第9話 封印(2)
その日の風は妙に痛かった。
グレムリアは比較的温暖な気候の地域だが、まるで突然冬が訪れたかのように、冷たい風が吹き乱れている。木々は悲鳴にも似たざわめきを続け、これまで一生懸命に実らせていた灰色の葉を次々に散らしていく。小さな刃が風に混じって飛んでいると言われても、今ならきっと信じてしまいそうだと思った。
「ボロシドさん。ここに居たんですか」
背後から若者の声が聞こえた。振り返ると、息を切らしているのが見て取れる。どうやら走ってここまで来たようだった。
ボロシドは切り株に座ったまま彼に問いかけた。
「どうした?」
「お客さんです。ロファーエル村から逃げてきたらしくて。すぐに退魔士に見て欲しいそうです」
「見て欲しいって、呪われてるってことか? 俺は祈祷師じゃないから厄払いはできないぞ。退魔士は駆除専門なんだからな」
「どんな呪いかは判断できるでしょ。とにかく来てくださいよ。すごい興奮してて見張り番たちも困ってるんですから」
「ロファーエル村ってあの南東にある岩場の村のことだよな」
「そうですよ。骸拾いが活発な村です。よく物資の交流もあるから粗末な扱いはできないんですって。ほら早く」
「……わかった」
いつもは冗談交じりに若者たちをからかうことが多いボロシドだったが、今回だけは素直に応じた。すっと立ち上がったボロシドを見た若者は不思議そうに尋ねた。
「何か心当たりとかあるんですか。そのロファーエル村の客に対して」
「俺の後ろの空を見てみろよ。南東の方角だ」
短い返事をしボロシドは歩き出した。それで全てわかると思ったからだ。
ボロシドの言葉を聞いた若者は南東の方角に見える空を見て、あんぐりと口を大きく開けた。
「な、なんだありゃあ? 何であそこだけ空が真っ暗になってんだ……!?」
まるで世界の終わりが始まったかのようである。彼の呟きを耳にし、いつにもなく深刻な声でボロシドは答えた。
「さあな。ただとんでもなく悪いことが起きた事だけは確かだろうよ」
「あ、ボロシドさん。こっちです」
見張り役の一人がボロシドを見つけて安堵の表情を浮かべる。彼らは輪を作るように村の入口の前に立っており、その中心には三人の見知らぬ人間が座り込んでいた。
「俺に用事があるってのは、そいつらか」
ボロシドは一番近い村人の肩を横へ優しく押しのけ彼らの輪に加わった。
血まみれの姿。平然としている様子を見るに、恐らく彼ら自身の血ではないだろう。ロファーエル村の三人はボロシドを見つけると、救いを求めるように手を伸ばした。
「ああ、退魔士の方ですか。良かった。村で大変な事態が起きたのです。どうか手を貸してください」
ボロシドは一歩下がり、彼らの手を避けた。彼らが呪われているのであれば、それがこちらまで飛び日する可能性があるからだ。
「まずは事情を話せよ。お前ら、あの空が暗くなっている場所から来たんだろ。一体何があった」
「我々の村では禍獣避けのために生贄の儀式を行っているのですが、その途中で突然異変が起きたのです。祭壇の上に見たことのない何かが姿を現したと思ったら、村人たちが一斉に血を吹き出し始め死んでいったのです。これは私の祖父の血です」
男はひらぎらと自分の袖を振ってみせた。
「退魔士はお前たちの村にも居るだろ。そいつらまで死んだのか」
「わかりません。村中に死者が溢れ、いつどこで誰が死んでいるかわからない状況でした。我々は怖くなって、何とかしてこの事態を外に伝えようと逃げ出してきたのです」
ボロシドは三人を見つめながら顎に手を当てた。ざらつく無精ひげを左右に撫でる。
「生贄の儀式と言っていたな。どんな儀式だ」
「十年に一度、十五歳以上の村人を祭壇の下に眠る刻呪という呪いに捧げる儀式です。それを行うことで村は禍獣から守られてきました」
「人身御供か。高等呪術の領分だな。お前らの村は九大災禍崇拝なのか」
この世界でもっとも信仰を集めているのは三つの神を頂点とする三神教だが、それとは別に世界を蝕み続ける九大災禍を信仰しあがめる者たちもいる。生贄と聞いてボロシドが真っ先に思い至ったのは、まさに彼らの存在だった。
「いいえ滅相もございません。我らは敬虔な三神教徒でございます。あくまで儀式は村を守るためだけのもので、決して災禍教を信仰しているわけでは――」
「ボロシドさん。ここいらでロファーエル村の儀式は有名なんだ。もう数百年も前から行われているらしい。彼らが災禍教の者でないことは俺らが保証するよ」
年配そうな見張り役の一人が、余計な問答を省きたがるようにそう言った。
彼の意図を読み取り、ボロシドは頭を掻いた。
「別に災禍教の信仰を否定したかったわけじゃねえよ。ただ起きた出来事の手がかりになるかもと思っただけだ。その刻呪だっけ? そいつの正体とかよ」
儀式の途中で異変が起きたというのであれば、その刻呪の影響であると考えるのがもっとも妥当だろう。数百年継続された儀式であるというのなら、術式が劣化して封印が緩んだ可能性もありえる。
ボロシドは再び南東の空を見上げた。あれが尋常でない現象であることは確かだ。正直あまり気は乗らないが、仕方がない。
「わかった。村の様子を確認する。後で報酬はもらえるんだろうな」
ロファーエル村の三人を見下ろし、そう尋ねる。
「ええ勿論、勿論お支払い致します。ですからどうか、どうかご助力を……!」
必死に両手を合わせ祈りの構えを取る村人たち。退魔士は聖騎士とは違い慈善事業ではないが、こんな姿を目にして見捨てるほどボロシドも鬼ではない。それに、原因を突き止めないまま放置すれば、異変がこの村にまで波及する可能性だってありえた。
「お前たちはここで待ってろ。すぐに戻ってくるから」
「まさかロファーエル村に行くんですか。危険ですよボロシドさん」
迎えに来た若者が血相を変えた。
「なに、中までは入らねえよ。遠くから様子を伺うだけだ。手に負えなそうなら聖騎士へ連絡する。俺の家から装備一式を持ってきてくれ。ほら早く」
「……わかりました」
ボロシドを慕っている若者はあまり気乗りしないようだったが、そう言われて仕方がなく頷いた。いそいそとボロシドの家に向かって離れていく。
彼の姿を見送ると年配の見張り役がロファーエル村の三人に手を伸ばした。
「さあ、あんたたちは少し休むといい。ボロシドさんが戻ってくるまでロファーエル村には戻らんほうがいいだろう」
「すまない」
先ほど袖を見せた男が年配の見張り役の手を掴んだ。特に他意はなく純粋に気持ちにあやかっただけのようだったが、二人の手が握り合った時、突如年配の見張り役が膝を折った。
怪訝そうに自分の胸を押さえ、目を見開いている。
「どうした? 大丈夫か」
他の見張り役たちが不思議そうに声を掛けるも、年配の見張り役は答えない。それどころか小刻みに震え始め、いきなり吐血して倒れ込んだ。
「ひっ!?」
慌てて手を離すロファーエル村の男。
村人たちは年配の男性を心配し彼を助け起こそうとしたのだが、最初にその体に触れた若者の手が出血し広がり始めたのを見て異変に気が付いた。
「何だこりゃ? どうして血が……!?」
手を掲げ叫ぶ若者。その血がかかった女性が急に目を押さえて地面の上を転がり始める。
「あ、あああぁああぁあ……!」
何かを思い出すようにロファーエル村の男がくぐもった悲鳴を漏らした。
――これはまさか。
ボロシドはすぐにその場から飛びのき、声を上げた。
「離れろ! 呪いだ!」
その声を聞いた村人たちは血相を変えてロファーエル村の三人、そして発発症した二人から遠ざかった。彼らの目の前でまるで踊り狂うように血をまき散らしていた二人が倒れる。
「姉さん!」
まだ十歳くらいの少女が倒れている女性へ走り寄ろうとする。それをボロシドは後ろからひっつかみ、押しとどめた。
「近寄るな。死ぬぞ」
「ボロシドさん。これは……――」
村人の一人が恐怖に引きつった表情を浮かべた。
あの年配の男と女性はロファーエル村の人間に触れたことで呪いを発症し死んだ。つまりこの呪いは触れた者に移るということだ。恐らく際限なくどこまでも。
「どうやら予想よりも遥かにまずい状況みたいだな」
泣きじゃくる子供を後ろの女性に預け、座り込み震えているロファーエル村の三人に目を向ける。
ただ禍獣を狩るだけならどうにかなる。呪われた道具や生物を破壊することなら慣れている。だがこれは明らかに自分の手にあまる状況だ。ボロシドは背後の見張り役を振り返り、
「確か聖騎士の駐屯所が北の街にあったよな」
「ええ。そうですけど。どうしたんですか」
「すぐに向かうぞ。これは厄災級の事態かもしれない」
奥歯を噛みしめるように、そう命じた。
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