第2話 ラピラズガってどんな蛾?

 バルオキーに着いて真っ先に例の絵が上手い幼馴染み……男で名をルジェという。を探した。


 ルジェは、井戸の前にいた。座り込んで井戸に凭れながら何かのスケッチをしているようだった。



「ルジェ、久しぶりだな」



 声を掛けると、ルジェが振り返る。



「あ、アルド。帰っていたんだ」


「お前に用があって帰ってきたんだ」


「ボクに?」



 ルジェが首を傾げる。



「実はラピラズガの絵が欲しいっていう人がいて、お前に描いてほしいんだ」


「ラピラズガ……? ああ、小さい頃一緒に見たあの綺麗な蛾?」


「そう、それ!」



 ふむ、と小さく呟くとルジェは少し考え込んだ。そしておもむろに口を開く。



「写実的にかい? それとも芸術的にかい?」


「写実的に。お礼はするから」


「いいよ。本当はお金を取るところだけど、アルドにはタダで護衛してもらったことがあるから、その借りをチャラにするってことでタダにしてあげる」


「ありがとう」



 旅に出る前に、村の外の風景をスケッチしたい、ということで彼の護衛をしたことがあるのだ。彼は仕事で絵を描いているのでお金を払おうとしたが、幼馴染みということで遠慮した。

 ルジェは立ち上がって、顎に手を添える。



「さて、ラピラズガか……写実的に描くとなると、やっぱりもう一度実物を見ないと」


「最後に見たの小さい頃だったからなぁ」



 綺麗だったことは覚えているが、飛んでいるところだったためにじっくり見ることができなかった。傍にいた祖父に聞いて、ラピラズガのことを知ったのだ。そのときは幼かったこともあり、正直とても綺麗だったということ以外、あまり覚えていない。



「そう。さすがにボクも細かいところは覚えていない。まだこの辺りに生息しているみたいだから、探すしかないね」


「数が少ないから探すのに時間が掛かりそうだな……なにか罠を仕掛けるとか」


「罠? ああ、カブトムシとかを捕まえるときに使う罠みたいな感じの?」



 カブトムシは夜行性で樹液を好むので、夜に木を傷付けて樹液を出し、そこに光を当てることでカブトムシやクワガタが寄ってくる。小さい頃はそれで捕まえていたものだ。



「そうそう。でも、蛾って何を食べるんだ?」


「ほとんどが花の蜜らしいよ。一部の蛾は幼虫のときに蓄えた栄養だけで生きているものもあったり、ブドウとかモモの果汁を吸うものとか、花粉を噛み砕いて食べるものもいるみたい」


「へぇ。一言に蛾っていっても、色々とあるんだな。ていうか、よく知っているな」


「蝶と蛾の違いについて調べたことがあってね。さて、ラピラズガがどれなのかが問題だ」



 アルドは腕を組んだ。



「この辺にいるってことは、果物の線は薄そうだな」


「そうだね。この辺は花が多いから、成虫でも食べる種だったら花の蜜か花粉の可能性が高いね」


「そもそも花の蜜とか花粉って、どうやって集めればいいんだ?」


「カブトムシのように木を傷付けて樹液を出す、というわけにもいかなそうだ」


「なにか情報があったらいいけど……いや、まずそこからか」



 なにせラピラズガに関する情報が足りなさすぎる。姿形は知っているが生態は全く知らない。闇雲にやってみても時間が掛かるだけだ。



「そうだね。ボクも本で調べてみるよ」


「頼むよ」



 ルジェと別れて、アルドは考える。



(そういえば、ラピラズガを見たのって昼間のどこだったっけ?)



 当時のことを考えると、バルオキーかヌアル平原の辺りだろう。糸を手繰り寄せるように記憶を辿る。


 そして、あることを思い出した。



(あの時……昔はたくさんいたって、じいちゃんがぼやいていたような)



 そうだ。正確には、じいちゃんが若い頃にはそこら辺にいたと言っていた。



(もしかしたら、お年寄りに聞けばなにか分かるかも。いや、その前にじいちゃんに訊こうか。知らなかったら、他のお年寄りに訊いたらいいし)



 アルドは大きく頷いた。



「よし! まずはじいちゃんに聞いてみるか」



 さっそく実家に向かう。実家に着いたが、祖父は出掛けているのかいなかった。二階の寝室にも探しに行ったがやはり祖父の姿はなかった。



「じいちゃん、どこに行ったんだ? 散歩かな」



 一旦外に出て祖父を探そうとしたが、そのとき近所に住む老婆のマイナが目の前を通り、その際マイナと目が合った。


 マイナは基本家の中に籠もっているので、外にいることがとても珍しい。驚いていると、マイナも目を丸くしてアルドを見ていた。



「あら、アルドくん? 帰っていたの。おかえりなさい」


「ただいま、マイナばあちゃん。用事があって帰ってきたんだ。ばあちゃん、足腰は大丈夫か? だいぶ弱くなったって聞いたけど」


「近所をちょっとだけ歩くだけなら大丈夫よ。それにたまには歩かないとね」



 マイナが笑う。だが顔色が前よりも悪くなったように見えた。持っている杖もなんだか震えている。足腰が弱くなってから引き籠もりがちになったので、さらに色白になっただけかもしれないが少し心配になった。



「それがいいよ。ある程度太陽の光を浴びたほうが身体に良いらしいから」


「そうなの? アルドくんは物知りね。どこで聞いたの?」


「えーっと……王都で」



 未来の知識だと教えられないので王都だと誤魔化したが、少し居心地が悪くなって話を元に戻した。



「ところで、じいちゃんがどこに行ったか知っている?」


「さあねぇ。ところで用事って?」


「ラピラズガについて調べているんだけど、じいちゃん、何か知っているかなって」


「それならわたしのほうが詳しいよ」


「マジで!?」


「でも、なんでラピラズガのことを調べているの? アルドくんのことだから売るためとかじゃなさそうだけど」



 アルドは首を傾げた。



「売るためって、ラピラズガってそんなに高く売れるのか?」


「ああ、知らなかったの? 最近数が少なくなってきたのって、コレクターに高く売れるからって乱獲されているからなの」


「そうだったんだ。まあ、たしかにあんなに綺麗じゃそうなるな」


「飛ぶ宝石と謳われているほどだからね……なんとか守ってやりたいものだね」


「……」



 返す言葉が見つからなかった。そうだな、と相槌を打てばよかったかもしれない。だが、未来の世界ではもういないことを知っているからか、相槌すら咄嗟に打てなかった。



「それでアルドくんは、どうしてラピラズガを? 理由によっては協力するけど」


「実はラピラズガの絵を見たいっていう人がいて。その絵をルジェに描いてもらうことにしたんだけど、もう一度実物を見たほうがいいっていう話になったんだ。だからカブトムシを捕まえるときの罠みたいなものを仕掛けておびき寄せようとしたんだけど、ラピラズガのことはあまり知らないからとりあえず調べようってことになって」



 そう説明すると、マイナは納得した表情を浮かべた。



「なるほど。たしかにラピラズガは生息地が限られているらしいから、実際に見たくてもなかなか見ることができないね」


「そうなのか?」


「この大陸だと、ここら辺しかいないみたいよ」


「へぇ。それくらい貴重な蛾だったんだ」



 ただ数が少ない蛾だと思っていたが、思っていた以上に貴重で珍しい蛾のようだ。汚染で絶滅したとかなんとか言っていたが、本当のところは汚染のせいではなく元々数が極端に少なすぎた上に乱獲されたからではなかろうか。



「もしラピラズガを捕まえたら、ちゃんと逃がすのよね?」


「もちろん! 可哀想だからな」



 アルドの即答にマイナが満足そうに笑う。



「そういうことなら協力するわ」


「ありがとう、ばあちゃん!」


「と、いっても虫のことはあまり詳しくないけど」


「じいちゃんが言っていたように、昔はたくさんいたのか?」



 マイナは頷いた。



「ええ、たくさんいたわ。小さい頃は、ラピラズガを追いかけ回していたわ」


「へぇ。ちょっと想像がつかないな」



 今のマイナは動物は好きだし、虫も平気だ。けれど一歩離れた場所でいつも見守っているから、虫だろうと生き物を追いかけ回すマイナを想像することができなかった。



「今はけっこう家に閉じ籠もっているけど、小さい頃はじゃじゃ馬だったの。それもあるけど、宝石にすごく憧れる年頃でね。ほら、飛ぶ宝石でしょ? わたしも宝石持てるって思って捕まえようとしたわ」


「たしかにじゃじゃ馬だな」


「今、目の前に昔のわたしがいたら、生き物は大事にしなさいって叱りたいわ」



 目の前にいないのにマイナは、少し怒ったような口調でそう語った。



「さて、ラピラズガのことだけど、わたしの記憶だとたしかよく昼間に見かけていたわ。夜で見かけたことはないわ」


「オレも小さい頃見たときは、昼間だったな」


「それから、よく白い花に留まっていたわ」


「白い花?」


「白い花も珍しいものでね。今思うと、ラピラズガはその花の蜜を食べていたのかなって思うわ」



 白い花、と一言言っても色々とある。珍しい花と言ったということは、村では咲いていない可能性が高い。



「名前は分からない?」


「ちょっと待ってね。思い出してみるから……」



 マイナが考え込む。



「その花ってここに咲いている?」


「たしかヌアル平原にしか咲いてなかったような……」



 ヌアル平原。アルドも思い出してみる。

 花を注視したことがなかったため、なかなか思い出せなかったが、白い花はたくさんあったような気がする。



「ヌアル平原って白い花、いっぱいあった気がするけど」


「その白い花じゃなくて、よく似た白い花……なんか、白い花の中に咲いている白い花って聞いたような…………だめだわ、思い出せない」



 マイナが唸り声をあげながら、肩を落とす。



「ありがとう。ばあちゃん。そろそろルジェも何か掴んでいるかもしれないし、一旦ルジェのところに行くよ」



 声を掛けるがマイナは返答せず、まだ深く考え込んでいた。聞こえていたのか分からないので、もう一回話し掛けようとしたその前にマイナが口を開いた。


「ねぇ、アルドくん」


「なんだ?」


「わたし、最後まで付き合いたいんだけどいい?」


「つまり……生のラピラズガを見たいってこと?」


「だめ?」



 アルドは首を横に振った。



「駄目だよ。きっとヌアル平原に行くことになるかもしれないし……ばあちゃん、大丈夫じゃないだろ?」



 マイナは足腰が非常に弱っている。近所ならともかくヌアル平原となるとかなり負担が掛かってしまう。それに魔物がいるから、逃げ遅れてしまう可能性が高いため非常に危険だ。


 マイナは顔を俯いて、ぽつぽつと語り出した。



「……わたしね、もう30年もラピラズガを見ていないの」


「30年!?」



 アルドは驚愕した。マイナは確かずっとこの村にいたはずだ。そのマイナが最後に見たのは自分が生まれるよりも前のこととは。自分が小さい頃見たラピラズガは、本当に奇跡だったんだな、と改めて実感した。



「足腰もだいぶ弱くなって、もうすぐ歩けなくなるかもしれないってお医者さんに言われてね。歩けなくなったら寝たっきりになっちゃうでしょう? ただ死ぬのを待つだけになっちゃう」



 マイナは顔を上げて、アルドを見据えた。



「だからね、死ぬ前にもう一度、ラピラズガを見たいの」


「ばあちゃんにとって思い出の蛾だしな」



 話を聞く限り、マイナにとってラピラズガが少女時代の象徴なのかもしれない。そこに思い当たると断りづらくなってしまった。



「分かったよ。じゃあ、一緒にルジェのところに行って聞いてみよう。ルジェも協力してくれているし、オレ一人で決められない」



 訊かなくても答えは分かりきっているが、それでも訊いてからのほうがいい。マイナが頷く。



「そうだね。ルジェも関わっているからね。訊くのは当然ね」


「それじゃ、ルジェのところに行こう」


「ええ」



 マイナが笑う。アルドは足腰が弱くなったマイナのペースに合わせて、その場所に案内した。


 ルジェと待ち合わせしている場所に着くと、既にルジェがいた。ルジェに近寄るとルジェもこちらに気が付いて振り返った。



「あれ、マイナばあさん? どうしたの?」


「ラピラズガを捕まえるんでしょう? どうしてももう一度ラピラズガを見たくて、協力したいの」



 ルジェは顎に手を添える。



「ボクは構わないけど、マイナばあさん、足腰は大丈夫? 遠出することになったら、足腰に負担が掛かるでしょ?」



 マイナは軽く目を見張り、そして可笑しそうに小さく笑声を上げた。



「優しい子たちだね。歩けるうちにラピラズガを見たいの。わたしのペースに合わせなきゃいけないから、二人には申し訳ないけど」


「そんなことないよ。ね、アルド」


「もちろんだ」



 アルドが強く頷くと、マイナは笑みを深くした。



「本当に優しい子たちだね」


「とりあえずマイナばあさん、スケッチするときに使っているボクの椅子に座って。立ちっぱなしじゃ辛いでしょ」


「ああ、ありがとう」



 差し出された椅子にマイナが座ったのを確認して、ルジェに話し掛けた。



「椅子なんてよく持ち運べるな」


「武器屋のおじさんに折りたためる椅子を作ってもらったんだ。軽い木材を使っているから、持ち運ぶのにいいよ」


「けどさっき、それに座ってなかったし持ち運んでなかったよな?」


「あのときは低い視線でスケッチをしたくて。今持っているのは、アルドを待っているときに座ろうかなって思って。椅子を広げたときにアルドが戻ってきたんだ。まさかこういう形で役に立つとは」



 アルドはマイナが座っている椅子を一瞥する。なんだかんだで武器屋のオヤジは色々と作ってくれる。グラついてもなさそうなので、マイナが転ぶことはなさそうだ。



「さて報告会をしようか」


「こっちはばあちゃんから、ラピラズガはヌアル平原にしか咲いていない白い花の蜜か花粉を食べているかもしれないっていう情報を聞いた」


「しかもその花って、白い花の中にある白い花っていうものなんだけど……そこら辺が記憶が曖昧で……」


「そもそも、白い花の中にある白い花ってどういう意味なんだ?」


「わたしもお母さんに一回聞いたことがある程度だから、曖昧でねぇ。名前を聞いたはずだけど……」


「ヌアル平原にしか咲かない白い花で、白い花の中にある……?」



 ルジェは考え込み、そして口を開いた。



「それってもしかして、シィランじゃない?」


「そう! それよ!」



 マイナが声を張り上げる。



「なるほど、シィランか……それならこの辺にしか生息していない理由も頷けるね」


「シィランってヌアル平原で、そこら辺に咲いている花のことか? それなら大して珍しくないような……」


「アルドが言っているのは、群生している白い花のことでしょ? その群生している花の中に一輪だけ咲いている花なんだ」


「一輪だけ? そんな花があるんだ」


「突然変異じゃなくて完全に別の花らしいよ。でも、群れの中に必ず一咲いているわけじゃないから、確率が低い。探すのは大変だけど、こっちはラピラズガと比べて最近でも見かけるらしいからラピラズガよりかは楽だと思う。見た目も雄しべと雌しべの色が違うし花びらの数と形も違うらしいから、簡単に見分けられる」



 へぇ、と呟く。そういう花があるのか、と少し驚いた。身近にそんな植物があったとは不思議な気持ちになる。



「そっちは何か掴んだか?」


「うん。どうやらラピラズガは、嗅覚が優れているらしいっていうことが分かったんだ」


「蛾って嗅覚があるのか?」


「らしいね。シィランを探すのに、その嗅覚を使っているのかもしれない」


「それじゃ、まずはシィランを探すの?」


「でも、探してもラピラズガが現れるとは限らない……なにか確実に現れるとはいかなくても、可能性が上がる方法が必要かもしれないね」


「方法……方法ねぇ」



 うーん、と皆が考え始める。アルドはなんとか絞り出した案を口にした。



「シィランの匂いを濃くして誘き出す、とか?」


「まあ、それは良い考えだと思うけど方法が……」


「あ、それなら良い方法があるわよ」


「どんな方法だ?」


「カレク湿原にツルリンっていう魔物がいるでしょう?」


「ああ、いるな」



 何十回も戦ったことがあるので、その姿はすぐ出てきた。



「そのツルリンの三倍以上も大きい、キングツルリンっていうのがいるんだけど」


「キングツルリン? 見たことがないな」


「最近じゃなかなか見ないけど、まだいるみたいよ。そのキングツルリンしか採れない液体を植物にかけると、人の嗅覚だと嗅ぎ取れない植物の匂いを、嗅ぎ取ることができるまで引き出すことができるの。しかも液体自体が無臭だったから、昔は香水の材料として使われていたことがあるのよ」


「なるほど! それなら来るかもしれないね。というわけでアルド」



 アルドは苦笑した。



「はいはい。オレが取りに行くんだろ? 分かっているって」


「さすがアルド。話が早いね。よろしく頼んだよ」


「お願いね、アルドくん」


「ああ! それじゃ行ってくる!」

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