第7話 生贄(7)

「うわっ!?」

 突然、岩の隙間から飛び出してきたものを見て、ベルナルドは大きな声を出した。

 思わず身構え後ろに下がったが、すぐにそれが何か気が付いた。とんがった二つの耳に突き出た鼻。そして灰色の皮膚。ネズミだ。

「何だネズミか」

 村に居たことで死門の災禍を免れたのだろう。この地域ではめずらしくかなり肥え太ったネズミだった。

 ――ちくしょうめ。丸焼きにしてやんぞ。

 走り去っていく背中を憎々し気に見送る。ネズミは病原菌の温床になる場合が多いため、実際はとても食べれるものではないのだが、皮肉を込めて心の中でそう毒ついた。

 岩の隙間には喰いかけの何かの破片が落ちていた。少し赤黒い色を見るに小さな動物の肉片のようだ。ベルナルドはしゃがんで隙間を覗き込んでみたが、位置が低すぎるせいで上手く覗くことはできなかった。辛うじて奥に何か動くものが見える。

 この分では他にも何匹か居そうだ。もし群れでも居れば、畑や家畜に害が出る可能性もある。

 村の見張り役として働くベルナルドにとって、そういった事態を事前に察知し、村長に報告することも仕事のうちだった。

「一応確認しとくか」

 周囲を見渡し登れそうな岩を探す。ロファーエル村には柵や防壁などはないが、天然の大きな岩が外周部を覆うように囲んでおり、それが禍獣避けとしての役割も果たしているのだ。

 この村で生まれ、見張り役の仕事についてからはや二十年。刻呪のおかげで禍獣が来ることなどめったにない場所だが、もしかしたらいつか何かが起きるかもしれないと真剣に取り組んできた。村を守るために命を懸ける。それがベルナルドの誇りだったのだ。たとえそれが、聖騎士や神官になれない夢の代替え行為だとしても。

「よっこらせっい」

 野太い声を上げ岩場の上に体を乗せ上げる。陽射しが強くなり、薄くなり始めていた頭皮が急に熱を持った。

 立ち上がりズボンについた砂を払う。先ほどの隙間の位置を意識し、その反対側を探した。

 ――確かあそこら辺だったよな。

 尖っている部位に気を付けながら岩場の上を移動する。子供の頃から岩場が遊び場だったため、足場の悪い場所でもすいすいと前に進むことができた。

 目的の場所に近づくにつれてベルナルドは違和感を抱き始めた。妙な臭いがするのだ。腐った卵を鉄の中に混ぜ込んで蒸したような。

「くせえな。何だこの臭い」

 動物の死体でもあるのだろうか。もしかしたら複数のネズミが群がっているかもしれない。

 手のひらほどしかない小さな生き物だが、ネズミは非常にずる賢く面倒な生物だ。食料があると分かるといつまでも居座り隙を見つけてはむさぼり食っていく。もし大量繁殖でもしていれば大規模な駆除が必要となる。ベルナルドは音を立てないように気を付けながら、岩場の下を覗き込んだ。

「え?」

 そこには確かに死体があった。数匹のネズミがせわしなく歯を突き立て肉を噛んでいる。だがそれは動物の遺体などではなかった。人の死体だ。少し汚れた白い装束に三角の印。遺体の服装には見覚えがあった。

「そんな何で……?」

 村の中央からは未だに生贄を神の元へ見送るための祈りの声がかすかに聞こえてくる。あれが聞こえるということは、儀式はとどとおりなく行われ、祈祷師と生贄が祭壇へと向かったということだ。それなのに、ありえない人物の遺体が横たわっている。

「祈祷師――様?」

 目を凝らしもう一度覗き込む。しかしいくら見ても、それは間違いなくあの老人の顔だった。一瞬で首を裂かれたのだろう。大量の血がそこから広がっていた。

「何で祈祷師様が……大変だ。村長に知らせねえと」

 意味が解らない。わからないが、考えるのは後だ。自分の仕事は見張り。起きたことをありのままに施政者へ伝えることが仕事なのだから。

 身を翻し、岩場を滑り降りる。だが地面に足を着けたところで、突如、耳をつんざくような何かの声がどこからか轟いた。

 あまりの大きな音に、ベルナルドは反射的に両耳に手を当てた。湧き上がる恐怖に膝をしゃがませながら慌てて周囲を見渡す。台地が揺れていた。今まで味わったことのないような冷たい圧迫感が、衝撃のように押し寄せてきた。

「うるせぇ、何だよこれ――……!?」

 心臓が激しく鼓動する。音は祠の方から響いているようだった。ベルナルドは顔を引きつらせながらそちらに首を向け――そして見た。巨大な何かが祠から天に向かって飛び出すのを。

 声が出ない。目が離せない。

 金色の大きな三つの瞳に、白い雷を纏ったかのような独特な皮膚。それを目にした瞬間、ベルナルドは絶叫していた。生まれて初めて出す本気の悲鳴だった。

 しかしそれをかき消すかのように、その白い何かは再度、耳をつんざくような咆哮を放った。



「何だあれは!?」

 目の前の光景に村長は驚愕した。

 突如鼓膜が破れそうなほどの轟音が鳴り響いたと思ったら、得体の知れない大きな何かが岩山の上に飛び出してきたのだ。

 空間が裂かれたかのような大きな亀裂。それがあの化け物の周囲に広がっていた。まるでこことは違う別の世界から抜け出てきたかのようだった。

 初めて見る姿。あれほど異様なものは、禍獣でも目にしたことはない。

 先ほどまで祈りの言葉を述べていた村人たちも、あまりの光景に口を大きく開け言葉を失っていた。

 二度目の咆哮が放たれた直後、異変が起きた。怪物を中心として、村の空が急激に暗くなっていったのだ。

「ま、まさかまた死門が……!?」

 大通りに集まっていた人々の誰かが叫ぶ。しかし空は暗くなるだけで、嵐や雷などは起きなかった。

 ――あの位置。祠の真上だ。まさか――刻呪なのか?

 それ以外に考えようがない。事態の重さを察知し、村長は血の気が引くのを感じた。

 村人たちは恐怖に顔をひきつらせたまま、茫然と立ちすくんでいる。幸いあれはまだ祭壇の上から動いてはいない。今ならまだ逃げられるはずだ。

「みんな。村の外へ避難しろ。今すぐに!」

 枯れた喉で大声を出す。少しでも早く皆を逃がさなければと焦ったが、村人たちは何故か動かない。茫然としたまま祭壇のほうを向くだけだ。

 村長は違和感を抱いて再び祭壇の方を振り返る。すると、先ほどまで存在感をまき散らしていたはずの化け物の姿がゆっくりと薄れ始めていた。闇に染まった空や周囲の空間に溶けるように消えていく。

「……消えた?」

 何が起きているのだろうか。村長がよく見ようと目を凝らしたところで、今度は村人たちの中からどっと声が響いた。

 一人の村人が体を抑え膝をついていた。その村人の肩からは赤い筋がにじみ出ている。「ぁあ」村人は出血を抑えようと肩を抑えたが、出血は止まることなくどんどん広がっていった。まるで傷口が勝手に広がっていくように。

 さらに別の場所からも声が響き、一人の男が倒れた。その男の腕は千切れており、全身から血が噴き出していた。そしてまた一人。今度は木に寄りかかっていた老人が口から恐ろしい量の血を吐いて倒れた。

「な、何が起きている? 何が――……!?」

 頭が追いつかない。目の前の光景が理解できない。誰かが悲鳴を上げ、つられるように村長も叫んだ。

 ――そして、鮮血の花が広場に咲き乱れた。





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