役になりきる

「いいか、演技の基本っていうのは、身も心も演じたいものになりきるということなんだよ。心の底からなりたい役になりきれば、どんなことだってできるんだ」

席についた僕を見て、劇団の先輩がお腹をさすりながら語る。机の上には特大サイズのラーメンのどんぶりが置かれていて、このお店名物の超特大スーパージャンボラーメン(10人前)にチャレンジした形跡があった。


「だからフードファイターを演じることで完食を目指した、と」

「そうだよ、察しが良いな」

「それで、どのくらい食べられたんですか?」

「どのくらいも何も……」

先輩はどんぶりの中に箸を突っ込んで、スープの中に上げたり下げたりを繰り返した。

「食べ切ったんだよ」

「え、凄いじゃないですか!」


先輩は別に普段はたくさん食べる方ではない。つまり、本当に役になりきることで超特大スーパージャンボラーメン(10人前)へのチャレンジに成功したということだ。先輩の役になりきる能力の凄さに感心していると、その後に先輩が付け加える。

「麵だけ」


そう言って今度は濃いスープの中から次々と具材を拾い上げる。チャーシュー、メンマ、煮卵、と次々と具材が出てくる。

「あの、これは……?」

「なんかな、即興で役作りをしたせいでラーメンは麺しか食べないっていう変わったキャラができちまったんだよ」

先輩はすでにキャラを抜いた後のようで、呆れながら大きなため息をつき、辛そうな顔でチャーシューを口にしようとしたが、少し逡巡したのちに「やっぱ無理か」と呟きながらどんぶりの中に戻す。


「キャラになりきると麺しか食べれねえけど、普段の俺ではもうこれ以上胃に物は入れられねえ。詰んだからお前にお金を借りようと思ってここに呼んだんだよ」

そういって先輩が目配せした先には「成功したら料金無料! ※完食に失敗した場合には5千円頂きます」との文言の入ったポスターがあった。

仕方がないから呆れながらも先輩に5千円札を渡すと、先輩が申し訳なさそうに受け取る。


「ところで……」

僕は一つ気になったことがあったので、席を立とうとする先輩に尋ねた。

「次の舞台で先輩がする役って軽量級のボクサーですよね?……」

「ああ、そうだけど、いきなりどうしたんだよ?」

ラーメンをしまい込んで膨れたお腹をさすりながら先輩は平然と答えた。

「……とりあえず暫く食事は抜いた方がいいですね」

役に対する意識が高いのか低いのかわからない先輩を見て、僕は大きなため息を吐いた。

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