第12話 封印(5)
メイソンは夜空を見上げた。
どこまでも続く暗い深淵にいくつもの星々が輝きを放っている。三神教において星とは世界の端がそれ以降の虚無とぶつかり合う衝突の光のことであり、それは神が世界を守っている証でもあった。
「メイソン様。準備ができました」
熟練の聖騎士が前に立ち、メイソンに向かって呼びかけた。夜中にも関わらず、彼は聖騎士の外套と軽装鎧をきっちりと着こなしていた。
「メイソン様?」
再び上を見上げたメイソンを見て、彼は不可解そうな声を出した。
「星は神の力の証明です。星があることで、人々は姿を消した神々のことを思うことができる。……しかし星を奪われてしまった人々は、何をもって神を信じればいいのでしょうね」
熟練の聖騎士はメイソンの目線の先にあるロファーエル村の空を見た。あの村の上空だけは一切の星も姿を目にすることができなかった。
「……――気にしないで下さい。ただの独り言です」
苦笑いのような表情を作り、メイソンは椅子から立ち上がった。こんな弱気な台詞を部下の前で吐くべきではなかったと反省する。
「全員集まっているのですか」
「はい。有事の際に備え、村の入り口に四人ほど配置してはおりますが、それ以外はみなこの野営地に戻ってきています。流石にあの村の中で宿泊させるのは危険すぎますので」
「仕方ありません。祈祷術を扱えるとは言え、我々も人間です。あの呪いは強力過ぎる。必要時以外は極力離れるべきでしょう」
ロファーエル村の近隣に設置したこの野営地には複数の天幕が張られているが、今はほとんど人の姿が見えない。既に多くの聖騎士が会議用の大天幕へ集まっているようだった。
メイソンは大きなたき火が作られている場所を通り過ぎ、大天幕の中へと入った。みな疲労で疲れているはずなのだが、誰も文句などは口に出さずメイソンを見返す。流石、自分が直々に鍛えた部下たちだと思った。
奥まで進んだメイソンは設置された急造の長机の上に手を置き、皆を見渡した。
「みなお集まり頂きありがとうございます。疲れているところ申し訳ございませんが、本日の報告会を実施させて頂きます。何か連絡事項がある者はいますか」
そこで一人の聖騎士が手を上げた。
「大司教。ご報告させて頂きます。神官シュラルド。聖騎士ブリエムの両名が本日死亡致しました。シュラルドは病状悪化の村人を診療中に捕まれ古傷が開き死亡。ブリエムは見回り中に木材のささくれを掴んでしまい手が裂け、その出血で死亡致しました」
その報告を受けたメイソンは、苦しさを隠すように目を伏せた。
「そうですか。シュラルドとブリエムが。……遺体はどうしましたか」
「事前に取り決めた通り、呪いの拡散防止のためすぐに村端で火葬致しました。村人の動揺を抑止するために報告が遅れてしまい申し訳ございません」
「私の指示です。謝る必要はありません。二人には……後程手厚い葬儀と祈りを捧げましょう」
次に別の神官が前に出る。
「村の祈祷師と入れ替わった者の件について報告致します。村の内外、近隣の町などを捜索しましたが、該当人物の足取りは全くつかめませんでした。呪いの残滓も村の外ではほとんど発見されていません」
「ありえない。一体どんな方法を使っているんだ。村だけでもこの惨状なのにその本体を連れ歩いて何の痕跡も残さないだと」
年配の聖騎士がどきもを抜かしたように呟いた。メイソンの右手に立っていた短髪の聖騎士がそれに言葉を続ける。
「その偽祈祷師は恐らくかなり熟達した呪術師だろう。禍獣使役に特化している緑の国マグノリアの者かもしれない。もし虐殺や暗殺の道具として刻呪を利用することが目的であれば、早急に手を打たなければならない。こんなものが街中で解き放たれれば、一国が滅びかねんぞ」
「各地への通達は出しましたか?」
メイソンは報告者を見返し、静かな声で聴いた。
「はい。ご指示の通り、三神教主神殿を含んだ主要な駐屯所へ連絡鳥を飛ばしました。何か異変や同様の事態が見られればすぐに知らせが来るはずです」
「教会内だけではなく、各国や退魔士へも情報提供を依頼しましょう。残念ながら今の私たちはここを離れ、呪術師を追うだけの余裕がない。グレムリアの王都に駐屯している聖騎士たちには至急捜索隊を出すように依頼してください。現状被害が考えられるとすれば、もっとも可能性が高いのはそこです」
「はい。承知致しました」
その聖騎士は両手の親指を掌の中心に添えた三角の形を作ると、すぐに大天幕から出て行った。
「村の監視と守護の任もあるが、我々も近隣の捜索を続けよう。呪術師がまだ遠くに行っていない可能性もある。三人程度ならまだ見回りに回すことはできる」
揺れる天幕の布を見ながら重々しく進言する短髪の聖騎士。メイソンは彼に捜索隊の取りまとめを任せることにした。
「では周辺監視と聞き込みはグロウに任せましょう。どんな些細なことでも構いません。異変を感じたら知らせて下さい」
短髪の聖騎士は応じるように頷いた。彼の腰に据えられた剣と金属が意思に共鳴するように小さく鳴る。
「……さて、村の内部の様子はどうですか」
メイソンは団内で神官を束ねている中年女性を見つめた。彼女は何かに耐えるように息を吐くと、落ち着いた声で話し始めた。
「昨日に引き続き被呪者を見て回りました。複数の祈祷術を試しましたが、呪いを払うことは叶いませんでした。これ以上は神官士団の専門家を連れてくる必要があると思います」
守護騎士団はあくまで封印や呪われた地の守護が専門の仕事。呪いの除去という意味で本当の専門家は三神教内にある五つの組織の一つ、神官士団となる。だがメイソンには彼女の実力が神官士団の団員に劣っているとは思えなかった。
机を囲むように輪を作っていた聖騎士の中から、一人の若者が声を上げた。
「やはり神官士団の研究者や応援部隊を連れてくるべきでは。このままここに残っていても、我々には呪いを祓うことはできません。犠牲者が増えていくだけです」
本日亡くなってしまったブリエムと仲の良かった男だった。
「勿論、ここに到着してすぐに応援要請は出しました。ですが、ここは白花の国ルドぺギアから最も遠い国です。到着がいつになるか予測はできません」
メイソンは努めて冷静に答えた。それを聞いた先ほどの若い聖騎士がすかさず言葉を続ける。
「ならどうする気ですか。今はまだ我々の到着で落ち着いていますが、このまま時間が過ぎればすぐに村人たちも焦りを覚えるはずです。この村の家畜や農作物は全て呪いの影響を受けてしまっている。隣の村から融資を受けるのにも限界があります。あと数日で飢えや死者の続出に耐えられなくなって村から村人たちが逃げ出すのが目に見えているじゃないですか」
その聖騎士の指摘はもっともだった。
呪いを受けた者に触れるだけでそれは広がり、死者の血や肉に汚染された土地は新たなロファーエル村へと変貌してしまう。そうなれば事態を収拾することはもはや不可能だ。下手をすればこの呪いが‶十番目の大災禍〟になりかねない。
メイソンはじっと目を閉じ思考を循環させた。
現実的に考えて、今打てる手は三つあった。
一つはグレムリアの国家騎士団に応援を依頼すること。
人類の守護者とされている聖騎士は、個人個人の能力や知識で言えば、そんじょそこらの退魔士や祈祷師などまるで相手にならない。しかし彼らは選りすぐりの集団である分、この広大な大陸全てを守るにはあまりに数が少ない。このため単純に人数が必要な場合は国に応援を依頼することも多く、三神教の五人の大司祭の一人であるメイソンであれば、それを実現させることは容易かった。グレムリア国王に打診し、国家騎士の手で村人を隔離保護させ続ける。これがもっとも村人たちにも自分たちにも被害が少ない方法ではあるが、根本的な解決にはならず、被呪者を無駄に増やすだけの危険も高かった。
二つ目は村人を全て殺害することだ。
傷の呪いはロファーエル村の土地と生物全般に影響を及ぼしてはいるが、もっとも呪いが拡散する原因となるのは、人の流出である。かつて緑の国マグノリアで呪いが流行った際、メイソンは当時の国王の命により呪いが流行った地域の村人たちを皆殺しにし、感染拡大を止めたという過去があった。村人さえいなくなれば呪いは広まらず、ただこの土地へ踏み入ろうとする者さえ見張っていれば、呪いの拡散を防ぐことはできる。
他の全てのために一部の者を犠牲に。この村でずっと続けられてきた生贄と同じ行為。確実な方法ではあるが、人命を大事にするメイソンにとってはあまり気の進む選択ではなかった。
そして三つ目。これも人道に反する行為だが、少なくとも死者は生まれない。どうしようもならない場合、メイソンはこの三つ目の案を実行に移すつもりでいた。
黙り込んだメイソンを見て答えを見つけられていないと判断したのか、若い聖騎士は語語気を強めた。
「いくら気を付けようと死者の増加は止められません。二十人で訪れた我々聖騎士ですら、既に五人もの死者を出している。村人たちも残り六十人余りです。もし彼らが本気で村からの脱出を試みれば、止めることは出来ません。即時大災害へと発展してしまうでしょう。それとも……大司教は村人が全滅することを待っているのですか」
「おい。言葉をわきまえろ」
短髪の聖騎士がどすの効いた声で唸ったが、若い騎士は気にせず言葉を続けた。
「封印士団の者であれば誰もが知っています。メイソン大司教はかつて緑の国マグノリアで一つの村を全滅させ呪いの拡散を封じ込めたと。当時の呪いの威力がどれほどのものだったかは知りませんが、今のこの村の状況がそれに劣っているとは思えません。これ以上仲間が無意味に死んでいくくらいであれば……――村人を皆殺しにするのも一つの救済方法ではないですか」
「お前、聖騎士にあるまじき言論だぞ」
短髪の聖騎士が怒りを露わに若者へ詰め寄ろうとする。メイソンは今にも手を上げそうな彼の肩に手を置き、優しく押しとどめた。
「確かに、あなたのおっしゃっている事には一理あります。村人が全滅すれば、この地は呪われたままではありますが、これ以上被害者が発生することはなくなるでしょう。守護騎士団の役割として考えれば、あなたの言葉は全く間違ってはいない。ですが――」
マグノリアで村人を全滅させたのは、本当に、本当に他にどうしようもなかったからだった。あの呪いは噛みつかれた村人を禍獣へと変質させるものだった。村へ到着した時には既に遅く、村人たちは全員が禍獣へと変化しており、正体を隠してこちらの寝首をかこうとしていた。だがこのロファーエル村にはまだ生きている人間がいる。救いを求めている者がいる。彼らがいる限り、諦めずに手を尽くしたい。‶人〟の命を守ることが三神教の本懐なのだから。メイソンはそう若者に伝えようとした。
何かが倒れる音が響いた。
天幕の中にいた聖騎士たちが反射的にそちらを向く。村の若者が独り、入口の前に立っていた。村長の息子として紹介された男だった。
彼は恐ろしいものでも眺めるようにこちらを見ると、倒した松明に構うことなく走り出した。一目散に村へ向かって。
短髪の聖騎士がすぐに反応した。
「何故ここに村人が――止めろ。村へ行かせるな」
慌てて走り出していく複数の聖騎士たち。だがもはや手遅れだろうとメイソンは思った。
「……グロウ。聖騎士たちに手荒なことはしないように徹底させて下さい。村人たちを一時的に村の中に留めてくれればそれで構いません。剣を抜かなければ、彼らもすぐに村から飛び出すことなどないはずです」
「どうされる気ですか」
「呪いを拡散させるわけにはいきません。私は人類の守護者として職務を全うします」
出来ればこうなることは避けたかった。何とかして彼らを救いたかった。だがこうなってはもうどうしようもない。
辛さを食いしばる様に重々しく息を吐く。
最後の手段。先ほど考えた三つ目の解決策。覚悟を決めメイソンは歩き出した。始まりの場所、祭壇を目指して。
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