第7話 的確な先達
僕はドゥイリオがどうしても上手く魔力を捉えられないことを話した。そして渋るエッダを説き伏せ、なかば泣き落としのような真似までして指導をお願いした。
「ったく、しゃあねぇな……お礼は『角灯亭』で飲み放題な」
「破産させる気か?」
「安心しろ、弟子の生活費ぐらいは残してやる」
僕の生活費はまったく考慮しないで飲み明かすつもりらしい。エッダの場合冗談で済まされないのが恐ろしいのだけれど、まぁ、それぐらいは仕方がないか……。
ドゥイリオを呼ぶと、彼は恐る恐るキッチンから出てきた。背丈はエッダとほとんど変わらないのに、がたいの良さが倍くらい違うから、ドゥイリオの方がやけに痩せて見えた。
エッダは彼の頭の先から爪先までをじろりと見遣った。
「痩せっぽっちだな、クソガキ。骨と皮しかねぇじゃねぇか。両手で持ったら折れそうだ」
「ごめんね、ドゥイリオ。コイツ、口は悪いけど腕は確かだから、我慢して」
「あたしに任せんなら黙ってろ兄弟子」
ぴしゃりと言われて僕は口を閉じた。手で邪険に払われて、大人しくソファに座る。
エッダはドゥイリオを裸足にさせて立たせた。
「ああ、立ったままでいい。そのまま楽にしろ」
「ですが……」
「うっせ、黙れ」
ドゥイリオは気圧されたように顎を引いた。
「いいか、教科書に載ってんのはあれは本当に“初心者用”なんだ。まだ魔法なんて使ったこともない連中が、魔力以外の感覚を閉ざすことで、魔力を見ようとするためのもんなんだ。だから寝そべる。だが、聞いた話じゃ、お前すでに魔法使ってんだってな?」
「はい」
「だったら、魔力の知覚は出来てるわけだ。ただ自覚してねぇってだけで」
「はぁ」
「腑抜けた返事はやめろ、馬鹿。指導を受けるならしゃっきり『はい!』だ」
「は……はい!」
ドゥイリオは察しの良い子だ。ここでまた腑抜けた返事をしたら容赦なく殴られたことだろう。
エッダは「よろしい」と鷹揚に頷いた。
「っつーわけで、だ。お前の場合は逆説的にやっていく方が合っている」
「逆……?」
「『灯りの魔法』、出来るだろ。やってみろ」
「あ、はい!」
ドゥイリオは大事なペンダントの先を握るように、胸元で両手を重ねた。深く息を吸うのが微かに聞こえた。握った手をゆっくりと広げながら、手のひらを上向きに、顔の前に掲げる。
「《灯せ》」
マッチを擦るような音がして、金貨大の灯りが彼の手の上に生まれた。
「ふぅん、なかなか綺麗な色じゃねぇか。形も安定してるし」
「珍しい、エッダが褒めた」
「うるせぇ黙ってろ兄弟子。あたしだって褒める時は褒める。――んじゃ、次だ。それをゆっくりと消せ」
「消す……ゆっくりと?」
「そうだ。出来るだけゆっくり、な。お前が今生み出しているその灯りは魔力で出来ているわけだろ? だったら、それがどこから来ているのか、反対に探ることが出来るはずだ。理屈は分かるな」
「……はい。理屈は」
「よし、じゃあやってみろ」
無愛想な指示に、ドゥイリオは若干緊張を滲ませて、手の中の灯りを見つめた。金貨大だった灯りが、銀貨になり、銅貨になり――ポシュッ、と、水を掛けられたように突然消えた。
「あ……」
「ま、初めてじゃそんなもんだ」
エッダは腕を組み、何度か頷いてみせた。
「今のをスムーズにできるようになるまで、繰り返しやってみな。外に出した魔力を内側に戻して、その時に一緒に付いていく感じだ。それで内側を覗き込む。ぼーっと寝転がってるより、よっぽど分かりやすいだろ?」
「はい。あ、ええと……」
ドゥイリオは遠慮するように言葉を濁らせた。
彼の――おそらく僕に対する――気遣いを理解してか、エッダは鼻で笑うようにして言った。
「別に、一週間以上瞑想してきたのが無駄ってわけじゃない。意識を集中させるという点で、あたしのやり方も教科書のやり方も同じだからな。このやり方だって最終的には、寝落ちる直前の感じ、そこに辿り着くわけだし。ただ順序が逆になっただけだ」
「……はい」
「ま、こんなとこだろ。はいおしまい」
エッダはパッと腕を解いて、振り返った。
「あんまり根詰めてやりすぎるとぶっ倒れるから気を付けろよ。その辺の管理はし・しょ・お」
と指を指される。アイスブルーの三白眼が僕を真正面から睨みつける。
「お前の役割だけどな」
「分かってるよ」
「本当かぁ?」
「うん。ありがとう、エッダ。助かったよ。本当に君は指導が上手だ」
「そりゃ、お前と比べたらな」
「いっそ君が彼の師匠になった方がいいんじゃないか?」
半分本気で言ったことに、ドゥイリオが小さく「えっ」と言った。
だがエッダが取り合わなかった。
「はっ、冗談ぬかすな。てめぇが請け負ったんだからてめぇが最後まで世話しろ。面倒だからってあたしに押し付けんじゃねぇ」
「面倒なんかじゃない。ただ彼のために――」
「うるせぇ、バーカ。何が“彼のため”だ。お綺麗な言葉で誤魔化せると思うなよ。てめぇに自信がないだけだろ。教わるばっか、授かるばっかで、他人に何かを与えたことなんて一度もないからな、お前」
的確に図星を射抜かれて、返す言葉を失った。
エッダは鼻を鳴らして踵を返した。レインコートを羽織り、「じゃ、約束忘れんなよ」と扉を開ける。
「あの!」
ドゥイリオの声が彼女の袖を引いた。
「ありがとうございました! 俺、頑張ります!」
彼は礼儀正しく頭を下げた。エッダは少し照れたように眉を顰め、「おう。まー、せいぜい頑張れ」と呟くように言うと、今度こそ家を出ていった。
馬の走る音が遠ざかっていく。雨はまだ降っているようだったが、さっきまでより小さな音になっていた。
ドゥイリオが空になった二つのコーヒーカップを回収する。ちょっと伏し目がちになっているのは、気まずさを覚えているからだろう。エッダはいつでも人を委縮させる物言いをするし、僕は僕でどうしようもなく不甲斐ない。けれど別に喧嘩しているわけではなくて、ただ事実を指摘し合っているだけなのだ。魔導師らしく。
僕は意識的に軽く話しかけた。
「ね。口は悪いけど、良いやつだったろう?」
ドゥイリオは申し訳程度に微笑んで、頷いた。
「魔導師には、正直者が多いんだ。変人とか奇人とか、わがままだとかって言われることの方が多いけれど。魔力の把握は己の把握だからね。己を偽れば魔力は見えなくなり、応えてくれなくなるんだよ」
「そうなんですか」
「そう。だからドゥイリオ、良くも悪くも正直者であれ、だ。君なら大丈夫だと思うけれど」
ドゥイリオは微笑むのに失敗したような顔で「はい」と頷いた。
次の日から、彼はエッダに教わったやり方で、魔力を捉えようとし始めた。彼の使う『灯りの魔法』は、本当に美しくて温かな色味をしていて、見ているこちらが癒されるような光だった。エッダが褒めるのも頷ける。
彼は少しずつ魔力を捉えはじめているようだった。金貨サイズだった灯りが、日を追うごとにその大きさと強さを増しつつある。それは魔力の根っことの接続が確実になり、供給が安定してきた証拠だ。その灯りを消していくスピードも、どんどんゆっくりになり、滑らかになっていった。目を瞑っていても同じように出来るのは、魔力を肌で感じている証拠である。
何よりそうやって、灯りの大きさだとか、消え方だとか、目に見える形で成長を実感できるのが良かったらしい。彼は見るからにやる気をみなぎらせていて、毎日生き生きとした表情で修業を積んでいった。
だから、
「そろそろかな」
九週目の最後の朝、僕はカードをめくった。
逆位置の『桃色の小包』、正位置の『思わぬ轢死』、逆位置の『押し売り』――やっぱり。
「師匠、朝食の用意が出来ました」
「うん、ありがとう。ところでドゥイリオ、君、嫌いな食べ物ってある?」
僕の唐突な問いに、ドゥイリオはちょっと首を傾げながら、
「いいえ、特にありません」
と答えた。
「じゃあ、熱を出したことは?」
「昔、一度だけ」
「その時ってどんなもの食べてた?」
「味の薄いリゾットとか……果物があれば優先して貰えました」
「そっか。なるほど」
リゾットは僕には作れないから、果物だな。この時期ならナタアムとか、ネモールが美味しいだろう。スロクナバも季節だ。
一人で頷く僕を、ドゥイリオは怪訝そうに見ていた。
朝食を済まして、僕は手紙を書いた。三週に一度、ここまで食料や生活雑貨を持ってきてくれる商店の人宛だ。ドゥイリオの背格好を伝えて、適当な服と果物、それから熱を出した子どもに食べさせられるものを用意してほしいという旨を記した。
「《白き鳥は言葉を伝えよ》」
魔法をかけると、便箋はひとりでに折りあがって鳩の形になり、窓から外へ飛び出していった。ちょうど通りかかったドゥイリオが、鳩が空に消えるのを目を輝かせて見送った。
その日の午後、三時くらいに。
予想通り、ドゥイリオはぱったりと倒れた。
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