髪の男は剣を肩に乗せ、余裕に溢れる笑みを浮かべていた。
――呪術師か……?
意思疎通が可能である以上、禍獣ではない。ならばこんな真似が出来るのは、呪術師か魔女だけだ。
ブッゴの目の前で男の傷が塞がっていく。白い煙のようなものが薄っすらとそこから立ち上っていた。
「てめえら、剣を抜け」
大声を上げ仲間と自らを鼓舞する。こちらから切り付けてしまった以上、今さら後には引けない。戦闘時はブッゴがもっとも信頼されている。尻込みしているお頭をよそに、仲間たちは一斉にそれぞれ武器を構えた。
「やめとけ。時間の無駄だぞ。俺は――」
一人の野盗が放った短刀が金髪の男の眉間に突き刺さり首が後ろへと曲がる。しかし金髪の男は、頭から血を流したまま、
「――不死身だからな」
と笑顔で答えた。
最後の枝が燃え尽き、たき火が消えた。
その周囲には手足を傷つけられた野盗たちが転がっている。
ブッゴは何とかして腕を持ち上げようと試みたが、あまりの痛みに悶絶し、剣を落としてしまった。指が三本になってしまった手が、悲鳴を上げるように痙攣していた。
「もう十分だろう。早く治療した方がいい」
金髪の男は自身の剣を地面に突き刺し、手を離した。
震える手を押さえながら、ブッゴは信じられない思いで男を見返した。
ありえないものが目の前に立っている。頭を貫かれても、腸を掻き出されても、腕を落とされても、この男は即座に回復し、平然としていた。呪術師ならば呪言や術式の展開があるはずだが、この男にはそんな素振りすらも全く見られなかった。
金髪の男は落ちていた荷物の中から小奇麗な服を拾うと、値踏みするようにそれを広げ眺めた。
出血の所為で気が遠くなっていく。ブッゴは足から力が抜け倒れてしまった。
暗くなっていく視界の中、最後に見えたのは、臭そうにブッゴのしょんべんのかかった腕の臭いをかぐ、金髪の男の横顔だった。
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