終章 遺された者

 とどめの一撃を見舞った後、アナスタシアは例の奇妙な叫び声を上げてズシャリと倒れた。

 炎がゆっくりとその葉に覆われた身体を舐めつくしていく。

 しかし、最後には薬の効果が切れたのだろうか。炎が魔獣の身体を焼き尽くしたのかと思っていたがその炎が消え去ると、元のアナスタシアの姿に戻っていた。

 白く細く長い腕が、空をつかむ様に動いていたが、徐々にその動きはゆっくりとなり、やがて床に置かれたまま動かなくなった。

「(エカ……テリーナ)」

 アルドはアナスタシアが今わの際にその愛娘の名前を呼んだような気がした。


 静けさの戻った応接間に、扉のノックする音を響かせたのはニコライだった。

「終わり……ましたか」

 扉の間からひょっこりを顔をのぞかせる。

「ええ、終わりました……」

 疲れ果て、床に大の字になっているアルドの眼に、一人の少女が目に入ってきた。

「え、君は……」

 心配そうにアルドの下に駆け寄るその少女の顔は、どことなく見覚えがあった。髪と目の色もアナスタシアのそれと一致する。

「もしかして君は……」

 しかし上半身を起こそうとしたが、アルドの全身には激痛が走った。疲労困憊していたこともあり、アルドはそれ以上瞼を開け続けることができず、そのまま深い眠りに落ちて行った……


 アナスタシアに代わり、院長となったニコライの経営する病院でアルドは目を覚ました。

 アルドにしては軽傷のつもりだったが、やはりエイミたちは心配していたようだった。

 それは確かにやむを得ない事だろう。炎の業を使い過ぎで、自らもやけどを負ってしまったのだから。

 病院のベッドで横になりながら、アルドはエイミから事の顛末を聞いた。


 驚くべきことに、アナスタシアは例の研究を一応は成功させていたのだ。つまり、娘のエカテリーナは確かに蘇生されていたのだ。

 しかし、蘇生術は結局完全なものではなく、毎日1本の注射を打つ必要があるというのも実際に行われていた治療法だった。

 一方で、火事によるやけどで運び込まれていたスミルノワ親子だったが、こちらも確かに全身のやけどで亡くなっていた。ニコライは自らの病院に絶対的な自信を持っていたが故に、間違いなく治療できるはずだと過信し、誤った判断を下していたのだ。


 つまりアナスタシアの死者蘇生の研究は、発表時から進化を遂げる形で成功していたのだ。しかし皮肉なことに、元から患っていた進行性の病まで食い止めることはできず、死ぬ間際直前、そのままの状態で蘇生することになってしまったのだ。

 医師としての本分を考えた場合、死者を蘇生するという彼女のとった行動は正しいとは言えまい。

 しかし母としての彼女の行動を考えた場合、是か非かという論争はもはや意味をなさないであろう。

 一度その研究を封印したことを考えれば、少なくとも当初の彼女には医師としての倫理観が備わっていたはずだ。しかし、自分の愛する娘が死んでしまった時――その封印した研究を再開せずにはいられない心情は十分に理解できる。

 だがしかし、そこでも本来はそこで思いとどまるべきだったのではないか。アルドはふと思った。一人で考えながら、アルドはかぶりを振った。

 もしフィーナが死ぬようなことがあって、自分だけが死んだものを蘇生できる方法があることを知っていたら、自分はその業を使わずにいられるだろうか。

 赤の他人ではない、たった一人の大切な妹を……

 アルドは結論を出すことをやめた。正確に言えば、必要ないと判断したのだ。何があっても妹は救い出すし、その後も何か危機があっても必ず助けるからだ。人である以上、いずれは死が二人を分かつときは来るだろう。しかしそもそも、死人を甦らせる方法をアルド自身は知らないのだ。


 生き返ったエカテリーナは、ニコライの養子として育てられることになった。彼女は生前の記憶は残っていたし、もちろん蘇生された後も献身的に自分を看病してくれた母の気持ちを理解していた。最終的にはアナスタシアが理性を失うことで悲劇的な結末となってしまったが、エカテリーナはその母の気持ちに応える為、自分は毎日の痛い注射も我慢するとエイミたちに告げたという。


 彼女の病の進行を食い止めるためには、新薬の研究が引き続き必要だ。その研究もニコライの病院で引き継ぐことなった。しかし、アルドたちであれば時空移動が可能な情報は、ニコライのところでとどまることとなった。その為、時空を超えた素材提供は辞退するというニコライの申し出も当然のことであろう。ジレンマを感じる部分もあるが、アルドたちは従うことにした。

 この後、エカテリーナの難病に対する新薬が完成するかどうか、それは医師たちの努力次第だ。そしてもちろん、エカテリーナ自身の生きたいという強い想いが重要になる。


 最後に、エカテリーナの研究はニコライの手によって、全てが廃棄された。そもそもがこんな研究はあってはならなかったんだ、とニコライは涙をにじませながら笑っていた。


 病院を退院するその日、ニコライに連れられてエカテリーナが挨拶に来てくれた。初めて見るその天使のような笑顔に、アルドは心が癒された。

 その去り際、アルドは病院の入口の脇に咲く小さな花を見つけた。その白い花は大きさこそ違えど、アナスタシアが薬を打って変身した時に見られた花に似ている気がした。アルドは、思わずその花をエカテリーナにプレゼントしようと手を伸ばしかけたが、これからも根を張って生きようとしている花を摘むわけにはいかないと思い直し、手を収めた。

 改めてエカテリーナに向き直ると、アルドは笑顔で手を振り、病院を後にするのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遺族の課題 華闘一樹 @kato_kazuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る