第40話 貴女のいるべき場所

 曼亭府まんていふの街の路地裏を密かに馬で駆けた。

 街の北の門が見える大きな館の陰で潘紅玉はんこうぎょく雷梅らいめいは馬を止めた。1人だけ自らの脚で駆けて来た燐風りんぷうも遅れることなく2頭の馬の隣に止まった。

 あと4刻 (1時間)もすれば日も昇り門も開く。そうしたらすぐに街を去ればいい。幸い牢獄の追っ手はまだ来ていない。

 門の辺りには開門を待つ人々が何人も待機しており、その人々を狙う商人らしき男達が開店の準備を始めている。小さな村々を転々として来た水晶すいしょうにとっては新鮮な光景だった。

 その商人達の様子を見ながら各々手持ちの水筒で喉の渇きを潤し一息ついた。費煉師ひれんしは雷梅から受け取った瓢箪の水を凄い勢いで飲んでいる。額の端に彫られた罪人を示す刺青が痛ましい。


「燐風お前、妖術師かなんかなの? まさか本当に馬より速く走れるとは思わなかったよ」


「あたしは飛脚屋! ただの可愛い飛脚屋の女の子だし!」


「可愛いかどうかは置いといて、見直したよ」


「置いとくなよ!」


 平和な街の光景を目にした雷梅と燐風は気が緩んだのか、相変わらず仲良さそうに冗談を言い合う。

 すると、雷梅の馬の後ろに乗っていた費煉師が瓢箪を雷梅に返すと、槍を持ったまま馬からぴょんと飛び下りた。囚人の赤褐色の襦袢1枚を着ただけのその姿は、平和な街の光景には似つかわしくなく、そして何よりあまりにも淫らだ。


「さてと。改めて皆様には助けて頂いたお礼を述べさせて頂きます」


 費煉師が拱手して深々と頭を下げたので潘紅玉と雷梅は慌てて馬から下りて燐風と共に拱手を返した。水晶だけが案の定下り遅れてアタフタしていると、すぐに潘紅玉がいつものように手を差し伸べ馬から下ろしてくれた。


「潘姉さん、水晶さん、燐風。あたしからもお礼を言います。姉貴を助けるのを手伝ってくれてありがとうございました」


 雷梅も仰々しく拱手したので今度こそ水晶は拱手して返す。


「罪もないのに牢獄に入れるなんて正しい人のやる事ではありません。費煉師さんは元のいるべき場所に戻っただけです。雷梅さん」


「感謝します。水晶さん」


 水晶が微笑むと雷梅も可愛らしい笑顔を見せた。


「では皆様。私はこれで。どうかお達者で」


 費煉師はさも当たり前かのように再び拱手をすると踵を返し、雷梅に馬に乗れと手で合図した。その突然の行動に、水晶も潘紅玉も燐風も絶句する。それは雷梅も同じだった。


「あ、姉貴!? 何処へ行くんですか!?」


「何処って、決まっているでしょ? 知府の周済しゅうさいに復讐しに行くのよ。私を馬鹿にしたのだから、それなりの罰を受けて貰わないと……絶対に許さないわ」


 その言葉に一同息を呑む。費煉師の背中からは凄まじい殺気が放たれているのが水晶にも伝わって来た。

 雷梅はそんな義姉あねの言動に頭を抱えて溜息をついた。


「姉貴、気持ちは分かりますが、周済の所に乗り込むのは危険過ぎます! 奴はこの曼亭府の知府。もちろん軍が護っている……何万という兵がいるって事です! 例え上手く周済に復讐を果たしたとしても、そのあと軍から追われます! とても逃げられるとは思えません! 捕まれば今度こそ投獄だけじゃ済みませんよ! 間違いなく死罪です」


 雷梅が柄にもなく論理的な説得を試みると、費煉師はゆっくりと振り向き雷梅を見た。その表情は完全なる無である。


「分かっているわ。それでも、周済を懲らしめないと私の気が収まらないの」


「あたしだって姉貴を牢にぶち込んだ周済は憎い。ぶち殺してやりたい。……けど、今ようやく助け出して姉貴とまた会えたところなのに、また捕まるような危険な事……しないで欲しいです!」


「どの道……私は罪人。何処へ逃げようと国は私を追って来る。私は一生……この国から逃げ続けなければならない。ならいっその事、悪の一つでも排除してから死んでもいいじゃない?」


 費煉師の話を黙って聞いていた潘紅玉が1歩前に出た。


「雷梅はそんな事をさせる為に貴女を助け出したのではありません」


 費煉師は潘紅玉に背を向けたまま耳を傾ける。


「雷梅は貴女を理不尽な待遇から救いたい。それだけを想って私に助けを求めて来ました」


 費煉師は雷梅へと顔を向ける。雷梅は神妙な面持ちでこくりと頷いた。


「ですが、貴女の復讐したいと思う気持ちを否定したいのではありません。ただ、今はその時ではないというだけです。そして、貴女がいるべき場所はこの国ではない。貴女がいるべき場所に身を落ち着けた時、貴女は復讐の機会を得られるでしょう」


「その、場所の名は?」


 費煉師にはその場所の名は分かっているだろう。だが、費煉師は敢えてその答えを求めた。


 おもむろに潘紅玉はローブを外し、水晶に何も言わずに渡す。そして、その撈月甲を費煉師に見せ付けた。初めてまじまじと見た本物の撈月甲に費煉師の表情が動く。


撈月渠ろうげつきょ嶺月れいげつに反旗を翻す女達の楽園。共に参りませんか? 撈月の仲間として」


 潘紅玉は右手を差し出す。


「姉貴、一緒に撈月に入りましょう! あたしも本物の撈月に入ります! 撈月としてあたしは嶺月と戦いたい! でも、姉貴とも一緒にいたい! だから、姉貴も一緒に……」


「……私は」


 雷梅の訴えを皆まで聞かず費煉師はボソリと呟くと、手を差し出している潘紅玉の方へと歩き出した。


「以前から雷梅にも誘われていたけれど、撈月になるつもりはなかった。武官として国の為にこの武を使おうと思っていた」


 費煉師は潘紅玉の前で止まった。


「でも、その気持ちは裏切られた。力さえあれば男も女も関係なく見てもらえると思ったのに……嶺月帝国は、私の、女の武を必要としなかった……」


 費煉師は潘紅玉の瞳を見つめる。お互い何も語らない僅かな時間。強者同士が見つめ合うその姿が水晶の綺麗な水色の瞳に映る。

 そして、費煉師は口を開く。


「分かりました。橙火焔とうかえんのご子孫、潘紅玉様。この腐った嶺月帝国を倒す為に戦う気高き撈月のお力に立てるよう、不肖、費煉師、微力ながらこの武を奮いましょう」


 費煉師の手は潘紅玉の手を握っていた。その瞬間、その場の全員の表情がぱっと明るくなった。


「やったー! 姉貴〜! 良かったぁ、良かったよぉ〜、一時はどうなるかと思った〜。姉貴が撈月に入らなかったら一緒にいられなくなるって、めちゃくちゃ不安でしたよ〜!」


 雷梅は目を潤ませながら費煉師の背中に抱きついた。


「うわっ、雷梅……お前費煉師さんの前ではそんな感じなの? かーわい〜」


 嬉しそうに雷梅を茶化す燐風。水晶も潘紅玉も自然と笑みが零れている。


「良かったです。撈月の仲間になったのなら私と貴女は姉妹も同然。費姉さんと呼ばせて頂きます」


「なら私は潘ちゃんと呼ぶわね」


「はい!」


 潘紅玉はオレンジ色の髪を揺らし嬉しそうにニコリと笑った。


「姉貴、とりあえずこれを羽織っといてください。その囚人服は目立ち過ぎます。あと、靴だけはお持ちしてあります」


 そう言うと雷梅は馬の背に括り付けてあった鞄から取り出した黒いローブと靴を、赤褐色の襦袢に裸足の費煉師に渡した。

 費煉師はそれをすぐに身に付けた。それを見た潘紅玉は水晶に預けていたローブをもう一度羽織り直した。


「あと、これですよね、姉貴」


 着替えを済ませた費煉師に雷梅は赤い長い鉢巻と髪留めを渡す。


「これも持っててくれたの? ありがとう」


 長い黒髪を髪留めで雷梅と同じポニーテールに纏め、赤い鉢巻を額に巻いた。額に彫られた罪人の刺青はそれで綺麗に隠れた。


 費煉師の準備が整ったちょうどその時、街の門が開いた。


「門も開きましたし、街を出ましょうか。急がないと追っ手が来ちゃいます……あれ? 燐風さんは?」


 水晶はいつの間にか姿を消してしまった燐風を探し辺りを見回す。潘紅玉も雷梅も費煉師も首を傾げるだけでその行方を知る者はいない。


「お! 準備出来たみたいだね! ほら、水晶。約束の月餅げっぺいだよ。皆の分もあるよ」


 突然何処からともなく姿を現した燐風は、水晶の腕を掴んで手のひらに月餅を置くと、他の面々にも1つずつ配り始めた。どうやらすぐそこの通りの店で買って来たようだ。


「ありがとうございます! 燐風さん」


 食べたかった月餅。昼間買い損ねたのを燐風は覚えていてくれたのだ。

 嬉しそうに笑みを零す水晶に対して、雷梅は月餅を指先で摘みながら首を傾げた。潘紅玉も費煉師も同じような反応である。


「ちょうど腹減ってたから助かるぜ燐風。でも、何で月餅?」


「水晶がさ、食べたかったんだってー」


 燐風はクスクス小馬鹿にしたように笑いながら自分の分の月餅を一齧りした。


「笑わないで! いいじゃないですか! 別に!」


 水晶が頬を膨らませて言うと、納得したように頷きながら雷梅と費煉師も月餅を齧った。2人も子供を見るような微笑ましい眼差しを水晶に向ける。


「潘さんは私の事子供扱いしないですよね?」


 潘紅玉は手のひらの月餅から水晶へと視線を移しニコリと微笑んだ。


「美味しいよね、月餅」


「はい!」


 水晶は潘紅玉の反応に満足して元気良く返事をした。

 潘紅玉が月餅を口に入れると水晶も口に運んだ。甘い餡子の味が極度の緊張で疲弊した水晶を幸福感で満たす。


「おーい、置いてくぞー」


 潘紅玉と2人で月餅の美味しさに浸っていると燐風が声を掛けた。雷梅も費煉師も既に馬に乗り準備万端のようだ。

 水晶は慌てて烈火に乗るよう潘紅玉の背中を押した。


「撈月渠に案内するのは、私の役目です!」


 言いながら水晶は潘紅玉の手を取り烈火に乗る。


「出発!」


 潘紅玉の背中に掴まり、水晶は元気良く右手を上げて号令を掛けた。

 地平線の向こうに顔を出した朝日に照らされながら、5人となった仲間達は曼亭府を出発した。



 帝国に眠る同志 《3》~完~

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