遺族の課題
華闘一樹
序章 泣く女
雨が降っている。
葬儀において、いよいよ遺体が埋葬されるという時、これほど最適な演出はないだろう。
特に、本来は喪主が挨拶すべき時なのに、その喪主が悲しみに暮れるあまり果たせず、代理人が挨拶をする時は。
「本日はお足元の悪い中、我が姪の葬儀にご参列いただき、誠にありがとうございます」
ニコライは急きょ喪主の代わりに挨拶をしなければならなくなった事に戸惑いながらも、決まり文句がすらすら出てくる自分に驚いていた。
「天が……泣いているようです」
そして心の中でわずかに、ニコライはこの雨という天からの贈り物に感謝した。
曙光都市エルジオンからこの墓場に来るには、空を飛ぶカーゴシップを利用する必要がある。エルジオンが日常生活の場である以上、あの世にも通じる墓場の地区が別の浮遊都市として分けられたのは、自然な流れであったのだろう。
無機質な直角と平行で形作られるエルジオンと比べ、ここナイルビアウス聖廟地区はどこか自然の柔らかさを持つ独特の線で形成されているように感じられた。
それでも道路は舗装され、アスファルトに雨がしみ込めばその独特の匂いが生じる。
気候現象の一つである静かな雨音と、人工物の象徴でもあるアスファルトの匂い。
相反する二つによって五感のうち二感を支配されることが、ニコライは嫌いではなかった。他に何もなければ、そこに静寂を感じることができるからだ。
しかしわずかな雨音が響く中、一人の女性が泣きじゃくる声により、静寂とは言えない状況がそこにあった。
激しい嗚咽。
一目はばからず、という形容がまさにあてはまるその女性はニコライの隣にいる。否が応でも参列客はその女性の姿が目に入るし、そのむせび泣く声は彼らの耳だけでなく胸の奥底を貫いた。中には、もらい泣きをする者もいる。
と、突如その
「姉さん!?」
ニコライが慌てて女性を抱き起す。
「あぁ……ごめんなさい、ニコライ……」
女性は気絶したわけではなかった。
安心の直後、肉親ならではの呆れの感情がニコライを覆う。
「姉さん、もう奥でやすんでいたら――」
「そうはいかないわ。見届けないと」
左半身だけでなく顔の半分を泥まみれにしながら、その女性――アナスタシアは立ち上がった。
「娘の、葬儀ですから」
ニコライは休憩室でようやく椅子に座ることができた。
結局、葬儀のほとんどを自分が取り仕切ることになってしまった。寝坊して朝ごはんをいつもの半分も食べなかったことをニコライは後悔しだす。昼食もまだしばらくは口にできないだろう。
ふと背広の内ポケットに手を入れるが、そこには何もない。2日前に禁煙を始めたことを思い出し、ニコライはため息交じりに天を仰いだ。
「やあ、お疲れ様でした」
葬儀屋の面々がニコライに声をかけてきた。挨拶を返しがてら、立ち上がる。
「いや、こちらこそ、雨の中ご苦労様でした」
葬儀屋は気遣うように続ける。
「私どもはそろそろ失礼させていただきますが……弟さんも大変でしたね、いろいろと……」
「いや別に、姉には小さい頃から振り回されてきましたから。姉は頭が良い分、いろいろと比較されて……」
「そういえば、お姉さまはお医者様だとか」
「そうですね、最近は新薬の開発だなんだで、かなり忙しかったようですが……自分も結婚してからは姉とは疎遠になってまして、姪が重病ということも知りませんでした」
「左様でしたか。道理で……」
何か納得したような葬儀屋の物言いに、ニコライはその理由が気になった。
「どうかしましたか?」
葬儀屋の表情が曇る。思わず発した一言を後悔したようだ。悪い人ではなさそうだが、葬儀屋らしからぬ軽々しい雰囲気から、ニコライはこの人物をあまり好きになれないでいた。
「いやその……あまりこうした話はどうか思うのですが」
「構いませんよ、言ってください」
「いや棺を運んだ彼が……」
葬儀屋が側にいた若者を見やったまま動きを止めた。見られた若者は自分が発言を求められたことにいささか戸惑った様子だったが、すぐに口を開いた。
「いやその……この年頃のお子さんにしては大分軽いな、と思ったんです」
「軽い……?」
この若者にも悪気はないのだろう。しかし“軽い”という表現が、まるで姪の人間そのものが軽いかのように感じられ、ニコライはあまりいい気がしなかった。
その表情を見てとったのか、葬儀屋が口を挟んできた。
「たしか9歳だったとか……」
今更なぜ発言した。ニコライは軽くイラついた。
「ええ、来月が10歳の誕生日でした」
と、ニコライは姪が死んだ知らせを受けた時に、久々に思い出した誕生日の情報を口にした。同時に、プレゼントを用意するのも面倒だと思っていた去年の自分も思い出し……そんな自分に対して鬱屈な気持ちになった。
「しかしあなた、そんな重さの違いも分かるなんて、その歳で相当な数の棺を運んでいらしたんですね」
無遠慮な物言いの若者に対し、よくわからない鬱屈とした気持ちも晴らしたいという考えが生じたのか、ニコライとしては嫌味を言ってやったつもりだった。
「はい、ありがとうございます」
若者は笑顔で返事をした。嫌味も通じないか……。いや、ちょっと分かりづらかったか。
ニコライはまた気持ちが沈んだ。
「(いや、待てよ……)」
葬儀屋たちが帰った後、再び休憩室で椅子についたニコライは姉が時折送ってくる姪の写真を思い出した。
そこに映っていたのは、同年代の女子と比べるとやや大柄で、しかもぽっちゃりした姿が映されていたのだ。
「(まぁ、病気だったんだよな)」
わずかな空腹感と疲労感が、少しでも面倒なことは忘れたいというニコライの感情を強めた。
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