第4話
職業案内所の受付を終え、電光掲示板に自分の番号が表示されるのを、菊は睨み付けるように見入っていた。
そしていざ菊の受付番号が表示されると、小走りに受付へと向かった。
先日の中年女性が、半笑いで使用可能なパソコンの番号が書かれた札を差し出す。それを受け取ると、菊は渡された番号の求人検索用パソコンの前に座った。
世界的に不景気この上ない情勢は、当然求人にも現れている。お陰で、菊が希望する【飲食店正社員】の職も【惣菜店正社員】の職も、ヒットしない。
条件を下げ、ようやく見つけた【スーパー中松惣菜コーナーパート店員】の求人表をプリントアウトして、受付に提出した。
※ ※ ※
「スーパー中松」は、中規模小売店だ。
その中でも惣菜コーナーは店員10名で操業しており、スーパー中松の中で一番売り上げがある。
とはいえ雇われ店長以外は揃いも揃ってパートタイマー。その中でも25歳の菊は圧倒的に若かった。
惣菜コーナーでの一番の古株は73歳の女性で、名を五十嵐という。
「五十嵐さんは少し気難しい方だから、気をつけてね。」
と、入ってすぐに、人のいい笑顔でニコニコ微笑む40代の二ノ宮に耳打ちされた。
そしてそのつぎの日。
スーパーの裏方に簡易的に設置された休憩スペースで、菊は持参した水筒のお茶を飲んでいた。すると、わざわざ隣にやって来た五十嵐が、缶コーヒー片手に目を細めて口を尖らせながら苦々しく言った。
「二ノ宮さんは、あなたが入る前はここで一番若いって持て囃されていたんだよ。でもあなたに比べたらねぇ。ほら、彼女四十越えてるから、」
それは淀みを含む粘着した言い回しだった。
「……は、はぁ、」
どう対応したらよいのかわからず、菊はただ曖昧に笑った。
(これが今度の仕事場かぁ。)
苦い高校時代を思い出す。
終業まで困惑しっぱなしだった菊が、帰り支度をしながらため息を吐いていると、
「ここはね、五十嵐さん派と二ノ宮さん派で二分してるのよ。面倒でしょ。でも、こんなご時世だから、なかなか次も見つからないし。お互い、頑張ろうね。」
疲労が目の下で隈と化している50代の一之瀬に労われた。
「ホントそうですね。」
一之瀬の言葉に、菊は力強く頷いた。
(とはいえ、前途多難だわ。)
思いの外ここは魔の巣窟であったが、菊は、そう易々と仕事を辞めるわけにもいかなかった。
夢実現のためには、どうしてもあと250万円貯めなければならない。そのためには、是が非でも歯を食い縛って耐える覚悟だった。
月水金曜日の週三日、午前5時から午前9時までは近所のコンビニで働いた。
土日月火水曜日の週五日、午後1時から午後9時まではスーパー中松の惣菜コーナーで働いた。
スーパー中松での派閥争いを、何とか曖昧な態度で乗り越えようとしていた菊だったが、しかし思わぬ形で五十嵐にも二ノ宮にも目をつけられることになるのである。
※ ※ ※
菊がスーパー中松で働き始めて1ヶ月程経ったある日、閉店間際の水曜日。
「おにぎりを2つ、頂けますか?」
「ぉわあっ!」
不意に、聞き覚えのある低い声が、店頭で値引きをしていた菊の背中に投げかけられた。
菊は驚き、思わず持っていた値引きシールを派手に床にぶちまけてしまった。
「あわわわ!」
拾おうと急いで屈むが、何者かが菊よりも素早くそれを拾い、菊に差し出した。
「わ、ありがとう、ございます。」
社会人の常識としてお礼は言うが、現状には腑に落ちない点が多すぎる。
(……この人は、いったい何なんだろ。)
値引きシールを受け取りながら、相手の顔を見ることなく俯いたまま、菊は訝しげに眉をひそめた。
「それで、おむすびを2つ、」
「あ、申し訳ございません、お客様。商品はご自身でお取りいただけますか?当店は直接お渡しするシステムはございませんので、」
可能な限りの笑顔で菊はようやく男を見上げた。
頭一つ分ほど背の高い男は、以前と変わらぬ柔和な笑顔のまま、菊を見下ろしていた。そして、菊を見下ろしたまま、静かに言葉を紡いだ。
「今のあなたは、『ころりん』で働いておられた頃よりも、意欲が少々感じられないようですが、」
「………。はあ、」
男の言葉の裏には何かが内包されているに違いない。
菊はそっと奥歯を噛み締めた。ほとんど面識のない男に、自分の現状を分析され、更には批判される謂われはそもそもないのだ。
若干の苛立ちを、プロのスーパー店員としてのプライドで黙殺して、
「ご指摘、ありがとうございます。」
満面の笑顔で故意に深めに会釈した。
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