第13話 封印(6)


 食料確保の方法について両親と相談をしているときだった。

 窓の外から喧騒のようなものが聞こえた。まるで言い争いをしているかのような声だった。

「何だ。騒がしいな。こんな夜中に」

 恐る恐る外の様子を確認する父。椅子から立ち上がろうとした母を片手で制する。

「また死人が出たの?」

 村の住民は既に半分以下になってしまっている。うんざりした声で母が聞いた。

「いや聖騎士と口論しているみたいだ。かなりの人数が集まってるぞ」

 そう言い終えると、父は身なりを整え扉のノブを掴んだ。

 喧騒はますます大きくなっていく。何事か起きたのだろうか。カウルは父の後を追うように家の外に出た。

 大通りに立つ数人の聖騎士。それを生き残った村人たちで囲んでいるようだった。怒鳴り声のようなものも響き渡っている。

 取り巻きの中に骸拾いの仲間を見つけた父が、恐る恐る話しかけた。

「ダリアン。どうした? 何を騒いでいるんだ」

「――カエルム……」

 ダリアンは父とカウルに一瞬気まずそうな目を向けたが、すぐに自然な表情を作り直した。

「リックのやつが聖騎士たちの会話を盗み聞きしたんだ。やつら俺たちを皆殺しにする計画を立ててたらしい」

「はあ? 嘘だろ」

 リックとは村長の息子のことだ。父は思わず大きな声を出した。

「聖騎士の連中、俺たちを村から出さないように徹底するだけで、ろくに呪いの治療もしなかっただろ。村長はそれを疑問に思って岩場の抜け道を使ってリックに見張らせていたんだ」

 村人に囲まれている聖騎士たちは、傷の呪いを受けないように必死に距離を取りつつも何とか皆を説得しようと努力している。命がけで村にやってきた彼らが虐殺を計画しているとは、カウルにはとても思えなかった。

「聞き間違いじゃないの?」

 カウルは疑いを込めてダリアンを見上げた。

「俺だって疑いたくはねえよ。良くしてもらったやつらだっているし、わざわざ助けに来てくれたんだ。けど、リックが聖騎士に追われて逃げ戻ってきたのを見ちまったからな」

 こうしている間にも人々はますます増えていた。囲まれている聖騎士を助けるように、別の聖騎士たちもやってくる。

「……何だか嫌な予感がするな」

 騒ぎ立てる村人と聖騎士を眺め父が呟いた。

「おいダリアン。大変だ!」

 そこへ別の男が駆け寄ってきた。彼も骸拾いの仲間の一人だとカウルにはすぐにわかった。

「村の周辺を聖騎士たちが囲んでいるらしい。村長の話を聞いて逃げ出そうとした連中に剣を突き付けたんだってよ」

「剣を? 聖騎士が俺たちにか?」

 ダリアンは信じられないと言うように聞き返した。

「ダリアン。今のうちに村から逃げなきゃ本当に殺されるかもしれねえ。聖騎士の連中って、呪いを封じるためなら人殺しだってするらしいじゃねえか」

「た、確かにそういう噂は聞いたことあるが」

 二人の声が大きかったせいか、その話は居合わせた他の村人たちにも動揺を広げたようだった。

「何でよ。聖騎士は人類の守り手じゃなかったの!?」

 あちらこちから混乱の声が響く。

 興奮した村人の一人が聖騎士に大きく近づいた。

「どういうつもりなんだてめえら。俺たちを助けにきたんじゃねえのかよ」

 見張り役の一人。前に駐屯所でカウルたちを囲んだ者の一人だ。

 通常なら村人が訓練を積んだ聖騎士に勝てるはずがない。しかし今の彼らには傷の呪いというある種の自滅呪術が付与されている。このまま争いが始まれば、どちらにも甚大な被害が出るのは明らかだった。

 さらに一歩近づいた村人をけん制するために、若い聖騎士が剣の柄を握った。

「父さん……」

「――……家に戻るぞ。母さんを連れて村はずれに行く。北側の岩場なら聖騎士も村人も少ないはずだ」

 これが悪い状況であるとわかっているのだろう。父はカウルの手を掴むと、ダリアンたちに背中を向け人垣から離れた。

 

 聖騎士の話は既に村中に広まっているようだった。

 カウルが両親と北に向かって進んでいると、多くの人が家から出て大通りの様子を伺っていた。遠目にゴートとモネの一家の姿も見える。

「父さん。ゴートたちも一緒に連れて行こう」

 彼らの姿を目にした父は一瞬躊躇いを見せたが、カウルの表情が動かないのを見て諦めたように頷いた。

 こちらに気が付いたゴートとモネが駆け寄ってくる。カウルは二人が無事に生きていることに安堵した。

「すごい騒ぎになってるな。聖騎士が剣を向けてきたんだろ」とゴート。

「ああ。でも死人が出たわけじゃない」

 二人の両親に事情を説明している父と母を眺めつつ、カウルは冷静に答えた。

「父さんたちと北の岩場に避難しようとしてるんだ。二人も一緒に行こう」

「北に? ……確かにこの騒ぎじゃ殺し合いになってもおかしくねえもんな」

 ゴートの顔には恐怖と興奮が半々の割合で浮かんでいた。村人たちが混乱しているのを楽しんでいるようにも見える。

 そこでモネが口を出した。

「私さっき北の方にも聖騎士を見たよ。大司教って人が祭壇の方に向かって歩いてた」

「祭壇に? 何でこんな時に……」

 カウルは依然面会に訪れたメイソンという青い目の男を思い出した。一体この状況で祭壇に何の用があるというのだろうか。彼の意図が分からず混乱する。

「カウル。二人のご両親も一緒に避難することになった」

「あ、うん」

 どうやた父はゴートとモネそれぞれの家族を説得できたらしい。逞しい黒い肌のゴートの両親と、青白く細いモネの両親が緊張した顔で周囲を見渡しいていた。

 周囲を警戒しながら歩き出す一同。カウルも父の後に続こうとしたのだが、横に並んでいたはずのモネが動いていないことに気が付いた。

「どうしたモネ。早く行かないと」

「……あれ、何?」

 彼女の視線は祭壇の方に向けられていた。カウルがそちらを見ると、白い光の幕のようなものが幾重にも祭壇の上空に舞っているところだった。

「雪……――?」

 いくら呪いの影響があろうと、この時期に雪など降るはずがない。

 また呪いの影響なのか? でもそれにしては……。

 光の帯からは嫌な感覚は全くしない。それどころか、どこか暖かさすら感じられた。

 先ほどモネは大司教メイソンが祭壇へ向かったと言っていた。ならば、あれは彼の祈祷術か何かなのだろうか。

 カウルが目を凝らしたところで、――ふいに光の幕が大きく広がった。周囲の闇を塗り替えるように帯が拡散し辺りを覆っていく。

 モネが悲鳴を上げ、大人たちが叫ぶ。カウルは思わず手で顔を覆った。



 岩穴の中に松明を入れると、灰色の祭壇が浮き上がって見えた。

 何百年。いや下手をしたら何千年も前に作られた物にも関わらず、重々しい存在感を持ってそこに立っている。

メイソンは苦々しく歯を噛みしめた。

 犠牲者を出さず呪いを封じ込めるためには、もうこの手しか残っていなかった。

 所持していた石灰石で祭壇の周囲に祈祷術の神言を刻んでいく。

 ここ数日調べ続けてわかったことだが、祭壇に施された封印式とは違い、裏にある大本の封印に呪術の痕跡は一切見られなかった。これは自然封印と呼ばれるものだ。誰かが術式を施したわけでも人為的に封じたわけでもなく、この土地、場所が形成された瞬間から生まれた空間の隙間。つまり刻呪とは、世界が生まれる前からこの場所に収まっていたことになる。

 一体正体は何なのか。誰が何の目的で開放したのか、気になることはいくつもあった。だが今はそれらの疑問を全て投げ捨ててでも術式の構築に意識を集中させた。

 大本の封印が自然封印である以上、そこへのアプローチは呪術である必要はない。偽祈祷師が封印に接触したように、祭壇を介すれば祈祷術でもこの封印に干渉することは可能だった。

 刻呪が抜け出て破損した封印。だが祈祷術で壊れた部位を補えば、その機能を部分的に利用することはできる。

「私を恨まないくれ……」

 救いを求める村人たち。血まみれで死んでいった仲間。恐怖を必死に打ち明けてくれた生贄の少年。彼らの顔が脳裏に浮かんでは消えていく。

 メイソンは最後の構築式を書き終えると、石灰石をその場に投げ捨て立ち上がった。あとはもう術式発動の神言を口に出すだけだった。

 祭壇に乗せた手が小刻みに震える。本当にこの判断が正しいのか今になって迷いの念が溢れてくる。

 メイソンは自身の外套に描かれた三神教の印を握りしめ、呟いた。

「…… 神は全てに御手を伸ばされ、全ては手を取り合い神位へと至る」

 誰かを守るためには誰かを犠牲にしなければならない。それはこの世界でずっと続いてきた真理。苦しむ人間の全てを救うことはできない。ならより少ない犠牲で、より多くの命を守ることができる限りの最善の策なのだ。

「我ら人類の守り手。神の名の元に裁きを下す者」

 この外套を纏った時から、恨まれる覚悟も憎まれる覚悟も出来ている。それで少しでも多くの命が救われるのであれば、それは本望だ。

 神言。祈祷術を発動するための最後の一節を口に出す。

 祭壇を中心にして白い光が膨れ上がった。封印の端が帯のように渦巻き岩を透過して上へ上へと広がっていく。

「今この瞬間、この時に、哀れな呪縛者へ救いの手を」

 祈祷術の神言は人の言葉とは違う。口語で語られる一節など術式には何の関係もない。メイソンがこれらの言葉を声に出したのは罪悪感からだった。少しでも自分の背中を後押しするために、術を振り切るためにあえて口に出した。

 いくへもの白い帯の柱が暴れ狂い広がる。

 メイソンは両手の親指を掌に当て三角形の形を作ると、最後の神言を呟いた。

 


 一瞬にして世界が白い光に包まれていく。

 カウルは父と母を見た。二人は自らの身体を守るように手を上げ、そして光の中に掻き消えた。

「何だこれ!? カウ――」

 驚愕の表情を浮かべたゴートが何かを言い切る前に見えなくなる。

 背後にはモネがいる。カウルは彼女を守る様に光から隠そうとしたのだが、それよりも早く目の前でモネの姿が薄れていく。

「モネ――!」

 モネの緑の目がカウルを見上げそしてそれも消え去った。

 叫ぶカウル。しかしその声すらも光の奔流に上書きされ形を成さない。

 体が動かない。思考が固まっていく。

 嫌だ。こんなのは嫌だ。ふざけるな……!

 抵抗するように手を前に出す。掌から黒い亀裂のようなものが空中に広がりそして――、世界の全てが純白に染まった。

 



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