4 告白

「裕介さん」


 昼間のエリは薄いナチュラルメイクに淡い水色のワンピース姿の可愛らしい女性だった。たぶんこっちの姿が本当の姿なのだろう。


「ごめんなさい。誘っておいて私が遅れてしまって」


 遅れたと言っても待ち合わせ3分前だった。ただ祐介がそれより早く着いていただけのことである。


「いや、僕が早く着きすぎただけだから」


 ニコリと微笑む。

 エリもヘヘっと照れたように笑った。


「エリちゃん、これからどこに行くか決まってるの?」そう言いかけた僕だったが、それをエリが途中で止めた。


「祐介さん。あの”エリ”は源氏名で」


 源氏名というのは、店で使う仮の名前のことだ。


竹石真理恵たけいしまりえ、真理恵って呼んでください」


 照れた笑いを浮かべながらそう言った。


「真理恵ちゃん」


 僕もつられて照れ笑いを浮かべる。


「あと私あのバイト辞めたんです。だからエリはもういません」

「そうなんだ」


 どこかほっとする。


「祐介さんのおかげです。お爺ちゃんの病院を紹介してもらって、費用もほとんどかからなくて済むので、無理してあのバイトを続けていかなくても、普通のバイトでもどうにかなるということがわかったから」


「それはよかった」


 僕は本心からそう思った。


「ふふ、ありがとうございます。で、今日は──」


 少し首を傾げながらじっと僕を上目遣いで見上げながら


「祐介さんて苦手な食べ物とかありますか?」

「いや、特にないけど、そうだな、しいていうならエスニック系に入ってるあの”パク”なんとか? あの独特な葉系はちょっと苦手かな」

「あぁ、わかります、私もそれ苦手です」


 うんうんと頷く仕草が、なんだか可愛い。


「ちなみにチーズは好きですか?」

「まぁ普通に好きかな」

「良かった」


 そう言うと彼女は携帯画面を見せてきた。

 ピザなのだろうか、しかしそこからびよーんと信じられないような長さに伸びているチーズの映像。


「ここ、行ってみたかったんです。いいですか?」


 興奮気味に、少し頬を赤らめながら楽しそうにそう力説する彼女を見て、僕も笑顔で頷いた。



 彼女との時間は予想以上に楽しかった。


 高校在学中にお爺さんが倒れたこと、進学はせず就職したがうまくいかづ二年で仕事をやめてしまったこと、そして入院費を稼ぐため水商売を始めたこと。


「えっ、真理恵ちゃんてもしかして、僕より年上?」

「そうかもしれませんね」


 はっきりとした年齢は教えてくれなかったが、そうなのだろう。

 そうだよくよく考えてみればあんな店で働いているのだから年齢をごまかしているか、20歳以上なのだ。

 

「すみません、ずっとため口で」

「いまさら敬語にされても困るので、このままでお願いしますね」


 ニコニコと微笑みながらそんなふうに言う。

 チーズたっぷりのピザを食べ終えると、僕らは街を少しぶらぶらと散歩した。


 僕だっていままで彼女らし人がいなかったわけではない、デートらしきこともしたこともある。

 真理恵とは今日で会うのはまだ二度目だというのに、このまるでデートのような流れは嫌いじゃない、寧ろ心地よかった。

 見た目は可愛いのに、そこはしっかり年上のせいなのか、ああいう店に働いていたスキルなのか、真理恵は小さいことにもよく気が付いた。それに賢治に話したら「で、オチは?」と聞き返されそうなちょっとした話でも、ニコニコと相槌をしながら、楽しそうにきいてくれるので、僕も気分よく沢山話ができた。


 お礼される側とはいえ、全てまかせっきりもどうなんだろうとか考えていたが、いつしか、真理恵にリードされたまま、僕は夢のように楽しい時間を過ごしていた。

 

 その時だった。


「あれサヤさんじゃないですか?」


  真理恵が指をさす方を見る。


「サヤ?」


 首を傾げる僕に真理恵が「あっ、祐介さんと同じ学校の」と続けたので、サヤ=久美という公式が僕の頭に閃居た。


 ならあの僕たちが店に訪れた時、店の客に喧嘩を売っていたのは久美だったのか。


 そうだとわかったとたん、客に啖呵を切って腕をねじ上げている姿が思い出される。と同時に何かが胸にストンと落ちた気がした。


「久美か」

「そう、そう久美さん」


 どうやら二人は源氏名で呼び合っているようだ。まあそんなことはどうでもいい、久美がいるのか? と僕は真理恵の指さす方をみる。

 そこには確かに久美だと言わんばかりのスタイルの良い女性の後姿が見えた。


 長い足を惜しげもなくさらしながら、楽し気に話している相手は……


「執事?」


 久美を同じぐらいスラリとした長身、そしてまるでアニメに出てくるような執事の格好をした甘いマスクの男性だった。

 そして二人はしばらく話すと、たぶんその執事の店なのだろう、一つの店に入っていった。


「…………」


 この間久美と少し話て、もしかして久美にも真理恵と同じように何か事情があるのではないかと思っていた矢先に、見てしまったこの光景。男に貢いでいるっているのはこういう店に行っているということだったのか。


「祐介さん、いってみませんか?」

「えっ?」


 どこに? 


「私東京にいる間に、一度は行ってみたいと思っていたんですよ」


 いや、僕は思ってない。と強く言い返せなかった。真理恵のキラキラした瞳が眩しすぎる。

 違ってくれ。と心の中で叫んだが、真理恵は僕の手を引きながら真っすぐに久美が入っていった店のドアを開いたのだった。


☆──☆


 カランコロンと鳴る扉を開けると。中世ヨーロッパを模しているのかアンティーク風の調度品が飾れた優雅な雰囲気ただよう館内が目の前に広がる。

 数名の執事の格好をした店員たちが、一斉に僕らの方を向くと軽く会釈をする。


「お帰りなさいませ。お嬢様。お坊ちゃま」


 そのうち一人の執事が僕らにそう声をかけてきた。


「やだ、思った以上に素敵」


 確かにすっと伸びた背筋、挨拶する角度。席まで案内するその所作。もちろん椅子は執事が引いて座らせてくれる。メニューの説明をする甘い声まで、男の僕から見てもドキドキしてしまうほど素敵だった。

 メニューの値段も馬鹿高いほどではなくて少しほっとした。


「すみません、つい勢いで誘ってしまって、でもここも私がちゃんと持ちますから、祐介さんは遠慮なく食べてくださいね」


 真理恵がメニューで顔を半分隠しながらコソコソと話しかけてくる。

 僕はそんな表情にでていたのだろうか。


「いや、お礼のご飯はさっきおごってもらったから、ここは僕が」

「いいんです。お爺ちゃんのために貯めた貯金が結構あるんですよ」


 そんなことを言われたらますます頼みづらいが、彼女的には治療費がほとんどかからなくなったので大丈夫だといいたいのだろう。


「じゃあ遠慮なく」


 あまり断るのも悪いような気がするし、ここはひとつおごってもらおう、すでに食事は済ませた後だし、僕はそう考え直すと一番安い”今日のコーヒー”を頼んだ。


「いいんですか、それだけで」

「うん、まだお腹はすいてないし、ちょうどコーヒーが飲みたいと思ってたんだ」

「じゃあ、私は──」


 彼女はそう言うとケーキセットを頼んだ。


「お待たせいたしました。お嬢さま。お坊ちゃま」


 最近、耳にしたことのあるような、よく通る涼やかな声を聞いて僕はおもわず顔をあげた。


「あっ!」

「っ!」

「やっぱりサヤさんだったんだ」


 真理恵が嬉しそうな声をあげる。

 そこには他の店員と同じような執事の格好をして、髪をオールバックにした久美が立っていた。

 久美は僕らだと気が付いて、明らかに動揺した引きつた笑みを浮かべた。

 それも一瞬だけで、すぐにゴホンと咳ばらいをすると。


「お嬢様。少し声を抑えていただけますか」


 とにこやかな笑みを浮かべた。


「なんであなたたちがここにいるのよ」そして小声で聞いてくる。


「たまたまです」


 そう見かけたのは本当にたまたまなのだろうが、だが店に入る久美を見て真理恵は確信したのだろう。

 久美が客としてではなく、バイト先として店に入っていったことを。

 その証拠に「サヤさんここらへんだということしか教えてくれなかったから、本当見つけられてラッキーでした」なんて言っている。


 いや、教えなかったということは、普通来るなということだと思うのだが。天然なのだろうか、真理恵のテンションの高さと、久美の低さの温度差が少し怖い。


「で、あなたは」


 ジトリと僕を見る。


「お礼をしてもらっている最中です」


 執事喫茶がお礼って。という目で見てくる。いやそれは違うのだが、違わない。


「まぁいいわ」


 ここまで小声で言い終わると。再びニコリと営業スマイルに戻り優雅に会釈をすると、「ごゆっくりお楽しみください」と言って去っていった。


 確かに綺麗な人が多いと思っていたが、もしやここにいる執事は皆女性なのだろうか?


「サヤさんやっぱり素敵です」


 目にハートマークを浮かべながら真理恵がうっとりと立ち去る久美を見詰めている。

 確かに下手な男よりよほど格好が良い、女性にしてはたっぱのあるスタイルと中性的な顔のせいもあるだろうが、その所作がなんとも美しい。


 ちょっと男として嫉妬しながら、久美の背中を見詰める。


 しかしあいつはいったいいくつバイトをしているのだろう。もうすぐテストだってあるはずなのに。学年主席は大丈夫なのか。

 そんなことまで考えた。


☆──☆


「今日は本当にありがとうございました」


 執事喫茶を堪能して、先ほどより肌艶が良くなった真理恵を眺めながら、僕は少し複雑な気持ちで笑顔を向けた。


「サヤさんの素敵な姿も見れたし、お爺ちゃんの治療も始められるし、本当に祐介さんさまさまです」

「いや、僕はなにも……」

「いいえ、本当に」


 そう言って、真理恵は僕の手をそっと両手で包み込むように握ると胸の前までもっていく。


 こ、これは。もしや告白されるのでは──!


 ドキドキする胸の音に気付かれないよう、あえて冷静な振りをする。


「入院費の心配もなくなったし、サヤさんの素敵な姿も見れました。これで私も心置きなく田舎に帰れます」

「……?」


 一瞬何を言われたのかわからずキョトンとする。


「田舎に、帰る?」

「はい。私の住んでいる田舎じゃとてもお爺ちゃんの入院費を短期で稼げるような仕事が見つからなくて、東京にでてきたんですが、祐介さんのおかげでその心配もなくなりました。それにお爺ちゃんの入院先も、東京からより、田舎からの方が近いので、もう東京にいる意味もないので」


 明るく元気に晴れ晴れと。彼女は満面の笑みでそう言って笑った。


 僕はいったい何を期待していたのだろう。お礼がしたいと言われて、一日まるで恋人同士のようにデートをしただけなのに。

 色々な意味で頬が染まる。

 それでも僕は穏やかな笑みを顔に乗せると。


「よかった。真理恵ちゃんの力になれて」


 そう言ってほほ笑んだ。

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