第1章 涙ながら

 コンクリートによる無機質な様相に違った印象を施すためか、曙光都市エルジオンの建物はきらびやかな装飾が施されていることが多い。それも決して派手派手しいものではなく、日常生活の中に違和感なく溶け込むデザインとしてなじんでいる。

 ギュインギュインギュイン……

 エルジオンの中でも人があまり近寄らない一画に、突如青白い、光り輝く渦が巻き始めた。渦といえば水が何かに吸い込まれていくイメージが強いが、この渦はその逆で、何かを吐き出すがごとく回転しているように見受けられた。

 シュパッ!

 と、そこに一人の若者が現れた。そう、例の渦の中から出てきたのだ。おそらく初めて見たものは度肝を抜かれた心地だろう。

 しかし、当の若者はまるでその辺りの扉から出てきたように、こともなげに立っている。

 しかも、その後からも続いて、同じ年代の少女、機械じみた体の少女らしきもの、さらには鎧を着たカエルのような人間が渦の中から出てきたのだ!


 初めに出てきた若者・アルドは額の汗をぬぐいながらあとから来た面々を振り返りながら言う。

「ふぅ、今回もなんてことはなかったな」

 続いて出てきたエイミがたしなめるように答える。

「そう? 数が多くて大変そうにしてたみたいだけど」

 それを聞いたアンドロイドのリィカは早速計算を始めたようだ。

「ご安心クダサイ。先の戦イにオケル勝率は99.99%以上デシタ」

 カエル武者のサイラスが話をまとめ上げるようにゲコゲコと喉を鳴らした。

「ま、我々に敗北の二文字はござらん、といったところかの」

 彼らは時代を自在に行き来できる冒険者だ。もともと住んでいた時代も違っていたし、冒険をすることになった経緯もそれぞれだ。しかしある時、“殺された未来”を取り戻すという目的が彼らの共通の願いとなった。それ以来、彼らは互いの背中を預けられる仲間として、冒険を続けているのだ。

「でも……」

 アルドがぼそりとつぶやいた。それに対してエイミが素直に疑問を返した。

「でも、何?」

 突然の空気の変わり様に、彼らの仲を知らない者が見ればエイミの聞き返し方はぶっきらぼうに感じられたかもしれない。だがエイミはもっと単純に、アルドがこれから発するであろう否定的な言葉が、仲間として気になったのだ。

「いやごめん、なんでもない」

 エイミがあきれて首を左右に振る。代わりに口を開いた、もとい、声を発したのはリィカだ。

「他人の興味ヲ惹くヨウニ発言ヲしてオキナガラ、『なんでもない』トハ解析が不能デス」

 サイラスも不満そうに喉を鳴らして続ける。

「左様、我らを前に、今更遠慮とは、もはや礼を失するに等しい行為であろうぞ」

 アルドはばつが悪そうに笑う。

「いやぁごめん、確かに今回は無事に目的を達成できたけど、でも……」

「でも、何?」

 エイミが再び次の内容を催促する。

「これって、解決につながっているのかなって……」

「解決ニ繋ガル、トハ?」

 次の追い打ちはリィカだ。

「つまりさ、これまでも行く先々で大小さまざまな事件や問題を解決してきた訳だけど――」

「左様でござる。我々は全ての問題を乗り越えてきた。そこにどんな困難が待ち受けようとも――」

 今度はサイラスが食い気味にアルドの言葉を受けた。しかし――

「ちょっとサイラス黙って」

 エイミがぴしゃりと遮る。

「な、何ゆえにそれがしだけ――」

 アルドは決断した。ここはさっさと言ってしまった方がサイラスの為にもなる。

「でもさ、問題を解決しても、新しい問題が生まれたりすることもあるわけじゃないか? つまり、近づいては遠ざかってることの繰り返しのような気がして……」

 エイミが笑ってアルドの肩を小突いた。

「そんなこと言ったって、前に進むしかないだろ、でしょ?」

 自分が戦いに勝利した時の口癖を使った励ましをされては、アルドも笑い返すしかなかった。リィカも金属のポニーテールをクルクルと回している。この動作は彼女の暇つぶしに使われることも多いが、今回のように喜びを表す際にも使用されるものだ。サイラスも仲間たちが笑い合っている様を見て、先ほどの不満は吹き飛び、同時に自分もガラガラと笑った。


 通りの方に出てくると、アルドは白衣を着た女性に目を留めた。どちらかといえば小柄なその女性は、背筋を曲げてとぼとぼと歩いている為、余計に小さく見えた。

 しかも肩が小刻みに震えている。リィカに今の気温を聞くまでもなく、寒さで震えているというわけではないだろう

「気になるのね」

 アルドの視線に気づいたエイミが声をかける。

 ああ、とアルドはその方を見据えたまま返事をして歩き出した。


 エルジオンにも四季がある。辺りではジャスミンミンゼミが激しく鳴いているからまだ夏の盛りというほどではない。しかしフル装備の戦士にとってはちょっとした運動でも汗をかくには十分な気温だ。寝坊助のスイミンミンゼミが土から出てくる時期だったら、汗もこんなものでは済まなかっただろう。


 軽く額の汗をぬぐうと、アルドは改めて前を歩く女性を見た。

 おそらく女性は涙をこらえているがゆえに肩を震わせているのだろう。涙といえばまずは悲しみが連想される。もちろん、うれし涙という可能性も否定できないが、背中を丸めて歩く様子や、周囲の一部無遠慮な人々の好奇じみた視線から察すると、うれしさのあまり泣いていたというわけではないだろう。

 涙をこらえながら通りを歩く女性。声をかけるとしたら、ナンパか冷やかしか、いずれにしても邪な心で声をかける輩も多いに違いない。

 だがその一方で、本当にその女性の事が心配で声をかける者もいるはずだ。

 さて、アルドはいずれだろうか。

「あの、すみません」

 軽く声をかければ聞こえるであろう距離にまで近づき、アルドはその女性に声をかけた。しかし背後からだったせいだろうか、あるいは単に聞こえなかったのか、女性は振り返る様子もなくそのまま歩き続けている。声掛けが冷やかしだとしたら、何人かはこれだけであきらめるだろうが、しつこいナンパ師だったらこの程度ではあきらめないだろう。

 アルドは小走りになり女性の前に回り込んだ。

「あの!」

 突然その行く手を立ちふさがる一人の少年。そのいでたちは、この時代の服装としてはかなり奇抜で、最果ての島から見える海の底の様な深いブルーのシャツに、肩には真紅の男性向けのショールのような物を羽織っている。

 中でも特に目立つのは腰に下げた大剣だろう。少年は鍛え上げた身体をしているのが見て取れたが、それでもその大剣は身に余るような大きさだった。

 しかし女性は、この奇妙ないでたちの少年を目の前にして、一瞬は立ち止まったもののすぐにアルドから視線を外し、無言で脇をすり抜ける。

「待ってくれ!」

 アルドは再び走ってもう一度女性の前に立ちふさがる。

「何か辛いことがあったのか?」

 ナンパとしてはあまりにダサい声掛けだ。しかし若い見た目から察するに、そうした声掛けに慣れていないだけかもしれない。

 女性が眼前にいる少年の真意を測りかねるように、アルドの表情を窺っている所へ、エイミたちが追いついた。女性の怪訝そうな表情を見たエイミは、アルドと女性の間に静かに割り入った。

「安心して、ナンパじゃないんです」

 力み過ぎた肩の力をほぐすようにエイミがアルドの肩をポンと叩く。

「この人ちょっと、おせっかいで暑苦しいところがあって……」

 女性は、エイミの茶化すような物言いに少しばかり驚いたようだったが、すぐに安堵の表情を浮かべるのが見て取れた。こういう時は同じ女性というのも、安心させる要因なのかもしれない。

 女性がようやく口を開く。

「もちろん、こんなおばさんをナンパしようだなんて思わなかったけれど……」

 女性は手の甲を口元にあててコロコロと笑った。明確な上流階級というわけではないけれども、そのしぐさや大げさでない笑い声は品の良さを感じさせた。

 先ほどまで泣いていたとは思えないその軽やかなほほえみは、アルドの心も少し癒した。一方で、安心させるために冗談めかしたことを言ったエイミは、これほどまで急に表情が変わるものかと、同性ながら少し驚いた。だが、気遣いも出来る大人の女性であれば、この程度の切り替えもできるものなのかもしれない、と自分の幼さを感じた。

 アルドも大人な切り返しに少し戸惑ったようだ。

「あ、いえ、おばさんなんてそんな……」

「そこは掘り下げなくていいの」

 アルドの受けに対し、エイミが駄目出しをするのは何度目だろうか。

 そんなクラスメイト同士の様なやりとりの中、リィカとサイラスも到着した。

「掘リ下ゲル、トハ地下ドレ位マデの深サを想定シテイルデショウカ」

「リィカ殿、それこそもう、その点の深堀りは不要にござろう」

 突然の珍妙な仲間と思しき面々を見ても、女性は比較的平静を保っているようだった。エイミは先ほど自分が感じた驚きを思い出した。むしろ、違和感といった方が適切かもしれない。しかしその感覚もアルドの一言によってかき消されてしまった。

「それで、泣いていたようなんだけれども、よかったらその理由を話してくれませんか」

「え、そう……ですね……」

 女性は戸惑った様子を見せたものの、軽く涙を手のひらで拭うとアルドに向き直った。

「申し遅れました。私はアナスタシアと申します」

 そう名乗った彼女は力強くアルドたちを見つめた。そこには先ほどまで泣きはらした女性とは思えない何かがあった。


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