3 再会も傲慢なまでに
それから数日後僕は再びあの時のキャバクラの前に立っていた。
店の扉にはまだ準備中の札が垂れ下がっている。
手には茶封筒。
そうエリの祖父に関わる医療費、滞在日などいろいろとまとめたレポートを持ってきたのだ。
店の前で彼女が来るのを待つ。いろいろ調べて準備し終わってから初めて自分が彼女と連絡を取る方法がないことに気が付いたのだ。
今日彼女が出勤かどうかはわからない、でも店の前にいれば誰かしら来るだろうから、誰かに預けることだってできる。
そう考え大学が終わってからずっと店の前で待っているのだが。
「そういえば賢治はみんなの名刺をもらっていたな」
名刺にはプリクラやら名前の他にも、アドレスなんかも書いてあったかも、いまさらながらそのことに思い当たり鞄のポケットを探る。その時「あっ」という小さな声が聞こえた。
「?」
顔をあげる。
少し前方にまるでモデルのような体形のスレンダーな女性が立っていた。
軽くカールがかかった長い明るい茶髪の髪がふわりと風に揺れ、僕のところまで甘い花のような香りを漂わせてくる。
大きなサングラスとしているので相手の顔はわからないが、
「どこかで……」
言いかけた僕に、彼女は愛想笑いを浮かべながら少し頭をさげると早足で店に入ろうとした。
「あっ」
彼女の髪が僕の頬をかすめて撫ぜる。
「あっ、ちょっと、君」
僕は慌てて封筒を握り締め、彼女が店に入る前に呼び止めた。
「なんですか?」
振る返らずに、鼻にかかったような少し高い声音で話す。
「これを、エリちゃんに渡して欲しいんだ」
「プレゼントなら直接渡されたほうが」
「いや、そういうんじゃないんだ」
そういいながら、僕は決して僕を見ようとしない彼女に少し不信感を抱いた。
「…………」
「なるべく早く渡したいです。どうか頼まれてくれませんか?」
そういうと女性はしぶしぶという感じに振り返り、節目がちに手を前に出した。
「ありがとう」
裕介は、そういうとじゃあ頼みますといって封筒を手渡した。
「あっそれから」
「はい」
帰りかけた裕介が振り返って、「僕は安部裕介っていいます」いいかけた言葉が徐々に小さくなりそして消えた。
油断したのだろう、返事をした拍子に伏せていた顔が上がり、サングラス越しだが視線と視線が思い切りあった。
「あっ・・・」
しまったという表情、しかしもう遅かった。
「お前……久美か?」
「あなたに下の名前を呼ばれるほど親しくなった覚えはないけれど」
開き直ったのか、いままでのどこかコソコソした態度がいきなり、堂々としたそれに一変する。
サイグラスを取った彼女は、大学では全くとしていなかった化粧をばっちりと決めていた。
その立ち振る舞いは、人を見下す女王のように不遜だがそれ以上に美しかった、だが同時に思った。
(似合わない)
眉根を寄せる表情を敵意にとったのか、真っ直ぐで強い黒い瞳が、正面から裕介を睨みつける。
「ちゃんとこれは届けてあげるから感謝しなさい」
なぜか喧嘩腰で久美がそう言った。おもわず負けじと顎をあげ言い返す。
「優等生がこんなところで夜のお勤めとは聞いてあきれるぜ」
「そんな店にのこのこやってきて、女の子にプレゼント渡してる男は誰なのかしら」
女王陛下のごとくあざ笑う。
「だから、プレゼントじゃない!」
「じゃあ、家の電話番号、それともお見合い写真? たいそうに封筒なんかに入れちゃって」
「違う、それはエリちゃんのおじいちゃんの──」
いいかけて口を噤む。人の秘密を勝手に言いふらすのは良くない。
しかし彼女はそれで察したのだろう、大きな目をさらに大きく見開くと、「そうだったの」と小さく呟いた。
「…………さい」
「えっ」
「ちゃんと渡しとくから。もう帰りなさい」
不機嫌そうな顔は変わらずに、口を尖らしながらいう。でもその目にはもう敵意のようなものはなかった。
「じゃあ、お願いします」
「責任を持って渡しといてあげるわ」
と捨て台詞を吐くと店の中に消えていった。
☆──☆
「なーに、今日はずっと浮かない顔をしてるな」
隣で教科書をしまいながら茶化すように声をかけてくる。
「別に」
いい子なふりをして女は本当に怖い、まさかあんな店で働いてるとは。あの噂も満更嘘ではないのかもしれない。
飯田久美が”パパ”と歩いていた。飯田久美は男に貢がせた金でホストに貢いでいる。
別に飯田久美について根ほり葉ほり聞いて回ったわけではない。あのバナナの皮の事件後、勝手にみんなが近づいてきては、飯田久美の良い噂も悪い噂も勝手に話していくのだ。そして、最後に決まって「久美ちゃんに惚れるなよ。火傷するのはおまえのほうだからな」と意味の分からない脅しのような捨て台詞をはいていく。
なんで僕があの猿女なんかに惚れるという発想にいたるのか、まったく意味が分からない。
賢治も久美のファンの一人だが、いったいなにがそんなにいいのだか。確かにモデル並みのプロポーションと整った顔立ちは認めなくもないが……。そんなことを思いながら、賢治の顔をまじまじとみつめる。
「なんだ、俺の顔が美しすぎて見惚れたか」
「自分で言うかそれ」
でも、それは完全には否定できない、賢治はまあまあ中の上ぐらいには格好いいと思う。でも図に乗りそうなのでそんなことは言わない。
いや、いったらいったらで、『俺は上の上だ』と言い返してきそうだが。
「ほら、言えよ、本当のこと。俺の顔に見とれてたって」
肩に手を回し賢治がぐいぐい迫る。
「あーいい男だよ、だから放して」
面倒なからみをさけるため、心のこもっていない返事を返す。
それでも、あと十分はしつこくされることを覚悟していたのだが、あっさりと賢治が離れた。
不思議に思って横を見ると賢治は違う場所を見ながら、鼻の下を伸ばしている。
その視線の先に久美がいた。
誰かを探しに来たのか、教室の中を覗き込みキョロキョロしている。
「久美ちゃん!」
「俺はここですよ」と言わんばかりに賢治が手を振る。その声が聞こえたのか久美がこっちをみた、そして僕と目が合うとそのまま僕たちの方に大股で歩いてくる。
「えっ、なに、俺になんか用」
一人慌てる賢治を無視して彼女は僕に言った。
「ちょっと時間ある」
賢治とふざけているうちに機嫌は直っていたのだが、久美の上から指図するようなその言い方に裕介は再びムッとしたような表情を作る。
状況がつかめない賢治が「何? 二人どういう関係?」と僕たち二人の顔を交互に見る。
「賢治悪い、昼は他の奴と食べてくれ」
そういいのこすと、久美の後をついて裕介は教室を出た。
緑の多い大学内、外でランチをしたり授業の合間に休憩したりするにはちょうどいい場所。
久美についてきてその中の一つのベンチに二人で腰を下ろす。
「で、用件は」
わざと素気ない態度を言い放つ。
久美は少しためらった後、口を尖らしながら、「ありがとう」と小さな声で言った。
「えっ?」
一瞬なにを言われたかわからず聞きかえす。
「だから、エリがありがとうって」
「あぁ」
少し頬を紅葉させながら久美がいう。
そっちのことか。
「あと、これも渡して欲しいって」
そういって可愛らしい封筒を渡す。
「今度お礼がしたいから、連絡して欲しいって」
「連絡先は──」
名刺のでいいのかな?
「あれは仕事用。この中にプライベートの連絡先が書かれてあるはずだから、そっちにしてあげてね。でも、もし迷惑じゃなかったらって。でもどちらにしろ一度は連絡しなさいよね」
言われなくてもそうしますよ。別にお礼目当てでなくても、ちゃんと誠意は伝わったことを伝えなくてはならないのだから。
「でも本当にありがとう」
「エリちゃんからね」
僕がそういうと久美は視線をどこかにそらしながらそのまま続けた。
「私もエリちゃんのお爺さんのことは聞いていたけど、病気の説明できても、それ以上はどうすることもできなかったから、それにお爺さんの状況じゃ」
普通なら治療は無理だろう。
「でもあなたのおかげで、日本で、それもほぼ無料で治療を受けれるようになったって彼女喜んでいたわ」
その言葉から新薬の実験。臨床試験に参加することを選んだことがわかった。
「でも臨床試験は……」
「そこはいいのよ。だって、このままじゃどちらにせよ……ちゃんとリスクもデメリットもレポートには書いてあったし、私も相談に乗ったわ。そのうえで彼女もお爺さんもそれを選んだ」
そういって、少し困ったような変な顔で笑った。
「だから、それであなたが気を病むことはないは。治療を受けさせれることができることが、なによりなのだから」
僕はうつむいたまま聞いていた。
僕もわかっていてその資料を入れたのだ。選ぶか選ばないかはそれは彼女たちが決めること。そして彼女たちはそれを選んだ。それだけだ。
何処にも受け入れてもらえず不安を持ったまま、さまよっているより。一縷の望みをかけたのだ。
「じゃあ確かに、渡したからね」
彼女はそういうと、ぱっと立ち上がる。
「あ、あと、バイトのことだけど……」
「別に言わないよ」
口を尖らしながら、少しモジモジとする彼女を、僕は珍しい生き物でも見るように見つめた後そう言った。
久美はそれを聞くと少しほっとしたように息を吐くと。
「サンキュ」
ニカリと笑うと来た時と同じように颯爽と立ち去っていった。
教室に帰ると、賢治がいったいなんの話をしてたんだとしつこく聞いてきたが、裕介は鼻で笑ってはぐらかした。
その夜僕はエリに連絡をして、今度食事に行く約束をした。
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