イチョウ

 この季節、いつも通る並木道は落葉で埋め尽くされている。

 豊川とよかわまさしは落葉に自らの姿を重ね合わせていた。

 落ちて濡れている葉とは対照的に、樹の上の方につく葉はまだ青々としている。

 長年に渡る現役人生が今日で終わるのだ。清々しい気持ちなどあるわけがない。残ったのは悔いばかりだ。

 プロとアマチュア。

 パブリックとプライベート。

 現役と、引退。

 一般的に言って、それら二つの境界はそこまで明確ではないことが多い。辞表を出した瞬間か。退勤の時刻を迎えたときなのか。

 だが豊川の場合は違った。そこには明確な境目がある。


 悔やんでも悔やみきれぬ。まだ戦いたかった。戦えなくなった。

 右膝前十字靱帯みぎひざぜんじゅうじじんたい損傷そんしょう

「膝が逆に曲がる」ような怪我をするとそういう仰々しい診断名がつく。はたして豊川の膝は実際に逆向きの力を加えられ、しばらくは立つことすらできなくなっていた。

 怪我による引退──。

 相手を恨んでもしょうがない。終わったことだ。自分のためにこれほど大きな引退セレモニーが開かれる、ということ自体を喜ばなければやりきれない。

 豊川はカエデの落葉で真っ赤に染まった道を歩き出した。


 ◆


 会場は一万人のファンとマスコミで埋め尽くされていた。

 元大関、大豊将だいほうしょうは土俵際のふんばりと吊り出しを得意とする豪快な取り口で人気の力士であり、それは豊川の四股名であった。

 豊川のまげに親方がはさみを入れる。

 明確な境目。この髷の最後の一本が頭から離れた瞬間から、豊川は関取ではなくなる。

 出来ることなら、力を入れて持ちこたえたかった。髪の毛でそんなことができるわけがないことはわかっている。土俵際とは違うのだ。

 サクッ。

 切り取られた大銀杏おおいちょうが豊川の目の前に現れる。この小さな髪の毛の塊が自分を関取たらしめていたのか、と思うと、涙が溢れて止まらなかった。

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