第5話 下手くその感覚派


 ドゥイリオの読み書きのレベルは普通より低かった。本当に最低限のみ。まぁゼロよりは随分とマシだ。専門用語は少しずつ覚えていってもらうほかない。

 魔法の才能は、最初の見立て通り確かだった。特に火に関する基礎魔法には目を見張るものがあった。金貨サイズの小さな火球ではあるが、呼吸するように自在に扱えたのである。


「孤児院で、灯り代わりと言いますか、燃料節約のために毎日使っていたので」

「なるほど、道理で」


 小さな魔法でも毎日使えばそれなりに練り上がるものだ。それはたとえるなら毎日の走り込みのようなもの。基礎体力があれば、炎以外の魔法を学ぶときにも有利である。


「さて、それじゃあ……えーと、どうしようかな」


 僕はこめかみを掻いた。


「そもそも魔法がどういう理屈で発動するのか、知ってる?」

「……いえ、知りません」

「魔力があるだろう? 体の中に」

「えと……たぶん」

「あー、そうか、そこからか」


 魔力は生まれつきのものだ。だから自覚しにくい。自覚しなければ操作もできない。簡単なものならふんわりとした理解で問題ないが、魔導師を目指すとなると完璧な把握が必須になる。これができない限り、複雑な魔法の構築は不可能だ。

 僕の場合は、魔力があると分かった時点で家庭教師が付けられて、瞑想とか呼吸法とか、自覚する方法を体に叩き込まれた。物心ついた時からそんな感じの生活だったから――


「……説明、難しいな」


 思わず天井を仰いでしまう。僕は生粋の感覚派なのだった。よく妹弟子にも「黙ってろ天才肌! お前のは指導じゃない、ただの実力のひけらかしだ!」と怒鳴られたことを思い出す。


「どうしようかな、ええと……」

「……すみません」


 今にも消えてしまいそうな声が聞こえて、僕は天井を見上げるのをやめた。ドゥイリオは向かいのソファで縮こまって、恥じ入るようにうつむいていた。


「あ、や、気にしないで。君が悪いんじゃない。誰だって初めは何も知らないものなんだから、恥ずかしがる必要はないよ」


 それでも気まずそうに黙っているから、僕は慌てて言い募った。


「今日のスープ、あれ、ロンクだったろう?」


 唐突な話題転換にちょっと不審がるようにしながら、ドゥイリオは頷いた。


「どうやって作ったの?」

「……実だけ取り外した缶詰があったので、それに少し火を通して、潰して、一度布で濾して、そこに牛乳を足して、それから味付けを」

「へぇ、あれって濾すんだ。そうか、だから粒っていうか、皮が入ってなかったんだな」

「はい。残った皮は干して、パンとかに練り込むと香りが付いて、栄養にもなります」

「へぇえ! 知らなかった。面白いな。僕は料理ってしないものだから」

「これまで何を食べていたんですか」

「なんか適当に、缶詰を開けてそのまま食べたりとか、そういうことをしてたな。どうせ味も分からないし、生きていければそれでいいと思って」


 ドゥイリオの細い眉毛がきゅっと歪んだ。


「駄目ですよ、いくら味が分からないからって。せめて温めるだけでも違うのではありませんか?」

「そう、違った。それを僕は知らなかったんだ。温度ひとつで食べた感じがあんなに違うなんて、想像もしなかった。君が来なかったら死ぬまで知らないままでいただろうね。……ええと、なんていうか、つまりそういうことだよ。分かる?」


 言いながら照れくさくなってしまって、目線を逸らした。

 逸らした拍子に、ふとテーブル上の教科書が目に入る。


「そうだ、ちょっと教科書貸して」

「あ、はい」


 ドゥイリオから『魔法学基礎』を受け取って、ぺらりとめくる。

 ――序章、魔力の感じ方――魔力は血液と同じ経路を廻っている。心臓から左腕、左足、右足、右腕、一度心臓を経由し、頭部を廻ってまた心臓に戻ってくるのである。すなわち、魔力を感じるということは血流を感じることである。そこで、まずは血流を感じるところから始めなくてはならない――云々。

 読んだ記憶はまったくなかった。出来ているからと読まなかったのだろう。


「あー、今見るとよく分かるな。なるほど。教科書ってすごいんだ」


 僕は教科書をドゥイリオに返した。


「じゃあ、まずはそれを読むところから始めよう」

「はい」

「僕もだいぶ忘れてるから、音読してくれる? あ、分からない単語があったらその都度聞いて」

「分かりました。ええと――」


 ドゥイリオはたどたどしく読み上げ始めた。この調子だと、ついでに言葉の勉強にもなりそうだ。たびたび発せられる彼の質問に答えながら、僕はどうやって自分の感覚を伝えようかと考えを廻らせた。



 序章が終わったところでストップをかけると、ドゥイリオはギリギリまで遠慮した溜め息をついて、ぎゅっと瞬きをした。読んだだけでかなり疲れたようだった。最初に読むにはちょっと長かったかもしれない。

 次はもう少し短くしよう、と思いながら、聞いてみる。


「分かった、かな?」

「……なんとなく」


 その曖昧な頷きは、明らかに理解していない様子だった。


「本当に?」


 もう一度確認すると、ようやくドゥイリオは「すみません、あまりよく分かりませんでした」と素直になった。


「そうだよね。まぁ、あとでゆっくり読み返してみて。何度か読んでるうちに分かることも出てくるよ。じゃあ、とりあえず最初の瞑想法をやってみようか。ええとなんだっけ、裸足になって床に寝るんだっけ」

「そうらしいです」

「掃除してくれてなかったら出来なかったね。ありがとう」

「いえ……」

「あ、日が当たってるところがいいよ」

「はい」


 天窓が作り出した陽だまりを指差す。日差しはおあつらえ向きに、テーブルとデスクの間へ大きな真円を描いていた。ドゥイリオは靴を脱いで、その中に寝転がった。


「昼寝する感じでいいと思うよ」

「本当に寝そうです」

「いいんじゃない?」

「いいんですか」

「寝る直前のさ、ふわふわした感じ、分かる? たぶんあれが一番近いような気がするんだけど」


 言いながら僕も靴を脱いで、彼の隣にあぐらをかいた。今日は比較的日が強くて、あっと言う間に体が温かくなる。見上げれば見事な快晴だった。燦々と降り注ぐ陽光。目を瞑ると瞼の裏がじんわりと白くなって、それから少しずつ赤くなっていった。


「自分から見たら左手側か。そっちの方向に、血がぐるぐると回っていくんだ。見えはしないけれど、想像してみて。普通の円でいい。音とテンポは心臓と同じで……そこに、あるんだよ、魔力が。銀色の円だ……捉えたら、分かる――」


 赤かった瞼の裏が、すぅっと橙色に変わり、それから紺色になった。夕焼けが夜空になるのと同じ。

 そしてそこに銀色の輪っかが浮かび上がる。僕の中をぐるぐると回る魔力の円環。いつも無理やり回る速度を上げさせて、挙句に壊してばかりいる円。今はどくどくと脈打つ心臓と同じスピードで、ゆっくりと回っていた。


「……こんな穏やかに繋げたの、久しぶりだな」


 呟きながら目を開ける。

 ドゥイリオが半身を持ち上げて、こちらを凝視していた。


「師匠、髪が……光って……目も……」

「ああ、うん。単純に魔力を廻らしただけだからね。魔法にして外に出してしまえば消えるんだけどさ。簡単な魔法ならこんなことしなくてもいいんだけど、大掛かりなのをやるときには、こうしておかないと発動できないんだよ」

「この前の、あの、占いのときも……」

「あれはもっと派手だったろう?」

「はい……」


 魂が抜けたような口から、すごい、と呆然とした声が漏れた。見開かれた青い目は、僕の周りをふわふわと漂う銀色の光を追っている。

 僕は意識を切って立ち上がった。光が消える。


「やってごらん。寝ちゃってもいいから」

「はい」


 ドゥイリオは改めて寝転がり、目をぎゅっと瞑ると、大きく胸を膨らませた。僕はしばらく、彼がゆっくりと呼吸するのを眺めていたが――「見てんじゃねぇ馬鹿! 気が散るだろ!」――妹弟子の怒鳴り声が聞こえた気がした。それでそっと陽だまりから出ていった。


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