第15話 無関係の生贄


 とりあえず二人を座らせて、事情を聴く。それによると、息子のマルクが昼頃に家を出ていったきり、この時間になっても帰ってこないのだと言う。町の知り合いが今も総出で探しているけれど、まったく見つからないから、困り果ててここへ来た、と。

 話し終えると、おかみさんはわぁっと顔を伏せた。


「あたしが悪いんだ! あたしが、あたしがひどいことを言っちゃったから……っ!」


 フリッツがその丸い背を撫でる。

 僕はカードを交ぜながら「何て言ったの?」と聞いた。


「先生、そいつぁ」

「ごめん、重要なことなんだ」


 遮るように言うと、フリッツはばつが悪そうに口をつぐんだ。


「そもそも、人探しは占いでやることじゃない。占いが示すのは、この先、どこで、何が起きるか、それだけだよ。正しく先を知るためには、正しく過去を知っておかないといけない。そういうものだから。情報が不十分な状態で占ったって、なんの意味もない。だから、話してくれる? おかみさん」


 おかみさんは逡巡するように黙り込んでいた。が、やがて鼻を啜ると、うつむいたまま話し出した。


「……いつもの、口喧嘩だったんだよ。あの子があんまり、店の手伝いもしないで、ふらふら遊んでばかりだったから……」

「うん」

「それで、つい……つい、あんたみたいな怠け者はいらない、って……」

「うん」

「……金を払ってでも、先生のとこのお弟子さんと交換したいくらいだ、って……」


 ああ、それは。と僕はつい天窓を見そうになった。一番言われたくなかったことに違いない。よく働く同年代の子。それと比較されて“いらない”などと言われてしまったら――たとえそれが本心からではないと直感していても――その場にはいられないだろう。

 真っ赤に泣き腫らした目がすがりつくように僕を見た。


「本気じゃないさ、当然だよ、本気じゃないんだ!」

「うん。分かるよ。でも、それで、出ていっちゃった」

「そう……そうなんだよ、あの子は……本当に……」


 おかみさんは唸るような泣き声を上げて突っ伏した。


「マルクの生年月日は?」

「え、ああ……一四八七年の二の十五日だ」

「今日は何日?」

「一五〇二年の十四の五」

「居場所の見当が付いたら、フリッツが一人で捜しに行く?」

「もちろん!」

「分かった。ありがとう」


 今度こそしっかりと天窓を見上げる。今夜は月がない。窓の南側の隅に赤い星が見えた。凶兆だけれど、星の動きは個人とは関わらない。だから今は少しだけ無視。ただ、赤い星のある夜は魔性が強いから、それに合わせて調整する。カードを交ぜる回数を二回減らし、魔力を渡す量を少なくする。

 普段は多い独り言も、今だけは封じる。聞かせてしまったら心を惑わすことになりかねない。カードを纏めて一度だけ切り、それからめくる。


(まずは……マルクが、見つかるかどうか)


 逆位置の『彷徨う追跡者』――僕は安堵の息を吐きそうになったのを慌てて飲み込んだ。見つかるには見つかるらしい。だが、生死は問うていない・・・・・・・・・

 カードを戻し、二回切る。


(次、どこで見つかるか)


 めくるのは二枚。出てきたのは、逆位置の『共鳴』と逆位置の『猫』――あまりよくない。マルクを見つける場所は水辺。水中ではない。そして危険がある場所だ。避けられない危険が近くにある場所。

 再びカードを戻し、三回切る。


(最後。フリッツが捜しに行った先で、何が起きるか……)


 正位置の『匙を投げた悪魔』――よくないものを呼び寄せる。

 逆位置の『完遂』――不運に見舞われる。

 正位置の『狂った侍女』――犠牲者が出る。


 僕は静かに息を吸って、カードを山に戻した。それから結論を口にする。


「見つかるには見つかる」

「本当か?!」

「でも、生きている保証はない」


 フリッツが浮かせた腰を落とした。おかみさんの泣き声が息絶えたように止まる。


「場所は、危険な水辺だ。湿っていて、たくさんの危険が潜んでいて、迂闊に近寄ってはいけないような場所。ここからそう遠くない――」

「っ、まさか、西の沼地か?」


 西の沼地。カードを一度切って、一枚めくった。再び、逆位置の『彷徨う追跡者』。


「そうみたいだ」

「あんっの馬鹿っ!」

「待って」


 勢い立ち上がったフリッツを、僕は引き留めた。


「一人で捜しに行ってはいけない。必ず、二人以上で行かなきゃ駄目だ」

「ふ、二人以上って……でも、下から誰か呼んでくるには……」

「あたしが行くよ! あたしが行けばいいだろう?!」

「いや、でもお前……」


 危険だ、大丈夫だ、と押し問答を繰り返す二人を前に、僕はカードを切った。おかみさんと二人で捜しに行く――やはり、正位置の『狂った侍女』。結果は変わらない。


「駄目だよ。おかみさんが行っても駄目だ」

「そんな……っ!」


 おかみさんの悲鳴のような声が僕の頭に突き刺さる。

 僕が行ったらどうにかなるだろうか? さらにカードを切る。めくる。――駄目だ。『狂った侍女』。結果は変わらない。下から人を呼んで間に合うか? ――駄目だ。正位置の『過去のもの』。間に合わないで後悔する。

 僕は唇を噛んだ。フリッツを一人で行かせて、それで誰かが、フリッツかマルクかのどちらかが犠牲になるのを黙認するしかないのか?


「あの、師匠」


 背後から遠慮がちな声。


「俺では力になれませんか?」


 ドゥイリオが一緒に行ったら。

 それを仮定した瞬間、僕の中に小さな躊躇いが生まれた。が、長年の癖はそんなものになど見向きもしないで、素早くカードを切らせた。なんだか祈るような気持ちだった。何を祈っていたのかは分からない。二つの正反対の祈りを抱えていたような気がして、結果的に真っ白な状態でカードをめくった。

 ――正位置の『桃色の小包』。

 順調とは言い難いが、良い結果に落ち着く。

 僕は何も言わなかった。言えなかったのだ。その結果を見たときの自分の心の揺らぎが、絶望とよく似た揺れ方をしていたから。違う、絶望なんかしていない、けれど、でも、本当によく似た揺れ方で、僕は思い切り戸惑った。

 一方、ドゥイリオの判断は素早かった。


「フリッツさん、俺が一緒に行きます。灯りを灯すくらいしか出来ませんけど、でも、俺が行けば何か変わるみたいなんで」

「ほ、本当か? いいのか?」

「はい。いいですよね、師匠」


 声を掛けられてはたと我に返った。


「あ、ああ、うん」

「ありがとうございます。では、いってきます」

「うん……」


 ドゥイリオがフリッツに頷きかけて、二人がパッと背を向ける。駆け出す。行ってしまう。

 未来を見ようか、という考えが一瞬だけよぎって、すぐに消えた。魔力の暴走を止める劇薬、あれは騎士団の管理下にあって、今手元にはない。つまり僕にはもうこれ以上どうすることも出来ないのだ。

 手が震えて、そこから一枚のカードが滑り落ちた。ワン、と小さな鳴き声。


「ドゥイリオ!」


 呼ぶと、彼は機敏に立ち止まって振り返った。伸びた前髪が目にかかるのをうるさそうにのけて、駆け寄ってきた僕を見上げる。不安も恐れも迷いもない目をしていた。

 僕は拾い上げたカードを彼の胸ポケットに差し込んだ。正位置の『完遂』。幸運の運び手。今度の祈りは純粋で、シンプルなものだった。


(どうか、幸運が彼を守ってくれますように)


 カードに魔力を預ける。これが助けになってくれることを、心の底から祈る。


「くれぐれも気を付けてね。フリッツの言うことをよく聞くこと」

「はい! いってきます!」


 凛々しい返事を夜が飲み込んで、無慈悲に扉が閉まる。


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