第3話 生贄(3)


 村の主な収入源は骸拾いで得た禍獣の遺品を町で売りさばくことだ。

 禍獣は退魔士や聖騎士でなければ討伐の難しい存在であり、一般的な農民がその骸を得られる機会は少ない。そのため骸拾いで得た遺体の需要は高く、特に呪術師連盟がある黒陽の国アザレアなどには儀式用の材料として高値で売れる場合が多かった。

 しかし骸拾いは常に行えるわけではない。災害である死門が通り過ぎた直後でなければ安易に禍獣の遺体は手に入らないし、死門が村へ接近しない時期は生きたまま禍獣や野盗が村の外を歩き回っているため、遺骨を回収するよりも自分たちが殺されてしまう危険の方が高い。

 そのため自給自足の手段として最低限の農業も行う必要があり、その責務は主に外に出れない子供が担当していた。

 太陽を見上げ、ゴートは疲れたように汗を拭った。

「例の儀式、確か今夜生贄が選ばれるんだろ」

 いつもおちゃらけてばかりいるはずなのに、嫌に真面目な表情だった。

 またその話か。カウルは嫌な気分になって投げるように言い捨てた。

「本当に必要なのかな。生贄なんて」

 二人が手を止めたのを見て、横で土をほじくり返していたモネも会話に入ってきた。

「お母さんに聞いたんだけど、過去には生贄を出さないように試みた年もあったらしいよ。でも、すぐに謎の疫病と死者が大量発生したんだって。当時の村人たちは祠の祟りだって慌てて、それ以降は必ず十年ごとに生贄を捧げる儀式を守ってるって」

「本当かよ。たまたま死門が近くを通り過ぎただけなんじゃねえの」

 疑いの籠った目でゴートがモネを見た。

「でも血をいっぱい吹き出す病気だって言ってたよ。死門は嵐や雨に触れた命を吸い取る現象でしょ」

「ふーん。血がいっぱいね」

 ゴートは何かを考えるそぶりを見せた後、

「……てか、お前んところ三神教の熱心な信者だろ。生贄とかいいの? どっちかと言えば、呪術の領分だよな」

「村の伝統だからね。仕方ないって我慢してるみたい。そもそも三神教は別に呪術師を迫害してるわけじゃないし、そのために村には代々祈祷師様がお祓いをしてくれているんでしょ」

 呪術の儀式を三神教の祈祷師が行うというのも、何だかちんぷんかんぷんな話だが。とカウルは思った。

 ゴートは坊主頭の後ろで腕を組みながら、

「みんな口では生贄は大事な役目ですとか、名誉なことですとか言ってるけどさ。あれって自分たちをごまかしてるだけだよな。自分が選ばれたら絶対に内心では嫌がるくせに、他人が選ばれると思ってるから我慢できるんだ。ほんとおかしな文化だよ。この村。そもそも呪いの封印を維持し続けなきゃならないってんなら、さっさとこんな村みんなで出ていけばいいんだ。骸拾いなんてグレムリアの中ならどこだってできるじゃねえか」

「死門に直撃する機会が少なくて、なおかつ骸拾いを真っ先に行える。そんな村はここくらいなものだもん。禍獣が襲ってきた場合に対処する退魔士や兵士だって必要になるし。この村が比較的に裕福なのは、あの呪いのおかげなんだよ」

「じゃあモネは生贄に賛成派ってことかよ」

 先日両親から聞いたのだが、十年前に生贄になったのはゴートの姉に当たる人物だったらしい。当時の彼は四歳だからまだ物心がついたばかりの頃だが、居るはずだった姉が奪われたという事実は、何かしら思うところがあるのだろう。ゴートの目にはありありと不信感が読み取れた。

「仕方ないこと、だとは思ってるよ。禍獣や呪いに滅ぼされた村がいっぱいある中、こうして何百年も平穏を続けられる村なんて中々ないもの。十年間の死者を比べれば圧倒的に少ないのはこのロファーエル村なのは間違いないでしょ」

 モネの正論を聞いたゴートはつまらなそうに黙り込んでしまった。それが事実であることをよく理解していたからだ。

 村から出ればいつ死んでもおかしくはない世の中。だから誰も出て行かないし、誰も儀式を止めようとはしない。外の世界はあまりに残酷で、悪意に満ちているから。

 既に二人とも完全に作業を止めている。カウルは二人にならい地面にくわを突き立てると、疑問に思ったことを口にした。

「……そもそも、北の祠に封印されている呪いって何なのかな。祈祷師様から明確には教えてもらってないけど、禍獣を寄せ付けないほどの呪いって、相当凶悪な何かだろ。誰がいつ封印したのかもわからないし」

「それは大昔に退魔士や祈祷師が封印したんでしょ。血を吹き出す患者が増えたって例があるから、毒をまき散らす呪いとかなんじゃない? 禍獣は呪いを受けた動物のなれの果てだから、敏感にそれを察知してるとか」

 髪を耳の後ろに掻き上げながら、モネが言った。

「毒ならこんなに植物が生えたり農業ができるのもおかしいけどな。俺たちここで育てた野菜を喰ってるんだぜ」とゴート。

「本当の毒じゃなく呪いだからでしょ。それに今は封印されてるんだもん、影響はないよ」

「封印されてるなら禍獣が来てもいいと思うんだけどな。……それに、そんなに強力な呪いなら、三神教の封印士団が動いてもいいと思うけど」

 封印士団とは、聖騎士の組織の一つであれ、破壊不能、対処不能な呪いの封印を行う、また封じられた呪いの管理を行う集団だ。強力な呪いのある場所に派遣され、常時影響がないか見張ることが務めだった。

 カウルは突き立てたくわに寄りかかった。

「聖騎士の数にも限りがあるからね。現状被害が出てるわけじゃないし、そもそもこんな極東の田舎の呪いなんて、存在すら知らないのかもしれない。別におかしなことじゃないさ」

 しょせんこのロファーエル村で行われている祭事はその程度のものでしかないのだ。小さな村の小さな風習。狭い世界の人間が生き残るための生贄。みながそうわかっているはずなのに、止めることのできない悪習――。

「おいおめえら。くっちゃべってねえで、仕事しろ。昼になっちまうぞ」

 畑の中央から作業の指揮をしていた女性の声が響いた。あからさまにさぼっているカウルたちを見て、堪忍袋の緒が切れたらしい。

 前に彼女が激怒して旦那の耳を切り取った事件を思い出したカウルたちは、慌てて作業を再開した。この年で耳を奪われるのは忍びないと思ったからだ。

 土くれにくわを振り下ろしながらカウルはゴートの言葉を反芻した。今日生贄が選ばれるのだと。村人の中から一人だけ。

 誰になるのかは知らないが、選ばれる奴は可哀そうなことだなと思った。

 


 ――夕方。村人の大多数が集会場の中に集合していた。

 いつもは無駄に広いこの集会場も、二百人あまりの人間が集まれば流石に狭くて仕方がない。

 中央に置かれていた長机や椅子は壁際に撤去され、代わりに無数の大人たちがごったがえしている。

 カウルはモネやゴートと共に右端の余間を確保すると、そこから祭壇の方を見つめた。いよいよ今回の生贄が発表されるのだ。

 祭壇の左端から正装した村長が姿を見せる。彼の姿を見て、雑談で溢れていた集会場の中が静まり返った。

「みんな集まってくれてありがとう」

 まず村長は笑みを浮かべ感謝の言葉を述べた。

「前回の清像の儀式から早十年。とうとうこの時期がきた。皆知っての通り、このロファーエル村は‶刻呪〟と呼ばれる大きな呪いの上に作られた村だ。いつ頃から存在したのか、いつ封印されたのか、あまりに古い時代ゆえに定かではない古の呪い。しかしその呪いは禍獣や降り注ぐ呪いを跳ねのけ、我らにこのロファーエル村という安住の地をもたらしてくれた。

 一説によれば、かつてこの刻呪を封じた祈祷師の一族が、我々の祖だという話もある。かつての村人たちは刻呪を見張るため、また封じ続けるためにここに居を構え居座ったのだ」

 村長は穏やかな目で前に立っている祈祷師を見た。この祈祷師の老人は正式に三神教会に所属しているわけではないが、代々この村で呪いの管理と儀式を取りまとめる最古の祈祷師の一族だと信じられていた。

「刻呪の封印が弱まるたびに、呪いが漏れ出すたびに、多くの犠牲が出た。それを苦に思ったかつての祈祷師たちは、黒陽の国アザレアの高名な呪術師に協力を仰ぎ、封印を維持するための強力な呪術儀式を生み出した。それが刻呪をその身でもって清める儀式、清像の儀式だ。

 呪術とは代価を差し出す代わりに対象に呪いをかす行為。そしてその呪いは、代価に価値があればあるほど強力になるという。本来ならば忌むべき行いだが、かつての祈祷師、村人たちは自らの家族を守るためにこれを続け、平穏を保ってきた。

 祈祷師の神言と我々の信仰により、生贄となった者は必ず三神様の元へ運ばれ、死後は神の国で永遠の安らぎと幸福を得られるとされている。村人を守るため、邪悪な刻呪を封じるために、彼ら生贄はこの村で最も崇高で誇り高い存在であり、末代まで語られる名誉でもある。

 選ばれた者は自らの名誉を重んじ、真摯に受け止め役割を全うして頂きたい」

 そこで前に立っていた祈祷師が村長の横に移動し、巻物のようなものを渡した。

 巻物を受け取った村長は、それをうやうやしく上に掲げだ。

「この清像の書には、神託によってかつて生贄に選ばれた者たちの名が刻まれている。そしてもちろん今回の偉大な生贄の名も。これよりその大いなる役目を全うする者の名を呼びたいと思う」

 カウルはごくりと唾を呑み込んだ。あそこに生贄の名前が書かれている。今回村を守るために殺される人間の名前が。

 周囲の誰もが口を開かない。皆が身じろぎせず村長の手の中にある巻物を見上げていた。

 選ばれるのは十四歳以上の大人から一人。自分が選ばれる確率は、百八十分の一に過ぎない。確立は低い。そうわかってはいたが、カウルの足は勝手に震え始めていた。

 どうか俺や仲のいい者が選ばれないでくれ。

 不敬だと思いつつも、そう願わざる負えない。気が付くと、カウルは両手を丸く握りしめていた。

 結ばれていた巻物のひもを解き、ゆっくりと紙を横に開いてく村長。彼は自分を見つめる村人たちの顔を見渡した後、じんわりと染み込むような声でその者の名を呼んだ。

「カエルムの子、カウル。前に出よ」

「――え?」

 思わず声に出た。今村長はなんと言ったのだ。

 ゴートが恐ろしいものでも見るような瞳でこちらを振り返る。モネは泣きそうな表情を浮かべていた。

「カウル。前へ」

 村長の声が響く。

 カウルは何が起こっているかわからずただ自分を見つめる数多の目を見返すことしかできなかった。

 上手く立つことができない。思考が纏まらない。まるで風の音のように周囲の声が通り過ぎていく。

 嘘だろ。俺が生贄……? 父さん。

 カウルは眼前の大人たちの中を必死に見渡した。すぐに見慣れた父と母の顔を見つける。

 二人はカウルの顔を見ると、何かを食いしばる様な形相で唇を震わせていた。

 父さん。母さん。俺……――

 急に両腕を誰かに掴まれる。しびれを切らした村長が、村の大人たちに命令したのだ。

 唖然としたままカウルは祭壇の前まで連れてこられた。

 村長は目の前に立ったカウルに穏やかな表情を見せると、そっと頭に手を置いた。

「皆、偉大なる清像の生贄に敬意を」

 集会場にいた面々がその声に合わせ両手を胸の前で握りしめ頭を下げる。同時に横に立っていた祈祷師が訳のわからない神言を口ずさみ始めた。

 嘘だろ。本当に俺が生贄なのか。俺が……――。

 目の前の光景を見ても何が起きているのか頭が追いつかない。何故、彼らは自分に頭を下げているのだ。何故、両親は涙を流しているのだ。

 村長が何か優しい気な言葉を掛けていたが、カウルの耳には彼が何を言っているのか、まったく理解することはできなかった。




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