死神の恩返し

彩瀬あいり

01 死神が来訪する

 玄関チャイムが鳴った。

 そういえば、通販の発送メールが届いてたっけ。時間指定も14時~16時にしていたはず。まだ時間にはなってないけど、あんまり守ってくれないんだよね、このエリアの担当さん。

 洗い物の手を止め、少し足を引きずりながら歩く。先日、うっかり捻ってしまった右足をかばいながら玄関に向かうと、ドアスコープから外を覗いた。

 宅配会社の制服が見えるかと思えば、そこに立っていたのは、男の人だった。

 わりと長身っぽくて、顔はよく見えない。ただ、黒のスーツを着ていて、とても小綺麗にしている、ということだけは伝わってきた。

 なにかの営業かな? イヤだなあ。居留守、使おうかな……。

 そう思ったとき、ふたたびチャイムが鳴らされる。そして、コンコンコンと扉がノックされた。


中西なかにし由衣ゆいさん、ご在宅ですか?」

「――っ!」

 かけられた声に驚いて、後ずさる。

 急に動いたせいで、うっかり痛めた右足に重心を置いてしまい、口からちいさく悲鳴が漏れた。

「大丈夫か?」

 しゃがみこんだついでに、靴箱にお尻をぶつけてしまったため、鈍い音がする。ドア付近だったせいで、外にも漏れてしまったのだろう。男の声が響いてくる。

 まずい。これでもう、居留守が使えなくなった。

 観念して応対するべきなのか。

 だけど、一体なんの営業さんだろう。うまく断る自信ないんだけどなあ。

「平気か?」

「!?」

 男の声が間近で響いて、心臓が止まるかと思うぐらい、ビックリした。

 真横に、誰かがいる。

 扉が開いた音なんて、してないのに――。

 全力疾走したあとのように、息が苦しくて、呼吸が困難になる。

 血の気が引く。

 冷や汗が流れる。

 なんで、どうして、扉の外にいた人が、ここに!?

「…………」

「顔色が悪い」

 声にならず浅い息をつづける私を覗きこみ、そう呟いたかと思えば、こちらの肩に手をかけた。ビクリと跳ねる身体を抱えるように背中に左腕が添えられ、やわく二の腕を掴まれる。

 自然、肩を抱かれたような状態となり、私はべつの意味で身体を強張らせた。

 身内以外の男性と、こんなふうに密着したことは、いままで生きていて一度もない。片想いばかりの人生で、二十一歳にもなるというのに、誰かとお付き合いをしたことは皆無。色恋に縁がない、地味なモブ子なのだ、私は。

「運ぶ」

 その意味を問うよりまえに、実行に移された。

 男の右腕は膝裏へと差し入れられ、驚くと同時に、私の身体は宙へ浮いたのである。

 ふらふらと揺れ、くうを掻く足はこれ以上ないほど心もとない。玄関からリビングまでのわずかな距離ですら、ひどく不安定だ。手の置き場もなく、己の胸の前でぎゅっと握りしめる。

 顔なんて、上げられるわけがない。

 見知らぬ男が、まるで瞬間移動したかのように玄関ポーチ内に現れたかと思うと、私を横抱きにして運んでいるのだ。

 恐怖でしかないはずなのに、緊張のほうがまさっているのは、なぜなのだろう。

 彼の声が穏やかだから?

 悪意は感じられず、私を心配した声も、気遣う思いにあふれていた。

 鈍いだの、鈍くさいだの、鈍感だの、「鈍」という言葉が付く単語で評される私が言っても説得力に欠けるけど、なんていうか、「怖くない」のだ。

 ……ってことは、これ、夢なのかな?

 えー。だとしても、どんな夢よ。私のなかに、こんな欲求が隠されていたというのか。さすがにちょっと恥ずかしいというか、情けないぞ、私。


 ぐるぐると思考を巡らせているあいだにキッチンまで辿りつき、男の手によって私はダイニングの椅子に座らされた。小さめの四人掛けテーブルには、今は二脚しか置かれていない。私の前にある残りの椅子に、相手は腰を下ろす。そこでようやっと私は、男の顔をまともに見た。

 目、鼻、口といった個々のパーツがそれぞれ綺麗で、バランスよく配置されている――ようするにイケメンの部類である。現実にいるんだなー、こんな造形美の人。

 清潔そうな白のカッターシャツに、皺の寄っていないパリッとした黒のスーツ。それでいて、かしこまって見えないのは、ネクタイがないせいだろうか。

 どちらかといえば色の白い肌に、襟足の伸びた黒髪が首元で艶めかしく映える。焦げ茶色の瞳はまっすぐに私をとらえ、一度からんだ視線をはずすことが困難なほど真摯な色合いがある。

 なにこれ。なんか、私のほうが悪いっぽいじゃない。おかしくない?

 相手は侵入者。どうして、私が尻込みをする必要があるのよ。


「――あ、の」

「はい」

「ど、どちらさま、ですか?」

 問うた瞬間、自分でも馬鹿な質問だと思った。ほかにもっと訊き方があったのではないだろうか。

 反省する私をよそに、男は笑みを浮かべ、こう言った。

「君に助けられた死神だ」



   †



 どこから驚けばよいのだろう。

 やっぱり「死神」っていうところかな。

 っていうか、「しにがみ」ってあれよね。死ぬ神と書いて「死神」よね?

 疑問は口に出してはいないはずだけれど、男は頷いて肯定する。

「そう。その『死神』だ」

 言いながら、長い指が空中を踊り、文字を描く。人さし指がくるくると動くさまは、まるで指揮者のようだ。彼の声もまた音楽的であるため、まるで彼自体が楽器であるかのように艶やかな音を奏でる。

「……あの、助けられた、とおっしゃいましたが」

「ああ、君に命を救われた」

「いのち、を」

「トラブルがあって急いでいたんだ。君に救ってもらわなければ、仕事にも間に合わなかった。本当に助かった」

「はぁ……」

 と言われても、まったく身に覚えがない。

 たぶん、初対面、のはず。いや、道ですれちがった程度の遭遇はあるかもしれないけど、彼曰くの「命を救われた」レベルの絡み方をしていれば、いくらなんでも記憶に残ってると思う。イケメンだし、美声だし。

 死神は、耳心地の良い声で続ける。

「その日は著名人が死去する日でね。絶対に遅れるわけにはいかなかった。彼の死によって引き起こされる連続死が予定されていたものだから、死んでもらわないと大変な事態になるところだった」

 おいおい。なんか、とんでもないことを言い出したよ、この人。死神の仕事とは、そういうものかもしれないけども。

「……私が、あなたの命を救ったから――」

「予定通り、彼の命が尽きる時刻に間に合った」

 浮かべた笑みは穏やかで、人の死を語っているようにはまるで思えないんだけど、やっぱりちょっとおかしい気がする。

 命を救われて感謝している人が、誰かの命を奪っている。

 ものすごい矛盾している気がするのは、私だけ?

 かなり微妙な顔をしていたのだろう。死神は、一体どこに持っていたのか、黒いスリーブケースを机に乗せると、その中からタブレット端末を取り出した。指でついついと操作すると、こちらに画面を向ける。

 表示されていたのは、格子が入った横長の表。日付と時刻、そして丸印が入っており、ほぼ切れ目なく連なっている箇所もある。

「命の現場は分刻みだ。一分でも遅れると、次の現場へ向かうのが遅れる」

「……はあ。なんていうか、とてもビジネスライクですね」

「ビジネスだよ」

 そう言うと、懐から薄い銀色のケースを取り出した。あれはたぶん、名刺ケースだ。叔父さんが使っているのを見たことがある。

 差し出されたそれはやはり名刺で、あかがねセレモニーという会社名らしき単語のあとに、片仮名で「シュウ」とだけ記されている。おそらくは、これが彼の名前なのだろう。

 源氏名みたい、とか言ったら失礼だけど、顔がいいだけに、物語に出てくるホストみたいだと思ってしまう。

 いや、その手の人に、実際会ったことないから想像なんだけどさ。

「……シュウさんは――」

「シュウだ」

「あ、はい。えっと、この『あかがねセレモニー』というのは、死神の組織なのですか?」

「下界でいうところの、国家公務員のようなものだ」

 お給料、よさそうですね。

 なんてことを真っ先に考えてしまった私も、たいがい不謹慎かもしれない。でも、だってね、そろそろ就活考えないといけないんだよ。

 引き下げられたタブレットの行方を目で追いかけながら、彼の長い指を眺める。死神っていうと、黒いローブに身を包んで大きな鎌を構えている、骨格標本みたいな姿が頭に浮かぶんだけど、生身の人間タイプもいるんだなあ。

 いや、生身って言葉はちょっとおかしいかもしれない。だって死神っていうくらいだもん、生きてはいない――よね。

 あれ? でも、さっき抱えられたときは、ちっとも冷たい肌じゃなかった。互いの衣服を通して感じたのは、ぬくもりだったと思う。まるで本当に人間みたいで、だから緊張したんだし。

「由衣」

「ふ、ふぁい!」

「そんなに驚かなくていい」

 さっきのことを思い出して胸をドキドキさせていた私は、咄嗟に変な声を出してしまった。恥ずかしすぎて頭をかかえたい心境なのに、シュウさんはやわらかな笑みで、こちらを見つめる。うう、なんなのこれ。

「……根本的なことをお聞きしたいんですが」

「どうぞ」

「私、あなたの命を救った記憶がありません」

「そうだな。あのときは仮の姿だったし」

「仮の姿ですか?」

 変装でもしていたのだろうか?

 だとしても、やっぱり記憶にはない。人命救助の記憶は皆無だ。

「あのときは、猫の姿を取っていた。首のタグが枝に引っかかっていたとき、通りかかった君が引き返して、助け出してくれた」

「……あのときの、黒猫?」

 言われて思い出したのが、一週間ぐらい前のことだ。

 時刻は夕方過ぎ――だいぶ、暗くなりだしていたころ。

 近所の人がよく通る、幅があまり広くない道を歩いていたときに、猫の声が聞こえたのである。

 単に鳴いているのではなく、もがいているような、切迫した鳴き方だったのが気になって周囲を探したところ、生垣の下をくぐろうとしていた猫がいた。どうやら、首輪が引っかかってしまったらしい。もがいたせいか、首が締まりかけていたようだったので、枝の下を持ち上げて、隙間をつくってあげたのである。

 相当パニックになっていたらしく、解放されたあとは、ものすごい勢いで走り去っていた。あれだけの速度で走れたってことは、大きな怪我はしてないのかなって思って、安心したんだよね。

 あのあと、私も予定があったことを思い出して、あわてて走り出したおかげで足を捻って、今に至っている。安静にしなくちゃいけないんだろうけど、まったく歩かないわけにもいかないじゃない?

 捻挫ってわりと長引くんだね。家に常備してあった冷湿布を貼ってはいるけれど、痛みが引かないようなら、やっぱり病院なんだろうか。


「失態だったよ。急ぐと碌なことがないな」

「ご無事でなによりです。あの、そんなことで、わざわざ?」

「そんなこと、じゃない。さっきも言ったが、君は命の恩人だ。だから、恩返しに来た」

「――はい?」

「今日からここに住んで、俺が君の生活をサポートする」










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