第11話 封印(4)


「ようこそお越しくださいました。わざわざこんな遠くまでありがとうございます」

 潤んだ瞳で来訪者を見上げる村長。やっと救いを見つけたような、絶望が晴れたようなそんな表情を浮かべている。

「お初にお目にかかります。三神教守護騎士団大司教。メイソン・ラグナーです」

 メイソンは褐色の両手を胸の前で交差させ、三角形の形を作った。三神教において最高神である三つの神、オウラグバル、ジンギアラ、マナガルムへの信仰を示すもっとも一般的な祈りの構えだ。

「大司教? まさかそんな高位の方が来て下さるとは……」

「王都へ用事がありましてね。グレムリアを訪れていたのです。これも三神様のお導きでしょう」

 メイソンは村長の背後に並ぶ人々と村の様子をざっと見渡した。

「ある程度の事情は耳にしていますが、詳しくお伺いしても宜しいでしょうか」

「勿論です。教主を支える五人の大司教の一人となれば、これ以上心強い相手はございません。ぜひお助け下さい」

 恐れ多いものを目にしたかのように身を縮込ませる村長。

「そんなにへり下らずとも大丈夫ですよ。確かに私は聖職者として活動をしておりますが、あくまでただの人間です。あなた方と何も変わりありません。生まれた場所、切っ掛け、その違いでしかないのです」

 メイソンは慈愛の籠った目を向け、村長に顔を上げるようにうながした。

「私どもは守護騎士団ですが、多くの神官を抱えてもいます。彼らに村人たちの状態を見させましょう。呪いを止める方法が見つかるかもしれません」

 そういって背後に立ち並ぶ複数の聖騎士たちへ目配せをする。メイソンと同じ白い外套を着た聖騎士たちは、それを皮切りに村の中へと足を踏み出した。

 近隣の村人が嫌悪し恐れるロファーエル村。どんな些細なことが切っ掛けで死ぬかもわからぬその村の中を、全く恐れることなく進んでいく聖騎士たち。集まっていた村人たちはまるで光に照らされたように彼らを眺めた。

「村長殿。お話にあった祭壇へ案内して頂いても宜しいですか」

「え、ええ勿論です。すぐにご案内しましょう」

 明るい顔で答える村長。既に村は救われたとそんな勢いだ。だが彼とは正反対に、メイソンは重苦しく唇を結んでいた。



 光の差し込む岩穴の前に立ち、村長が手を前に伸ばした。

「ここが清像の祭壇です。村の発足以前より存在する場所でして、誰かいつ作ったのかも、いつ刻呪を封印したのかも全くわからない場所なんです」

 岩穴の中は農家の一部屋ほどの大きさだ。メイソンは連れ添ってきた二人の聖騎士を入口の前で待たせ、のっそりと中に足を踏み入れた。

「少し触れても宜しいですか」

「構いません。お好きなようにお調べ下さい」

 神聖な場所と言う割にはずいぶんと快く応じてくれた。儀式のとき以外はそれほど重要視されていないのだろうか。調査に抵抗があるかと考えていたメイソンは、その手順が省略できたことを幸運に思った。

 石作りの古い台座。高さ一メートル。横幅四十センチくらいといったところか。その最長部には杯のような窪みがあり、これまで何度も繰り返されてきただろう生贄の血の跡がこびりついていた。

 外から差し込む光のせいで見えずらいが、岩壁から祭壇の周囲に掛けて複数の文字や記号が刻まれている。非常に古い種類の文字だが、三十年以上聖騎士として各地を回ってきたメイソンにはそれが呪術の構築式であるとすぐにわかった。

 呪術とは文字や記号、言葉や動きなど利用し、九大災禍によって世界に充満している呪いの方向を任意のものへ誘導する技術だ。過程や効果は違うもののそこには法則性や理論があり、それはある意味、神官や祈祷師が扱う祈祷術と多くの共通点がある。

 聖騎士であるメイソンは呪術を扱わない。しかし長年の経験や対策手段を学ぶ上で呪術に関する知識は十分に蓄えていた。じっくり文字に目を走らせ法則性を読み取っていくうちに、この祭壇に施された術式の輪郭を掴んでいく。

「どうですかな。何かわかりましたかな」

 岩の端などで自らの身体を傷つけないように細心の注意を払いながら、村長が入口からこちらを覗き込んだ。

 メイソンは僅かに思考を巡らせたあと、素直に彼の問いに応じることにした。

「これ程の災いをもたらした呪いの封印にしては、随分と術式が簡素です。恐らくここで行われていた儀式は、本来の封印から漏れ出た呪いの余波を抑え込むためだけのものだったのでしょう」

「余波……? それは清像の儀式のことをおっしゃっているのですか?」

「ええ。呪術の中には命を代価にすることでその力を強化できるものも存在しますが、流石に人ひとり、それも十年に一度の犠牲でこの規模の呪いを封印出来ていたとは考えられません。祭壇はあくまで補助的なもので、刻呪と呼ばれるものの封印自体はその裏に存在しているようですね。空間的なもののようですので、目視することはできませんが」

「そんな……では我々がずっと続けてきた生贄は、ただの漏れ出た余波を抑え込むものでしかなかったと、そうおっしゃるのですか」

 村長はメイソンの言葉に動揺したようだった。僅かに憤りの感情も見える。

「私は三神教の誇る守護騎士団の大司祭です。各地に点在する討伐不可能な呪いの封印を見守り、また発生した場合に封印を施す職務を行うのが仕事です。三神教内において私以上に封印術式に詳しい人間は存在しません。間違いはないですよ」

 穏やかだが有無を言わさぬ口調だった。目の前にいるのが誰か思い出した村長はその言葉に愕然とした表情を浮かべた。

「そんな……ただの漏れ出たあまりの封印? これまでの犠牲者が……私のロファーエル村の子供たちが……」

 簡単に信じ切ることができないのか体を震わせ目の焦点を揺らしている。このまま足をもつれさせてどこか打ち身でもすれば、今の状況ではそれだけでも死因となってしまう。呪いが伝播することを考えれば支えるわけにもいかない。メイソンは村長の身を守るために声を強めた。

「生贄が無駄だと言っているわけではございません。生贄が居なければこの術式は発動せず、刻呪の余波はロファーエル村の人々に災禍をもたらしたことでしょう。個人的にはあまり気分のいいものではないですが、犠牲者の方々の死は村人の命を守るのに大いに貢献しています。お気を確かに」

「そ、そうですか。それなら……よかったです」

 落ち着かない様子で村長は答えた。

 真実を伝えたのは、これ以上村人たちが余計な生贄を生み出すことを抑制するためだ。既にこの儀式そのものに意味はない。メイソンは言葉を選びながら説明を続けた。

「ここに封印されていた刻呪。どうやらすでに村にはいないようです。祈祷師の遺体が見つかったそうですね。恐らく彼に成り代わった者が祭壇の術式を入口として大本の封印へ接触したのでしょう。目には見えませんが、施されていた封印が半壊し、崩れている状態にあります」

「刻呪が既にこの村にいない? であれば、村人たちを苦しめている傷の呪いは一体何なのですが? 何が原因でこんな状態になっているのです?」

「刻呪の残滓でしょう。残りかすといった方が妥当かもしれません。傷の呪いが発生する直前、刻呪が祭壇の上に出現したそうですね。それと同時に刻呪から漏れ出た瘴気が皆さんの身体に触れてしまったのです」

 村長はふらつく自身の身体を支えるように、壁に手をついた。

「……大司教様。この呪いは解けるものなのですか。今の我々は何かがきっかえでいつ死んでもおかしくない身なのです。どうすれば助かるんですか」

 九大災禍以外でここまでの呪いを目にすることは、メイソンにとっても初めてのことだった。正直どうやったら呪いが解けるのか見当もつかないが、今ここで村長を落胆させるわけにはいかない。呪いは負の感情を苗床にする。絶望は呪いをより強く肉体へと溶け込ませる。その場しのぎだとわかっていたが、心苦しさを押し殺し笑顔を作った。

「呪いは解けるものです。そのために聖騎士や神官が存在します。方法は模索していく必要がありますが、時間を掛ければきっと解決できる。事態が収まるまで私の守護騎士団をこの村に逗留させましょう。その間は村人たちに仕事を休み傷を負わないように徹底させて下さい」

「わかりました。どうか、どうかお助け下さい」

 そのまま縋る様に岩穴の縁を掴む村長。メイソンは彼が自らの身体を傷つけないように掌を左右に振り、こっそりと祈祷術を使用した。今にも泣きだしそうな顔をしていた村長だったが、僅かに目元の緊張を解き手から力が抜ける。

「それで村長殿。もう一つ確認したいことがございます。今回の清像の儀式では生贄の少年が生き残ったとか。彼に会わせて頂いても宜しいでしょうか」

「……ええ。案内します。ここから近い場所におりますので」

 少しだけぼうっとした様子で村長は答えた。



 雨が上がったようだ。屋根から漏れ堕ちていた水滴は姿を隠し、木造格子から差し込む光が明るくなった。

 壁際の隙間を流れ落ちていく水にその光が反射し、刹那の輝きを見せる。その水滴を目にしていると、何だか喉がカラカラになった。そういえばもうずっと何も口にしていない。肉が喰いたいなとカウルは思った。

「こ、これは聖騎士様。こんなところに御用ですか」

 突然外から門番の驚いた声が響いた。声に合わせ父がばっと顔をそちらに向ける。

 門番と、この声は村長だろう。少しのやり取りが終わった後、小屋の扉が開き、一人の中年男性が姿を見せた。三神教を示す三角形の印と、その下に取り付けられた木の印。白く綺麗なその外套を見て、カウルは相手が聖騎士であるとすぐにわかった。

 聖騎士は褐色の肌に透き通るような青い瞳を持ち、そのどちらもが真っすぐにカウルを見つめていた。

「この子が、生贄の子ですか」

 彼が優しく重々しい声で尋ねると、後ろに立っていた村長がすかさず返事をした。

「はい。カウルといいます。そこにいるカエルムの子です」

 聖騎士は左側にいる父と母に目を向けた。

「三神教守護騎士団大司教。メイソン・ラグナーです。五日前の事件について、少しカウルのお話を聞きたいのですが、宜しいでしょうか」

「大司教様……? そ、それは勿論構いませんが……」

 相手の肩書を聞いて父は混乱したようだった。どうするべきか迷うようにメイソンを見上げている。

「いくつか質問をしたいだけです。何も手荒なことは致しませんよ」

 メイソンは父の心情を読み取ったかのようにそう言うと、そっと小屋の中に膝をついた。

「メイソン様。それは――」

 呪いが移る危険を考慮したのだろう。小屋の入り口からこちらを覗いて聖騎士が僅かに焦りを見せたが、メイソンはそれを手で制した。

「カウル。私に話してくれませんか。あなたが見たもの。感じたものを」

 この青い瞳を向けられると、何だか心の中の全てを見透かされているような気持ちになってしまう。半ば無意識のうちにカウルは口を開いていた。

 聞いていた儀式の手順と違っていたこと。

 祈祷師に眠らされたこと。

 あの赤い空に、黒い太陽と泥沼。そして、灰色の霧の中から現れた三つ目の化け物のことを。

 カウルが刻呪の容姿について説明したところで、僅かにメイソンの顔色が変わった。が、瞬時にそれは元の表情に戻る。

「それで、その化け物が俺の中に入ったのかと思ったら、いきなり背中を突き抜けて飛び出して行ったんです。気が付いたら俺は祭壇で寝ていました」

 全て話すことができた。怖くて誰にも言えなかった事実を。あの出来事を。

 横で話を聞いていた父と母も、何とも言えない表情でカウルを見ている。怪物の存在に驚いているのか、それともカウルのことを恐れているのか。どちらかはわからなかった。

 メイソンはまぶたを閉じしばらく熟考してみせた。そしてふと目を見開き、声を出す。

「その黒い太陽の世界で、祈祷師の声が聞こえたと言いましたね。何か問いかけをされたりはしませんでしたか」

「問いかけ……?」

 ――生きたいか?

 あの時の祈祷師の声が頭の中に蘇る。よくわからない呪文を続けていた祈祷師が、その言葉だけはカウルにわかる様にはっきりと尋ねた。

 呪術のことはよく知らない。けれど、呪術の行使には法則があるという話は聞く。大司教様が尋ねるということは、あの問いには意味があったということなのだろうか。そしてその問いは、偽祈祷師の目的が刻呪の開放であれば無関係なものであるはずがない。

 あの時自分は「生きたい」と、そう答えた。もしそれが切っ掛けで刻呪が封印から解放されたのだとしたら、あれを解き放ったのは自分だということになる。

 突然重大な事実に思い至ったカウルは、全身の神経が逆流したような感覚を覚えた。今すぐにどこかに寄りかかりたかったが、目の前の大司教を思い出しなんとか耐える。

 何も答えないカウルを不思議そうに見つめる父と母。しかしメイソンは、カウルのその反応で全てを理解したようだった。

「……なるほど」

 そっと立ち上がり村長を見返す。

「どうやら体調がすぐれないようですね。もう少し綺麗な場所に移してあげて下さい。彼らにも家はあるのでしょう」

「へ、ですが大司教様。この者たちは呪いの原因を作った可能性がありまして」

「刻呪が現界したのは偽祈祷師のせいです。彼らのせいではありません。あなたたちと同じただの被害者です。さあ、うちに返して食事をとらせてあげて下さい。このままここに居ては病気になってしまう」

 村長の背後に立っていた二人の聖騎士が大きく小屋の扉を開ける。それで村長は反意を失ったようだった。

 メイソンは最後にカウルを見ると、

「また来ます。カウル」

 悲し気な表情を作り、そう言い残した。


 

 村長はメイソンの指示を守ってくれた。この状況で逆らうのはあまりに愚かだと考えたのだろう。

 久しぶりに自分の家に帰れたカウルたちは、まず最初に食事をとった。傷の呪いの影響により村は食料不足に陥りつつあるが、ずっと家を空けていたおかげで干し肉の備蓄がまだ残っていた。おかげで満腹とはいかないまでも、飢えをしのぐ程度にはお腹を満たすことができた。

 萬福になり夜になっても、カウルは中々寝付くことができなかった。体は疲労しているはずなのに、どうしてのあの偽祈祷師の言葉を思い返してしまう。

 あの時あそこで「生きたい」なんて答えなければ、傷の呪いは発生しなかったのではないか。その思いが頭にこびりついてどうしても離れない。

 月明かりが部屋の中に入りカウルの顔を照らす。その光を見ているとあの黒い太陽を思い出してしまい、カウルは乱雑にカーテンを引っ張った。

 血を吹き出し倒れる人々。

 涙を流して亡くなった母に縋る少年。

 全て自分が犠牲になっていれば、目にすることの無かった光景だ。

 ――俺が解放したのか……あの化け物を……。俺がみんなを呪ったのか。

 静寂が、光の薄い世界が、自然とカウルにあの世界の光景を思い出させる。寝ようとあがけば足掻くほど自然と目が覚めていく。

 カウルは光から逃げるように視線を移動させた。壁に小さなひび割れが目に入った。

 こんな割れ目少し前までは無かったはずなのに。これも傷の呪いの所為なのだろうか。

 生物が怪我をした場合は明確に傷だと言えるが、壁はそもそも木材を切って作ったものだから、割れた部位が傷だというのは人間の勝手な認識に過ぎないものだ。もし呪いの影響があるとすれば、木材としての傷になるのかもしれない。

 そんなことを考えながら、何となく壁の割れ目に手を触れる。特に他意はないつもりだった。

 だが手を触れた瞬間、妙な感覚がカウルの身体に走った。

 まるで刻呪を目にしたときのような異質なおぞましさが掌と壁の間に溢れる。

 壁の亀裂が一気に天井まで広がったのは、その直後だった。

 




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