第10話 封印(3)
水滴が床に落ちた。
どうやら屋根の老朽化がかなり進んでいるらしい。
ぽつり、ぽつりと落ち続ける滴をカウルは意味もなく眺め続けた。
別に精神的にまいって自暴自棄になっていたからではない。単純にやることが無かったからだ。
五日前。生贄として死ぬはずだったカウルは何故か生還し、そしてそれに合わせるかのように大きな災いが降りかかった。村人たちは呪いの原因がカウルにあるのではないかと考え、再び生贄に捧げることを考えたが、二つの理由によって断念せざる負えなくなった。
一つ目の理由はもちろん傷の呪いだ。少しでも傷を負えば、それが瞬く間に増幅され死へと至る。父や母、カウルと争うことで傷つくことを恐れた村人たちは、強引な儀式の再開を諦め、彼らを一つの建屋に押し込むことでその場を納得させた。
二つ目の理由は祈祷師の遺体が発見されたからだ。儀式を遂行した祈祷師は偽者だった。何者かが封印に細工をし刻呪の影響を表出させたのは明らかであり、儀式の中心にいたカウルは偽物の術式と何らかの関わり合いを持つ可能性があった。再度カウルを生贄に使えば村に広がる呪いが悪化する。その可能性を否定することができなかったのだ。
木造の格子がガタガタと揺れ、風が部屋の中にまで入ってくる。季節は夏のはずなのに、呪いのせいか妙に神経がひりつき、カウルは思わず身震いした。
「寒いの? カウル」
同じ部屋に閉じ込められていた母が心配そうにこちらを向いた。彼女は自分の膝に掛けていた毛布を取り、カウルへと渡そうとする。
カウルは片手を上げそれを制した。
「大丈夫。ちょっと水滴が当たっただけだから」
適当にうそぶき、壁際に座り込んでいる母と父に目を向けた。
「父さんに掛けてあげなよ。寝てると体温が下がるだろ」
父はカウルが生贄に選ばれてからずっと寝れない日が続いていたらしい。こんな状況ではあるが、家族三人が一緒にいられることでようやく睡魔が訪れたのだろう。昼間だというにも関わらずぐっすりと寝息を立てている。
母はそんな父へ悲しさと優しさが入り混じったような笑みを向け、そっと毛布を掛けてあげた。
もう二十年近く一緒に暮らしているというのに、羨ましいほどの仲の良さだ。もし将来誰かと結婚することがあるのなら、二人のようになりたいなとカウルは思った。
父の頭を撫でながら、母は部屋の外に居る見張りに聞かれないように声を落とした。
「手の調子はどう? 悪化とかしていない?」
「大丈夫。何ともないよ。不思議なくらいね」
カウルは少しだけ傷のついた手の甲をひらひらと振って見せ、母を安心させようとした。
「そう。良かった。……でも不思議ね。何でカウルだけ呪いの影響が出ないのかな」
「さあ。わからないよ。完治していた古傷が開いて死んだ人も大勢いるらしいし、呪いの影響は人によってまちまちなのかもね。俺はたまたま影響が薄かったのかもしれない」
刻呪の影響がどのように村人たちに降りかかっているのかは知らないが、影響度で言えばカウル以上に刻呪に接近した人間はいないはずだった。何せ肩に噛みつかれ体の中にまで入ってきたのだから。もちろん、あれが夢でなければの話ではあるが。
「何にしても良かった。カウルが呪いで死ぬことはないってことだもんね。お父さんが起きたら、相談しましょ。どうやって村から出るか」
「出るって、母さんは逃げる気なの?」
「このまま村に居ても殺されるか呪いで死ぬだけだもの。もう私たちが暮らしてきたロファーエル村は終わってしまった。死門の影響が残っているうちに逃げないと、村から出られなくなってしまうじゃない」
確かにそうだとカウルは思った。食物も家畜も傷の呪いの影響を受けている。この状況がいつまでもおさまらないのであれば、もはやロファーエル村で生活していくことは不可能だ。あと数週間かひと月も経てば、他の土地から禍獣が流れ着き荒野を移動するのも難しくなる。見張り役の話を盗み聞きしたところ雇っていた二人の退魔士も死んでしまったらしいし、今さら新たにこんな状況の村へ来てくれる物好きなんでいやしないだろう。
「でもあてはあるの? 近隣の村はロファーエル村の人間の立ち入りを拒否してるんでしょ。だからみんな仕方がなく村に残ってるのに」
「無いよ。無いけどやるしかないじゃない。ここに居ても死ぬだけなんだから」
母は覚悟の籠った声でそう言った。希望でも妄想でもなく、本当に逃げ出すつもりのようだった。
母は不安そうな表情を浮かべているカウルを見ると、寄りかかっている父を横目に思い出話を口にした。
「……まだ私が若かった頃にね。家出をして村から出た事があるの」
「家出? 母さんが?」
「うん。信じられないでしょ。でもね。本当なの。ロファーエル村みたいな小さな村は、結婚相手を親が決めることも多くてね。当時の私は両親が選んだ相手がどうしても嫌で、二人と喧嘩して衝動的に村から飛び出したの。村人たちはもう私は死んでしまっただとか、退魔士を雇って探しに行こうとか話し合っていたみたいだけど、お父さんだけは違った。たった一人で荒野に出て私を探し回ったの。
本当に偶然、奇跡みたいな話なんだけれど、お父さんは荒野で禍獣に怯えて蹲っていた私を見つけてくれた。びっくりしたよ。確かに仲はいい方だったけれど、まさか助けに来てくれるとは思ってもみなかったから。
それから何度も危ない目にあったけれど、死を覚悟するたびにお父さんが必死に励ましてくれて、最後は隣町までたどり着くことができた。結局私もお父さんもこっぴどく怒られたんだけど、それが切っ掛けで私の婚約は無くなったの。どうもお父さんが必死に私の両親を説得してくれたらしくてね。それが切っ掛けでお父さんのことを意識するようになって、あなたが生まれた」
そんな物語みたいな過去があったのか。
初めて聞く話にカウルは驚いた。
確かにそんな相手が夫なら、この歳まで仲睦まじいのも納得だ。父は恋の相手だけではなく命の恩人でもあるのだから。
父のいびきが微かに響く。母は声を落として話し続けた。
「だからね。外に出る怖さはよく知ってる。そして生き延びる方法も。強い意思を持って諦めなければ何とかなるものだよ。人間本気でやれば出来ないことなんてないんだから」
穏やかだが強い眼差し。昔から見てきた意思の籠った瞳。
恐らく生き延びれたのは運が良かったからだ。また生き延びれるとは思わない。何かが切っ掛けで簡単に死んでしまうかもしれない。けれど、母のその力のこもった眼差しを見ていると本当に生きて逃げ切ることができるのではとカウルは感じた。
「……わかったよ。確かに何もしないでここで死ぬよりはずっといい」
「そうだよ。物事は意思によってしか動かない。生きようと思わなければ生きる事なんて出来ないんだから」
そういって微笑む母。普段はのんびりとしてふわふわした人だったが、こうして見るといざというときは母の方が父や自分よりもずっと強いのかもしれないとカウルは思った。
水滴が再び地面を打つ。それを見下ろしつつ母はあくびをした。長い茶髪が流れるように肩から落ちる。
「お父さんの寝顔を見てたら何だか私まで眠くなってきちゃった。カウルも少し休んだら? いざというときにすぐに動けるように」
確かに父が起きるまでは何もできない。体力はできるだけ温存しておいた方がいいだろう。カウルも母にならって壁に寄りかかろうとしたのだが、そのタイミングで小屋の外からの慌てたような声が響いた。
「おい、やったぞ。朗報だ」
どうやら村人が小屋の見張り役に向かって話しかけているらしい。興奮しているようなその声にカウルは反射的に耳を傾けた。
「どうした何があった?」
怪訝そうな見張りの声。聞き覚えがある。確か祈祷師の遺体を発見した男だ。
「聖騎士が来てくれたんだ。それも大勢」
「聖騎士!? こんな田舎にか?」
「何でも王都で会議があって、たまたま大部隊がグレムリアに来ていたそうなんだ。隣町の退魔士が話をして呼んでくれたらしい」
聖騎士? 本当に?
カウルは我が耳を疑った。
「かなり高位の司祭もいるらしいぜ。俺初めて見たよ。あの白い外套。本物の聖騎士だ」
かなり興奮しているのか、連絡をしにきた男の声は大きかった。眠ろうとしていた母も何事かと目を開ける。
聖騎士は呪いの専門家だ。かれらなら傷の呪いに対処する術も知っているかもしれない。
助かるのか? 俺たち……?
呪いが解ければ村から命がけで逃げる必要もなくなる。カウルは自然と胸が熱くなるのを感じた。
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