第4話 生贄(4)
それからの日々は、まるで別世界のようだった。
村人たちはカウルを見る度に、おめでとうだとか、祝福をだとか、小綺麗な言葉を投げかけては暖かい笑みを浮かべる。彼らの感謝が、笑みが気持ち悪くて、カウルは家の外に出ることが怖くてしかたがなくなってしまった。
ベッドの上に座りながら自らの頭を抱える。生贄発表の日から数日経ったが、未だに自分が生贄に選ばれたという事実を受け入れることができなかった。
あれほど幸福に溢れていた家族だったはずなのに、父も母もほとんど会話は無くなり、暗い表情で淡々と毎日の仕事をこなしている。カウルが逃げないように見張っているのか、どこに居ても大人たちの目が自分や家族を見つめている気がした。
あと数日で俺は死ぬのか。生贄にされて。あの祠の前で。
時間が経つのが怖い。日が沈むのが怖い。皆の視線が怖い。まるで世界の全てが突然敵になったかのような気分だった。
何で俺が……何で俺が……。
誰かが選ばれなくてはいけないことはわかっていた。誰かが犠牲になることは理解していた。けれどそれが自分になるなんて思ってもみなかった。
ただ立場が変わるだけでここまで世界は酷いものに見えるのだろうか。まるで悪趣味な悪夢の中に入り込んだかのような気分だ。
手の震えが収まらない。いつまでたっても心が落ち着かない。これは本当に自分の体なのだろうかと疑問すら覚えた。
「――カウル……!」
窓の外から聞きなれた声が響く。そっと目を向けると、悲痛な表情を浮かべているゴートとモネの姿が見えた。
そういえば、毎日呼びかけてくれていたような気もする。カウルはのっそりと立ち上がり、玄関のかんぬきを外した。
「やっと反応してくれた」
カウルのくまの浮かんだ顔を見て、モネが辛そうにそう言った。
「俺その、心配になって、何て言ったらいいか……」
来たものの言葉が見つからないようだ。ゴートのそんな様子を見て、カウルは少しだけ自分が冷静になるのを感じた。
「とりあえず入れよ。中で話そう」
道を歩く村人たちが注意深く自分たちを見ている。そう感じたカウルは、二人を中に入れ扉を閉めた。
「大丈夫?」
カウルの憔悴しきった顔を見て、モネは心底不安そうな声を出した。
「まあ、元気だとは言えないね」
自分のベッドに腰を落ち着かせながらカウルは答えた。もう空元気を出す気力もなかった。
ゴートは窓の外を気にしながら、
「逃げようぜ。今ならまだ村を出れる」
「どうやって。村の外には禍獣と呪いがあるのに」
「村長が退魔士を雇っただろ。あの人たちにお願いすれば隣町までは行ける」
「村長が雇った退魔士が言うこと聞いてくれるわけがないじゃないか。大体、そんなお金もないし」
カウルは思わず苦笑いを浮かべた。
「今の次期ならまだ禍獣だって少ないはずだろ。最悪俺たちだけでも移動はできる」
俺たちって、こいつ一緒についてくる気なのか。
ゴートの目は真っすぐにカウルを見つめている。彼が本気だと知って、カウルは切ない気持ちになった。
「無理だよ。父さんと母さんのこともある。俺が逃げ出せば、村の人たちにどんな罰を受けさせられるかわかったもんじゃない」
「じゃあ両親も説得すればいいじゃないか。このまま死を待つ気かよ」
「しょうがないだろ。そういう決まりなんだから」
本当に逃げ出せたらどれだけ良かっただろう。だが両親のことを考えるととてもじゃないがそれを実行に移すことはできなかった。
「二人ともわかってるんだ。自分たちは何回も生贄に選ばれた人間を見て見ぬふりして、安全な生活を送ってきた。それが今さら自分の子供が選ばれたからそれを止めさせるなんて、出来るわけがないって。そんなことをすれば、二度と今までの生贄の家族や村人たちに顔向けすることができなくなる」
「だから両親も一緒に逃げればいいんだって」
ゴートはあくまで強気に呼びかけた。
「無理だって。父さんも母さんも、凄く優しくて真面目な人なんだ。二人の親しい人間だって生贄にあったことがあるらしいし。あの日から何度も謝られたよ」
いつも明るくたくましかった父の泣き顔をカウルは生まれて初めて見た。あの顔を見て、もうこの運命が避けられない事実であることを悟ったのだ。
「それにもし俺が逃げれば、また別の生贄が選ばれるかもしれない。俺たちのよく知っている村人の誰かが」
この村を維持する以上、生贄は必ず捧げなければならない。最初から他の誰かが選ばれていたならともかく、自分が逃亡したことで新たな生贄が選ばれたのだとしたら、その人物に死をもたらしたのは完全に自分のせいだ。自分が生贄になることへの恐怖は抱きつつも、カウルはそれを了承することはできなかった。
ゴートは歯ぎしりをした。
「本当にそれでいいのか」
「ああ。仕方がない。運がなかったんだよ」
諦めきった表情でカウルは頷いた。
「何かできる事ある? して欲しいこととか」
暗い表情を浮かべるモネ。彼女はカウルの気持ちをある程度組んでくれているようだった。
カウルは彼女の顔を見返し、
「毎日、二人の顔を見せてくれないか。最後の日まで。正直ずっと家に籠っていて寂しかったんだ」
「……うん。わかった。来るよ。必ず」
モネの目が僅かに潤んでいく。それを見ているとカウルまでもらい泣きしそうになってしまった。
「よりによって何でカウルなんだよ……」
悔しそうにゴートが呟いた。
「神託で決まったんだろ。祈祷師様が言ってたじゃないか」
「何が神託だよ。どうせカウルの家が金持ちじゃないから選んだだけなんだ。十四歳以上の奴なんて他にもいっぱいいるのによ」
「ゴートなんてこと言うの」
三神教の熱心な信家であるモネは、ゴートの背徳的な発言に驚きを見せた。
「仲間内で噂になってるだろ。神託なんて名ばかりの方便で、実際は生贄に選んでも影響の少ない奴ばかり大人たちが相談して選んでるって。姉ちゃん。そして次はカウル。全部そうじゃねえか」
「ゴート……」
いくらゴートでも、ここまであからさまに祈祷師への文句を言うことはこれまでなかった。姉の死と今回の選定が相当気に障っているのだとカウルは悟った。
「ごめんな。ゴート。モネ。一緒に大人になることができなくて。外の世界を旅してみたいって夢もあったのにさ」
村から出れないだろうことはわかっていた。わかってはいたけれど、こんな形で人生が終わるとは夢にも思わなかった。これじゃあ一体何のためにこれまで生きてきたのかわからない。ただ死ぬためだけに生きてきたようなものじゃないか。
絶対に誰にも涙を見せないと思っていた。絶対に皆を困らせないと。でも二人の前にして、二人の顔を見ると、どうしても流れ落ちる滴を抑えきることができなかった。
「ゴート。お前聖騎士になりたいって、言ってたよな。本気で目指してみろよ。こんな村なんかから出て。お前ならきっとなれるさ」
「カウル……」
いつの間にかゴートの目にも涙が溢れていた。
「モネは三神教の司祭になりたいんだろ。一生懸命に勉強して祈祷術を覚えれば、いつかはこの村の呪いを解く方法が見つかるかもしれない。俺も三神様の元でずっと応援しているから」
「何でそんなこと言うの」
目元を抑えながらカウルの袖を握るモネ。カウルはそんな二人を見て、申し訳なさを感じると同時に、やはりこれで良かったのだと考え直した。少なくとも二人が生贄に選ばれることはもうないのだから。
「今まで楽しかったよ。ありがとう。ゴート。モネ」
そっと立ち上がり、二人を抱きしめる。ゴートは何か言おうとしたがそれを言葉にすることができないのか、口を小刻みに動かした後、ただ黙ってカウルを掴み返した。
そうだ。これは仕方がないことなのだ。誰かが犠牲にならなければ村は存続することができない。自分が犠牲になることで両親や二人が平和に生きていけるのなら、それ以上幸せなことはないじゃないか。
――生贄。また、あの吊るされた猪の姿が脳裏に浮かびあがる。
カウルはそれを振り払うように、強く二人を抱きしめ続けた。
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