第2章 母の願い
一行は近くの喫茶店でアナスタシアの話を聞くことにした。
アナスタシアの話はなかなかに不幸な内容だった。
彼女の職業は、医者だというのだが、娘が不治の病なのだという。不幸中のわずかな幸いとして、医者として薬学にも詳しいアナスタシアは、その病の進行を遅らせる薬の開発に成功した。
しかしその治療方法は毎日1本の注射を打たなければならないというものだった。本来ならこの春から学校に通い始められたはずという年齢の幼子にしてみれば、毎日の注射がどんなに嫌なものか、想像に難くない。実際、娘のエカテリーナは注射を嫌がるあまり、怒って母親の手料理も食べないこともあるのだという。
娘が嫌がるのであれば、苦労して作った手料理であっても廃棄することに抵抗はなかった。しかし、その薬の投与――注射だけはどうしても外せないのだ。
今日注射をしなければ明日はママとも会えない、今は会えないだけのお友達とも二度と会えなくなる。ラヴィアンローズのタルトも食べられなくなるし、お隣の飼い犬ジョンとのかけっこも出来なくなる。……アナスタシアは思いつく限りのできなくなる楽しいことを幼い娘に分かりやすく伝えて、エカテリーナが注射を受け入れるように説得したのだという。
ここまで話してアナスタシアは初めて自分に運ばれてきた紅茶を口にした。それまで一気に話してきたのは、これまで誰にも相談できなかったことの裏返しだろう。
途中でアルドにしては珍しく、少し気を使った表現で「ところで、エカテリーナのお父さんはどうしてるのか……」と訊いたのだが、当のアナスタシアは「そもそもがシングルマザーとして生きることを決めたので」という返しに、一同は次の話題を探す方向で即座に暗黙の了解を得たのだった。
「ですが、希望もあるのです」
アナスタシアはティーカップをソーサーに戻しながら言った。
「と、言いますと?」
アルドも自身が期待に胸を膨らませているのを感じた。アナスタシアが答える。
「今研究している新薬が完成すれば注射ではなく飲み薬で対応ができるようになる見込みです」
アルドの顔がパアッと明るくなった。
「ただ、この薬も結局は病気の進行を抑えるという点では、今の薬剤と同じなのです。けれども……」
「注射を打たなくていい、というのはそれだけでエカテリーナ嬢には大きな違いでござろうな」
サイラスお得意の横やりだったが、今回はばかりはタイミングと台詞の内容ともにドンピシャだった。
「確かニ、副作用の問題が無ケレバ、小サナお子様にトッテハ注射ヨリモ負担が少ナイデショウ」
リィカの分析結果も飲み薬への変更を好意的にとらえているようだ。
「でも一つ問題がありまして……」
アナスタシアの顔がまた曇る。
エイミは、アナスタシアの表情がしょっちゅう変わることが、何故か引っかかっていた。感情の起伏が激しい、というのは自身もザオルからさんざん指摘されている事だから、むしろ共感があって然るべきだ。しかしエイミは、アナスタシアと自分との間に何か根本的な違いがるように感じられた。もちろん、まだエイミは子供を授かったことはないし、そもそも年齢がちがうのだから、共感などなくてもそれはそれで不思議なことではないのかもしれないのだが……
しかし、と同時にどこかでこの違和感が初めてではないこともうっすらと感じていた。どちらかといえばあまり居心地がいいとはいえない、ネガティブな感覚でもあるのだが……エイミは自分のことながら、その感覚がいつどのような場所で感じたものだったか、思い出せないでいた。
「問題って、なんでしょう」
アルドがアナスタシアに続きを促した。エイミなどからしてみれば、彼のストレートな物言いは無遠慮に聞こえることもある。だが今はその直球が、別の事を考えていたエイミを本来のフォーカス地点に戻してくれたのだ。こうしたところは頼りになるといえる。
アナスタシアが答える。
「材料の一つに、コビトカバクサという、今では地上でしか手に入らない薬草が必要なのです。高価なのはまだしも、そもそも数が少ないので手に入るかどうか……」
「コビトカバクサでござるか? それなら……」
と、サイラスが言いかけてゲコンゲコンと咳込んだ。アルドもエイミ、リィカと微妙な目配せをする。
サイラスは、それなら古代の時代にたくさんあるとうっかり答えそうになった事は想像に難くない。しかし、時空を超えるなどといった話はあまりに荒唐無稽すぎて、大概の人間には変人扱いされるし、話がややこしくなるだけだ。
しかしすべてを踏まえた上で、サイラスが咳込んだ直後に、アルドは笑顔でこう答えた。
「コビトカバクサなら、多分調達できると思いますよ」
アナスタシアは目を見開いてアルドを見つめた。その様はまさに驚愕そのものだ。
「本当ですか!? しかし、どうやって……」
「ごめんなさい、それはちょっと……」
エイミが申し訳なさそうに口をはさむ。
「まぁ、いいですわ。希少な品ですから。確かに出所は秘密にしておいた方がいいでしょうね」
「申し訳アリマセン」
機械じみた声による謝罪は、時として慇懃無礼に感じるものだが、リィカの場合は何故か彼女なりのぬくもりが感じられた。
「いいのよ、気にしないで。では必要な分量と、具体的な報酬の話をさせていただきますわね」
「いや、オレたちはそんな――」
アルドが両手を振って見返りを断ろうとする。
「いいえ、必要な経費などもあるでしょうし、正当な報酬を支払わなければ、私の気が収まりません」
そういえばこの前の武器のメンテナンスも無償でやってもらってたっけ……アルドは、ザオルの豪快に笑う顔を思い浮かべた。
気にするこたぁない、と彼は言っていたが、メンテナンスにだって必要な経費はある筈だ。
「分かりました。ではお願いします」
アルドは姿勢を正した。
コビトカバクサは古代のゾル平原には豊富に生えていた。何対もの葉がシダのように生えているのだが、その様子が小さなカバが口を開いているように見えることからその名がつけられたらしい。
このA.D.1100年の時代には珍しい植物であっても、B.C.20000年の過去にあってはどうということはない、ごく普通の植物なのだ。
「アナスタシアさん、大泣きで喜んでたな」
打ち合わせを終え、喫茶店から出てきたアルドは強い使命感に燃えているようだった。
確かに、アナスタシアは別れ際、感極まったのかまた泣きながらアルドたちに感謝していた。傍から見たら何事かと思われるほどの様子だったが、とにかく礼の言葉を連呼していたため、妙な誤解を受けることはなかった。
去り際、アナスタシアは笑顔で手を振っていたが、エイミにはそれが不自然なほどの笑顔にさえ感じられた。
「(いや、今は)」
エイミはかぶりを振った。
「(アナスタシアさんの期待に応えよう)」
一行は時空を超える穴のある、人数が少ない一画を目指して移動を始めた。
ザシュッ!!
あちらでサイラスの刃が巨大ホーネットを真っ二つにすると……
ゴオォッ!!
こちらではアルドのブレイドソードが変異型ダンシングの茎を燃やし尽くした。
コビトカバクサの群生地には多くの魔獣が潜んでいたが、今のアルドたちにとっては物の数ではない。あらかたの魔獣を片づけると、すぐにコビトカバクサも必要な分量がそろった。
収穫したコビトカバクサをアルドたち一行はそれを一か所に集める。リィカが計算を始めた。
「(ガガ、ピー)計測、完了。必要分量の119.8%ヲ採取シマシタ」
「ちょっと採りすぎたかな」
アルドの不安に対し、サイラスは笑って答えた。
「中には主茎が折れて使い物にならない物があるやもしれぬぞ。二割くらいの予備は妥当であろう」
「加エテ、新薬の実験ニ失敗ハ付キ物、デス!」
リィカの後追いに、エイミも続く。
「未来じゃ希少な品だって言ってたから、アナスタシアさんだったら他の研究にも回せるんじゃないかしら」
アルドは自分を納得させるように軽くため息をついた。
「うん、そうだな。多いに越したことはないだろうし。じゃあ、早速戻るか」
アルドたちはコビトカバクサでいっぱいになった籠をそれぞれ抱えると、先ほどやってきた青白い渦巻のある岩陰に向かって歩み始めた。
アルド一行は待ち合わせとしていた、話を聞いた時の喫茶店に向かった。
大量に積まれたコビトカバクサを見たアナスタシアは案の定、大声を上げて泣き叫んだ。
「まあ! こんなにも沢山のコビトカバクサが ありがとうございます、本当にありがとうございます!!」
アルドは照れたように鼻の下をこする。
「いえ、もしかしたら余るかもしれませんが、それはまた何か別の研究にでもつかっていただければ……あ、もちろん多い分の追加料金なんていりませんからね」
「もう本当に何から何まで……ありがとうございます!」
「ところで……」
エイミが口を開いた。
「これだけの量、アナスタシアさんおひとりで運ぶのは大変でしょう? ついでだから私たちが運びますよ。病院? それとも研究所でしょうか」
「いえ、新薬の開発は自宅で――」
はっとした様子で、アナスタシアは話すのをやめた。
「では、このまま自宅まで運ぶとしましょうかの」
サイラスは籠を担ごうとする。
「それはいいですね、あたしたちもエカテリーナちゃんに会いたいし――」
「いえ結構です!」
場にそぐわないほどの大声でアナスタシアは拒絶した。
しんと静まり返る店内。
アナスタシアは周囲に向かって頭を下げる。
「ごめんなさい……運搬用のドローンがありますので、心配はご無用です。これ以上、皆さんにお手数をおかけするのも申し訳ないですし……」
「そう……ですか」
アルドは残念そうにうなづいた。人を怪しむことを知らない少年は、とにかく厚意を無碍にされたことに対してただひたすらにショックを感じた。
喫茶店を出ると既に辺りは夕焼けに染まっていた。ドローンたちは既に到着しており、長いアームを器用に使って、自ら籠を装着していく。
ドローンがコビトカバクサのつまった籠を運んでいく様と夕焼けを見上げながら、アルドはやるせない表情を浮かべていた。
「仕方ないでござろう、エカテリーナお嬢様は重篤なご病気との事。他人に触れさせたくない事情もあるのでござろう」
同じ方向を見やりながらサイラスが声をかけてきた。
「ありがとう、サイラス」
エイミはしかし、納得がいっていない様子だ。
「でも、あんなに邪険に断らなくたって……」
リィカもアナスタシアの急変した態度には疑問を抱いたようだ。
「確かニ、エカテリーナちゃんニ会イタイと、エイミさんガ言ッタ瞬間に豹変シマシタネ」
「荷物を運ぶだけだったら、エカテリーナちゃんに会うとは限らないわ。窓越しに顔を見るだけだって感染する心配はないでしょうし。何か絶対に会わせたくない事情でもあるのかしら……」
「まあ、これもアナスタシア様のお気遣いなのかもしれませぬ」
サイラスが無理やりにでもまとめようとしている事はエイミも理解できたが、アルドの胸にある思いを考えると、これ以上の詮索は無意味な気がしてきた。
「そうね、そう思えばありがたいお気遣いだったわね」
エイミのつぶやきに、アルドも無理矢理そう思おうとしていた。
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