第3話
アルドとエイミがシャオルーに言われた通り宮殿の前まで行くと、シャオルーはすでにそこに立っていた。
「アルドさん、エイミさん」
宮殿の入り口の前に立っていたシャオルーは顔を輝かせて二人の方へ駆け寄った。
「来てくださったんですね。ありがとうございます」
「自分の持ち物をなくして困っている人がいるのに放っておくわけにはいかないよ」
シャオルーの言葉にアルドはにこやかに応じる。
「本の持ち主の方にはすでに話を通してあります。その方のところへお連れしたいのですが、よろしいですか」
「分かった。そしたら案内してくれないか」
「喜んで」
シャオルーが二人を案内したのは宮殿の中だった。先導して宮殿の中の廊下を歩いていたシャオルーがとある扉の前で止まる。それから扉をノックした。ただノックと言っても妙なノックの仕方だった。二回叩いた後、一瞬間を置き、次いで素早く三回叩き、さらに間を置いて最後に一回叩く。
(変わったノックの仕方だな……)
アルドが奇妙に思っていると、扉の奥から「入れ」と声が聞こえた。扉越しでややくぐもって聞こえるものの、女性の声のように聞こえる。
(中にいるのは女の人か。ということはあの本の持ち主も女性なのかな?)
アルドはぼんやりとそんなことを考えた。
「失礼します」
シャオルーがそのまま扉を開け、二人を部屋の中へ誘った。アルドとエイミが部屋の中に入ると、部屋の真ん中に二人のいる方に背を向けて立っている貴婦人の姿を認めた。その後ろ姿を見て、二人は既視感を覚える。正確には彼女の髪型に対してだったが。
「あれ、あのボリュームのある髪型って……」
まさかと思いながらエイミがその名を口にしようとした時、彼女が二人の方を振り返った。その顔を見て、アルドとエイミが思わず裏返った声を上げた。
「「ガーネリ!?」」
その名が呼ばれたのを聞いた瞬間、目の前の女性がにやりと笑った。そして二人の後に部屋へ入ってきたシャオルーの方へ視線を向け、声を発した。
「どうですシャオルー。私の変装術もなかなかなものでしょう」
その声を聞いて、アルドとエイミは同時に仰け反った。
「ええっ、前会ったときと比べて声がだいぶ違くないか?」
「低すぎてもはやおじさんの声だわ……」
ガーネリの口から発せられた声は二人の記憶の中のガーネリよりも野太く低いもので、どちらかといえば男性の声を思わせるものだった。素っ頓狂な声を上げたアルドとエイミを見てガーネリの姿をしたその御仁は愉快気に目を細めた。
「ここまで驚いてくれると私も着飾るのに張り合いがあるというものですね。私が貴方方に本の礼でもてなすつもりが、逆に私がもてなされているような気分ですよ」
そう言ってからガーネリ(?)は軽く咳ばらいをし、着物を整えてから二人に向き直る。
「私はこの宮殿において日々事あるごとに要人の影武者として動いている者です。訳あってお二人には本名を明かすことはできませんが、仮の名としてヒカゲと名乗っておきましょう」
ヒカゲはそこまで前置きすると、アルドの方に向き直る。
「アルド殿でしたか。本を返していただいてもよろしいですか」
「あ、はいっ」
名前を呼ばれたアルドは拾った本を手にしてそれをヒカゲの方へ差し出した。ヒカゲはそれを受け取り、本のページをゆっくりとめくり、目を通し始める。その間、アルドは視線を部屋の中に走らせ、首を傾げた。
(ヒカゲさんが男の人ってことは、さっきシャオルーが扉をノックした時に返事した女の人が別にいると思うんだけど、誰もいないな)
「確かに、これは私のものですね」
アルドが物思いにふけっているうちに、ヒカゲは本の確認を終えたらしく、本をパタンと閉じて側の机の上に置いた。それからアルドとエイミの方へ向き直り、にこやかに微笑む。
「こちらの本はナグシャムの宮殿において代々影武者を務めてきた者が長年にわたり変装の術の数々が記された、いわば秘伝の書なのですよ。それが私の手違いでうっかり紛失してしまいまして、困り果てていたところなのです。助かりました」
「いえ、おかまいなくっ」
ヒカゲが丁寧な口調で述べた謝意に対して、エイミがやや引きつった笑顔を浮かべて応対する。
(うう、なんかあの冷徹そうな女帝の姿で笑いかけられても心穏やかにならないし、その口から出てくる男の人の声がミスマッチすぎてなんだか微妙な気分だわ)
エイミがそんなことを考えていると、彼女の複雑な表情を見逃さなかったヒカゲが、微笑みを崩さないまま彼女に尋ねる。
「エイミ殿はこの変装がお気に召しませんか」
「ええ……って、あ、いや、別にそうじゃないんですけど」
ヒカゲの問いかけに頷きかけたエイミが慌てて否定しようとすると、ヒカゲは涼しい顔で彼女に提案してきた。
「それなら別の格好になりましょうか。例えば……」
ヒカゲがくるりと身を翻す。重厚で雅な衣が一瞬のうちにはがれ、アルドとエイミからヒカゲの姿を遮るように舞い上がった。そしてその舞い上がった衣がさっとヒカゲの手でつかみ取られたとき、そこにナグシャムの女帝のそっくりさんはいなかった。代わりにいたのは、
「ワタシの姿とかどうアルね?」
「えっ、リンリー?!」
そこにいたのは元気いっぱいのカンフー娘、リンリーがいた。お団子頭から垂れている三つ編み、鮮やかな紅の衣、身のこなし方、そして喋り方や声まで、全てがリンリーそっくりだった。突然見知った仲間の姿を目の当たりにして面食らった二人の前で、リンリー―――正確には彼女に扮したヒカゲは悪戯っぽく笑いながら、またその場でくるりと回りだす。
「それともー」
そこで次に現れたのはリンリーともガーネリとも全く違う人物で、今度は群青に臙脂が織り込まれた衣と長さが腰の下まで及ぶ艶やかな黒い髪が目に入る。何よりも目を引くのは、頭から生えた緑色の炎のような一対の耳と、腰から生えた尾だ。
「うちの姿の方がお気に召すかいなぁ?」
「ホオズキ!?」
二人の驚いた顔を見てさらに調子づいたのか、そこからヒカゲはめまぐるしく姿を変えていく。
「ご希望とあれば忍者の姿にでも、亡国の姫君の姿にでも、猫神神社の娘でも、侍の少女の姿にでも、或いは町娘の姿にでも―――」
「ヒカゲ様」
町娘の姿にヒカゲが変わったところで、今まで沈黙していたシャオルーが割って入った。
「ヒカゲ様、そろそろ」
「ああ、すみません。嬉しくなってつい調子に乗ってしまいました」
シャオルーの言葉でようやく我に返ったヒカゲは町娘の姿のまま軽く咳払いをして二人に向き直る。
「シャオルーは私が個人的に懇意にしている腕のいい靴職人でしてね。それで彼は私が持っていた秘伝の書の存在を知っていたわけです。その彼が偶然本を拾った貴方方と出会ったおかげでこの本は私の手元に無事戻ってきました。感謝してもしきれないくらいです」
「いや、本当に俺達は偶然拾っただけですから」
謙遜するアルドにニコニコしながら、ヒカゲは言葉を継いだ。
「貴方方にとっては些細なことかもしれませんが、私にとっては大事なことです。私は貴方方に何かお礼がしたい。何か欲しいものなどはございませんか。私の力の及ぶ限りでご協力させていただきたい」
シャオルーの予告通り、ヒカゲは二人に返礼を提案してきた。アルドは困った顔でシャオルーとヒカゲを見る。
「うーん。そう言われても特に今欲しいものとかはないからなあ」
「あっ」
返事に困窮するアルドの脇で、エイミが短く声を上げた。怪訝な顔をしてアルドが振り返ると、エイミはパッと顔を輝かせながらアルドに言った。
「あるわ。この人に協力してもらいたいこと!」
エイミはアルドからシャオルーに視線を移し、そこからヒカゲの方を見る。
「何でも協力してくださるんですよね、ヒカゲさん」
「ええ。私にできる範囲であれば」
快く頷いて見せたヒカゲに対し、エイミはニコニコしながらこう発言した。
「そしたら、サンっていう女の子をお嫁に迎えに行ってください」
エイミの発言内容について、他の三人は一瞬思考が追い付かなかった。アルドはエイミの言った内容を頭の中で反芻し、そこでようやく意味を把握して、そして仰天した。
「ええええええっ!」
驚愕のあまり声の裏返ったアルドにエイミは得意げに笑ってみせる。それから理解の追いついていないヒカゲの方に向き直った。
「これからお願いすることは、サンを助けるために今私が考えた単なる思い付きです。それを聞いたうえで難しいようであれば断ってくださって構いません」
「ぜひ聞かせてください」
ヒカゲはにやりと笑いながらエイミの方に身を乗り出した。
「なかなか突拍子もなくて、そして面白そうな話です。私はぜひとも聞いてみたい」
「はい」
完全に固まって言葉も出てこないシャオルーを横目に見ながら、エイミはヒカゲに語り始めた―――――。
「—――以上が私の思い付きです」
エイミが一通り話し終えると、一瞬その場に沈黙が下りた。その中で口火を切ったのはヒカゲだった。
「秘伝の書を落としたことで、ここまで面白い出会いがあるとは思いませんでした。長生きはするものです」
ヒカゲは首を横に振って、それから右手をエイミの方へ差し出した。差し出された右手を見たエイミは表情を明るくしてヒカゲの方を見る。そして、その手をしっかりと握った。
「いいでしょう。その計画、協力させていただきましょう」
「ありがとうございます!」
エイミの手を握ったまま、ヒカゲは脇に控えていたシャオルーの方を見る。
「貴方もそれでいいですね、シャオルー」
「……はい」
複雑な表情のままシャオルーはヒカゲの問いかけに頷いた。それには何も言わずにヒカゲはまたアルドとエイミの方へ向き直る。
「そうと決まれば話は早いに越したことはない。早速準備に取り掛からせていただきますよ。準備ができたら明日こちらから連絡させていただきますから、お二人はそれまで宿屋の方でゆっくり過ごされていてください」
「はい」
「あ、えっと、はい」
エイミからワンテンポ遅れてアルドは慌てて頷いた。
「では、作戦決行です」
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