02 死神は説明する
いきなりの同居宣言ですよ。
意味がわかりません。
「あ、あの、死神さん?」
「シュウだ」
「そうじゃなくて。なんでいきなり?」
「いきなりでもない。君はまだ足を引きずっている。買い物もままならないだろう?」
「……そ、れは、そうです、けど。でも、スーパーのネット宅配もあるし」
「宅配業者は危険だ。侵入されたらどうする。怪我をしているのに、逃げられないだろう」
それをあなたが言いますか!?
音もなく侵入した張本人は、続けてさまざまな理由を述べはじめた。
あれから一週間、君は外に出ていない。(どこで見てたの?)
そろそろ食材も尽きるのではないかと思った。(お米はこのまえ届いたところだから、大丈夫だけど)
掃除だって大変じゃないか?(なに、その生活感あふれる発想っ)
だから俺が面倒を見る。(どうしてそうなったー)
「大丈夫だ、迷惑はかけない。俺はベランダで寝る」
「ちょ、それはいくらなんでもっ」
「支給されているマントは防寒にも優れている。一年中、どんな悪天候でも、俺達は死者を迎えるために待機する。慣れたものだ」
「待ってるのと、寝るのとでは、全然ちがうのでは!?」
「そうか?」
「春とはいえ、まだ夜は冷えますし。夏だとしても、やっぱり屋外で寝るっていうのは、ちょっと――」
「泊めてくれるのか?」
言葉を被せるようにして問われた。
その声色は甘く、ドキリと胸が高鳴る。見据えてくる熱っぽい瞳から、目が逸らせない。なんだか顔に熱が集中してくる。
ああああ、もう。勘弁してよ。こういうの慣れてないんだってばあ!
「ベランダに一晩中放置とか、それ、子ども相手じゃなくても虐待ですよね」
外で寝られるのは、あまりにも外聞が悪い。四階のベランダなんて、敢えて注意しなければ目に入らない場所だろうけど、私の精神状態の問題だ。こっちは屋根も壁もある場所で布団の上に寝ているのに、一方はマントにくるまって膝を抱えて夜を明かしているとか。それを認識していて平気な顔で過ごせるほど、図太くないよ。
幸いというか、なんというか。ここはお母さんの弟が住んでいるマンションで。私は、大学へ通うために住まわせてもらっている。
その叔父さんは今、長期出張で家を空けているだけなので、男性が生活する環境は整ってる。毎日ではないけど部屋の掃除もしてるので、布団がカビ臭いってこともないと思う。
そんなふうに考えを巡らせている時点で、泊める気になってしまっていることに気づいたときには、死神さんは上着を脱いで椅子の背にかけていた。シャツの袖を捲り上げると、台所へと入っていく。
「あ、あの、なにしてるんですか?」
「洗い物の続きだが」
「お客様にそんなことをさせるわけにはいきません!」
「俺は客じゃない。君を助けるために来たと言ってるだろう。生活全般、任せてくれ」
「任せてくれと言われましても……」
「得意とは言わないが、生活するうえでおこなう一般的な家事は、こなす。ひとり暮らしだからな」
死神の世界にも、ひとり暮らしという生活環境があるのか。
っていうか、どんな世界なんだろうか。
会話の最中にも死神さんは手を動かしており、私が途中で放置していた洗い物を終わらせていく。小さめの食器乾燥機に皿とカップを並べると、入れたままにしていたスプーンと小皿を取り出す。食器棚へ視線が向いたので、私は彼に手を差し出してそれらを受け取ると、所定の場所に収納した。面倒くさくて置いたままにしてあったのだが、ずぼらがバレてしまった。
「由衣、夕食はどうする」
「それは、メニューという意味でしょうか」
「食べたい物はあるか?」
「まさか、作るんですかっ?」
「料理人並みの腕前を期待されても困るが」
「そこまでしていただくのは――」
「俺は客じゃないと言っただろう」
同じことを繰り返しそうになったので、私はあわてて言葉を重ねた。
ついさっき会ったばかりの人(?)に、いきなり甲斐甲斐しく世話をされても戸惑うだけである、ということ。私はあなたのことをなにも知らない。死神と言われても、現実味に欠ける。お願いだから、もうちょっと情報を開示してはくれないだろうか――。
「信じてはくれないのか」
「……私、あなたの名前しか知りませんし」
そして、それすら本名かどうかもわからない。見た目は日本人っぽいけど、死神に国籍ってあるのかな。
あー、もう。そう。この、死神っていう二次元的なワードが、そもそもうさんくさいのだ。
スーツ姿のイケメンが「死神だ」とか言って現れたら、漫画が実写映画化して、撮影でもするのかと思うでしょ。
「そうか」
「そうですよ」
「俺のことが知りたいと」
「そういうと、なんか意味がちがうような気もしますが……」
「質問を受け付けよう」
私へ向き直り、鷹揚に構える。とくに威圧されてるわけでもないのに、なんだろう、この圧迫感は。
身長差だろうか? 正面を向くと、相手の胸元あたりに目線がくるぐらい、私と相手には高低差がある。見上げるし、見下げられる。地味に首が痛い。
なにを問うべきか下を向いて考えていると、ポンと頭になにかが乗る。ゆるやかに動くそれが相手の手だと気づいた途端、顔に朱が走る。
「な、な、なんでふかっ」
あわてすぎて、噛んだ。
すると、死神さんは笑みを浮かべる。
「座って話そう。コーヒーでいいだろう?」
「はい――、って、だから、そうじゃなくてですねえ」
戸棚からコーヒーを取り出し、フィルターをセットし、さっさと入れはじめる。これは叔父さんの趣味で、私も居候させてもらってからは、毎日お世話になっている。味については全然くわしくないので、叔父さん任せだけど。
テキパキと手慣れた様子で動くので、介入の余地がまったくない。手を出せば、かえって邪魔になるレベルだ。
結局私はおとなしく、元の椅子へ戻ることにした。
やっぱりなんか、納得いかないんですけどねっ!
†
コーヒーにはすでにミルクが入っていた。口に含むと、甘みはない。
お砂糖なし、ミルクだけ。
そんな私の飲み方を、伝えた記憶もないのに供してきたのは、どういうことなのか。
ちらりと見ると、微笑まれる。私はあわてて下を向いた。
いかんいかん。これではすっかり相手のペースだ。ここは間借りしているとはいえ、私が住んでいる家なんだし、死神とかいう、本当かどうかも分からない侵入者に尻込みとか、している場合じゃないでしょう。しっかりしろ、中西由衣!
「あ、の!」
「ん?」
「説明が、ほしいです」
「俺は君に命を救われ――」
「まず、そこです。あの猫は、本当に死神さん、なんですか?」
「シュウ」
「はい?」
「死神さんじゃない、シュウだ」
真顔で、念を押すように繰り返す。
「――それ、大事ですかね?」
「とても」
頷かれ、私はしぶしぶ呼び名を変えた。
「……シュウさんは――」
「さん、はいらない。シュウだ」
「初対面の相手を呼び捨てとか、無理です」
「初対面じゃない」
「ですから、猫って言われても」
「変化しろということか?」
「できるのでしたら」
「……事前申請がいるんだが」
「申請?」
上司の印鑑がいる、とか言い出したらどうしよう。社会人は、いろいろ難しいらしいし。
叔父さんがよく「あのクソデブハゲがっ」と愚痴を言っていたものだ。
「まあ、いい」
「え、いいんですか?」
「君の信頼を得るためだからな」
ふむと頷くと、対面に座っていた男の姿が消えた。そして聞こえる猫の鳴き声。軽い音とともにフローリングの床へ着地した黒猫が一匹、足もとへとやってくる。こちらを見上げたあと、弾みをつけて私の膝へとあがると、短くなった距離でもう一度鳴いた。
瞳の色は焦げ茶色で、シュウさんと同じ色をしている。艶やかな毛並みは黒光りしており、そっと触れてみると、思った以上にやわらかくて気持ちがいいことに驚いた。
猫は小さいころに近所にいた程度で、私自身はペットを飼ったことがない。あの三毛猫もたまに撫でさせてくれたけど、毛はもっとパサパサしていたように記憶している。三毛の子供なのか、小さな黒猫もいて、そちらはいまの猫シュウさんと同じようにやわらかくて、そしてふわふわの毛をしていた。
手のひらに乗るぐらい小さくて、そして軽くて――。
幼児の心をキュンキュンさせたけど、お父さんが動物アレルギーだったこともあって、飼えなかったんだよね。たぶん、野良っぽかったのに、つくづく残念。
それを思い出しつつ、手のひらで包んでしまえるほどに小さな頭を撫でると、黒猫は目を細める。
か、かわいい。
親指で指圧するように額付近を撫で、そのまま手のひらを背中へと流していくと、お尻があがって、しっぽがピンと立った。
「由衣」
「うえ!? しゃべるの?」
どういう発声方法なのだろうか。人間がどうやって声を出しているのか、人体構造的なことはまったく知らないので、動物も人間と同じような発声をすることは可能なのかもしれないけど。
「これで信じてくれただろうか」
「――そうです、ね」
こんなにかわいい黒猫なのに、出てくる声はシュウさんのテノール声のままであれば、もう信じるしかないのだろう。高度な腹話術という可能性もなくはないけど、だとしても、今ここにシュウさんの姿は見えないのだから、透明化する能力があるということになり、やっぱり人外確定だ。
口を結んで考えていると、むくりと起き上がるようにシュウさんが人間形体となって、私の前に立つ。着ていた服は乱れもなく、さっきまで猫だった要素はかけらも見当たらない。一体どういう構造なんだ、この服は。
「これは服であって服ではない。纏っているだけで、着ているわけではない」
「……意味がよくわかりません」
「そうだな。ネットのアバターを着せ替えるようなものといえば、わかるか」
「…………」
まったくわからない。
「猫の姿を取る際、いちいち衣服を脱ぐのは面倒だろう。これは、そういった面倒をなくすために考えられた、まあ、制服だな」
「この喪服みたいのが?」
「死者を迎えるのだから、赤や黄というわけにもいかないだろう」
なんだか、死神という人達が、葬儀社の従業員みたいに思えてきた。
「色や形に決まりはないんだ――」
そう言って右手で左袖口に触れると、そこを起点に肩までグレーに染まっていく。逆マスクをかけて、服の黒色だけを塗り替えたようで、なるほど「アバター」という意味がすこしわかったような気がする。ベースとなる服があって、そこに好きなデザインを当てはめて、色の変更を含め自由にカスタマイズできるということなのだろう。それが、現実世界で適用されていることに驚きだけど。
「自由に見た目が変えられるのに、実体があるって不思議」
「服は服だからな。あくまで、違うデザインを被せているだけだ」
「……それがもう不思議なんですが」
「そうだな。俺にも理論はよくわからない」
「服ってことは、脱いだりもできるんですか?」
訊きながら、そういえば上着を脱いだことを思い出す。
シュウさんは真顔で答えた。
「君が望むなら、今ここで裸になろう」
「ならなくていいですっっ」
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